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中東紀行 3つの大陸のつなぎ目を歩く 2000年5月

9日目

 

5月18日◆木曜日

トリポリ→クラック・デ・シュバリエ→アレッポ

 

写真 
 クラック・デ・シュバリエ
要害の地に建てられた砦。抜群の眺望だ。

 
 
 
 
 
 
 
 

シリアとセム族

シリア(シリア・アラブ共和国)は、日本の約半分の大きさ。
シリアという名は、アッシリア(日の出ずる国、東方)からきたとも、アラブ語のシリア(アラブの北)からきたともいう。アラビア半島から北上してきたセム族の国だ。
シリア・ヨルダン・レバノン・イスラエルは、いずれもセム族の国。
セム族は時代をおいて何波にもわかれて北上、複雑に枝分かれし、さまざまな国を建てた。
その中でも、鉄器時代、前1千年紀に栄えたアッシリア帝国は、メソポタミアとエジプトを征し、小アジアにまで版図をひろげた大国だった。
 
 
 
 
コラム
ゆたかな木材の国
エブラとエブラ文書
なぜ王国は燃やされたのか?

トリポリへKRAK DES
CHEVALIERS
アレッポへ

◆ここは古来の決戦場

レバノンの国境の町アブジェを越えて、シリアにはいる。ポピーまじりの小麦畑がつづく。牛が多くなる。

やがてイブラヒム山が見えてきた。バスは15分かけて、ゆっくり山をのぼる。山頂にクラック・デ・シュバリエ(騎士の城)がある。

シリアのサスイリーヤ山脈とレバノンのレバノン山脈のあいだの渓谷ぞいに、地中海とシリア内陸をむすぶ道がある。ホムスからパルミラへとつづく、シルクロードをむすぶ重要な道だ。シュバリエ城は、北から、この道を見おろしている。

ぐるりとふもとにひろがる小麦畑、オリーブ畑。レバノンの山地から流れでるオロンテス川が、はるか南東に光っている。あのあたりが、古代、エジプト軍とヒッタイト軍が戦ったカデシュの戦場だろうか。北西の山稜にはサフィータの街が見える。

ここにはじめ砦を築いたのは、ホムスの君主。これを奪って、十字軍が徹底改造した。2重の防壁、要所に円塔がある。フタを閉ざしたサザエのようだ。サラディーンでさえ攻めあぐねたという。

現存する十字軍要塞の白眉とされ、あのロレンスも美しさを絶賛している。

◆900年ぶりの謝罪

しかし、ぼくには、十字軍というのがよくわからない。ユーラシア大陸の片隅から、まわりが敵だらけのところにのりこみ、敵を釜ゆでにして暴れまわったかとおもうと、城に閉じこもってひたすらがんばる。この情熱は、いったい何だったのだろう。

後進地帯が先進地帯に追いつくためには、ファナティックな暴発や盲進が必要なのだろうか。

結果的に、十字軍運動は王権を伸張させ、国家の成長をうながした。そして、中東から持ち帰った先進イスラムの文物はヨーロッパに光をあて、ルネサンスや大航海時代への扉を開くこととなる。

ようやくミレニアムにあたり、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、地動説や進化論を認め、ホロコーストや十字軍について謝罪した。第1回十字軍からは、すでに900年がすぎている…。

クラック・デ・シュバリエをあとにして、ハマにむかう。
ハマの郊外にさしかかると、広大な墓地があらわれた。オベリスク型の墓標が立ちならんでいる。

ハマからアレッポへの中間点で、ガイドが幹線道路のみぎてを指さした。
「ここから大量の粘土板がでました」

エブラ文書。楔形文字の刻まれた粘土板だ。各地で発見された楔形文字は、文字で書かれた人類最古の歴史を、明らかにしつつある。ノアの洪水など、旧約聖書の記述を裏づける文書もでている。

この街道には、生々しい人間の歴史がひしめいている。一歩ごとに、人間とは何かという問いに、けつまずく。

クラック・デ・シュバリアへALEPPOハマへ

◆グレート・モスクとスーク

シリアの北、アレッポの街についた。さっそくグレート・モスクを訪れる。715年創建の、ウマイア朝の建築。遠くから、高さ45mの尖塔ミナレットが目だつ。

モスクにはいるには、女性は、カフタンというフードつきの被りものを着なければならない。日本人観光客が回廊をいく姿は、まるでネズミ男の1団だ。

このモスクの霊廟には、洗礼者ヨハネの父ザカリアが埋葬されているという。ウマイア朝イスラムの大本山ともいうべきダマスカスのモスクにつづいて、わずか10年後に建てられたという古さを誇る。回廊の壁をかざる古色のアラベスク模様がうつくしい。

◆スーク

モスクの近くにスークがある。このスークも、歴史の熟成を感じさせる古さだ。ゆるやかな傾斜地に、小路が網のように張りめぐらされている。空を石屋根で閉ざされ、高低差のある空間。そこに満たされている、ひびく音、ゆらぐ光、ただよう香。どこのスークよりも、ぼくは生のシルクロードを感じた。

荷車をひいたロバの顔が、鼻さきをかすめていく。トルコ帽をかぶった盲目の男が、少年に手をひかれて、なにごとかを大声で唱えながら通る。あちこちから日本語が飛んでくる。トルコ国境は、すぐそこだ。コフィアの男たちが、紫のラピスラズリの彫物や、銀のライオンの置物をしつこくすすめる。

もちろんオリーブ石鹸もある。なにしろクレオパトラとゼノビアという2人の女王が愛用したというのだから、いまも人気はおとろえない。…

ホテルの部屋にはいると、正面にアレッポ城が見えた。城は、まるで巨大隕石が落ちてきたかのような、平地から50m盛りあがった、円形の台地のうえにある。中天には、満月に近い月。ちょっと宇宙的な風景だ。

旅のはじめは、三日月だった。あすは、旅の10日目。
 

『3つの大陸のつなぎ目を歩く』 つぎは10日目。アレッポ城、ハマ、ホムスを経て、パルミラへ。

 

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