◆キュロス大王の寛容
アケメネス朝はゾロアスター教を国教としたが、ほかの宗教には寛容だったという。奴隷もいなかった。女性の佐官さえいたという。
この国是をつくりあげたのが、ペルシアを大帝国に育てあげた、大王キュロス2世だった。なによりも、バビロン幽囚にあえいでいたユダヤ人を解放したのが、この大王だ。
前330年、アレキサンダーはペルセポリスで、勝利を祝って酒宴をひらいた。のちに王となったプトレマイオスの愛人タイスが、「アテネを焼いたクセルクセスの家を焼いて、底ぬけに騒ぎましょうよ」とそそのかした。アレキサンダーは松明をもって先頭に立った。だが、すぐ後悔して「火を消せ」と命令した(『プルタルコス英雄伝』)。
ことの真相はわからない。しかし、もう消火は間にあわなかった。のちアレキサンダーは、ことごとにキュロス大王の寛容な統治に範をもとめたという。
宮殿のうらのラフマト山の中腹をけずって、アルタクセルクセス2世の墓がある。のぼって遺跡の広さを俯瞰した。
もどりの道で、同行の80歳と70歳の老夫婦に追いついた。ぼくたちが休憩しているあいだに、15分早くのぼりはじめたのだという。
「時間を倍かければ、なんとかなりますから」
「外人さんが助けてくれたんですよ。腕をかしてくれて、ひょいと持ちあげられてしまいました」
とかく老人を敬遠しがちで、エスコートの腕力もない、自分のなかの日本人が情けなくなった。2人は、日本の山にも登っているそうだ。
◆アケメネス朝の墓地でササン朝の宣伝
ペルセポリスをつくったダリウス1世とクセルクセス1世の墓は、ペルセポリスにはない。
北西6kmのナグシェ・ロスタムとよばれる岩山に、ギリシア十字型の墓室が4つならんでいる。ダリウス2世とアルタクセルクセス1世を加えて、ここに4人の王が眠っている。
墓のしたの岸壁に、レリーフがある。しかし、これはアケメネス朝のものではない。のちのササン朝のものだ。あのビシャプールに都を築いたシャプール1世が、ローマに勝ったのを誇る戦勝記念碑。馬にのった王の足もとに、ひざを屈するローマ皇帝ウァレリアヌスが描かれている。
すこし離れたナグシェ・ラジャブの磨崖にも、ササン朝の王のレリーフがある。父アルダシールと子シャプール1世が、アフラ・マズダからリング(王権)を受けている図。
このあたりの山中には、ササン朝の王たちが刻ませたレリーフが多い。アケメネス朝の権威をかりて、自分の王朝の正統性を主張しているのだろう。
|