典子 7
私に約束した通り、主人はあの女の人と本当に別れたのかしら?
少し落ち着いた生活をしているように思えたのは2週間ほど。
すぐにいつものあの人の戻っていったわ。
相変わらずお酒と香水の混じった匂いで帰ってくることもあれば
外泊するのも当たり前。
たまに生活状態を尋ねると、なんとも仕事が忙しそうだったから
いちいち勘ぐって色々聞くことも出来なかったし。
それに、あのころはまだそんな言葉はなかったけれど
ちょうどバブルと呼ばれた時代が始まっていたころだもの。
主人の「仕事だ」と言う言葉を疑う必要がないくらい
会社が忙しくなっているのが私にもわかったわ。
それと同時に主人の生活も派手になっていくのがわかったけれど
女って現金よね。
それでも会社が面白いように儲かってきているのが
目に見えてわかって来て、
自分もまた忙しくなってくるでしょう?
そうすると、そんな主人のこともなんとなくやり過ごせてしまうのよ。
今思うと、あの時に、なんて言うのかな?
もっときちんと関わっておけば、今はまた違っていたのかしら?
と思うのだけれど、そんなことを言っても、もう遅いわねえ。
ともかく、仕事がとても上手く行き始めて、浮かれているのは
私も主人も一緒だった。
景気が良いのは本当この1、2年のことなのに、そう言うことには
体が慣れるのも早いもの。
バブルの景気の良さがすっかり当たり前に感じられるようになった頃、
主人は好んで行っていた東南アジアのその国に、新しく工場を
作りたいと言い出したの。
確かにその時の状況では、仕事を下に回しても回しきらないほど
忙しかったのは事実。
だから、ただ工場を増やしたいと言う話をされただけだったら
経理一般を管理していた私にだって、考えられない話だったとは
思うけれど、
その建設地が海外となると話が違ったわ。
海外へ旅行もしたことがなかった私にとっては、
それはまるで違う世界の出来事だったのだもの。
日本に比べて、人件費が断然安いから。
もちろん土地だってそうだ。
原料だって現地手配できるし、
日本に製品を持ち帰る輸送代を考えたって、
絶対に悪い話じゃないよ。
熱く語る主人だったけど、私はそんなあの人を 熱に浮かされたようにしか、見れなかったわ。
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でも、その工場増設に誰より反対したのはお義兄さんだったの。
主人は仕事のことをわかっているのは自分だからと
お義兄さんの言うことをはね付けたけれど、
私はそうは思わなかったわ。
確かにお義兄さんは最初全くの素人で会社にやってきた。
だけど今となっては会社になくてはならない人だもの。
そんな人の意見を全く無視するなんで出来ないのじゃないかしら。
だからきつい口調で、お義兄さんに仕事のことがちゃんとは
わかっていないと言う主人に
私だって、反発を覚えたわ。
少なくとも、あなたよりずっと、会社で顔を合わせるのが多くて、
トラブルがあれば、
誰よりも遅くまで会社に残っていた人よ。
お義兄さんが不安がったのは、
私のように、海外に工場を建てると言うことではなく、
工場設立自体。
今のこの突然とも言える好景気がいつまでも続く保証は
どこにもない。
あえて言うなら、この好景気に「乗って」しまうのは
危険なような気がすると言うことだったの。
すべてにおいて、経費が安いとは言っても、工場一つ建てると
なれば、
その頃の会社の状態からしたって、大きな借金を背負うのは
目に見えていたもの。
下手に冒険をして、どうにもならなくなる状況を招くのなら
今のこの規模を保っていく方が良いと言うのが
お義兄さんの意見だったわ。
でも、あの主人がその言葉に耳を傾ける訳はなく。
ある意味、あの人はそう言う冒険を繰り返してきたからこそ
今の成功があるのだから。
結局、お義兄さんは、最後まで反対していたものの
やはりオーナーである主人の意向を変えることは出来ず、
私としては信じられないことだったけれど
主人の会社は、こんな田舎の中小企業であるにも関わらず
海外に工場を持つようにまでなったのね。
主人はきっと私達に話を持ち掛けた時、それはあくまで相談という
形だったのだけれど、
その時にはもう現地での話は出来あがっての、
結局は報告と言うことだったのだと思うわ。
話が決まってからの主人の行動は、本当に早かったもの。
土地を探すところから始めなきゃ行けなかった工場建設だったの
だけれど、
3度目の渡航で土地どころか、建設会社とも話がつき
話がでた1ヶ月後には工事が始っていたわ。
この時私達は、先が不安になるくらいの、本当に今までの私達の
生活からすれば、
けた違いの借金を背負うことになったわ。
結婚後にお世話になった社長のところから独立した時もまた
知らない土地での出発でこれ以上の不安は無いと思ったけれど、
でも、それもこれと比べたら、まるでなんでもない事のように
思えるほどに、今回の事は、話が大きかった。
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私がその現地に行ったのは、後にも先にも 開場式の一度だけ。
私にとっても娘達にとっても、始めての海外旅行。
知らない土地、通じない言葉に不安はあったけれど、
もちろんお義兄さん、お義姉さん家族も一緒だったし、
常に現地の人がついてくれて、すっかりバケーション気分で
過ごしたの。
工場の人、現地のスタッフには何人か日本語も出来る人もいたわ。
仕事の挨拶では、私も一応妻であると同時に、会社の一員であると
紹介されはしたけれど、
特に仕事に関して聞かれることはなく。
現地の人がアレンジしてくれたと言うちょっとした開幕式に続く、
立食パーティも、
それはここが東南アジアの小さな国であるという
のを忘れてしまうくらい、欧米式のおしゃれな物。
そして私はそこの主の妻として振る舞い、そこにいる間
一切身の回りの事をしなくて済むような待遇を受けたの。
素直に、気分はとても良かったわ。
そして、工場は動き出し、私達のバケーションも終わり、帰国の日。
以前から決まっていたように、こっちの現場責任者として、
主人はそこに残ったわ。
頑なに工場設立に反対していたお義兄さんに
新しい工場は全て自分が責任を持つから兄さんは関わらなくて
いいと
主人自身が言いきったことだったけれど、
実際、会社の人間に中には、
社長自身が新しい方の工場に
全面的に関わらなくても良いんじゃないかと心配する者もいたのね。
でも、なにより本人がそうすると決めていたのだから、
表だって口に出す者はいなかったのだけれど。
そうして、私達は主人に見送られて、日本に戻ったわ。
そして、その時の私は、いいえ、私だけでなく、
お義兄さんも、他の兄弟も全て知らなかった事なのだけれど。
まるで私達の機嫌を損ねるのを恐れるかのように
至れり尽せり、
毎日の食事の事からイベントのアレンジまで
一生懸命にしてくれた現地スタッフの彼女が、
新しい工場のマネージャーになると言うその彼女が、
私達が去ったあとは、主人に対しても、
私達にしてくれたように、いえ、それ以上に尽くしてくれるのだ
とは思いもしなかったわ。
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