典子 8
実際主人の言う事は間違っていなかったわ。
私達の借金への不安や、バブル経済への不安を吹き飛ばすような
勢いで、工場は動き始めたの。
3交代制の24時間業務。
現地の人間にとっても賃金は特に高いものではなかったけれど、
月々のサラリーと冬のボーナスの確実な支払いを約束した
主人の工場は、人手に困ることはなかったみたい。
そして何より、あの頃の日本は、あれほど物があふれていたと言うのに、
丸で何もない更地の上にいるように、
もしくは全てを最初からやり直そうとしているかのように、
あらゆる業界で物が不足しているように見えたわ。
建設ラッシュ。
商品生産ラッシュ。
主人は最初の3ヶ月新しい工場用の余計なオーダーは取らなかったの。
その3ヶ月間、定番オーダーで出る製品のストックをしてね。
それから、「製品をすぐ納品できます」と言う形で売りこみを
したの。
もちろんこちらの原価は今までよりも安く上がっていたけれど、
それをあえて今までと同じ値段で提示して。
それでもこれには、今までお付き合いのあった業者さんも、
全く始めての業者さんも、飛びついたわ。
世の中は、儲け話はあるけれど、それに基づく製品が
調達しきれないと言う感じだったから。
子会社の子会社の子会社
にまで依頼して製品を調達しなければ行けないような
状況にあった業者にとっては、
製品がすぐ届けられると言うのは
ものすごい魅力だったみたい。
ストックはあっという間、半月程であっという間にさばけてしまい
それ以降の製品は、もちろん製造期間を入れての納入期日が必要
だったけれど、
ここで主人は、今度は定価よりほんの少しだけ安い値段
で取引きしたの。
世の中は、値段に糸目はつけないと言うよな状況だったけれど
他より安いと言われれば気になるのが人情と言う物。
ましてや、商売ですから。
そんなわけで、主人の新しい工場は、実力で持って
主人のただの思いつきで始った物ではないと見せつけてくれたわ。
10年計画で返済する筈だった借金も、わずか3年で返済し終わり
私はすっかり自分の心配していたことが、思い過ごしだと
思うようになっていったの。
その頃には、お義兄さんだって、何も言わなくなっていたわ。
何も言わなくなっていたと言うより、言えないくらい
仕事に追われていたとも言えるかもしれないけれど。
主人が工場に着きっきりになってしまってから
会社の主要な接待は全部お義兄さんに回って行って
いたのですもの。
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もともとの工場にもどんどん人が増えていっていたわ。
工場だけじゃなく、事務所の人間も入れて
毎日がてんてこ舞いのような忙しさ。
逆に私は本当、出納の最後の確認をするだけ、と言えば
聞こえは良いけれど、
結局、出来上がったものに目を通すだけ
になっていたから、まあすっかり気楽な身分だったわね。
主人は相変わらず帰ってこない。
その最初の3年間、主人が自宅に寝泊まりをしたのは
ほんの数回だったわ。
その回数があまりに少なすぎて、やんわりこっちに戻ってこれないか、
と聞いてみても、
確実に仕事を任せられる人間が
向こうで見つけられないと言われれば、なんとも言えなかった。
こちらから新しい人間を回せば良いのではと言っても、
手順を一から教え込む時間があるのだったら、
それだけの時間
自分が仕事に回った方が今は早いからと言われて、それでおしまい。
私だって、結婚してからこれまで、夜帰ってくるかどうかさえも
わからないあの人と一緒にいたんですもの。
その人が、遠い海の向こうに行ってしまったからといって
突然寂しくなったかと言えば、
それは違った。
はっきり言ってしまうと、今までと何も変わらないといえば
そうだった。
それでも私がそんな甘えたようなことを言ったのは、
それが精一杯の抵抗だったから。
あの人の頑張りきれなかったところは、きっとあの土地の
言葉を覚えなかったと言うところだわ。
