◆橋をはさんでアルメニア人居住区
ザーヤンデ川をわたり、街の南にあるヴァーンク教会にでかけた。写真にも写っているように、ふしぎなことに、この教会にはドームがあり、尖塔に十字架がある。イスファハンに移住してきた、アルメニア人たちのキリスト教会だ。1606年に着工、1655年に完成した。
サファヴィー朝は、職人や商人などアルメニア人の能力を必要としたらしい。つれてこられたアルメニア人13万人。ザーヤンデ川の南に、新市街がつくられた。ジョルファ地区。彼らのふるさとの町の名がついている。
拉致・抑留であることにかわりはないが、異教徒にたいして十字軍のように偏狭ではなかったイスラムは、信仰の自由を与え、いま13のアルメニア系教会があるという。
◆橋めぐり
おいしくてボリュームたっぷりのアルメニア料理(マスのフライ)を食べたあと、ザーヤンデ川の橋めぐりをした。
三十三アーチ橋(スィー・オ・セ)は、アルメニア人の住む新市街と旧市街をむすぶために、1602年につくられた。長さ300m、幅14m。異民族と適当に距離をおく緩衝としても役立てられたのだろう。ここでグールハシュという水祭りがおこなわれるという。
上流のシャフレスタン橋は、もっとも古い。3世紀に、シルクロードを旅するキャラバンの通行のために架けられたという。長さ100m、幅4.6m。のどかな田園風景のなかの古めかしさが好ましい。
ハージュ橋は2階構造。長さ133m、幅12m。上部のテラスでアッバース2世が宴をはり、夏の夜をすごしたという。
イラン・イラク戦争の戦没者を埋葬したゴレスタン・ショハダ(殉教者の花園)を訪れる。いまは国花バラもなく、墓地はさびしい。
いずれも顔写真を墓標にしているのが異様に思われた。成人した写真のない者は、赤ん坊時代の写真をかかげている。偶像を排する国では、肖像にたいする飢餓があるのかと疑われた。
かつてのキャラバン・サライ、いまは5つ星のアッバーシー・ホテルで時間調整。空路、アフワズにむかった。
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