典子 4

主人の寝るひまもない忙しさが、
結婚当初のそれとなにか違うのではないか? と思うようになったのは、
お義母さんの49日も終わってからです。

後になって考えてみると、
それまで気がつかないのが変なくらいだったのだけれど
私は自分で自覚しているのよりずっと、
お義母さんの事を 気にしていたみたい。

主人は同居に関して、私がする事に口も出さなかったけれど 口を挟むこともなく、
愚痴を言っても、まともな返事が返ってこないと理解するように なってからは
お義母さんの事は全て自分でやるものだと思っていたのね。

すっかりそんな生活をするうちに
主人がどこで何をしているかなんて、すっかり気にしなくなっていたわ。
浮気を心配すると言う意味でも、
体を心配すると言う意味でも。

お義母さんがいなくなって、自分も落ち着いてきて
最初に気になったのは、主人が妙に怒りっぽくなった事。
特に待っていると言うわけでもなく ただ、
夜更かしをしてしまって、いつまでも起きている。
すると、帰ってきた主人が なぜにこんな時間まで俺を待っているんだ?
と 妙に不機嫌だったり、怒り出したり。
そうかと思えば、 同じような状況なのに、とても機嫌が良かったり。

もう2時も近かったりするのに、これから飲もうかと 誘われてみたり。
まだ、携帯どころかポケットベルでさえなかった時代だから、
あらかじめスケジュールを把握していないと
連絡を取るなんてまず無理。
昼間だって連絡がつかないことも当たり前になってきても
お義兄さんに連絡が取れればなんとかなることが多かったから。

結局私は、車のダッシュボードに携帯用のブラシと電動の髭剃りが
置かれるようになっても、
そこまでして主人が忙しくしている 理由がなんであるか、
考えなかったわ。

良く言えば、それまでそんな心配は何もしなくて良かった 幸せ者。
悪く言えば、私にはそんな事起きる筈がないと疑いもしない、
騙す必要もないほどにあっさり騙させる間抜けだったのよね。

++++++++++

本当のことって、思いもしない所でわかるのね。
会社に行ったけれど、いつものように主人は居らず。
あいにくお義兄さんも見つからなかったの。

急ぐ用事じゃなかったから、日を改めても良かったんだけど
たまには待ってみるのも良いかなと思って
いつもは煙草臭くて近づきもしない応接スペースに
腰掛けて待っていたのよ。

でも、ひまでしょう。
なんとは無しにテーブル下のボードの上に
積み上げられた雑誌達。
それを取ろうとして、一番上に無造作にのっていた
ポケットアルバムを見るともなしに見てみたの。

最初の写真で、ああ、この間お義兄さんと
ツアーの旅行に行ったあの時の物ねとわかったわ。
普通に名所の前で澄ましているものから
お酒が入ってご機嫌な物まで、
中には同じ写真があったし、
きっとお義兄さんの 分だと思ったもの。

そう思ってページをめくっていくうちに気がついたのは
主人がある特定の女性と写っているのが 多いと言う事。
こんな写真、うちの分にはあったかしら?と 思ったのだけれど、
一瞬おいてから
自分でもはっきりわかるくらい、頭に血が上って、
顔が真っ赤になっていくのがわかったわ。

その女性は、自分も知っている 知り合いの会社に勤めている人だもの。
ちゃんと覚えているわ。
あの人確か、主人の紹介で、あの会社に入ったのよ。
これじゃあ、いくら鈍い私でも、何も感じない訳が無い。
プライベートの旅行先で これまたプライベートで来ていた
知り合いの会社の女性と一緒に写っているにしては
あまりにも親しすぎるもの。

認めたくなかったのかしら?

私は、それから3回アルバムを見なおしたの。
でも、 やっぱりそこに、その女の人は写っているのよね。

++++++++++

どうやらこれは現実らしい。
動悸が収まらないままアルバムを元に戻した所で
主人とお義兄さんの足音が聞こえたわ。

一瞬自分でも考えた。

私は怒鳴るかしら?
それとも殴るかしら?

「お帰りなさい」

でも、私がその瞬間とった行動はいつもと変わらない物だった。
いつものように挨拶をして、いつものように経理報告を受けて。
心臓は怖いほど早く鳴っているのに、
いつも以上に機嫌のよさそうな自分がそこにいる。

書類の書き込みで印鑑が必要になって 主人に頼まれて取りに行ったの。
私、机の左の引き出しって言われたのに、
動揺していたのかしら? それとも第六感が働いちゃったのかしらねえ。
何とはなしに真ん中の引き出し開けちゃったのよ。

そうしたらね。
そこにも一枚あったのよ。 彼女と写った写真。

「一緒に旅行に行った女性とはどういう関係?」

その瞬間、何も考えずにそんな言葉が出たけど
思っているより、冷静に聞けたわ。
びっくりしたように私を見て、何か言おうとしている お義兄さんの隣で、
あの人はとても真っ直ぐに私を見たの。
そして、真っ直ぐに私を見たまま

