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中東紀行 3つの大陸のつなぎ目を歩く 2000年5月

2日目

 

5月11日◆木曜日

アカバ→ワディ・ラム→ペトラ

死海へAQABAワディ・ラムへ

◆砂漠の海の生物たち

アカバ港で、グラス・ボートにのる。
白い砂浜。磯の匂いはしない。
対岸はシナイ半島。その東すみにイスラエルの港町エラートが見える。

そのひだりての山のうえに白い建物が見えた。
「あそこからはエジプトです」

船は狭いアカバ湾を南へ、紅海のほうにむかった。
船底の4角いガラスから、海底をのぞく。サンゴ、ウニ、海綿、小魚。色彩に乏しい。海草も少ない。
あちこちに船や戦車の残骸がころがっている。

海にも陸にも生物が少ないかわりに、このあたりの鉱物資源は豊富なようだ。死海からつづく赤と緑のシャラー山地が、アカバ湾に沈む岸辺に、リン鉱石の処理工場がある。鉱石をはこぶロシアの輸送船が停泊している。

古代、この地の豊かな銅をもとめて、エジプトからはファラオがのりだした。ソロモン王の富をささえたのも、この銅だった。ついでにいえば、そのソロモンに会うために、シバの女王が通ったのが、このアカバからエルサレムへの道だったという。

第1次世界大戦のときのアカバは、オスマン・トルコの軍港。イギリス軍将校として、アラブ軍に協力していたアラビアのロレンスは、ダマスカスへの戦略拠点として、アカバを攻略した。無防備の砂漠がわから、ラクダにのったアラブ軍を率いて。

 

写真
 
『知恵の七柱』の山

ロレンスの著作名にちなんで名づけられた山。岩が数本の柱に見え、いかにもそれらしい。
 
 

砂漠は
だれのもの?

ヨルダン(ヨルダン・ハシミテ王国)の広さは、北海道の約1.2倍。その8割以上が砂漠だ。
たしかに砂漠の生産性は低い。そして、かつては物資の輸送をラクダの背にたよるほかなった。しかし、現在は道路が走り、油送管が走っている。砂漠には、石油や鉱物資源が埋蔵されている可能性もある。農地化も夢ではない。
この莫大な資産に化けるかもしれない砂漠は、だれかの持ち物なのだろうか。気になって聞いてみると、砂漠は国有地だという答えがかえってきた。
それにしても、砂漠のなかに街がある。家は砂地や石灰岩のうえに建っている。どこからが砂漠なのか。どれくらい大きいと、砂漠というのか。日本の山林のように、砂漠の所有について、なにか抜け道があるのか。そのへんの微妙な問題については、聞きだせなかった。
 
 

ロレンスの泉

山のふもとに、貧弱なコンクリート製の水場がある。しかし、これがロレンスの泉とは思えない。中腹の樹木のかげに水源があるらしい。残念ながら、確かめにのぼる時間はなかった。
 
 

アカバへWADI RUMペトラへ

◆ロレンスが愛したワディ・ラムの風景

アラビアのロレンスが愛したワディ・ラム(高い谷)にむかう。ヒジャーズからアカバへの道すがら、彼はこの谷をなんども通った。映画『アラビアのロレンス』も、このワディ・ラムで重要なシーンの撮影をしている。

ガイドのMは、きょうはコフィア姿だ。砂漠の砂と光への対策なのだろう。赤いチェックの布をかぶり、黒い輪で頭にとめている。アラブでは、どこでも見かける男の服装だ。アラファト議長を思い浮かべていただくといい。

ワディ(谷)のちかくで、Mが指さした。
「あの山の名前は『知恵の七柱』です。ロレンスの本の題名になりました」

山は柱状の岩塊でできている。たしかに数本の柱でできているように見える。しかし、ほんとかな。むしろ形から連想して、書名を山名にしてしまったのではないだろうか。本来の名をイシュリーン山(1,753m)という。この山のむかいにラム山(1,754m)がある。

