QASR AMRA
◆クセイル・アムラは快楽の館?
いったんアンマンの街にはいり、こんどは東へ。砂漠を30分ほど走ると、ひだりてに泥で固めたような建物があらわれた。クセイル・アムラ。8世紀、ウマイア朝の建築。世界遺産。
「クサイル・エル・アムラに着いた。これは詩人の保護で有名な牧人王ハリスの小狩猟館である。それは葉摺れの音も爽やかな鬱然とした樹木を背景にくっきりと美しく見えた。(略)われわれは壁に見える薄れた壁画をいろいろと解き明かしたりして、他愛もない大笑いに時を過ごした」(前出『知恵の七柱』第2巻第105章)。
ロレンスの見た樹木は、見あたらない。あれから80数年、砂漠化がすすんでいる。しかし、壁や天井のフレスコ画はのこっている。
小ぢんまりした建物ながら、温浴・冷浴・サウナなどの浴室、寝室がある。そして、壁の裸婦像。どうやらここは、カリフが狩猟をしたあと、美女たちと戯れた、快楽の館らしい。若いロレンスたちが大笑いしたわけだ。彼よりかなり年をくってしまった身としては、高貴な血統を絶やさぬための励みに、微苦笑がわく…。
第1次世界大戦当時、メッカのカリフ・フセインの3男ファイサルに、ロレンスは肩入れしていた。のちにファイサルはイラク王となったが、この王統は政変によって絶えた。ロレンスが好意をもたなかった2男アブドゥッラーはヨルダン王となり、いまも王統がつづいている。ヨルダンの大都市では、去年亡くなった前国王と、息子の現国王の大きな写真が、いたるところにに貼りだしてある。
アンマンへの帰り道、ひだりての砂漠のなかに、クセイル・ハラナの堅固な4角の城塞を見た。クセイル・アムラとおなじ、ウマイヤ朝の宮殿跡。
映画『アラビアのロレンス』に、こんなシーンがある。ウマイヤ朝の後裔ファイサルが、イギリス軍将校ロレンスにむかっていう。
「ロンドンが村落だった昔、コルドバには街灯があった。---私はコルドバの花園を求める」
ウマイヤ朝は、遠くスペインまで勢力をのばしていた。フランス(当時はフランク)の宮廷は、アラブ人に教えられて、はじめてテーブル・マナーというものを知った。やがてイギリスの王やフランスの騎士たちは、十字軍を組織してイスラムを襲うようになる。
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