「ともだち」

そう言ったわ。

顔が鬼の様になって行くのがわかる。
「困っているからって、仕事を紹介してあげて
一緒に旅行に行って、こんな写真取る人が、ただの友達?」

主人は、やっぱり落ち着いたままだった。

「あんた、奥さんでしょ。彼女はただの友達」

後ろめたいと言う気持ちはないのだろうか?
あんた、奥さんでしょ。
それって、妻なんだから、堂々としてろ?って言う事??
私、自分の夫に愛人がいて、平気でいられるほど 冷めた人間じゃないわ。

++++++++++

なにかを言ったら、絶対涙が出ると思った。
だから、そのまま飛び出すように会社を出たの。

心のどこかでまさかと思っていたものが
主人の態度で確信に変わって、
くやしくて、くやしくて。

くやしくて、くやしくて、運転している間、ずっと泣いていたわ。
信号がちゃんと変わってから発進したのか
どこの通りを通って帰ってきたのか、
全くわからないくらい泣いた。

面白くない事があって、どこにも怒りをぶつけようがない時に
運転している車の中で、大声で叫んだり、思い切り泣いたり。
そうやってすっきりさせる事があったけれど、
今回はいくら泣いても、いくら叫んでも
そこになにかがずっしりとあったの。

家に着いて、車から出る頃はとても疲れてしまって
まるでお腹に大きな石をつかえさせた気分だったわ。
家の中に入るのもやっとだった。

あぁ、もうすぐ娘達が帰ってくる。
夕食はどうしようか、
そちらの方が先なのにと 自分でも思っているのに、
頭の中はそれどころじゃない。

私はこれからどうしたら良いのだろうか?
今まで、想像もしなかった言葉が頭の中に浮き上がる。
離婚??
あの女の人は一体私達の事をどう思っているのだろう?
考えれば考えるほどに頭痛がする。

とりあえず、少し横になろう。
そう思って、寝室に向かった物の、
そこには新物好きな主人が買った、
巨大なダブルのウォーターベッドがおいてある。

こんな所に寝たくもない。
重い体を引きずるようにして客間に布団を敷き
そこへ横になっていると、
帰ってきた娘達は不思議がったわ。

「どうしたの?具合悪いの?お母さん。どうしてベッドに行かないの?」

ウォーターベッドの緩やかな揺れがますます気分を悪くさせるのだ。
娘達はそんな言い訳を納得して 夕食はじゃあ勝手にするね、と、
好きに店屋物を取っている。
女の子はそれほどしっかりしている物なのか、
それとも、二人とも主人のひょうひょうとしたところを 受け継いだのか?
そんな考えが頭の中をよぎったりもしたけれど、
それより何より、一人にしてもらえるのがありがたかった。
長女が何かと世話を焼きに来るのをやさしく断って、 ずっと布団の中に潜っていた。

++++++++++

その日、主人の帰りは更に遅かったのではないかしら?

はっきりと時間を確認した訳ではなかったけれど
帰ってくる音には気がついていたもの。

寝室を覗いて、リビングに行く音。
客室を覗く様子も、2階に上がる様子もなく、
そのままリビングで何かする音。
一杯やるつもりなのかしら?

私のことはどうでも良いと思っているのか、
それとも、最初から今日あたり家なぞにいるわけがないと
思っているのか。

わたしだって、わざわざリビングまで出て行きはしない。
夫婦喧嘩をふっかけるにしても、今の私には何を言って
良いかわからないもの。

さすがに朝まで勝手をするのは子供達に悪いと思ったのだけれど
どうしても主人とは顔を合わせたくなかった。
食事だけつくって、また布団に戻るとか??
そんな事をぐずぐず考えているうちに、子供達の起きる時間
になってしまって、
結局、狸寝入りのまま。

次女の方がクラブの集金の事をを申し訳なさそうに
言ってきたので、それだけ準備してやると、
お母さんの分も、ハムエッグはあるから、と
気分が良くなったら食べてねと言ってくれた。
今まで、トースト一枚焼いたことのない二人なのに。
ああ、女の子というのは、私の知らない所で
どんどん育っているのねえ。

子供に続いて、主人の出て行く音。
扉の前で、「じゃ、行って来るわ」といつもと替わりない
声が聞こえた。
子供達とは話しているのだから当たり前だけど、
ああ、私がいる事をわかっているのね、
と思ったわ。

誰もいなくなった家でやっと起きだして、
さすがにお腹が空いていることに気がついて
台所に行く。

布団を主人と別のものにしたからと言って、
良く寝られたわけじゃない。
ずっと最悪の事態は頭の中をよぎっていたけれど
それが最良の選択だという自信もなかった。

とりあえず、私がしなくちゃ行けないのは話し合いだろう。

たっぷり昼過ぎまで考えて、主人に電話する。
こう言う時に限って? それともこう言う時だからこそ?
すぐに繋がる電話。
話があるといったら、
「夕食までには戻る」
と言って、電話は切れたわ。

昨日のこともある。
今日は娘達にもおいしい物を食べさせたい。
とりあえず、私は急いで、買い物に出て、
いつもと同じ時間に食事が出来るよう、
夕食の準備も済ませたのだけれど、
その時になって、かかってきた電話はあっさりとこう言ったの。

「わるい。急な仕事が入って、今日は遅くなる」

 

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