1987年の南海ホークス(後編)



8月ーまさかまさか

 後半戦は、雨で1日遅れた8月1日に幕を開けた。南海は山内孝を、相手の阪急は左腕の星野を先発させた。南海は門田、山本らが主軸を務めており、伝統的に左腕に弱かったが、この試合では高柳が「左殺し」の本領を発揮した。2、4回に2打席連続アーチを放ち、星野を早々にKOしたのだった。これで高柳は3打席連続本塁打、打率も.235まで戻した。山内孝も7回まで粘り、後を井上に任せて7対3で勝利を収めた。
 続く2日の試合には、藤本修と佐藤が先発した。藤本修は本調子ではなかったが、中条、井上が好救援をし、山本、湯上谷、佐々木の本塁打が出て5対2で連勝した。門田のアーチは、2試合連続の20号弾だった。これで南海は5割に戻し、首位阪急まで3.5ゲーム差に迫った。
 4日の日ハム戦は、河野に完封を食らって一休みとなった。先発した山内和は2失点で完投し、防御率を2.95としたが、好投のわりに勝ち星が増えなかった。それでも6日の同カードは、集中打で逆転勝ちを収めた。門田は21号を放ち、デビッドも11、12号を打って存在をアピールした。加藤伸の後を受けた田島が2勝目を、井上が9セーブ目をあげた。
 8日からは、阪急に代わって首位に立った西武との連戦だった。その初戦、絶好調の藤本修が完投で12勝目をあげた。これで藤本修は8連勝、試合後には「うちが優勝するんじゃないですか」とのコメントまでが飛び出した。しかし、9日には山内孝が打たれ、打線も郭に抑えられて2対6で負けてしまった。
 11日からは、後半戦初の大阪球場での試合となった。相手は不人気な日ハムだったが、南海の健闘に刺激されてか、3試合で4万6000人の観衆が集まった。その初戦は山内和が好投した。日ハム打線を1点に抑え、デビッドや山村のタイムリーで4対1で快勝した。山内和は6勝目、防御率はパリーグ3位の2.82となった。ただし、疲労が溜まった門田は、この試合からしばらくスタメンを外れることになった。
 12日には加藤伸が早々にKOされた。リリーフの田島や西川も崩れ、結局3対10での大敗となった。それでも13日には藤本修がまたも好投した。山村の先制2ランも出て、藤本修は完投で両リーグトップの13勝目をあげた。ただしこの試合でも、南海にはエラーが続出した。ショートの森脇は安定していたが、セカンドには湯上谷が、サードには河埜が入るパターンが増え、不慣れなこともあってミスが多かった。
 15日からの阪急との3連戦には、6万7000人が集まった。その初戦、先発の西川は早々に崩れたが、青山、田島が好投して反撃を絶った。そして9回に3点をとり、引き分けに持ち込んだ。捕手の吉田は2安打で打率を.288まであげた。16日には山内孝が好投した。阪急打線を7安打、1失点に抑え、山本、デビッドの連続アーチもあって6対1と快勝した。門田の欠場中、ずっと4番を務めていたデビッドは、この日の4安打で打率を.245まで戻した。これで貯金2、首位西武まで4ゲーム、2位阪急までは2ゲーム差となった。
 さらに17日には、加藤伸が久々に好投した。阪急打線を5安打に完封し、2勝目をあげた。高柳はカモの星野から7号2ランを放った。これで西武まで3.5ゲーム差、阪急までは1ゲーム差に迫った。
 18日からは、8連敗中の近鉄との3連戦が行われた。ここで近鉄にとどめを刺したいところだったが、初戦では山内和が崩れてしまった。中継ぎの青山、田島も打ち込まれ、5点リードを生かせず逆転負けを喫した。続く2戦目にも、リリーフの加藤哲郎、石本を打てず、2対3で競り負けた。藤本修の連勝は9で止まった。それでも20日には、西川が久しぶりに好投し、湯上谷の勝ち越し弾も出て3対2で競り勝った。リリーフの井上も追い上げられたが、なんとか10セーブ目をあげた。
 22日のロッテ戦では、好調の山内孝が完封勝利をあげた。打撃陣は3回に山田の犠飛で先制し、湯上谷の4号などで加点し、5対0での快勝となった。山内孝は8勝目で、6年連続2桁勝利を目前とした。23日にも加藤伸が好投した。が、湯上谷の悪送球をきっかけに点を取られ、0対1で惜敗した。この試合で門田は11試合ぶりにスタメンに復帰した。
 26日からの西武との2連戦は、重要な決戦になる筈だった。ここまで首位西武とは4ゲーム差り、連勝すれば一気に2ゲーム差まで詰めることができた。門田が2000本安打まであと2本に迫っていることもあり、大阪球場は3万1000人、3万人と連日満員になった。初戦には、満を持して藤本修が先発した。打撃陣も門田の22号弾などで4点を先制したが、リリーフの井上が8回に打球を受けて降板してしまった。ここで急遽登板した西川が大崩れして、結局5対9での敗戦となった。門田は4安打を放ち、通算安打を2002本としたが、報いられることはなかっや。なお、捕手の吉田も3安打を放ち打率を.294としていた。
 これ以上負けられない2日目にも、門田が爆発した。23、24号弾を放ち、打率も.339まであげた(トップの新井まで1分9厘差)。しかし先発の山内孝が早々と降板し、井上を投入して引き分けに持ち込むのがやっとだった。結局これで、西武との差は5ゲーム、2位阪急との差は2ゲームとなった。
 8月最後のカードは、近鉄との3連戦だった。まず28日には山内和が好投し、延長10回を6安打無失点に抑えた。その裏、代打香川がサヨナラ打を放ち、この接戦をものにした。29日にも加藤伸が好投した。井上とのリレーで近鉄を1点に抑え、4対1で快勝した。ただ、30日には不調の西川がつかまって、6対2で負けてしまった。