もしくは、向こうのあの人が出来過ぎたと言うべきかも知れない
けれど。
しょっちゅうかかってくる国際電話。
それはあくまで仕事上の連絡と言うことだったけれど、
主人はそれを日本語で話しているのですもの。
仕事の話が混ざっていたって、私に聞こえないように隠れて
いたって、
その話し方に色気があるのは嫌でもわかる。
それに何より、一度浮気している夫に気が付いた妻というのは
今、夫がほかに好きな人がいるかどうかというのが
わかってしまうみたい。
やさしかったり、つれなかったり。
一緒にいる時間が少なくなった分、あの頃の主人は格段に
優しい時が多かったけれど、
それでも、
前に一緒に旅行に行った女性といるときのあの雰囲気を
意識していないながらも、
かもし出しているのだもの。
たまには料理でもしに行こうか?と私が工場に行くことを
匂わせてみても、
食材が違うし、第一向こうの食事は私の口に
あわなくて、かえって大変だろうと柔らかく断られる。
新しい工場のマネージャーである彼女からは、当たり前のように
電話がかかってくる。
主人は何も言わない。
今回のことはお義兄さんや、お義姉さんは知っているのかしら? と思いながら。
私も、何も聞かない。
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姿が見えないと、私は次第に嫉妬とかそういうのがなくなってきたの。
自分の生活の中に違う女の人のにおいが感じられると
気になって仕方が無かったけれど、主人はここにいないんだもの。
そして、気持ちが自分のところにないと感じる主人の
食事の準備をすることが無い。
汚れた衣服をきれいにする 必要も無い。
子供達もそれぞれ大学に入って、家から出て二人で暮らし始めたわ。
大学同士がそう近くにあったわけじゃなかったから
お互いの中間距離に部屋を借りたの。
二人にはそれぞれ別に暮らしたいと言われ、
そのころの経済状況は
実際それだけの出費を出せなかったわけじゃなかったけれど
私達は反対した。
そんな必要は無い、とね。
こういうところ、私と主人の考えは一緒。
子供達が出て行ってから、思い出したように犬を飼って、
また赤ちゃんを持ったみたいで、
さびしいとは思わなかったわ。
出かけるのも自由。 面倒くさければ外で食事。
物事を深く考えなければ、私は本当に気楽な生活をしていたわね。
そして、主人もね。
たまに帰ってくる主人はお客さんみたいな存在だった。
家を片付けて、花で飾って、おいしい食事を用意して。
まあ外で食べる方が多かったけれど。
肝心な話題に触れなかったら、私達はとても良い夫婦だわ。
ああ、これはいけないかも知れない、と思ったのは
次の年のお正月。
相変わらず、お義兄さんもお義姉さんも我が家
へやってきたわ。
同じように進学したり就職したりして家を出て行った姪っ子や
甥っ子達も、当たり前のように顔を出してくれる。
毎年の事。
たまにしか会わないから会うたびに大きくなって、
会うたびに大人びて、
でも子供の頃の面影を残した懐かしい顔。
そして、出迎える我が家は、私ひとり。
お正月休みなんて言う概念がない海外は、元旦の一日が
休みなだけ。
従業員が働いているのに自分だけ休むわけ
には行かないという主人。
従業員と同じくらいがんばるあなたは評判のよい社長さん
なのかしら? そんなことを思いながら、
みんなの前では
「お正月も帰って来れないんですって。全くねえ」
と言って笑って見せる。
お義兄さんも「仕事人間だから」と笑ってくれる。
そして、我が家の子供達にお年玉を置いて帰るのだけれど。 その二人は。
アルバイトが忙しいから。
友達と約束したから。
そう言ってお正月さえ、家には帰ってこない。
お正月くらい、と言おうとしても子供達は無言の反抗をする。
どうやら彼女達は
「お父さんとお母さんだって、勝手にやってるじゃない」
と言いたいらしい。
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