和子

和子さんが嫌いだったのは、多分、いつもニコニコしてるとか、 自己主張が無いとか、
そんなたわいも無い理由からだったと思います。

ニコニコしているのがいやだと言えば、まるで私のほうが変わり者のようですが、
常に旦那さまの前ではニコニコし、 何を言われてもハイハイと聞いている姿がなんとも情け無いと言うか、
もっと、はっきりしたらどうかと私を苛立たせるのでした。
いやなものは嫌だと言えば良い。
酔っ払いの言うがままに料理を準備し、隣で話を聞く。
旦那さまと違って、和子さんにはまだまだしなければならない事も 沢山あるというのに、
旦那さまが飲んでいる限り、 和子さんは隣に座っているのです。

和子さんは、母の知り合いでした。
当然私とはかなりの年齢差があり、 小さい頃から私は彼女を「和子おばさん」と呼んでいました。
母と何かを計画しても、
「じゃあ、主人に聞いてみるわ」
ウインドウショッピングでついつい衝動買いしたくなっても
「やっぱりあの人に相談してみましょう」
和子おばさんはまるで叔父さんと言う地球の周りを回っている月みたいだな。
私は和子さんのことを幼心にそんな風に思っていました。

太陽の力を借りなければ、自分は光れない。
光っても地球上から見上げてくれる生物がいなければ 誰もその存在に気が付かない。
そんな風に、特に親しみを持っているわけでもありませんでしたが、
私と年の近い男の子の兄弟もいたせいで 和子さんの家にはしょっちゅう遊びに行きました。
お友達と遊べる事、そして 母は絶対に連れていってくれない駄菓子やさんに
連れて行ってもらえる ことがうれしかったから。

その頃の私にとって、 和子さんはひとりの女性と言うより、母の友達と言うより、
お友達のお母さんと言うイメージの方が強かったような気がします。
はしゃぎすぎて騒ぎが大きくなる私達に和子さんは
「これはもうおしまい!」
と大きな声をあげます。
それに慣れているのか、全く気にせず遊びつづける男の子達ですが、
ご主人の隣に座って、ニコニコしている 「和子おばさん」しか知らない私は
妙な迫力を感じてしまって、 真っ先に素直になってしまうのでした。

そう、彼女にだって、ちゃんと感情はあるのです。

中学に入った頃から、和子さんの家へわざわざ男の子達を訪ねて 遊びに行く事も、
また、彼らが私の家へやってくる事も少なくなりました。
でももともとが家族ぐるみの付き合いです。
夏になれば、庭でのバーべキュー、冬には鍋を囲んでの飲み会と、
息子たちの姿は見かけなくても、 和子さんの姿は常に見かける事が出来ました。
私もまた成長し、母親の隣でのおままごと遊びより、
彼女達の会話に耳を傾ける年頃になります。
そして気が付くのは、和子さんもまた楽しんで、 旦那さまの愚痴を聞いているのではないということ。
言いたい事はすべて母のところに持ってきて、 旦那様の前ではハイハイと微笑んでいる事。

 

言いたいことも言えないなんて、夫婦なんて言えるのかしら?
私だったら喧嘩をしてもその後もっと仲良く慣れる二人になりたいな。
結婚どころか、彼と言う言葉でさえまだまだ憧れであった頃の私は
生意気にもそんな事を思っていました。

実家から離れた大学に通うようになり、 そのまま就職でも地元には戻らなかった私は
その後しばらく和子さんと顔を合わすことはありませんでした。
母伝に聞く和子さんの様子は以前と何も変わり無いようであるにも かかわらず、
一度、母と共に私の住む町へ観光にやってきた和子さんは、
そのしばらく顔を合わせなかった間に刻まれた新しい皺のせいで、
少なからず私を驚かせました。
でも、その後にまた地元で顔を合わせ太和子さんは、
あのときの驚きを忘れさせてくれる程に以前と同じく、 旦那さまの隣に座り、ニコニコと微笑んでいます。
顔には確かに年月が過ぎた証が見られるにもかかわらず、
そこにいる和子さんは、私が以前から知っている和子さん そのままだったのです。

その頃の私に、結婚願望はなかったように思います。
好きな人が出来ても、その人とすべての時間を共有したいとは 思いませんでした。
お互いにプライベートな時間があるからこそ、 二人で要る時間もまた楽しくなる。
あっていない時に考える彼の事と言うのは、ある意味実際の彼よりも、
私を甘美な気持ちにさせてくれることもありました。

