◆「夏の離宮」にテヘランの秋深く
テヘランの街を北にむかう。北にいくほど上層階級が住むという。むかしは別荘地だったとか。
高々とのびた喬木が、渋滞する道路をつつんでいる。スズカケかカエデか。整然とした並木ではない。雑然とならび、むやみに密集している。林のなかに、道をつけたみたいだ。それが、やがて黄ばんだ林となり、サーダバード宮殿についた。
あの宝石をあつめたパフラヴィー朝の、夏の離宮だったという。林間にいくつかの宮殿が点在する。
中心の王宮が博物館になっている。イラン最大といわれる絨毯がある。これはケルマン製、これはマシャド製というふうに、各部屋に最高級の絨毯が敷きつめられている。各地から献上させたものだろう。
この王朝とイギリス・ロシア・アメリカがむすんで、国民が苦しんだ。欧米の文明の悪弊を排して、自分たちの文明を急速に回復しようというとき、きびしく宗教で引きしめた直線的な行動が必要だったのだろうか。1979年のイラン革命から、まだ20年と少ししかたっていない。
◆「ザクロの道」
坂の街テヘラン。そのなかでも、とりわけ複雑に地形がいりくんだ場所に、バザールがある。坂を上ったり下ったりして、まず公衆トイレへ。
驚くほどの人がいる。となりにあるモスクにはいるまえに、まず、ここの水で身を清めるらしい。イランでは、男女ともに、日本式のしゃがむトイレが一般的だ。細いホースが備わり、先から水がでる。これでお尻の処理をする。男はともかく、ヘジャブの女性のトイレはたいへんだ。
カミさんによれば、女性はヘジャブをぬいで、フックにかけたり、ドアのうえにかけたりする。トイレの水の量は、どこでも意外なほど豊富だ。その結果、足もとがびしょ濡れになる。そこを長いヘジャブの裾が引きずる…。
バザールを見物。迷路の道に、3階建てのビルが組みこまれて、さらに複雑だ。天井のぬけた小さな広場で、野菜を売っている。大型の裸電球に照らされ、野菜の赤・緑・黄が、強いコントラストで浮かびあがっている。うちの鬼子母神が、また1つザクロを買った。
早めにバザールをでて、集合場所にむかう。出口の階段で、カミさんと離別させられた。女性は「あっちの階段」。
とっぷりと日が暮れて、冷気もましてきた。焼きイモ屋みたいに、なにかを温めて売る屋台がある。近づいてのぞきこむと、よこから黒いヘジャブをかぶったおばさんが、自分が買った赤いものを、ぼくに突きつけた。
ためらっていると、手で引きちぎって、食べろという。外が赤く、中が白い。口にいれたら、やわらかかった。「ああ、赤カブだ」。イラン語でラブー。ほろほろとイラン人のやさしい心が口のなかで溶けた。「ホシュ・マゼール(おいしい)」。どうにかこうにか、おぼえたイラン語の5分の1を発することができた。
この人たちがヘジャブをぬぐのはいつだろう。イランが宗教のくびきをゆるめるのはいつだろう。
待ちあわせ場所に、同行の老人夫婦がもどってこなかった。日没まえとは、街はちがう印象になる。やっぱり迷ったらしい。ガイドのMさんたちが駆けまわった。ようやく、ちがう出口で、じっと動かずにいた2人を見つけた。
バザールの迷路のように、ぼくにはまだ、イランがよくわからない。しかし、イランから日本へ、シルクロードをつたわって、とどけられたものの多さ。イランは、日本文化の1つのふるさとだ。そして、ザクロを、ナンを、ラブーを、さしだしてくれた人たち。ブッシュのように、この国を「悪の枢軸」などとよぶことは、ぼくにはできない。
イランから日本へ。ザクロ好きのカミさんはいう。「わたしにとっては、ザクロの道ね」。ザクロの道を帰る。
|