◆古代のツロの国
スールについた。かぎりなく紛争地帯に近い。
ここは古代フェニキアの街ツロ。もとは、島につくられた港だったという。アレキサンダー大王が海峡を埋め、陸とつないで攻略して以後、岬の街となった。
はじめに、陸がわの遺跡を見る。まず、目につくのがネオポリス、死者の町だ。有力者の、巨大な石の棺。いくつもの部屋にわかれた、団地式の庶民の墓。
つぎに、世界最大規模といわれる、幅160m×長さ500mのヒッポドロームを見る。収容人員2万人。戦車10台がよこにならんで競争できたという。
といっても、いまは、ただの空漠。観客席の1部がのこっているだけだ。ただし、1部だというのに、その観客席が、とてつもなく大きい。
列柱道路には、凱旋門がある。ローマ時代の大理石の敷石。ビザンチン時代のモザイクの敷石。
遺跡はいま、緋のオリアンダ(夾竹桃)、紫のジャカランタが、花ざかりだ。
バスにのって、もとは島だった場所に移る。
さきほどの列柱道路のつづきが、海にむかってのびている。そのさきに青い地中海がある。やはり海があると、「あ、フェニキア」、と思う。しかし、実際にはフェニキアの遺構はほとんどない。道路の両がわには、巨大な浴場と貯水装置。ローマ遺跡ばかりだ。
◆地中海のサカナを食べる
ベイルートにもどるとちゅう、海中の岩場のうえにつくられたレストランで、昼食をとる。地中海には珍しい、磯の香がした。岩に藻が生えている。鉄バシゴをつたって岩場におりたら、小さなカニがいた。ベカー高原のゆたかな緑が、海の生物をもゆたかにしているのだろう。
この旅ではじめて、サカナがでた。小鯛に似ている。唐揚げしてあるのを、頭からバリバリかじった。格別の味はないが、さっぱりしていて、香ばしい。
地中海沿岸ではもとより、ペルシャ湾でもシュメール人がサカナを食ったようだ。ただし、ロレンスによれば、高地アラブ人だけは、「あいつは魚族を食うからこんな弱虫になるんだ」(前出『知恵の七柱』第1巻第26章)などといって、魚を避けたという。もっとも、高地アラブには、食べたくてもサカナはいなかったのではないか。
SAIDA
◆フェニキアの港シドン
スールから北へ28km、サイダの港に立ちよる。スークのなかの、アメ横みたいに狭苦しい路を通りぬける。さっき食べたサカナを、魚屋の店頭に見かけた。
17世紀に建てられたという隊商宿ハーン・エル・フランジュをのぞく。中庭をかこむアーチが美しい。
スークをぬけると、小さな湾がある。湾のなかの小島に、要塞かと思われる建物がある。長い石造りの桟橋が、島に通じている。
もともと島には、フェニキア人のメルカトル神殿があったのだが、十字軍が要塞にしたのだという。十字軍の支配は100年つづいた。しかし、小ぢんまりしているせいか、岸から見ると、なんだか童話じみた風景だ。
桟橋をもどると、少年たちが浅瀬で網をひいていた。あの赤い魚がかかるのだろうか。
◆ベイルート国立博物館
ベイルートにもどって、閉館まぎわの国立博物館に飛びこんだ。
1階には、各地の遺跡からでた大理石の石棺、ギリシア・ローマの彫刻、小型のオベリスク、スフィンクスなどがならんでいる。
圧巻はビブロスからでたというアヒラム王の墓。4隅にライオンの像を刻んだ、堂々たる石の棺だ。そして、墓の蓋には、およそ3,200年まえの、最初のアルファベットといわれる文字が刻まれている。エジプトからギリシアへ。文字の発達と伝播を語る、貴重な証拠品だ。
2階には、道具・装飾品・器物などが展示してある。なかでも、高さ30cmほどのブロンズの兵士像が、1団となってならんでいるのに、目をひかれた。金メッキがかなりのこっている。これもビブロスからでたという。
あすは、そのビブロスにいく。
|