それに、好きな人といる時間に、ごみ捨てや、片付け、 洗濯などと言った
「きれいではない」作業を組み入れる事が、
なんともあられもない事のような気がしてならなかった私です。
そんな「きれいきれい」でありたかった私の恋愛には、 結婚の文字は浮かびません。
「結婚」と言う文字と共に浮かびかがってくるよいイメージは
グラビアに出てくるようなベッドの中の遅い日曜日のブランチ
(トレイに載せて、簡単な朝食メニューがベッドに乗ってる所、 みたことあるでしょう?)。
お気に入りの新しい食器に盛られた食事で 彼が家に帰ってくるのを待つ事も、
独身のままで、十分出来ます。

反対に、彼が一日中歩き回ってすっかり臭ってしまった足を ふざけて
「臭〜い」と笑う事は出来ても、 それを洗濯する事なぞ考えられませんでした。
それはまた彼が居るのと同じ部屋のバスルームで、
うっかり赤く汚してしまったアンダーウエアが洗えないのと同じ事です。
そんな夢見るような恋愛しか出来なかったその頃の私ですから、
一日のすべてを夫と子供達への奉仕のためだけに費やし、
友人である母へ愚痴をこぼしながらも 自分の時間を割いてまで夫のそばに寄り添う和子さんの気持ちが
どうしても理解できませんでした。
彼女にとって結婚とはなんなのでしょうか?
結婚すると言う意義を見出せないのと同じように、 私は和子さんの「幸せ」と言うのも見出せないのでした。

 

そんな和子さんにはっきりとした嫌悪感を抱いたのは 旦那様の癌が発見されたときです。
長い間もだえるような胃痛を訴えながら、
自分の肩にすべての責任がのしかかっていた勤め先を心配するあまり
倒れるまで病院には行かなかった旦那様。
癌を発見したときには、すでに手遅れでした。

入院したと母に知らせが来たとき、私は一緒にお見舞いに行きました。
ベッドの上の叔父様は見た目はお元気そうに笑ってらっしゃいます。
「かなり進行していると言われたのに、手術が終わって目覚めてみたら 二時間も経っていなかったんですよ。
もう、どうしようもないらしいです。」
その、さわやかな笑顔とは裏腹のその言葉。
涙をこらえるのがやっとでなんお言葉を返す事も出来ません。
その横で相変わらず微笑みながらたたずんでいらっしゃる和子さん。

私の和子さんに対する印象はともかく、世間で通っている「良妻賢母」の言葉は
ガラスで出来ていると感じる最初の瞬間です。 

そして、仕事先へ戻る日の前夜、何とはなしに挨拶に行く 久しぶりの和子さん宅。
夕食は過ぎたくらいの時間に訪ねたつもりでしたが
あけた玄関からは良い香りと共に 「今、バーベキューしてたのよ。いっしょにどう?」 とのお言葉。
神経を疑いたくなる瞬間。
そう、和子さんはいつもと何も変わらないのです。
孫も増えて、ふたたび忙しくなり始めた自分の人生に
夫の発病は 何も衝撃を与えないものなのでしょうか?

「ある意味ホッとしているよ。親父の病気がはっきりしてね」

父親になってすっかり貫禄がついたかつての幼友達は言います。
「なんの病気かわからず痛みでもだえている親父を見るのはつらかったし、
そのまま死んでしまうのではないかって怖かった。」
叔父様が居るはずの座椅子はまるで当たり前のようにあけて、 いつもの食卓を囲む家族。
私にはグラスに出されたビールを、缶のまま飲み干す友達は続けます。
「状況は予想していたものと何も変わらなかったけれど、
はっきりさせる事が出来てよかったよ。 親父の痛みを取ってやる事が出来てよかったよ。」

…そんなものかしら?
家族にしかわからない感情と言うものもあるのだろう。
私は自分をそう納得させて、早々と和子さん宅を後にしました。

母から逐一入る報告では、叔父様は本人の希望もあって
手術から二週間後に退院し自宅療養に入ったそうです。
「割とお元気みたいよ。 孫のまあ君よりよっぽど手がかかると和子さんが言っていらしたわ」
母の声が受話器を通して伝わってきたとき、絶句する自分がいました。

 

「割とお元気みたいよ。孫のまあ君よりよっぽど手がかかると 和子さんが言っていらしたわ」
何を聞いてもネガティブに取ってしまう自分がいます。
まともに話す事さえ出来なくなっているほどの病人を、 未来あふれる子どもと比べるなんて。
そう、一度幼友達に仕事関係のお願いをしたくて電話した私は
「話し掛けてやってね」と叔父様と電話を替わられたのです。
でも何を話してもおじ様からの反応はありません。
何を話してよいのかわからないまま仕事の話をし、 適当なところで電話を替わった和子さんに、
声は聞こえてるから、 と言われたのでした。

和子さんにとっては、どちらも「世話をする対象」でしかないのでしょうか。

それから3ヶ月後、叔父様はなくなられました。
その知らせを受け取った私は考えます。
果たして叔父様は幸せだたのでしょうか?

