PARMYRA
◆墓の谷
遺跡にでかけるまえ、ホテルの玄関フロアで、カミさんとフランス人女性が、話をしていた。英語もフランス語もできないはずのカミさんがだ。2人とも腰をかがめている。2人のあいだにネコがいる。
もどってきて、カミさんは、「あのネコ、4匹も子どもを産んだんだって」という。どうやらネコ語で話していたらしい。このホテルには、ネコがたくさんいる。
墓の谷へ。夕べも今朝も、ホテルの窓から、墓の谷が見えた。砂のなだらかな起伏。どうやら、ぼくは、この谷の淡々とした無機質を好きになりはじめている。
砂利道をゆく。静かな谷に朝陽がさしこみ、朝空にアラブ城砦が浮かんでいる。
道すじにそって、ときに石の堆積がある。塔形の墓がくずれたものらしい。やがて、抜けるような空へ高々とそびえる、4角柱の塔のしたに達した。
◆この墓貸します
高さ27m。紀元103年に建てられた、「エラベールの墓」。形にくずれがない。パルミラ最大だという。
棺をおさめる棚が、ロッカーみたいにならんでいる。両がわに、6段×5列。4階建てだから、全体で200ちょっとの棺を収納できたようだ。いわば団地墓。
入口に、「手もと不如意につき、空きスペースお貸しします」という文字が刻んであるそうだ。エラベール家はパルミラの名門貴族。ほんとかな、と疑う。後世の退屈男の落書きじゃないのかな。
中央には、この一家の家長の、家族をまじえた生前の1シーンが、大きな石彫になって飾られている。それぞれの棺の外から見える1面には、死者の似顔彫刻がはめこまれている。ここまで見栄をはっておいて、人間、落ちぶれると賃貸しに豹変できるものなのか。
屋上にのぼる。アラブ城砦が見える。すそをひく山のいただきに、古城をのせた風景はうつくしい。
2世紀につくられた「3人兄弟の地下墳墓」にもぐる。ここも石彫がすばらしい。碑文に、「3人兄弟がこの墓をつくった」とあるらしい。兄弟いっしょに墓をつくるとは、なんと仲のいいことか。
数年まえ、この墓の谷で、とつぜんトラックが砂のなかに消えたことがある。そこは未発見の地下墳墓だった。先祖の霊が子孫をよびこんだという、もっぱらの噂だったらしい。家族愛にあふれた先祖をもつのも、考えものだ。
それにしても、パルミラの住人は純粋のローマ人ではなかったはず。ローマ文化のもとでは、セム系の人々も造形技術がすぐれていたのだろうか。
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