◆レバノンへの入国に手間どる
ダマスカス郊外の難民地区をぬけて、国境へ。
みぎにカシオン山、ひだりにヘルモン山の、雪の頂を見ながら、正面のアンチ・レバノン山脈にわけいる。
旅にでる直前、ダマスカスからベイルートへの道路が、ミサイル攻撃されたという記事が、新聞にでていた。ガイドに、「大丈夫ですかね」と聞いてみたが、こんな質問に答えられるわけもない。
シリアからの出国は、スムーズだった。しかし、レバノン側の街マスナーでは、入国手続きが長びいた。書類の不備があったのだという。
ANJAR
◆ウマイア朝カリフの離宮アンジャール
国境を越えれば、ここはもうベカー高原だ。レバノン山脈とアンチ・レバノン山脈にはさまれた、幅15km、長さ150kmの細長い土地。しかし、ここは、中央をリタニ川が流れ、くまなく水がゆきわたる、緑ゆたかな農産地帯だ。周辺の砂漠地帯からは想像もできない。
かつてはローマの穀倉地帯とよばれた。
アンジャール(岩からの水)もまた、水にちなんだ命名だ。近くに、リタニ川の中流にそそぐ、支流の水源がある。ウマイア朝ワリード1世が、この地を選んで保養のための宮殿を建てた。レバノンにのこる数少ないウマイア朝の遺跡であり、世界遺産となっている。
菜の花の黄とポピーの赤。野面のむこうには、雪の山々がつらなる。ゆるやかな傾斜の両がわに、遺跡がひろがる。遺跡中央にそびえる、テトラピロン(4面門)。くずれた白い石のうえでは、トカゲが遊んでいる。
ビザンツ様式が色濃くのこる、南北385m×東西350mの城壁都市。かつては隊商宿がにぎわい、列柱道路には、600以上の商店がならんでいたという。
宮殿あとに、優雅な2階建てのアーチが、1列につらなり、あやうげに佇んでいる。消えかかる栄華の、わずかな残り香…。
ここの杉林に、1本のレバノン杉がまじっていた。まだ若い木で、ふつうの杉と区別がつかない。いまやレバノン杉は、高地に1,000本ばかりがのこるのみ。古代からつづく、地中海周辺の自然破壊がとまらない。
◆戦車と大砲と装甲車と
ベカー高原を北上する。青々とひろがる畑地のあちこちに、ベドウィンのテントがある。畑作を手伝いに出稼ぎにきているのだという。ときに30張りぐらい集まっているところがある。
ベドウィンのテント以上に目だつものがある。戦車や大砲や装甲車、そして兵士の姿だ。シリアの軍隊もまじっているらしい。自動小銃を肩にかけた兵士が、あちこちで車の検問をしていた。
◆山盛り野菜がとびきり新鮮
バールベック全体が見わたせる、ビルの6階のレストランで昼食。これまでも野菜に不足はなかったが、さすがベカー高原、食卓に生野菜がどぉーんと山盛りになっている。白菜とレタスをかけあわせたようなのが、まるごと1株。これにトマト、キュウリ、ニンジン、ピーマン、紫キャベツ、ネギ(のようなもの)が添えてある。
うしろで、おばあさんがアラブ・パンのホブスをこねている。焼きたてをもらう。厚さ1〜2mm。野菜や肉をつつみ、マメやゴマのペーストをぬって食べる。おいしい。
レストランをでて遺跡にむかう道で、若い男が、自分が食べていた青物を1本、手わたしてくれた。水分と繊維の多い茎をサクサク噛んで、酸味を楽しむ。食べてみて、ぼくはスカンポの味を思いだした。
レバノンの女性ガイドのRさんに聞いたら、手帳を見てグバーブと教えてくれた。ぼくのヒヤリングは怪しい。おそらく、ジャムなどにするルバーブではないかと思う。
アラブでは、なにかと、もらい物が多い。
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