六曜の関係でお通夜は翌日、お葬式は二日後という早さです。
突然決まった社葬を兼ねたお葬式。
個人で済ませるはずだった葬儀の段取りは大幅に変更されたと言うのに、
葬儀自体は何も決まっていません。
すべてを専務に任せて趣味を堪能していた社長はそれまでの取引先どころか、
会社の主要幹部の事さえはっきりわからないのです。
家族の消沈をよそに、わらわらと会社の者が出入りするお通夜。
手伝いたいと言う手はあまるほどにあるものの し切るべき社長が何もわからない状態であるため、
段取りをするどころか 食事や休憩所の確保も間々なりません。

落ち着かないその雰囲気は、 まるで死者を送り出そうとしている悲しみや慎みのそれではありませんでした。

「いいかげんにしてください」

ざわつくお通夜の中、そう叫んだのは和子さんでした。
涙を懸命に押さえる様子を見せながら、 夫を静かに送り出してやることは出来ないのですか?
と 怒りに満ちた口調で訴えます。
その彼女の態度が、会社の面子ばかりを考えていた人達を、
少しは死者を送り出そうと言う気持ちに変えてくれたようです。
まだまだ問題はありながらも、次第に葬儀の段取りは出来あがって行くのでした。
和子さんは最後まで旦那様に尽くしているのでしょう。
私は和子さんに対してとても失礼な感情を持っていたのではないでしょうか?
愚痴もまた愛情。 忍耐もまた愛情と言う事でしょうか。

 

お葬式のメインは叔父様が生前にかかれていた手紙の紹介でした。
あれほど会社のために働き、会社の為に命を縮めてしまったような 叔父様でしたが、
そこには会社を心配する風や 安泰を祈るような事は一切書かれておりません。
あるのは将来ある子ども達への忠告と、 妻、和子さんへの愛情あふれたお礼の言葉でした。
妻の絶えない笑顔にどれだけ救われた事か。
悪いとは思いながらも止められなかったやつあたり気味の晩酌が
どれだけ仕事のストレス解消になった事か。
手紙の存在さえ知らなかった和子さんはそこに泣き崩れてしまいます。

私がどんなにしらけた目で二人を見ていたとしても、 叔父様は幸せだったのだなと思わせられる手紙でした。

そのお葬式のあとから、私が結婚するまで、
私は殆ど和子さんと顔を合わせることはありませんでした。
私の母もまた急逝してしまい接点がなくなったことが一番の原因です。
久しぶりに話をしたのは、結婚の決まった彼と挨拶をしに行ったあとでした。
挨拶をしに行った時もいつもの微笑で祝福してくれた和子さん。
この時ばかりはその微笑がうれしい、現金な私です。

彼だけ先に戻り、実家でゆっくりする私は、 偶然にお孫さんと散歩する和子さんに出会いました。
軽い挨拶と共に再度お祝いを言ってくれます。
そして、軽い世間話のあと和子さんは言うのです。

「おばさん達みたいな夫婦にはならないって、巧ちゃん思ってたでしょう」

今までに見たこともないいたずらっぽい微笑に対する驚きと、
和子さんにばれてはいまいと思っていた私の気持ちを図星された 居たたまれなさで、
私はただただ苦笑いをするしかありません。
「わかるわよ。巧ちゃんて小さいころから感情に素直だもの」
すっかり困っている私に、可笑しくてたまらないという和子さん。
「こう見えてもおばさんね、すごく出世したいなあって思っている人間だったのよ」
お話はそんな風に始まりました。

「勉強も仕事もそう出来なかったのだけれどね、 「出世」してえらくなりたいってすごくすごく思ってたの。」
良妻賢母の和子さんからは想像も出来ない言葉。
「そんな私をね。おじさんが好きだて言ってくれてねえ。
いつも「がんばってえらくなれ!」って応援してくれたの。
でも、おばさんなんかただの事務員だったから、 がんばってもえらくなんかなれないのよ」
そう言って、怒ったような顔をする和子さんは、 冗談なんだか本気なんだかと思わせるほどまじめです。