ここまでの成績は以下の通り

勝−敗−分 勝率
西武 52−37−11 .584
阪急 47−40−8 .540 4.0
南海 45−43−6 .511 2.5
日ハム 46−49−5 .484 2.5
ロッテ 38−43−12 .469 1.0
近鉄 39−55−4 .415 5.5

 西武はこの月、15勝6敗3分と快進撃し、ついに首位に進出した。秋山の8本塁打と安部の台頭以外、打撃陣は相変わらず精彩を欠いていた。復帰した辻も打率は1割台にとどまり、田辺に代わりショートに入った清家も同じく1割台だった。おまけに吉竹が打球を追い大腿骨を折ってしまった。しかし投手陣が頑張った。東尾(4勝1敗)、工藤(2勝0敗)、横田(2勝2敗)、復帰の郭(3勝0敗)らがほとんど点を取られず、抑えにまわった渡辺も1勝0敗3Sと活躍した。
 阪急はこの月、9勝11敗3分に終わり、ついに首位の座から転落した。4勝1敗の山沖以外、投手陣が壊滅状態だった。星野は0勝4敗、佐藤は0勝2敗で、抑えのアニマルも見切りをつけられた。ただ、今井が2勝0敗、山田も24日に先発に復帰して好投を続け、今後に期待を抱かせた。打撃陣ではブーマーが10本塁打と絶好調だったが、石嶺がスランプに陥っていた。
 日ハムは11勝10敗3分だった。田村を除いて打撃陣の調子は下がっており、エースの津野も1勝3敗、田中富も0勝2敗と冴えなかった。が、新人の西崎が5勝0敗(通算9勝、月間MVP)と躍進した。31日には勝ち星が阿波野と並び、新人王争いの本命に浮上した。
 ロッテは8勝8敗5分という星勘定に終った。前半に7勝2敗と勝ち進み、17日には5割に到達したが、後半に大負けしてしまった。腰の状態が良くなったリーが、3割以上の月間打率を残し、田野倉や斎藤も好調だったが、その他の打者は調子を落としていた。投手陣も、仁科や深沢を抹消して、小川や園川、伊藤優らの若手を積極的に起用したが、まだ一進一退の状況だった。
 近鉄はこの月、5勝17敗2分と大負けし、最下位が決定的となった。ここまで投手陣を支えてきた小野と阿波野が、共に夏バテで0勝3敗、小山も0勝3敗、佐々木も1勝3敗という惨状だった。頼みの打線も、首位打者に踊り出た新井を除いて、全般に不振に陥っていた。デービスは右足カカトに突き出た軟骨を切除するため、28日限りで戦列を離れた。村上、金村らの若手も打率が2割2分台という体たらくだった。

