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中東紀行 3つの大陸のつなぎ目を歩く 2000年5月

6日目

 

5月15日◆月曜日

ダマスカス→バールベック→アンジャール→ベイルート

 

レバノン杉

中央がレバノン杉。ほんとうは松の仲間だそうだ。ふつうの杉のなかにまじるとまるで目だたない。
 
 
 

写真
 
離宮アンジャール
いかにもエレガントなアーチのつづく、カリフの宮殿。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

野菜とアラブ・パン

ベカー高原では野菜が豊富だ。そして、焼きたての薄いパン、ホブスが香ばしくておいしい。

◆レバノンへの入国に手間どる

ダマスカス郊外の難民地区をぬけて、国境へ。

みぎにカシオン山、ひだりにヘルモン山の、雪の頂を見ながら、正面のアンチ・レバノン山脈にわけいる。

旅にでる直前、ダマスカスからベイルートへの道路が、ミサイル攻撃されたという記事が、新聞にでていた。ガイドに、「大丈夫ですかね」と聞いてみたが、こんな質問に答えられるわけもない。

シリアからの出国は、スムーズだった。しかし、レバノン側の街マスナーでは、入国手続きが長びいた。書類の不備があったのだという。

ボスラへANJARバールベックへ

◆ウマイア朝カリフの離宮アンジャール

国境を越えれば、ここはもうベカー高原だ。レバノン山脈とアンチ・レバノン山脈にはさまれた、幅15km、長さ150kmの細長い土地。しかし、ここは、中央をリタニ川が流れ、くまなく水がゆきわたる、緑ゆたかな農産地帯だ。周辺の砂漠地帯からは想像もできない。 かつてはローマの穀倉地帯とよばれた。

アンジャール(岩からの水)もまた、水にちなんだ命名だ。近くに、リタニ川の中流にそそぐ、支流の水源がある。ウマイア朝ワリード1世が、この地を選んで保養のための宮殿を建てた。レバノンにのこる数少ないウマイア朝の遺跡であり、世界遺産となっている。

菜の花の黄とポピーの赤。野面のむこうには、雪の山々がつらなる。ゆるやかな傾斜の両がわに、遺跡がひろがる。遺跡中央にそびえる、テトラピロン(4面門)。くずれた白い石のうえでは、トカゲが遊んでいる。

ビザンツ様式が色濃くのこる、南北385m×東西350mの城壁都市。かつては隊商宿がにぎわい、列柱道路には、600以上の商店がならんでいたという。

宮殿あとに、優雅な2階建てのアーチが、1列につらなり、あやうげに佇んでいる。消えかかる栄華の、わずかな残り香…。

ここの杉林に、1本のレバノン杉がまじっていた。まだ若い木で、ふつうの杉と区別がつかない。いまやレバノン杉は、高地に1,000本ばかりがのこるのみ。古代からつづく、地中海周辺の自然破壊がとまらない。

◆戦車と大砲と装甲車と

ベカー高原を北上する。青々とひろがる畑地のあちこちに、ベドウィンのテントがある。畑作を手伝いに出稼ぎにきているのだという。ときに30張りぐらい集まっているところがある。

ベドウィンのテント以上に目だつものがある。戦車や大砲や装甲車、そして兵士の姿だ。シリアの軍隊もまじっているらしい。自動小銃を肩にかけた兵士が、あちこちで車の検問をしていた。

◆山盛り野菜がとびきり新鮮

バールベック全体が見わたせる、ビルの6階のレストランで昼食。これまでも野菜に不足はなかったが、さすがベカー高原、食卓に生野菜がどぉーんと山盛りになっている。白菜とレタスをかけあわせたようなのが、まるごと1株。これにトマト、キュウリ、ニンジン、ピーマン、紫キャベツ、ネギ(のようなもの)が添えてある。

うしろで、おばあさんがアラブ・パンのホブスをこねている。焼きたてをもらう。厚さ1〜2mm。野菜や肉をつつみ、マメやゴマのペーストをぬって食べる。おいしい。

レストランをでて遺跡にむかう道で、若い男が、自分が食べていた青物を1本、手わたしてくれた。水分と繊維の多い茎をサクサク噛んで、酸味を楽しむ。食べてみて、ぼくはスカンポの味を思いだした。

