イメージしてみよう!投球フォーム

「いくら言われてもイメージがわかないよ〜」というあなた様のために、無理やりに「こんな感じだった」と言い切る企画です。


先発投手陣

山内孝徳
入来兄(近鉄−巨人−ヤクルト)のフォームが、かなり似ているように思う。小さくまとまってはいたが、素人目にもバランスがとれた良いフォームに映った。投球パターンは、左右に揺さぶりをかけつつ強気でシュートを投げ込むもので、広島にいた北別府ともイメージが重なる。ストレートのスピードは138キロぐらい。

藤本修二
体を捻り、左手をグッと前に振り出して舵取りをする投げ方だった。1986〜1987年頃には球に体重が乗り、コントロールもよかった。その頃には142キロぐらい出していた。もともとカーブのコントロールに難があったが、1986年頃からはシュートに磨きをかけ得意球とした。1988年には、春先に右足の内転筋を痛めたものの、まだ140キロを出していた。が、ダイエーになった頃には症状が悪化し、粘りのある投球はできなくなっていた。その後、阪神を経て西武に移った頃、少し昔の力を取り戻し、中継ぎで活躍した。

山内和宏
藤本修と同様、左手で舵取りをするフォームだった。長い手足から、大きなスライダーと140キロ台半ばの速球を投げ込んでいた。が、1985年以後、腱鞘炎や腰痛のために球威が落ちた。そこで球種を増やし、1987年頃からはシュートを多用するようになった。1987〜1988年に防御率が良かったのはその成果である。

加藤伸一

現役です!!! 2002年から近鉄に在籍。やる気なく体を開いたように見えるフォームから、快速球とシュートを投げ込んでいる。肩を痛める前にはストレートの速さが145キロはあった。その後、何度か故障と復活を繰り返したが、2000〜2001年には、シュートで140キロ以上を出していた。

西川佳明

右手を顔の前に振り上げ、左手(利き腕)を引っ張ってくるフォーム。スライダーやナックルで打者の目先を変えながら、制球力とコンビネーションで勝負していた。フォームも投球パターンも、ヤクルトにいた安田にそっくりだった(主な相違点は、西川が右腕を顔の前に突き出していたこと)。腕の位置もかなり低く、サイドスローに近かった。直球のスピードは130〜132キロ!!

吉田豊彦
現役です!!! 2003年から近鉄に在籍。今ではかなり腕を下げ、サイドスローに近くなったが、もとは力感溢れるオーバースローだった。南海時代には、速球(142キロぐらい)にチェンジアップ気味のカーブを挟む投球スタイルだった。ダイエーの初期にはさらに球速が増し(145キロぐらい)、エース格になった。その後、肩や足の故障と闘いながら、今日まで第一線で活躍を続けている。


中継ぎ投手陣

矢野実
藤本修、山内和とは対照的に、左手がだらりと下がった印象的なフォームだった。ブルペンを見ても、「あ、矢野だ」とすぐわかった。スピードは、入団時には140キロを超していたが、制球を重視するようになってもう少し落ちた。変化球はスライダーとフォークを得意としていたが、フォークが落ちないと長打を食らった。


抑え投手陣

金城基康

綺麗なアンダースロー。右手を大きく後ろに振り上げ、下手から豪速球を繰り出していた。ドカベンの里中の投球フォームをイメージすればよいのかもしれない。ただ、変化球投手ではなく速球で勝負するタイプだった。その意味では、若い頃の阪急・山田や、現横浜の木塚と重ね合わせることもできる(フォームはかなり違うけど)。1983〜1984年にはスピードが落ち、140キロは出ていなかったと思う。

井上祐二
低い重心で、足を前に踏み出してから腕が遅れてくる独特なフォーム。肘と手首がよくしなるのが特徴だった。武田一浩(日ハム−ダイエー−中日−巨人)のフォームに似ていたように思う。武田と同じく技巧派でもあった。速球のスピードは138キロぐらいだったか。ダイエーになってしばらくして球速が極端に落ちたが、広島に移籍後、筋トレで復活した。その時期(1995年頃)には142キロぐらい出していた。


その他

畠山準
フォーム改造を続けたが、基本的には巨人の大エース・堀内に似た投げ方だった。少し反り返り、そのまま体を左に傾けながら全力で投げ込む力感溢れるフォームだった。投球のほとんどは速球だったが、目先を変えるためにスライダーやフォークも投げていた。1年目(1983年)には「矯正」前の試運転ということで、ノーワインドアップで投げていた。

青山久人
金城と同様、典型的なアンダースローだった。コントロールよりも浮き上がる速球のキレで勝負するタイプだった。南海時代にはスピードが落ちており(ストレートは136キロぐらい)、新たにシンカーを覚えて、なんとか中継ぎ(というよりは敗戦処理)をこなした。が、細かなコントロールは最後までつかず、一旦フォームが乱れると四球を連発するなど安定感が乏しかった。

田嶋俊雄
振り上げた左足と両手がリズム良く流れる整ったフォーム。右腕は、オーバースローというよりも少し下がったところから出ていた。敢えていえば、日ハムの芝草に似ていたといえようか。素人目にはコントロールがつきやすいフォームに見えたが、実際には制球は悪くスピードこそが武器だった。変化球ではカーブが持ち球だった。1年目(1987年)、速球のスピードは常時142キロ以上であり、以後の飛躍を期待された。が、その年の秋季キャンプで肩を痛め、以後は1軍で投げることはなかった。



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