「えらくなるには事務員じゃだめだなって思ってたときにね、
おじさんに結婚しないか?って言われたの。 それで私、この人がえらくなったら、
奥さんの私もえらくなれるかな〜って思ってね。」

孫のまあ君は元気に砂場で砂を掘り始めています。
元気すぎて頭や身体にかかる砂を私は心配しますが、 和子さんはあまり気にならないよう。
後でほろえばいいわ、と言って笑っています。
「だったら、一生懸命おじさんのお世話をして、 私がおじさんをえらくしてあげようって
思いついたのよ。 おじさんが出世する事は私が出世する事と同じ。
そう思ったから結婚してからは専業主婦になって家庭に入ったんだもの」

 

…すごいなあ。

世の中に夫の出世を喜ぶ妻は沢山いるけれど、それって、 自分のステイタスがあがるとか、
収入が増えるとか そう言う意味で喜んでいると言うイメージがあった私には
とても驚きの一言でした。

「私にとっては、大切な家庭はくつろぎの場でもあったけど、 重要な仕事場でもあったの。
だから色々ストレスも溜まっちゃって、 巧ちゃんのお母さんには色々聞いてもらったわ」
そう言って私の顔を見て笑います。
純粋な愛情から夫に尽くす妻。
夫の出世を願って尽くしてくれる妻。
言葉の上ではそこには雲泥の差があるようだけれど、 実際の生活ではそこには何の違いもない。
おじさんもまた「がんばって、えらくなれ!」と和子さんを応援し、
和子さんもまた「おじさんの出世が私の出世」と言って、旦那様をサポートしていた。

ふうん。
これもまた夫婦って事?

「それでおじさんは、和子おばさんが望むほど出世してくれた?」
そう言えば、和子さんは出世したかったのよね、と思いだし、私は聞いて見ます。
「ええ。出来すぎなくらいよ。私が思っていた以上に私は出世したもの。
おじさんがこんなに早く逝ってしまったのは悲しいけれど、 気が付いたらおじさんは、
私がさびしくないように家族と、 生活していけるお金も残してくれた。
本当、おじさんには感謝しているの。」

そう言う和子さんは、人生の達人だわ。
人間、楽しい、うれしい、好きなんて感情ばかりで生きていけるわけではない。
自分の人生の目標をしっかり見定めて、それに向かってしっかりと歩んできた和子さん。
そして自分が思う以上の目標達成を出来た和子さん。
それって、とても有意義な人生よねえ。

でも、やっぱり気になることがある。

「…おばさんは、おじさんの事が好きだったの?」

ちょっと効きにくかったけれど、やっぱりこれって、…結婚前の私には気になること。
和子さんはいつものようににっこりと微笑みます。

「そうね、好きだったと思うわ。でも若い頃の恋のような「好き」ではないかな。
…おばさんはおばさんの人生のとてもよいパートナーだったって事は言えるわ。」

微妙な答えだなあ。

結婚を条件で決める人もいれば(誰だって程度の問題はありさえすれ、 条件はあるだろう)、
一緒に暮らしてゆくに連れてうまれる愛情もある。
和子さんが結婚を決めたときそこに恋愛感情はあったのだろうか?
結婚にはやっぱり恋愛感情も備わっていて欲しいと感じる私には、
…やっぱり和子さんは未知の人。

私のわかっている事は、多分おじさんはおばさんとやってこれて 幸せだったと言う事。
果たして私は、何十年か先の将来、半分の確率で私より先に逝ってしまうダーリンに、
そのように思ってもらえるだろうか?
幸せの感じ方は個人によって違うから、画一的にこうだとは言えないけれど、
でも、今のままじゃ、そう思ってもらえるかは、自信がない。

和子さんの話を聞いて、自分の結婚観を捨てたわけじゃない。
やっぱり私は喧嘩するところは喧嘩して、前よりずっと仲良しな二人になりたい。
家庭を人生の戦場とするよりは、和みの場所としていたい。
でも、自分だけが気持ちいい様に暮らすだけでは、 きっとなにかが間違ってしまうだろうな。

少しは和子さんを見習って偏屈にわがままを通すような事は自粛しなきゃ。

だって、せっかくご縁があって一緒になった人ですもの。

 

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