 南海はこの月、12勝8敗2分と好調で、久しぶりの貯金生活に入った。藤本修は3勝1敗(通算13勝)で、山沖と共にハーラーダービーのトップにあり、復調した山内孝も3勝1敗の成績を残した。山内和も2勝1敗で防御率のトップの座を狙い、井上も4セーブと好調だった。加藤伸も下旬にカーブのコントロールを取り戻した。田島、中条も、先発が崩れたゲームで持ち味を発揮し、ここに左腕の橋本も加わった。ただ西川だけが、背筋痛などで調子を落としていた。
 打撃陣では、門田の先発落ちが続いたが、復帰後は絶好調でこの月7本塁打、打率も.328(ベストテン3位)まで上げた。佐々木も打率.293(ベストテン9位)で、同じく打率.293の山田とのツープラトンは強力だった。吉田も好調で、打率を.290まで上げ、山内孝の専属となった香川と競っていた。ハモンドは全く戦力外だったが、デビッドは少しずつ数字を戻し、残留の目も出てきていた。中尾、小川が復帰した内野陣にも厚みが出、湯上谷は2番に定着していた。ただ、山本だけは高血圧もあって不調が長引いていた。


9月ー最後の見せ場

 9月1、2日のゲームで、阪急は西武に連勝してゲーム差を2.0に縮めた。この間、南海もロッテに連勝し、西武まで4.5ゲーム差に迫った。1日のゲームの主役は門田だった。この試合、藤本修が早々と降板し、2対3のまま最終回を迎えていた。ここで門田が牛島から逆転サヨナラ弾を放ったのである。勝ち星は井上に付いたが、中継ぎの中条と橋本の好投も光ったゲームだった。
 2日は打撃戦での圧勝だった。8、9号弾を放った香川は6打点、5打数4安打の門田は打率を.340とし、打撃ベストテンの2位に進出した。南海打線は13点を取り、リリーフで好投した田島が3勝目をあげた。
 さらに、西武と阪急が休みの3日にもロッテを破り、首位まで4ゲーム差とした。この試合、山内和がKOされて1対5とリードされたが、5回以後毎回得点で逆転した。7回には佐々木、湯上谷が連続バントヒットで巧みな攻めを見せ、最後は井上が締めたのだった。
 5日の日ハム戦では、藤本修が踏ん張った。が、打線が西崎を打てず、2対2の最終回に及川のスクイズでサヨナラ負けを喫してしまった。それでも西崎のライバル・阿波野が西武を抑えたので、西武とのゲーム差4.0は変わらなかった。
 続く6日にも、山内和が早々と日ハム打線に捉まった。が、7回にデビッドの16号などで6点を奪い、最後は井上が締めて12対8で打ち勝った。この日15、16号を放ったデビッドは6打点で打率も.259まで戻した。西武は近鉄と引き分けたため、ゲーム差は3.5となった。
 7日には西武、阪急は試合がなかったが、南海は日ハムに負けてしまった。このシーズン初先発になったかつての南海キラー・間柴に、3安打で完封されたのだった。これで西武とは4ゲーム差で、8日からの直接対決を迎えることになった。
 その初戦は、山内孝と工藤の対決となった。南海打線は4安打しか放てなかったが、山内孝も延長11回を7安打・無失点に切り抜け、試合は0対0での引き分けとなった。2戦目は田島と松沼兄が先発した。南海投手陣は田島ー中条ー井上と繋ぎ、西武打線を2安打に抑えたが、ブコビッチの1発で勝ち越されてしまった。打線は3試合連続で完封され、結局0対1での敗戦となった。これで優勝への夢は遠ざかってしまった。
 それでも10日の3戦目には藤本修が踏ん張った。佐々木が小野から先制10号を放ち、吉田博のタイムリーもあり5対2で勝利を収めた。藤本修は14勝目、井上は12セーブ目をあげた。この日、阪急は6連勝(1分を挟む)して、ついに西武に代わり首位に立った。この2チームが潰し合うなら、南海の優勝の可能性も僅かながら残ることになった。
 ところがこの後の11日のロッテ戦は、全くひどい試合になった。南海は吉田の3発(6、7、8号)を含む6本塁打を放ちながら、チーム記録タイの7失策を喫し、7対11での敗戦となった。湯上谷は4安打、2失策と1人で試合を掻き回した。更に13日の同カードも2対4と競り負けた。この間西武は阪急に連勝し、1.5ゲーム差で首位に立ち、南海とは6ゲーム差となり自力優勝が消滅した。
