信子
「学習塾始めたのよ〜!」
この所連絡が無いなあと信子さんに電話をしてみると、
そんな元気な声が返ってきました。
「まだまだ、家計を助けるって程じゃないんだけどね、
これがなかなか忙しくてさぁ!」
以前からとても元気な信子さんですが学習塾の話をする彼女は
更にパワーアップした感じです。
元々三人目のお子さんを妊娠して、
ご主人との話し合いの結果
家庭に入るまでは教師をしていた彼女ですから、
そう言う事が向いているのかもしれません。
彼女の生き生きとした様子は電話からも伝わってきてとても素敵でした。
「でも、どうしたの〜?そんな事始めるなんて全然
言ってなかったじゃないですか。」
私がそう言うと信子さんはえへへと笑います。
あまり口に出した事は無いけれど、
子供の手が離れたら
何かしたいとずっと考えていたのだそうです。
三番目のお子さんも、もう小学3年生。
完全に手が離れたと言うわけじゃないけれど、
自宅で何かを始めるくらいならって主人も同意してくれたのよ
と信子さんはうれしそうです。
「今はまだ、幼稚園と小学生ばかりだけど、
そのうち高校受験の生徒さんも預かりたいと思っているのよ!」
おお!将来のビジョンもしっかり出来上がって、
すっかりワーキングウーマンて感じですね。
「でも、知らなかったです。そんな風に考えていたなんて」
私がそう言うと何言ってるのよ〜と信子さん。
「私いつも言ってたじゃない。
子供のためにいきる人生なんて絶対いやって」
それはまあ、そうですけれど。
「だからね。ひまがあると便利屋さんのセミナーとか、
ネットショップ
の講習とか、色々ね、調べていたのよ」
そう言えば週末は講習会に行くからだんな様に子供を見ていてもらう
とか
言ってたことあったなぁ。
やっぱり何かを始める人って、ただ思っているだけじゃないのねえ。
私も見習わなければ行けませんね。
「でもさぁ、いざ始めるとなると、準備とか大変じゃないですか?
途中で嫌になったりとかしませんでしたか?」
「準備はねえ、やると決めてしまえば、そんな事なかった。
って言うか動き出しちゃった物、途中で放置するわけには行かなかったな。
2ヶ月くらいそれを最優先に集中して、
カリキュラム組むのに、
久しぶりに徹夜しちゃったりして、
大変だったけど、それはそれで楽しかったの」
そうだったわ。目標があると、
大変な事や面倒くさい事もがんばれちゃったりするのよね。
そう言う生活からすっかり遠ざかっていた私は
信子さんの話を聞かなければ
がんばると言う言葉の意味もすっかり忘れてしまう所だったわ。
フォトスタンドやそれらが並んでいる棚に埃がない様掃除をしてみたり
以前の折り目を全く残さないよう注意深くアイロンがけをしてみたりして
私は自分の事を「がんばったなぁ」などと思ってしまうのですが
それってちょっと違いますね。
だってダーリンと喧嘩した後とかにする事が多いもの(笑)
「今思うとね。始めるまでが時間かかったかな。
色々やりたい事を手探りで探っているうちって、
夢物語みたいで とても楽しいんだけどさ。
探っているだけで始めたような満足感が得られて、
それに費やしていたこの3年間くらいの時間が勿体無かったなって思ってる」
しみじみそう言う信子さん。
あ、そう言う気持ちわかる気がするなあ。
なにかのレシピとか資料とか、
ネットで検索するだけでも意外に時間がかかっちゃうと、
調べただけで満足しちゃってその後が続かないってこと良くあるもの。
「便利屋さんとかもすごくまじめに考えていたんだけどね。
やっぱりこの地域では難しいかななんて思っちゃって。
そんなこんな、だらだら考えているうちに、
旦那が入院しちゃってさあ。
こりゃ大変!と思って今ここでも出来る事を!って言う感じで始めたんだけれどね。」
「ご主人入院なさったんですか?」
「ああ、そう。たいした事ないんだけどね。
ちょっと入院したのね。
今じゃとっくに退院して元気にしてるのよ」
物事って何かきっかけがないと始められないってことありますものね。
「万が一、旦那様が動けなくなったらって言うのがきっかけになったんですね。」
私がそう言うと
「まあ、きっかけには違いないんだけれどさあ、違うのよお!」
と信子さんは大笑い。
「そうねえ。確かに入院がきっかけで始める事にはなったんだけど
そんなしとやかな理由なんかじゃないわぁ!」
「しとやかな理由って、なんですか?それ?」
私もつられて笑いながら、そう聞いてみました。
「実はさ、旦那肺に穴が開いて入院したんだけど、
手術後自分でトイレに 行けなかったのよ。
だからトイレの度に人に頼んでおまる
あてがってもらうのね。
旦那ったらそれを看護婦さんに頼むのが嫌でね。
真っ青な顔してまで私達が顔を見に行くのを待ってるのよ。」
そうしてお見舞いにやって来た信子さんを見るなり
「はやくしろよ!」
と怒鳴りつけ、おまるをあてがわせたそうな。