◆内臓よじりのドライブ

2つの山のあいだの、ヨシズ張りのレストハウスで昼食。そのあと、トヨタやニッサンなどの、古い小型トラックに分乗した。

ぼくの小さな尻でさえのりきらないほどの狭い鉄のベンチと、空中に放りだされないために握りしめる鉄パイプが、荷台につくりつけてある。

車は、たっぷり鉄分をふくんだ谷間の赤い砂漠を、爆走しはじめた。まわりの山々も赤い。ワディ・ラムは、この赤さが特徴だ。したがって、夕焼けが美しい。ロレンスも書いている。

「夕陽は窪地を黒く隈どりながら西の壁の蔭にかくれた。しかしその残照は目覚めるばかり赤々と谷の入口の両翼を染め、この大渓谷の彼方にある壁の大きく突き出たところにぎらぎら燃えていた。」」(T・E・ロレンス著/柏倉俊三訳『知恵の七柱』第2巻第62章/東洋文庫)

ただし、いまは風景どころではない。車の振動で内臓がよじれる。カミさんは、必死でパイプを握りしめて腕が痛くなり、夜はサロンパスを貼って寝る始末となった。

◆ロレンスの泉

山のふもとで、へなへなと車をおりた。ラクダがいる。ちかづくと、つまらぬコンクリート製の水場がある。ロレンスの泉だという。映画『アラビアのロレンス』の撮影につかわれた井戸だから、この名がついたという。かたわらの巨岩に、ラクダなどの絵がある。8世紀ごろ、アラビア半島からやってきたサムード人が刻んだものだという。

20〜30mほど山の斜面をのぼったところに、1本の樹木がある。そのうしろに源泉があるらしい。
「あそこに泉があるのか。のぼれるのか」
ガイドに聞いたが、なんだか要領をえない返事だ。

映画にはでてこないが、『知恵の七柱』には、ワディ・ラム山中の泉の、感動的な描写がある。

「この岩から白銀の細流が日射しの中に迸出していた。(略)茂っているシダ類と緑もみごとな雑草は、そこらの五フィート平方ばかりを天国にしていた。(略)汚れはてた身体の衣装を脱ぎ、小さな水槽の中に歩み入り、このたるんだ皮膚を刺戟する動く空気と水の清冽さをついに満喫した。えもいわれぬ涼しさであった。」(同上第63章)

このあと彼は、「愛は神からくる。神のものであり、また神に向かって行く」とつぶやく不思議な老人に出会う。この泉は、どこにあるのだろうか。

◆赤いカザリ峡谷

ロレンスの泉から、さらに南西にすすむと、谷も山もいちだんと赤味をましてきた。カザリ峡谷。そそり立つ絶壁に裂け目がある。この裂け目が、峡谷の入口だ。入口をかくすように、大岩がある。

入口をはいると、岩壁に岩棚がある。岩棚のうえに、おくにすすむ道がつくられている。雨期には岩棚を奔流が走り、道は通れなくなるという。

壁面には、B.C.7世紀の線刻がある。男と女がならんだ絵があり、これは結婚届だそうだ。出産の絵もある。この谷には、はるかなむかしから人が住んでいたらしい。

ふたたび内臓攪拌の長いドライブをして、レストハウスにもどった。一同、ドライブのショックで、呆けたようにイスに腰をおろしている。

その足もとに、いくつもの赤い土饅頭がある。靴のなかにはいった砂漠のおみやげを、先客たちが置きざりにしたものだ。それを見て靴のなかが気になりだした。ぬいだ靴を傾けると、赤い筋をひいて砂が落ちた。

ワディ・ラムをあとにして、アカバとアンマンとをむすぶデザート・ハイウェイを北上する。物資を積んだ大型トラックが、うなりをあげて往復している。こんどはシャラー山地がひだりにある。

やがて、山道にさしかかり、まわりに緑がましてきた。丘に短い草が生え、羊の群れもふえてきた。ワディ・ムーサ(モーゼの谷)の村をすぎて、さらに山をのぼり、眺望のいいホテルについた。

ペトラの山と谷が、夕陽に染まっている。
 

『3つの大陸のつなぎ目を歩く』 つぎは3日目。岩山に隠された秘境、ナバテヤ人の都ペトラへ。

 

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