1987年の南海ホークス(前編)


ドラフト会議

 名門復活の期待を担って就任した杉浦監督だったが、1986年のシーズンは開幕から負けが込み、結局最下位に終わった。パ・リーグ全体の人気が、新入団の清原やアニマル、あるいは西武と近鉄のデッドヒートに支えられて急激に高まっただけに、この苦戦は寂しいことだった。
 秋季キャンプは10月27日から11月10日まで行われたが、それと併行してコーチ陣の改造も行われた。内野守備走塁コーチの森下整鎮は、改善されない内野守備の責任をとる形で解雇され、外野守備走塁コーチの寺岡孝は、大洋に引き抜かれた。彼らに代わって、桜井輝秀が守備走塁担当として昇格した。また1軍バッテリーコーチの柴田猛は2軍監督になり、2軍チーフの鈴木孝雄が1軍のバッテリーコーチになった。打撃コーチの藤原満はチーフになり、その後任には長池徳士が招聘された。11月14日に発表された新陣容は、打撃コーチ・長池、投手コーチ・中西、チーフ・藤原、守備走塁コーチ・桜井、バッテリーコーチ・鈴木、トレーニングコーチ・土手本というものだった。
 11月7日には、グッドウィンに代わる新外国人として、スティーブ・ハモンド(29歳)の入団が発表された。ハモンドは右投げ左打ちの中距離ヒッターで、3Aアイオワで3割3分を打っていた。この年は外野で60試合、三塁で45試合、捕手で15試合に出場しており、どこでも守れるといわれていた。一応三塁が予定されたが、香川が三塁を希望しており、状況によっては外野に回すこともできそうだった。
 この年のドラフト会議は、11月20日に行われた。その目玉となったのは、亜大の阿波野秀幸、近大の西岡剛、日本生命の田島俊雄、享栄高の近藤真一らの投手だった。即戦力投手が欲しい南海は、阿波野、西岡にも食指を伸ばしたが、結局田島を指名した。田島は140キロ台半ばの速球を誇る社会人No.1投手だった。同じく1位指名した阪急との競合になったが、当たりクジを引いたのは南海だった。
 田島は阪神を希望していたが、この指名を光栄だとコメントした。そして落合や清原と勝負したいと、早速入団に前向きな発言をした。また、2位以下は次のような指名となった。2位・森浩之(東洋大・捕手)3位・右田雅彦(NTT九州・外野手)4位・大塚賢一(習志野高・投手)。田島には契約金6500万円が支払われたが、これは南海としては異例の出費だった。このためか、5、6位指名は見送られた。
 なお、他球団の主な入団選手は以下の通り(青字は2002年現役)。ヤクルト(2位)土橋勝征、(3位)内藤尚行、(4位)飯田哲也、中日(1位)近藤真一、(2位)山崎武司、日ハム(1位)西崎幸広、大洋(1位)友利結、(4位)大野雄次、ロッテ(3位)青柳進、(4位)佐藤幸彦、阪神(1位)猪俣隆、(3位)八木裕、阪急(1位)高木晃次、(3位)中島聡、(4位)藤井康雄、巨人(1位)木田優夫、(3位)高田誠、(5位)勝呂博憲、(6位)緒方耕一、近鉄(1位)阿波野秀幸、(3位)真喜志康永、広島(3位)緒方孝市、西武(1位)森山良二。
 既にドラフト前に、藤田学、立石の引退と2軍コーチ就任が決まっていたが、森口、田村、鈴木にはトレード要員の通告が行われた。結局、森口は中日に、鈴木は阪神に金銭トレードされ、田村はロッテで打撃投手をすることになった。また巨人を自由契約になっていた加藤英司と、従前の1/3の年俸1500万円で契約した。加藤は既に38歳だったが、2000本安打まであと13本に迫っていた。阪神移籍の話もあったようだが、出場機会の多そうな南海を選んだのだろう。
 また11月25日には、巨人との間で岡本圭右(30歳)と橋本敬司(28歳)のトレードが成立した。橋本は、本格左腕として1985年までに5勝をあげたが、制球難で伸び悩んでいた。1986年にはついに1軍登板はゼロとなっていた。巨人としては、ワンポイント左腕としては角三男、木下智彦がおり、また若手の宮本和知の成長も見込めたので放出に抵抗がなかったのだろう。一方の岡本は、中軸を打つことが期待されながらも、足の故障で脱皮しきれなかった。この年も9月以後は1割台の低打率にあえいでいた。巨人としては、加藤英司が退団し左の代打が不足していたので、その後釜として目を付けたのだろう。
 こうして保有選手の人数が定まっていき、12月4日にはドラフト外で田尻一郎(19歳・久留米商・投手)、頓田国満(22歳・日立造船有明・外野手)の獲得が発表された。