 それでもファンは、直接対決に最後の期待をかけた。15日からの大阪球場での西武3連戦には、平日ながら計6万2000人の観衆が集まった。が、結局南海は1つも勝つことはできなかった。第1戦では、加藤伸が西武打線を1点に押さえていたが、終盤に3番手の田島が打たれて2対5で負けてしまった。第2戦は2対3で迎えた7回に、藤本修がブコビッチに2ランを打たれて突き放された。終わってみれば4対5での惜敗である。第3戦は、このところ好調の橋本を先発させたが、3回途中でKOされ、試合は1対13での大敗となった。
 気がつけば借金1、日ハムに抜かれて単独4位への転落となってしまった。また体調を崩した(高血圧)山本は、17日の試合途中で退場し、これ以後出場することはなかった。
 19日の近鉄戦は6対6で引き分け、この日敗れた日ハムとは0.5ゲーム差となった。20日の同カードは山内孝ー藤本修のリレーで3対4と競り勝ち、チーム10日ぶりの勝ち星となった。この試合で、香川は10、11号弾を放った。
 22、23日は、西武の優勝阻止に最後の踏ん張りを見せていた阪急との対戦だった。その初戦は加藤伸と山沖の投げ合いとなったが、福良のサヨナラ安打で1対2と惜敗した。山沖は16勝目をあげ、最多勝を争う藤本修との差を2に広げた。2戦目は橋本が2度目の先発をしたが5回で降板した。打線は山田に2点に抑えられ、5ヶ月ぶりの完投勝利を許した。
 27日は1ゲーム差の日ハムとの直接対決の日だった。が、山内和が6回に突如崩れ、2対5での敗戦となった。29日にも、孤軍奮闘中の阪急・山沖に抑えられ、2対6で敗れてしまった。
 9月最後の試合・30日の阪急戦では、加藤伸―中条―田島―井上と繋ぎ、4対2で久々に快勝した。この日阪急が負けたことで、西武にはマジック9が点灯した。

ここまでの成績は以下の通り

勝ー敗ー分 勝率
西武 62−42−14 .596
阪急 60−47−10 .561 3.5
日ハム 55−54ー7 .505 6.0
南海 52−55−8 .486 2.0
ロッテ 44ー57−14 .436 5.0
近鉄 46ー64ー7 .418 2.5

 西武はこの月、10勝5敗3分で、ついに阪急を振り切ってマジックナンバーを点灯させた。月初めには1勝4敗と苦戦したがその後はほとんど負けなしだった。打撃陣は相変わらず打てなかったが、清原とブコビッチが5本塁打を放ち低打率を補った。投手陣では、ベテランの東尾と復帰した松沼兄が3勝0敗の好成績を収めた。
 阪急はこの月、13勝7敗2分だった。前半6連勝で9月10日には首位に立ったが、後が続かなかった。山沖が中2日、3日で大車輪の活躍を見せ(5勝1敗、月間MVP)、打撃陣ではブーマー(12本塁打)、石嶺(10本塁打)が爆発したが、佐藤(0勝1敗2S)・山田(2勝1敗)・今井(1勝1敗)らに往年の力がなくなっていた。
 日ハムはこの月、9勝5敗2分と勝ち越し、3位に浮上した。古屋が5本塁打を放った以外、打撃陣の調子はよくなかったが、西崎(4勝0敗)の好調が続いていた。またベテランの間柴が復活し、南海戦を中心に3勝0敗の成績をあげた。
 ロッテはこの月、6勝14敗2分と大敗した。打撃陣が長打どころか短打も打てなくなり、投手陣もコマ不足が顕著になっていた。荘(2勝0敗)、園川(2勝2敗)がかろうじて踏ん張ったが、仁科(0勝3敗)、小川(0勝3敗)、村田(0勝2敗)の惨状に加え、抑えの牛島もリリーフで2敗を喫していた。
 近鉄はこの月、7勝9敗3分と相変わらずパッとしなかった。阿波野が3勝1敗と不調を脱し、新井がますます好調で首位打者を守ったが、それ以外には明るい話題は少なかった。デービスも右足踵痛で帰国し、あとは個人タイトルだけというムードになっていた。

