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中東紀行 3つの大陸のつなぎ目を歩く 2000年5月

7日目

 

5月16日◆火曜日

ベイルート→スール→サイダ→ベイルート

 

こんなビルが無数に

砲撃を受けたビルが放置されたままだ。そのなかで生活する人も。

バールベックへBEIRUTスールへ

◆内戦の傷跡のこるベイルート

ベイルート。レバノンの首都。地中海に突きだす、岬のうえの坂の街。レバノン山脈からの傾斜が、海までつづいている。

なにしろ、この国の東西の幅は、最大でも90km。狭いところは、25kmしかない。しかも、そこを2つの山脈が平行して走っている。海岸線は狭くて、傾いている。

この狭い海岸線に住んだフェニキア人は、海のかなたに目をむけた。地中海貿易にのりだし、シチリア島やスペインやアフリカに植民都市を築き、ローマ帝国と地中海の覇権を競った。その基地となった港街は、地中海の富を集め、おおいに繁栄した。

やがてこの国は、ポエニ戦争でローマに敗れ、ヨーロッパから遠征してきた十字軍に襲われ、イギリスやフランスの帝国主義に翻弄された。いまも紛争はつづく。

ベイルートにはいってくるとき、レッド・ゾーンとよばれる地域を通った。内戦のとき、もっとも戦火の激しかったといわれる地帯だ。道路の両がわのビルが、廃墟のまま建ちならんでいる。

朝はやく、カミさんと海岸を歩いた。鳩の岩とよばれる小島のある海岸に、散歩の人たちが集まってくる。カークとよばれるパンを、自転車のハンドルにぶらさげて売る人がいる。シャイとよばれる砂糖たっぷりの紅茶を、小さなグラスにいれて売る人がいる。

どこの街でも見かける、のどかな風景だ。じわじわと平和は回復しているのかもしれない。

 

鳩の岩

自転車にのせて、朝食用のパンを売っていた。穴のあるユニークな形をした、巨大なパンだ。カークという名だという。

ベイルートへSOURサイダへ

◆イスラエル国境にかぎりなく近づく

この旅はじめての薄ぐもり。海岸地帯にきて、湿度が高いのだろう。暑い。

きょうは南レバノンの2つの古い港街を訪ねる。サイダ(シドン)とスール(ティルス、ティール)。まず南のスールにくだり、帰りにサイダによる。このあたりの地名は、現在つかわれているアラブ名、ローマ時代の名前、旧約聖書のなかの名前などがあり、ややこしい。どうやらぼくは、ごっちゃにしてつかっている。

ベイルートをでると、郊外の海ぞいに、貧しい家々がならぶ。内戦のとき、レバノン南部からのがれてきた人々の住む地域だ。

やがて道の両がわが、たわわに実るオレンジ畑になった。レモン、ビワ、バナナの畑もある。つぎに、戦車のならぶ軍事基地や射撃演習場があらわれた。街なかの路地には戦車がいて、筒先をこちらにむけている。海岸への通路には、兵士が歩哨に立っている。

国境に近づいている。緊張が高まる。こんな状況でも、バスのなかから手を振ると、兵士が手をあげて微笑みを返してくる。

 

写真 ネクロポリス

死者の街の墓、墓、墓。

 
写真 ツロ遺跡

列柱のむこうは地中海。

 
 

ツロの紫

フェニキアの名産の紫の染料のうちでも、この街のものは、とくに「ツロの紫」とよばれて珍重されたそうだ。
ガイドが巻貝イワニシの化石を見せてくれた。
この貝の内臓から取りだした色素が、うつくしい紫に発色する。大量の貝を必要とするので、染料はたいへん高価だったという。
 

