◆再訪ブルー・モスク
地下をでると、ブルー・モスクが近い。5月の新緑につつまれた正面からの眺めは、また格別だ。まえにきたときは、11月だった。
かつて皇帝選びの数々のドラマが演じられた馬車競技場跡を見ようと、ブルー・モスクのみぎてにでた。なんだか、ただの公園だ。孫のような女の子と話していた、じゅうたん屋のおじさんにたずねる。気軽にふりかえって、
「あれがオベリスク」
指さしてくれた。指のさきの梢のあいだの空を、巨大な白石が突きさしていた。
馬車競技場跡にのこっている3本のオベリスクを見たあと、ブルー・モスクのうらてにまわった。青葉、石畳。みやげもの屋がならんでいる。ふたたびブルー・モスクの正面にでた。なかに、はいることにする。
「ここは信者の入口。日本人はこっち」
日本語の達者なトルコ人が案内してくれる。
なかにはいると、「あ、ブルー・モスクだ」と思った。
青い。まえにきたときは、薄暗くて、タイルやステント・グラスの青い反映を感じなかった。いまは、5月の強い外光がドーム内にあふれている。モザイク模様がはっきり見える。まるでちがった印象だ。
◆帰国後、新聞を読んでびっくり
出口で、さっきのトルコ人が待っていた。
「買わなくてもいい。ウチのお父さんのじゅうたん屋に寄って」
ことわって、アヤソフィアからトプカピへの裏道を歩く。思わぬ自由な散策。気持ちがいい。
グランド・バザールで、カラスミを買いたいという人たちと別れる。
カミさんと2人きりになった。「まえより広々している」。グランド・バザールについてのカミさんの印象だ。あのときは、はじめてのバザール。少し腰がひけていたかもしれない。こんどの旅で、いっきょにスーク体験がふえた。
声をかけてきた新顔のじゅうたん屋に、ことわるかわりに「お父さんのじゅうたん屋?」といってみたら、大笑いされた。「お父さんのじゅうたん屋?」は、トルコの客引きの、日本人むけの常套句になっているらしい。
夕刻には、トルコを去った。トルコは、トランジットの都合による、いわば付録だったが、地中海東部地帯の国々とのつながりがわかって、トクをした思いだ。
日本に帰ってすぐ、新聞にレバノンのニュースがでた。
レバノン南部、イスラエルとの国境地帯で、イスラム武装組織ヒズボラの攻勢により、親イスラエルのSLA南レバノン軍が潰走した。これによって、1978年にレバノンに侵攻、国境地帯を占領していたイスラエル軍が、予定を早めて撤退を開始した──と。
あの緊張は本物だったのだ。ぼくらは、もっともホットな紛争地帯を通りすぎてきたことになる。
旧約聖書に描かれたカインとアベルの争い。粘土板に楔形文字で描かれた王たちの争い。20世紀最後の年、人間はいまだに原点に立ったまま。
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