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中東紀行 3つの大陸のつなぎ目を歩く 2000年5月

13日目

 

5月22日◆月曜日

イスタンブール

 

地下宮殿

141m×73mの大地下室。コンスタンチノープルの貯水池だったそうだ。高さ8mの柱が336本。おくの2本のしたに、メドゥーサの首がある。うえの写真は横むきだが、逆さまのもある。水にぬれて青藻が生え、大迫力。あの顔でにらまれたら、たしかに、たちどころに、すべてが石となって固まりそうだ。建物の基礎を固めるおまじないとして、まさにピッタリ。

モンテ・アルバンへISTANBUL

◆地下宮殿のメドゥーサの首

朝はやく、イスタンブールについた。2〜3時間は寝ただろうか。

きたときのトランジットで気がついていたのだが、2年まえに訪れたときにくらべて、イスタンブール空港はすっかり新しくなった。市街にむかう風景も美しくなった気がする。地震をのりこえ、トルコはさらに発展しているようだ。

以前トルコにきたときに、地下宮殿だけは見なかったという5人で、いっしょにでかける。

旧市街のまんなかにあるホテルから、市街電車トラムにそって、地下宮殿にむかう。ドネル・ケバブの店があるかと思うと、墓地がある。

けっこう歩いて、公園らしきところにきた。地下宮殿はこのあたりかとウロウロしていると、ベンチに腰かけていた2人づれの若者から声がかかった。

「どこにゆきますか」
「地下宮殿へ」
「ここをゆくと、小さな家があります。そこです」

礼をいって歩きはじめると、なるほど小さな家がある。そこが地下宮殿の入口だった。それにしても、トルコ人たちの、なんという日本語の流暢さ!

入場料は2,500,000トルコ・リラ。切り下げは徐々に進行しているらしいのだが、あいかわらずの0の数だ。

石段をおりる。浅い水のなかに、太い柱が林立している。そのあいだを、見物のための木橋がめぐらされている。まさに宮殿という感じ。この大地下室に、かつては、たっぷりと水が貯えられていたという。東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルの全市民の生命を守る、大切な貯水槽だったのだ。

高い天井からポタポタ水が落ちるなかを、おくにすすんでメドゥーサの首を見る。柱の礎石に、メドゥーサの頭部が彫刻してある。2本の柱のしたに、それぞれ、逆さまと横むきの顔。緑色の水藻がついている。蒼ざめたメドゥーサ。迫力満点だ。

 

写真
 
イスタンブール風景

5月の光を浴びて、新緑のなかにそびえるミナレット、ドーム。前回の11月の光のなかとは、またひと味ちがう、新鮮な印象をうけた。

 
 
 
 
 
 
 

ガイドブック

知人にすすめられたガイドブック。ずいぶん参考にさせてもらいました。 『シリア ヨルダン レバノン ガイド』(ミルトス編集部編/潟~ルトス/1,680円)

◆再訪ブルー・モスク

地下をでると、ブルー・モスクが近い。5月の新緑につつまれた正面からの眺めは、また格別だ。まえにきたときは、11月だった。

かつて皇帝選びの数々のドラマが演じられた馬車競技場跡を見ようと、ブルー・モスクのみぎてにでた。なんだか、ただの公園だ。孫のような女の子と話していた、じゅうたん屋のおじさんにたずねる。気軽にふりかえって、
「あれがオベリスク」
指さしてくれた。指のさきの梢のあいだの空を、巨大な白石が突きさしていた。

馬車競技場跡にのこっている3本のオベリスクを見たあと、ブルー・モスクのうらてにまわった。青葉、石畳。みやげもの屋がならんでいる。ふたたびブルー・モスクの正面にでた。なかに、はいることにする。

「ここは信者の入口。日本人はこっち」
日本語の達者なトルコ人が案内してくれる。

なかにはいると、「あ、ブルー・モスクだ」と思った。
青い。まえにきたときは、薄暗くて、タイルやステント・グラスの青い反映を感じなかった。いまは、5月の強い外光がドーム内にあふれている。モザイク模様がはっきり見える。まるでちがった印象だ。

◆帰国後、新聞を読んでびっくり

出口で、さっきのトルコ人が待っていた。
「買わなくてもいい。ウチのお父さんのじゅうたん屋に寄って」

ことわって、アヤソフィアからトプカピへの裏道を歩く。思わぬ自由な散策。気持ちがいい。

グランド・バザールで、カラスミを買いたいという人たちと別れる。

カミさんと2人きりになった。「まえより広々している」。グランド・バザールについてのカミさんの印象だ。あのときは、はじめてのバザール。少し腰がひけていたかもしれない。こんどの旅で、いっきょにスーク体験がふえた。

声をかけてきた新顔のじゅうたん屋に、ことわるかわりに「お父さんのじゅうたん屋?」といってみたら、大笑いされた。「お父さんのじゅうたん屋?」は、トルコの客引きの、日本人むけの常套句になっているらしい。

夕刻には、トルコを去った。トルコは、トランジットの都合による、いわば付録だったが、地中海東部地帯の国々とのつながりがわかって、トクをした思いだ。

日本に帰ってすぐ、新聞にレバノンのニュースがでた。

レバノン南部、イスラエルとの国境地帯で、イスラム武装組織ヒズボラの攻勢により、親イスラエルのSLA南レバノン軍が潰走した。これによって、1978年にレバノンに侵攻、国境地帯を占領していたイスラエル軍が、予定を早めて撤退を開始した──と。

あの緊張は本物だったのだ。ぼくらは、もっともホットな紛争地帯を通りすぎてきたことになる。

旧約聖書に描かれたカインとアベルの争い。粘土板に楔形文字で描かれた王たちの争い。20世紀最後の年、人間はいまだに原点に立ったまま。
 

中東紀行『3つの大陸のつなぎ目を歩く』 おわり

 

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