「全く失礼しちゃうわよね〜。
他人の下の世話なんてただでさえ嫌なのに
なんでこんなに威張られなきゃ行けないの?」
と信子さんはたいそうお怒りですが
私にとってはそれこそ他人事。
「切羽詰まってたんですよ。じゃ無かったらそんな事
例え奥さんにだって 威張れませんて」
と言って笑ってしまいました。
「で、それからずっと信子さんがおトイレのお世話してあげたんですか?」
「そりゃね。毎回娘二人とジャンケンして、負けた人がやってたわ♪」
・・・それはキビシイですなあ、信子さん。
自分のおまるを当てる役目の為に、
妻子が必死でジャンケンをするのを
見つめる夫ですか。
寂しいような。笑えるような。
「そう言えば、それと学習塾が何か関係あるんですか?」
話が面白くてすっかり忘れてしまいそうでしたが、
そう言えば学習塾を始めたのは
旦那様の入院がきっかけっておっしゃってましたものね。
「大ありよ! 今回の入院で私、旦那の意外な性格知っちゃったもの。
今までは何でも一人でやってくれる人だと思っていたのに
入院したら24時間私達の誰かをそばに置きたがっちゃってね〜。
その上「おまる」でしょ。
もういいかげんにしてくれ!!なんて思っちゃったもの」
ん〜。それはやっぱり「入院」なんかなさって
気が弱くなってしまったのかもしれませんね。
「それでさ。あ〜こりゃ、老後に長期入院なんかされちゃったら
絶対時間がある限り
そばにいてくれって言われそうだなとおもってさ。」
どうでしょうねえ。
私なんかは出産で入院したときは、一人が良かったですけどね。
疲れてるし、ただただ寝ていたかったし。
ま、入院と言うほど寝こんでもいないのですが(笑)
「良いのよ。隣にいるだけなら。
本やらラップトップやら持ちこんで
好きな事してれば良いし。
でもね。やっぱりまたおまるでしょう。
勘弁して欲しいわ」
で、なんで学習塾なんですか?
「わかんないかな〜。旦那がそうなった時に、
一緒についていてあげられない
理由を作るためよ!」
はい?
「変にでっかく事業始めてあっさり失敗しちゃって、そのころに暇なのも困るし
趣味で始めたような、儲かっても儲からなくても良いような商売でも、
旦那が
入院なんて言ったらそっちに行かなきゃ行けないじゃない。
でもね! 塾だと、ぶっちゃけ場所が確保できれば始められるし、
なんと言っても 人間相手ですからね。
生徒さんが一人でもいれば
「行ってあげたいんだけど、
生徒さんいるしね。ごめんなさいね〜」って
言い訳できるじゃない。 だから塾なのよ!」
た、確かに。
パーフェクトな言い訳でございます。
「でもね。始めたら面白くてね。今じゃ、旦那がそうなった時にしっかりした
看護人さん雇えるよう、一生懸命がんばってるわ!」
がんばってください(*^_^*)
…信子さん、かわったね。
実は信子さんの旦那サンは超エリートなのだ。
お給料も良いし、社会的地位だって高い。
でもエリートなる者の常、信子さんの旦那様もまた
例外ではなく、
とてつもなく忙しいのでした。
家での食事もままならず、帰って寝るだけの生活。
結婚生活の半分は単身赴任の別居生活。
そんな彼女の結婚生活は、彼女の口からはあまり幸せそうに
語られたことがないなあ。
でも、実は信子さん、大恋愛なのね。
「息子にはふさわしくない!」
一回り近く離れている信子さんが、旦那様のご両親には
あまりにも頼りなく感じられ、
そして、結婚後も仕事を続けたいという彼女の考えは
到底理解してもらえず、 「
結婚するなら、親子の縁を切ってからにしてくれ!」
とまで言われて、
それでも離れられなかった二人なんです。
子供が出来てから、連絡は取り合うようになった物の
二人は結婚式もあげずに一緒になったのでした。
そこまでして一緒になった二人なのに
すれ違いばかりの生活は、やはりつらかったようで
そんな二人の出会いを語ってくれながらも
いつだって信子さんは
「離婚」の2文字を口にしていました。
でも、今の彼女には将来のプランにしっかり旦那さまが
入っているじゃないですか。
「もう、離婚はやめにしたんですか?」
私は冷やかすように言って見ました。
「そうねえ、良く考えてみれば実家に返したって、居何処のある人じゃないし。
爺さんになってから、外に放り出してさ、
浮浪者なんかで発見されて
あの方、信子さんの前の旦那さんよぉなんて
言われるもの嫌じゃない」
あはは。
まだまだ旦那様への態度には辛らつな物があるけれど、
でも、私は心配なんかしてないわ。
旦那さんだって、まだまだお元気ですもの。
倒れたら…なんて、全然想像もつきません。
それにずっと先の将来、もしそんな事になっても
信子さんは
ブツブツ言いながらも、マメにお世話しているわ。
そんな気がするんです。
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