地中海のサカナ

この赤いサカナを唐揚げにしたのを食べた。
 
 
写真 シドンの港
石の桟橋をつたって島にわたることができる。港にはスークがあり、隊商宿がのこっている。

◆古代のツロの国

スールについた。かぎりなく紛争地帯に近い。

ここは古代フェニキアの街ツロ。もとは、島につくられた港だったという。アレキサンダー大王が海峡を埋め、陸とつないで攻略して以後、岬の街となった。

はじめに、陸がわの遺跡を見る。まず、目につくのがネオポリス、死者の町だ。有力者の、巨大な石の棺。いくつもの部屋にわかれた、団地式の庶民の墓。

つぎに、世界最大規模といわれる、幅160m×長さ500mのヒッポドロームを見る。収容人員2万人。戦車10台がよこにならんで競争できたという。

といっても、いまは、ただの空漠。観客席の1部がのこっているだけだ。ただし、1部だというのに、その観客席が、とてつもなく大きい。

列柱道路には、凱旋門がある。ローマ時代の大理石の敷石。ビザンチン時代のモザイクの敷石。

遺跡はいま、緋のオリアンダ(夾竹桃)、紫のジャカランタが、花ざかりだ。

バスにのって、もとは島だった場所に移る。

さきほどの列柱道路のつづきが、海にむかってのびている。そのさきに青い地中海がある。やはり海があると、「あ、フェニキア」、と思う。しかし、実際にはフェニキアの遺構はほとんどない。道路の両がわには、巨大な浴場と貯水装置。ローマ遺跡ばかりだ。

◆地中海のサカナを食べる

ベイルートにもどるとちゅう、海中の岩場のうえにつくられたレストランで、昼食をとる。地中海には珍しい、磯の香がした。岩に藻が生えている。鉄バシゴをつたって岩場におりたら、小さなカニがいた。ベカー高原のゆたかな緑が、海の生物をもゆたかにしているのだろう。

この旅ではじめて、サカナがでた。小鯛に似ている。唐揚げしてあるのを、頭からバリバリかじった。格別の味はないが、さっぱりしていて、香ばしい。

地中海沿岸ではもとより、ペルシャ湾でもシュメール人がサカナを食ったようだ。ただし、ロレンスによれば、高地アラブ人だけは、「あいつは魚族を食うからこんな弱虫になるんだ」(前出『知恵の七柱』第1巻第26章)などといって、魚を避けたという。もっとも、高地アラブには、食べたくてもサカナはいなかったのではないか。

スールへSAIDAビブロスへ

◆フェニキアの港シドン

スールから北へ28km、サイダの港に立ちよる。スークのなかの、アメ横みたいに狭苦しい路を通りぬける。さっき食べたサカナを、魚屋の店頭に見かけた。

17世紀に建てられたという隊商宿ハーン・エル・フランジュをのぞく。中庭をかこむアーチが美しい。

スークをぬけると、小さな湾がある。湾のなかの小島に、要塞かと思われる建物がある。長い石造りの桟橋が、島に通じている。

もともと島には、フェニキア人のメルカトル神殿があったのだが、十字軍が要塞にしたのだという。十字軍の支配は100年つづいた。しかし、小ぢんまりしているせいか、岸から見ると、なんだか童話じみた風景だ。

桟橋をもどると、少年たちが浅瀬で網をひいていた。あの赤い魚がかかるのだろうか。

◆ベイルート国立博物館

ベイルートにもどって、閉館まぎわの国立博物館に飛びこんだ。

1階には、各地の遺跡からでた大理石の石棺、ギリシア・ローマの彫刻、小型のオベリスク、スフィンクスなどがならんでいる。

圧巻はビブロスからでたというアヒラム王の墓。4隅にライオンの像を刻んだ、堂々たる石の棺だ。そして、墓の蓋には、およそ3,200年まえの、最初のアルファベットといわれる文字が刻まれている。エジプトからギリシアへ。文字の発達と伝播を語る、貴重な証拠品だ。

2階には、道具・装飾品・器物などが展示してある。なかでも、高さ30cmほどのブロンズの兵士像が、1団となってならんでいるのに、目をひかれた。金メッキがかなりのこっている。これもビブロスからでたという。

あすは、そのビブロスにいく。
 

『3つの大陸のつなぎ目を歩く』 つぎは8日目。北の港ビブロス、トリポリへ。

 

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