 南海はこの月、7勝12敗2分と負け越し、Bクラスに滑り落ちた。井上が3勝0敗2Sと好調で、加藤伸も好投を続けたがツキがなく1勝2敗に終わった。藤本修もリリーフにまわされるなどして1勝2敗1Sの成績に終わり、最多勝争いから脱落した。山内孝も不調気味で1勝2敗、山内和は出れば打たれるで0勝2敗に終わった。また肋骨を痛めた西川に代わり、橋本の先発入りが期待されたが、チャンスを生かせず0勝2敗に終わった。また、中条も疲労のせいか打たれることが多くなった。
 打撃陣にもキレがなくなっていた。高血圧の山本が離脱し、高柳のスタメンが増えたが結果を残せなかった。残留をかけた両外国人がわずかに打率を上げたが、それはあまりに寂しい「奮闘」だった。


10月ー宿敵は日ハム

 優勝の夢が絶たれた南海にとって、最後の目標は10年ぶりのAクラスになることだった。ライバルの日ハムには2ゲーム差をつけられていたが、試合数も多く残っており(15試合)、まだまだチャンスはあった。
 日ハムが1日の西武戦に大勝すると、南海も2日のロッテ戦で競り勝ち、このゲーム差を守った。この試合、藤本修が完封で15勝目をあげ、門田は28、29号弾を放ち、全ての得点をたたき出した。3日の同カードも、山内和ー井上のリレーで5対4と競り勝った。山内和は9勝目、井上は14個目のセーブをあげた。この日、日ハムが負けたことから、ゲーム差は1に縮まった。
 4日には、山内孝が序盤で沈没し、その後追い上げたものの、最後は牛島に締められてしまった。が、日ハムも負けたのでゲーム差は変わらなかった。この試合、3安打の山田は打率を.289まで上げた。
 5日の近鉄戦は、橋本が3回目の先発に挑んだが、相変わらずの制球難で2回で降板、打線も阿波野に抑えられて1対3で敗れた。それでも6日の同カードでは、乱打戦を制して9対8で勝利を収めた。先発の加藤伸は不調だったが、田島が後続を抑え、加藤秀の8、9号弾や相手の悪送球で勝ち越し点をあげた。日ハムが負けたためゲーム差は0.5となり、Aクラスは目前になった。なお、この試合で右田がライトで先発出場したがノーヒットに終わった。
 7日は近鉄・柳田の引退試合だった。ところが南海打線は、この柳田と後を継いだ村田を打てなかった。7回まで完封していた藤本修も、8回に2点をとられ、9回に香川のスクイズで引き分けるのがやっとだった。そして阪急に勝った日ハムとの差は1ゲームに開いた。
 8日も山内和と山崎慎太郎が投げ合い、延長10回・1対1での引き分けとなった。山内和は12三振を奪ったが報われず、2桁勝利はお預けとなった。一方の日ハムは連勝し、ゲーム差は1.5になった。
 9日の阪急戦は、マジック1の西武の胴上げを阻止するべく山沖が登板し、南海は完封されてしまった。敗れた山内孝は14敗目、河埜は4安打を放ち打率を.314まであげたが、得点に絡むことはできなかった。この日、日ハムも負けたので1.5ゲーム差は変わらなかった。
 運命の日は10日だった。この日の阪急戦、南海は先制しながらも、抑えの井上がブーマーに満塁弾を食らい、7対9で敗れてしまった。一方の日ハムはロッテに快勝し、ゲーム差は2.5に開いたのだった。この日、近鉄を下した西武は、3年連続のリーグ優勝を果たした。
 11日の近鉄戦は、田島、森浩之のドラフト1、2位コンビがバッテリーを組んだ。初回に門田が30号弾を放ち、8回まで2対1でリードしていたが、ここで田島が崩れ、2対7での敗戦となった。前日に井上が打たれたため、田島を引き摺ってしまったのだった。この日も勝った日ハムとは3.5ゲーム差。Aクラス入りは絶望的となった。
 12日の日ハムとの最終決戦には、満を持して藤本修が先発した。が、打線があまりにも湿っていた。佐藤誠一の前に、門田の31号による1点だけに抑えられ、1対3で敗れて4位が確定した。
 残りの消化ゲーム(4試合)では、藤本博がサードを任され、また山内孝・山内和が2桁勝利をかけて登板した。13日には、山内和が好投しながらもまたも敗れた。レフトに起用されたハモンドは、3安打を放ち残留をアピールした。15日には山内孝が完投し、ようやく10勝(14敗)目をあげた。16日は田島が2失点で完投したが、またもツキがなく1対2で敗れた。18日の最終戦では、完投した山内和が滑り込みで10勝目をあげた。勝ち越し打を放ったのは期待の藤本博であり、一応は「終わり良し」のゲームになった。またこれが加藤英の引退試合になり、南海の選手だけではなく、かつて在籍した阪急の選手からも胴上げされた。


