KRAK DES CHEVALIERS
◆ここは古来の決戦場
レバノンの国境の町アブジェを越えて、シリアにはいる。ポピーまじりの小麦畑がつづく。牛が多くなる。
やがてイブラヒム山が見えてきた。バスは15分かけて、ゆっくり山をのぼる。山頂にクラック・デ・シュバリエ(騎士の城)がある。
シリアのサスイリーヤ山脈とレバノンのレバノン山脈のあいだの渓谷ぞいに、地中海とシリア内陸をむすぶ道がある。ホムスからパルミラへとつづく、シルクロードをむすぶ重要な道だ。シュバリエ城は、北から、この道を見おろしている。
ぐるりとふもとにひろがる小麦畑、オリーブ畑。レバノンの山地から流れでるオロンテス川が、はるか南東に光っている。あのあたりが、古代、エジプト軍とヒッタイト軍が戦ったカデシュの戦場だろうか。北西の山稜にはサフィータの街が見える。
ここにはじめ砦を築いたのは、ホムスの君主。これを奪って、十字軍が徹底改造した。2重の防壁、要所に円塔がある。フタを閉ざしたサザエのようだ。サラディーンでさえ攻めあぐねたという。
現存する十字軍要塞の白眉とされ、あのロレンスも美しさを絶賛している。
◆900年ぶりの謝罪
しかし、ぼくには、十字軍というのがよくわからない。ユーラシア大陸の片隅から、まわりが敵だらけのところにのりこみ、敵を釜ゆでにして暴れまわったかとおもうと、城に閉じこもってひたすらがんばる。この情熱は、いったい何だったのだろう。
後進地帯が先進地帯に追いつくためには、ファナティックな暴発や盲進が必要なのだろうか。
結果的に、十字軍運動は王権を伸張させ、国家の成長をうながした。そして、中東から持ち帰った先進イスラムの文物はヨーロッパに光をあて、ルネサンスや大航海時代への扉を開くこととなる。
ようやくミレニアムにあたり、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、地動説や進化論を認め、ホロコーストや十字軍について謝罪した。第1回十字軍からは、すでに900年がすぎている…。
クラック・デ・シュバリエをあとにして、ハマにむかう。
ハマの郊外にさしかかると、広大な墓地があらわれた。オベリスク型の墓標が立ちならんでいる。
ハマからアレッポへの中間点で、ガイドが幹線道路のみぎてを指さした。
「ここから大量の粘土板がでました」
エブラ文書。楔形文字の刻まれた粘土板だ。各地で発見された楔形文字は、文字で書かれた人類最古の歴史を、明らかにしつつある。ノアの洪水など、旧約聖書の記述を裏づける文書もでている。
この街道には、生々しい人間の歴史がひしめいている。一歩ごとに、人間とは何かという問いに、けつまずく。
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