「アジアの旅」目次へ アジアの旅

2人で旅を!

「TOUR FOR TWO 2人で旅を!」へ
             

中東のガイドページへ

前ページへ

このページの最下段へ

次ページへ

旅行記の最後のページへ

中東紀行 3つの大陸のつなぎ目を歩く 2000年5月

8日目

 

5月17日◆水曜日

ベイルート→ビブロス→トリポリ

サイダへBYBLOSトリポリへ

◆最初のアルファベット

国会議事堂などのあるベイルート旧市街を見たあと、36km北のビブロスにむかう。

ビブロスは、現在はジュベイルとよばれている。この土地には、9,000年まえから人が定住していたという。イスラエルのエリコとならんで、世界最古の町とされる。

紀元前3,000年〜800年ごろ、ここに住んで地中海貿易で活躍していたのが、フェニキア人だ。エジプトのパピルスが、ビブロスを経由してギリシアにつたわった。そのためギリシア人は、この街をブブロス(パピルス)とよぶようになる。

ギリシア世界がひろがり、ギリシア語が共通語となり、やがてビブロスが街の正式名となった。ちなみに、紙を使ったのが書物。書物の中の書物が聖書バイブル。これもブブロス(パピルス)からの派生語だ。

書物といえば、文字。きのうベイルートの博物館で見たように、およそ3,500年まえごろから、フェニキア人は1字が1音をあらわす表音文字を使いはじめた。地中海を庭のように行き来したフェニキア人は、これを各地につたえた。

文字と紙(パピルス)のセット。フェニキア人は、偉大なる文化の発信者であり、伝達者だったのだ。

◆貴重なフェニキア人の遺跡

海辺の丘に遺跡がある。頑丈そうな十字軍の要塞が、どっかと腰をおろしている。要塞の壁には、ローマ遺跡の円柱や、ローマ劇場の石がつかわれている。おかげでローマ劇場の客席は下5段だけとなり、小学校の遠足が1クラス、腰かけてべんとうを食べるぐらいの規模となってしまった。

ローマ遺跡でさえ、このありさまだから、フェニキア人の貴重な遺跡がのこされていたのは、まさに幸運だったといわなければならない。島の中央の、もっとも高い丘のうえに、2つの深い穴がある。穴の底にビブロスの王たちが葬られていた。ベイルートの博物館にあった大理石の棺は、ここから発掘されたものだ。石棺の刻文が、アルファベット使用の証拠となった。

貯水槽だったという穴もある。
住居跡の片隅には、ブドウ酒をつくったといわれる穴がある。

紀元前18世紀のオベリスク神殿というのもある。エジプトと縁が深いのだ。ここから、ベイルートの博物館にあった黄金の兵士像がでた。

この街のスークで、ビブロス山で採れた化石を買った。欠けた化石のおまけつきで、10ドル。石灰岩をはがして、2枚の薄片にすると、あいだに小さな魚が化石になっている。どうやら、きのう食べたサカナの先祖が、幼くしてお亡くなりになったものらしい。

スークが正面に見えるレストランの2階で、ベーミエを食べた。オクラと牛肉の煮込みを、ゴハンにかけて食べる。ガイドのRが、自信たっぷりに聞いてくる。「おいしい?」。おいしい。まろやかな味だ。

 

写真 ライオン塔

左から塔の入口へ突きだしているのは、砲身。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
写真 ジル要塞
十字軍の要塞に、イスラムがつけ加えた、アラブ・デザインが新鮮だ。
 
 
 
スークのせっけん屋
名物のオリーブせっけんは、色とりどり。

ビブロスへTORIPOLIクラック・デ・シュバリエへ

◆ケーキが名物

さらに北へ40km、トリポリ(3つの街)へ。ただし、6世紀の大地震で、3つあった街の1つは、海底に沈んでしまったそうだ。

ここは、お菓子が名物。新市街の菓子屋に立ちよる。ヘルワート・エル・ジブンというチーズ菓子のおすそわけにあずかった。甘いシロップをかけるらしいが、かけずに食べた。これも、おだやかな味で、おいしい。

ゴマをたっぷり振ってカリッと仕あげた、薄いクッキーをみやげに買った。さすが、「開け、ゴマ!」の世界。料理にもケーキにも、ゴマをたくさんつかう。

マムルーク朝の建物、ライオン塔を見る。入口のアーチにほどこされた簡潔な装飾が、こころよい。軍事施設の撮影は禁止だそうだが、建物のそばにおかれていた大砲が、どうしてもフレームにはいってきてしまう。

◆十字軍が180年にわたって支配

旧市街へ。ゴミのあふれるアブ・アリ川をはさんで、家々が乱雑に密集している。いたるところに、古いモスクやミナレットがある。

セント・ジル要塞にのぼる。十字軍ははじめてここに砦を築き、180年間こもった。4角い建物は、まるで金庫だ。これを奪還して、マムルークがつけ加えた、入口のデザインが新鮮に思える。

坂道をくだって、スークへ。アーチ門をくぐると、わきの古い小部屋で、小学校低学年の子どもたちが、パソコンにむかっていた。ちょっと意表をつく光景だ。

スークの路は狭く、魚市場みたいに、中央が深さ10cmばかり凹んでいる。商品を積んだリヤカーが、ひっきりなしに通る。香辛料の店から立ちのぼる匂いが強烈だ。名物のオリーブ石鹸の色もどぎつい。ひょいと曲がると、ハーン(隊商宿)がある。600年まえからつづくハンマーム(浴場)がある。

「トウキョウ? ナムアミダブツ、ナムアミダブツ」

北にきてトルコ系が多くなったのか、日本語の達者な少年がいる。そういえば、日本語も、トルコ語も、そしてシュメール語も、おなじ膠着語。

耳にも目にも鼻にも、喧騒と雑駁と珍奇がおしよせる。熟成した濃厚なシルクロードを満喫する。

あすは、ふたたびシリアへ。
 

『3つの大陸のつなぎ目を歩く』 つぎは9日目。ふたたびシリアへ、そしてアレッポへ。

 

中東のガイドページへ

前ページへ

このページの最上段へ

次ページへ

旅行記の最後のページへ