最終成績は以下の通り

勝ー敗ー分 勝率
西武 71−45−14 .612
阪急 64−56−10 .533 8.0
日ハム 63−60ー7 .512 2.0
南海 57−63−10 .475 4.5
ロッテ 51ー65−14 .440 4.0
近鉄 52ー69ー9 .430 1.5

 西武は最後に阪急を叩き続け、10月10日に3年連続の優勝を決めた。防御率1位の工藤(15勝4敗、2.41)、MVPの東尾(15勝9敗)、郭(13勝4敗)らが一発頼りの打線をカバーしての優勝だった。本塁打王の秋山(.262、43本)、2年目の清原(.259、29本)らは、終盤に成績を上げてこれを支えた。石毛、ブコビッチらは不調で、定まらない二遊間(辻、苫篠、田辺、清家)と共に苦戦の原因となった。
 阪急は、最多勝の山沖(19勝10敗)が踏ん張ったが、それ以外の投手が崩れてしまい、最後に西武に突き放された。特に山田(7勝7敗)は2桁勝利が17年連続で途絶え、佐藤(7勝8敗3S)、今井(4勝5敗)も力が落ちた。若手の星野(11勝12敗)、関口(5勝6敗)の成長はあったが、貯金をつくることはできなかった。打線は打点王のブーマー(.331、40本)、石嶺(.317、34本)が好調で、福本(.287)、熊野(.291)らもまずまずの成績を残した。が、ケガの松永はやや不調(.290、11本)で、蓑田(.241、13本)も衰えが顕著になった。
 日ハムは、西崎(15勝7敗)に支えられる形で後半に快進撃を続け、最後には阪急に2ゲーム差まで迫った。松浦(8勝5敗8S)も、リタイアした柴田に代わり抑え役を果たした。打撃陣ではブリューワ(.303、35本)や白井(.265、15本)が活躍したが、パットナム(.241、12本)は戦力にならなかった。
 ロッテは落合を放出した結果、長打の不足が決定的だった。頼みのリーも腰痛で不調(.272、9本)で、新4番を任された古川(.222、12本)も重圧に苦しんだ。投手陣も、園川(9勝9敗)が成長したが、ベテランとの切り替えはあまり進まなかった。抑えの牛島(2勝4敗24S)は活躍したが、そもそも勝ちゲームが少なかった。
 近鉄は中堅投手が総崩れとなり、全く誤算のシーズンとなった。石本(3勝6敗7S)、村田(4勝7敗1S)、佐々木(3勝8敗)、谷宏(4勝6敗)と躓く中で、阿波野(15勝12敗)の新人王だけが収穫だった。小野も夏場に崩れるパターンが変わらず、11勝11敗にとどまった。打撃陣は首位打者の新井(.366)以下、デービス(.337、16本)、オグリビー(.300、24本)などそれなりに強力で、鈴木(.261、21本)も台頭したが、噛み合わないことが多かった。

