DEAD SEA
◆死海でなら、オレだって泳げる
アンマン市街をでて、バスは南にむかう。気づくと、いつのまにか樹木のない山の道を走っていた。アンマンは標高800mの高みにある。この高さから、バスはぐんぐん山坂をくだる。鼓膜の弱いカミさんは、気圧の変化に耳をおさえている。
とちゅう、まだ下がはるかにかすんで見える場所で、バスがとまった。標高0m。
まわりの白茶けた岩山からは信じられないような緑が、眼下に見えた。ヨルダン渓谷だ。いまは、この渓谷がヨルダンとイスラエルとを分断している。
ここから、さらに400mほどくだって、死海の岸についた。海は青い。岸は白い。まだ、とくべつの海だという実感はない。
ホテルにはいり、海辺の脱衣所で着がえて、海にはいる。水は生ぬるい。海底の石につまづきそうだ。
ヘソがちょっと沈んだところで、仰むけになる。浮かんだ! 沈みはしないが、ひっくりかえって、塩水を飲みそうだ。落ちつかない。体の平衡を保ちにくい。なんとか慣れたところで、この奇妙な浮遊体験がおわった。
◆モーゼがさまよった地を南へ
死海沿岸の道を南下する。岸は波に洗われ、塩で白くなっている。
南北に長い死海の中間点あたりで、東の峡谷から川が流れこむ。アルノン川。真水がそそいで塩分がうすいぶん、ここは死海でも泳ぎやすい場所だそうだ。
ひだりてに岩山、みぎてに死海。モーゼやキリストがさまよった世界だ。
この過酷な風土から、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の、3つの1神教が生まれた。多神教の日本の、放っておいても死にはしない、めぐまれた風土とのちがいを痛感する。
死海から1時間半。ひだりての山の裂け目をおくにすすむと、ワディー・ムーサ(モーゼの谷)があるという。山頂に白い建物があるのは、ホル山(またはアロン山)。モーゼの兄アロンが死んだとされる山だ。3日目に訪れるペトラ遺跡は、あの山のかなたにある。
ゴロゴロと石のころがる砂漠地帯。ひだりてに、樹木のないシャラー山地が延々とつづく。赤と緑に染めわけられた山肌。鉄と銅が採れるそうだ。この風景が、アカバまでつづく。死海からつづく地溝は、アカバ湾、紅海を経て、深くアフリカまで食いこんでいる。
夕刻、シュロの茂る港町アカバについた。
|