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イラン紀行 ペルシアの火と土と水と風 2002年10月〜11月
日目

1030

◆水曜日

 

アフワズ→チョガザンビル→スサ→アフワズ

 

カルン川

チグリス・ユーフラテスに合流してペルリシア湾へ。アメリカのせいで、いまは行くことはできないが、おそらくメソポタミアも、ここと似たような風土なのだろう。
 
 

アフワズ近郊

この時期になってもスイカ・ウリの収穫がつづく。

イスファハン3日目へCHOQAZANBILスサへ

ここはメソポタミア?

アフワズのホテルで目ざめて、窓から外を見たら、目のまえがカルン川だった。正面に中州シャーディー島、ひだりにモアラグ橋が見える。

窓をあけたら、もわっと湿った熱気が顔にまとわりついてきた。昨夜の洗濯物が乾いていない。イランのなかで、また新しい地域にきたことがわかる。

チグリス川とユーフラテス川が合流したシャッテル・アラブ川は、イラン・イラク国境を流れて、ペルシア湾に注ぐ。カルン川は、このシャッテル・アラブ川に合流している。アフワズからイラク国境まで、直線距離でわずか70km。ここはもう、メソポタミアの風土といっていい。

アフワズの近郊で石油がでる。そのせいか、街がなんだか油っぽい。壊れたままの建物が目だつ。イラン・イラク戦争の傷が、まだ生々しくのこっている。

アフワズの北80kmの、チョガザンビルにむかう。

冬枯れのたんぼを、ブルドーザーで掘りかえしたような、土色の無愛想な風景がつづく。

とはいえ、畑もある。あるとなると、広い。スイカ・ウリ・トウモロコシ・ヒマワリ・サトウキビ。ところどころで道路わきに、スイカとウリを山積みにして売っている。

「エデンの園」や「ノアの洪水」の世界

単線の鉄道にそった道をそれて、土くれの山のあいだをはいると、遠くに台形の赤土の山が見えた。チョガザンビル(大きなカゴのような山)。

よく見ると、低い台地のうえに、日干しレンガでできた階段式の建造物がのっている。はじめてお目にかかる、ジッグラトだ。50mのいただきに神殿があったという。いまは日干しレンガが溶けて、半分の25mになっている。

ジッグラトは、世界最古のメソポタミア文明をひらいたシュメールにはじまる。シュメール人の領土は、「日の昇る地(エラム)」から「日の沈む地(シリア)」までだったという。エラムとは、チョガザンビルやスサなどをふくむ、まさに、この地域だ。

エラム人たちの時代

こんなに湿度が高いのに、このあたりは古くからほとんど雨がふらない。そして、夏は40℃を超える高温。だから、日干しレンガがつくれる。日干しレンガでまにあう。

川の水には、めぐまれている。トルコの山やイラン高地から水をあつめて、大河がペルシア湾にそそぐ。遺跡の近くを、カルン川にそそぐデズ川が流れている。

この高温多湿の、ゆたかな流域で、農業がうまれた。「エデンの園」をめぐって、民族がしのぎをけずった。ときに「ノアの洪水」が起こる。もともと天に祈るジッグラトは、洪水にも崩れない丘のうえに築かれる。こうしてジッグラトは、いまにのこることとなった。

このジッグラトは、前1250年ごろ、エラム王ウンタシュガルが建てたもの。イランには30のジッグラトがあり、これがもっとも保存がよく、もっとも大きいという。100m×100m。

日時計だという円形の塔がある。下水設備がある。夜、光を発する色レンガがある。リン鉱石を混ぜてあるのだとか。タイルの原形だともいわれる。遺跡は世界遺産になっている。

チョガザンビルからハフト・テペへ。ゆたかな水路が走る田園地帯に、エラムの墳墓がある。墓室をささえる日干しレンガは、世界最古のアーチだそうだ。チョガザンビルから1000年もむかしの、前2250年ごろの遺跡だ。