 南海は藤本修(15勝8敗2S)、佐々木(.288、11本)、井上(6勝2敗14S)らの成長、門田(.317、31本)の復活などで、9月前半まで優勝争いに加わる健闘を見せた。最後は息切れして4位に終わったが、観客動員は88.3万人(+46パーセント)と大きく上昇した。2人の外国人(デビッド、ハモンド)が戦力にならず、内野の守備も相変わらず悪かったが、確実に手ごたえを掴んだジーズンだったといえる。

個人成績は以下の通り


試合 打率ー本ー点 盗塁
佐々木 125 .288−11-15 15 急成長して打撃ベストテン9位に進出した
河埜 108 .312−5−27 内野の穴埋めをしながら108試合に出場。打撃も好調だった。
24 山本 104 .252−7−38 高血圧もあり不振だった。9月に途中退場して戦線離脱した。
門田 126 .317−31−69 復活の年。外野も30試合守った。
25 デビッド 124 .251−17−68 スタライクゾーンの迷いからスランプに陥った。
山村 100 .254−5−26 山田、高柳らと競合しながらレギュラーを確保した。
ハモンド 115 .274−9−29 長打がなく守備も悪かった。秋口にやや巻き返した。
吉田 98 .274−9−24 打撃好調でほぼ正捕手に定着した。
湯上谷 99 .237−5−25 14 遊撃、二塁を守ったが相変わらずエラーが多かった。
香川 88 .250−11−32 山内孝の専属捕手だったが、しばしば固め打ちをした。
岩木 20 .000−0−0 第3の捕手も出番はほとんどなかった。
加藤秀 110 .260−9−42 巧打で序盤に大活躍。が、次第に率を下げた。
定岡 35 .147−0−3 夏にはチーム構想から外れ、ファーム落ちした。
坂口 46 .188−0−4 ケガ人続出の春に遊撃を守った。
中尾 45 .125−0−0 腰痛もあり守備固めでも出番が減った。
森脇 91 .203−3−11 途中移籍し遊撃を任されたがあまりにも打てなかった。
小川 73 .199−0−7 腰痛で出番が減った。打撃も不振だった。
藤本博 26 .244ー0−3 少し出番が増えた。
山口裕 20 代走だけ。
高柳 81 .231−7−31 左殺しでまずまずの活躍だったが、86年の神通力はなかった。
山田 87 .278−2−11 左投手の時に先発するなどまずまずの成績を残した。
右田 37 .067−0−0 外野の守備固めなどで起用された。
試合 回数 勝ー敗ーS 防御率
7 藤本修 31 217 15−8−2 3.15 シュートを使うようになり絶好調。秋には一次リリーフにまわった。
8 山内和 31 207 10−11−0 3.22 シュートを覚えて復活。それでもツキがなく勝ち星は増えなかった。
15 山内孝 30 195.2 10−14ー0 4.19 例年の通り、安定して勝ち、安定して負けた。
西川 23 122.1 7−10−0 5.59 6月に4勝したが、肋骨の骨折などで8月にリタイアした。
加藤 14 78 4−5−0 3.23 7月の復帰後、次第に調子をとり戻した。
田島 30 85.2 3−7−0 3.99 中盤まで中継ぎ、終盤は先発したがツキがなく3勝どまり。
青山 19 25.1 0−2−0 3.55 常にブルペンに待機していたが、後半は不振だった。
中村 10 7.2 0−0−0 9.39 オープン戦では活躍したが、やはり球威不足だった。
橋本 16 33.1 0−3−0 4.05 8月に敗戦処理で好投、終盤に先発したが失敗続きだった。
矢野 32 44.2 0−0−0 3.43 中条に仕事を奪われ、目立たないシーズンだった。
中条 48 49.2 2−0−1 3.99 中継ぎで大活躍、終盤は調子を崩した。
井上 46 72.1 6−2−14 3.24 1年にわたりストッパーを務めあげた。




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