レバノンの女性ガイドのRさんに聞いたら、手帳を見てグバーブと教えてくれた。ぼくのヒヤリングは怪しい。おそらく、ジャムなどにするルバーブではないかと思う。

アラブでは、なにかと、もらい物が多い。

 

写真 バールベック
倒れた神殿の柱が、こんなにも太い。
 
 
 
 
 
 
 

白の国、紫の国

レバノンは、秋田県や岐阜県ぐらいの大きさだ。
レバノンとは、セム語で「白」のこと。このあたりでは珍しい、高い雪の山にちなんで、つけられた名前だという。
このセム族のカナン人が建てた国を、かつてギリシア人はフェニキアとよび、ローマ人はポエニとよんだ。
カナンは、フルリ語で「紫」のこと。フェニキアはギリシア語で「赤紫」のこと。地中海の貝からとれる染料の紫が、この国の特産品だった。

アンジャールへBAALBEKベイルートへ

◆地元の神が共存するギリシア・ローマ都市

バールベック(平原のバール)の主神は、豊穣神バールだ。実りゆたかなベカー高原にふさわしい。

入口の幅ひろい石段をのぼると、6角形の前庭がある。その6面には、それぞれ古代シリアの神々が浮き彫りにされていたという。つづいて大庭。犠牲をささげる2つの祭壇がある。正面の幅広い石段をのぼると、ジュピター神殿。直径2.2m×長さ22mの円柱が6本のこっている。もとは54本あったという巨大な円柱にささえられた神殿は、幅50m×奥行89m。

崖下に、ライオンを彫りこんだ大岩が落ちている。円柱がささえていた梁の1部だという。これを見ただけでも、全体の壮麗さがわかる。

落ちたライオンのよこには、バッカス神殿がある。ここにもシリアの神々が祀られていた。アシタロテ(バール神の配偶者)、女神アタルガテス。

ゼウスを主神とするギリシアも、ジュピター(ユピテル)を主神とするローマも、ともに多神教。このあたりの住民も、おなじじように、バールを主神とする多神教だった。

ギリシアは、ここに植民都市ヘリオポリスを建て、両者の神々を融合させた。ローマもまた、自分たちの神々をもちこんで混在させた。バールを排除していない。

バール信仰が許されなくなったのは、ローマが1神教のキリスト教を国教とした4世紀以後のことだ。1神教は多神教を駆逐し、1神教どうしの争いがいまもつづく。バールベックに、バール神殿は、もはや跡形もない。

 

レバノン山脈からベカー高原を見おろす

ベカー高原は、ゆたかな畑にめぐまれた土地だ。2つの山脈にはさまれた狭い平野いっぱいに緑がひろがっている。

◆レバノン山脈を越えると…

バールベックを去って、こんどはベカー高原を南下する。とちゅうから、バスは西のレバノン山脈のふもとを走った。ここでも、いたるところに戦車や大砲や装甲車を見た。

やがて、はるか南に雪のヘルモン山を見ながら、レバノン山脈の切れ目にはいった。道はのぼり坂、眼下にひろがるベカー高原の緑が美しい。

ベカー高原が視界から去り、標高があがると、戦火のあとが目立ちはじめた。砲火を受けて、家屋に大穴があいている。

峠を越えると、急角度の山の斜面に、無数の家々がはりついた風景となった。美しい。いや、美しかったというべきか。

峠を越えるとそこに、いにしえのポエニびとの国、フェニキアがあると、ぼくは想像していた。まさか、そのままのフェニキアがのこっているとは思わなかったが。

しかし、現実に目にはいってくるのは、壁になまなましい無数の弾痕。窓が吹きとばされて、骸骨のように立ちつくす廃屋。内戦から逃れて、空家となった家々。

レバノンが戦下の国なのだということを痛感させられた。パレスチナ戦争、それにつづく内戦。国境では、いまも戦火が交えられている。

地中海にむかってベイルートまで、家々をのせた長く急な傾斜がつづいている。平和になったときの、この風景の美しさを、目を閉じて思い浮かべた。
 

『3つの大陸のつなぎ目を歩く』 つぎは7日目。フェニキアの港テイルス、シドンへ。

 

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