のちに旧約聖書に書かれることになる、「エデンの園」や「ノアの洪水」の物語が、こういう風土のなかで展開したのかと思うと、興味はつきない。

 

イラン料理ホレシュ

肉・ジャガイモ・マメなどを煮こんだシチュー料理。チェロウ(白飯)といっしょに食べる。
 
 
コラム
イランのノンアルコール・ビール事情
イランは、きびしくイスラムの戒律を守る国。酒飲みには、つらい。窮余のノンアルコール飲料。さて、どれを選ぶか。
 

チョガザンビルへSHUSHザクロス山地へ

アパダナ宮殿で昼食!

ハフト・テペからスサ(シューシュ)へ。

スサは、チョガザンビルから西北へ40km、アフワズから西北へ100km。イラク国境までは、もう50kmしかない。ここには、チョガザンビルやハフト・テペよりもさらに古く、前4000年紀にはもう人が住んでいたという。

ケルハ川とデズ川の流れる、この地をスシアナ平原とよぶ。平野のなかの4つの丘のうえに、スサ遺跡がある。

丘を見あげる小さな川のほとりで、昼食。オクラなどのはいった4種のシチュー、ホレシュを食べた。レストランの名は、アパダナ。なんとスサのアパダナ宮殿から名をとっている。レストランの格からいっても、でてきた料理の質からいっても、名前負けであることはまぬかれようもない。

丘のうえに、砦風の建物がある。いまは軍の施設。19世紀にフランス人が、発掘のための基地として建てたという。これを契機に、さまざまなことがわかってきた。

メソポタミアの塩化公害

スサにはじめて都市がつくられたのは、前2500年ごろ。前13世紀には、エラム王国の行政の中心がスサにおかれた。このとき、宗教の中心は、チョガザンビルにおかれたという。

前7世紀ごろになると、チグリス・ユーフラテス両河の河口の土が塩をふくようになる。流土がふくむ石灰分の炭酸カルシウムによるものだ。

これまでは、ときどき「ノアの洪水」が洗い流してくれたからよかった。ところが、皮肉にも気候変動によって洪水がなくなったことで、塩化現象が深刻となり、農業生産が激減しはじめたのだ。

メソポタミア河口の繁栄がおわる。スサもチョガザンビルも衰え、エラムの時代もおわった。流域地帯から、イラン高原のアーリア人の手に、政治の実権が移った。

前6世紀、メディアを滅ぼし、ペルシアが勢いにのる。大王キュロス2世は、スサをペルシアの4都の1つに選んだ。前521年には、ダリウス1世がスサを「冬の都」とした。

拝火教をとなえたゾロアスターは、この前6世紀の人だ。2元論をとなえ、悪神を想定したということは、文明についての深刻な認識を生む環境の変化があったということだろうか。

アレキサンダーが破壊したまま…

坂をのぼって、スサ遺跡にはいる。平地よりも10mほども高いだろうか。これも洪水を避けた街づくりだろう。

点々と柱石がならぶ。雑然と柱頭が転がる。未発掘の部分は、礎石をワラと泥で固めて保護し、かえって整然としている。広さ4ku。アケメネス朝ペルシアの都の跡だ。アパダナ宮殿が建っていた大基壇、250m×160m。スサの全盛期だった。

しかし、前331年、ダリウス3世を破ったアレキサンダーが、スサの栄華に終止符をうった。

スサを制圧したあとアレキサンダーは、松明競争と体育競技を催した(アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』)。ダリウスの娘スタテイラと結婚して異民族との婚姻を奨励し、すでに結婚していた部下たちとの合同披露宴をひらいた(村川堅太郎編『プルタルコス英雄伝』)。

このあと宮殿は破壊されつくされた。
 

つぎは7日目。ザクロス山中をゆく。ササン朝の都ビシャプール遺跡からシラーズへ。

 

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