池之上の退団

 南海は長らくオフになると捕手の獲得に躍起になっていた。このオフ、日ハムでは大宮龍男(32歳)が移籍を球団に直訴していた。田村の成長で39試合の出場にとどまったため、働き場を求めての訴えだった。この話は南海にも持ち込まれたようだが、今回は南海は了承しなかった。吉田、香川に加えて、ドラフト2位で全日本の主将だった森も獲得したので、不要と判断したのだろう。
 このような補強への消極的な姿勢は、池之上の自由契約にも現れていた。池之上は首脳陣の構想から外れ、この年は7試合の出場にとどまっていた。そして球団は、12月になって、年俸半減か引退かの選択を通告したのだった。交渉の末、池之上は自由契約を希望し、翌年の大洋の自主トレに参加することになった。そして大洋と正式契約を結んだ。前年(1985年)に3割を打った池之上をこのようにあっさりと追い出すのは、自ら選手層を薄くするようなものだった。
 また、外野手の吉沢俊幸も、12月17日になって任意引退を申し出た。前年まで在籍した阪急に、2軍外野守備走塁コーチとして迎えられたのだった。これで選手層はなお一層薄くなった。
 なおこのオフには、他にも暗いエピソードが幾つかあった。その1つは、畠山の自動車事故である。12月16日の事故で、運転していた畠山と同乗の西山が軽傷、木戸は左腕を骨折する重症を負った。しかも畠山は、寮生なので球団から自動車の運転が認められておらず、あまつさえ事故は門限後のことだった。これで木戸は全治まで練習生扱いとなり、畠山と西山は自主トレまで1ヶ月の謹慎をすることになった。
 また、香川が離婚していたことも明らかになり、翌1987年の1月7日に記者会見が行われた。香川の明るいイメージにもキズがついたことになる。


キャンプとオープン戦

 例年の如く、合同自主トレは1月17日に始まった。杉浦監督は香川に捕手復帰を命じ、一塁はデビッドと加藤英が、二塁は河埜と湯上谷と坂口が、三塁はハモンドと中尾と山村が、遊撃は定岡と小川が競い合うことになった。2月1日に中百舌鳥でのキャンプが始まり、これが8日には呉に移動した。新任の長池コーチは、佐々木、山口裕、湯上谷、岸川、藤本博、大塚義に1日1500スイングをノルマとして課した。杉浦監督も、練習メニューを打撃中心に組み、打撃のレベルアップを主眼とした。また、新外国人のハモンドは呉で合流し、初練習でシュアな打撃を見せた。16日のシート打撃の際にエラーをするなど、守備は安定しなかったが、全体としての評価はまずまずだった。
 キャンプ後半からの紅白戦で頭角を現したのが、テスト生あがりの西清孝だった。制球は悪かったが145キロに迫る速球を披露し、21日には6回を1安打に抑えた。西はこれが認められ、オープン戦でも優先的に登板の機会が与えられることになる。また、田嶋も通算10回で自責点2というまずまずの結果を残した。ただし、球の握りを見透かされる癖を指摘され、ノーワインドアップに変えることになった。この他、西川も4回を無安打に抑え、山内和も好投するなど、投手陣の仕上がりは順調だった。畠山も20日の紅白戦で、3イニングスまでは好投した。しかし4イニングス目にメロメロになり、復活というわけにはいかなかった。打撃陣では門田が元気で、22、24、25日に3試合連続アーチを放ち、3月1日には3打数3安打の数字を残した。また佐々木も、11試合で打率.371、1本塁打と成長のあとを見せた。
 3月10日のオープン戦の緒戦には、期待の西が登板した。西は5回を1失点に抑え、後を受けた山内和も4回1失点で、試合は5対2での快勝となった。ハモンドも4打数3安打で1本塁打、トップを打った佐々木も4打数2安打と期待に応えた。が、12日には、藤本修が2回で自責点5、移籍の橋本も2回で自責点3と崩れてしまった。それでも田嶋が3回を1安打無失点、前年の「秘密兵器」山川が2回を1安打無失点に抑えたのは収穫だった。14日には、先発の一角に食い込むことを期待して中条が先発した。しかし2回途中で自責点6という結果に終わった。
 15日には西がまた、5回まで無失点と好投した。しかし6回に秋山に3ランを浴びてしまった。救援で出た井上は、3回を無失点と好投した。16日には山内和が5回1失点と好投、山川も1回2/3を無安打に抑えた。しかし20日には、橋本、中条が制球力の不足をさらけ出し、山川も集中打を浴びてしまった。その代わり井上は2回無失点、畠山も1回を3人で片付ける好投を見せた。
 21日には、矢野、藤本修のリレーでヤクルトを完封し、門田も1号弾を放った。門田は11日の教育リーグでレフトを守り、左脚を痛めていたが、うまく調整できたようだった。しかし22日には、西が2回で自責点2と不調で、田嶋も2回1/3を自責点7と打ち込まれた。救いは、中条と畠山が短いイニングながら好投したことだった。25日は藤本修、井上、中村が好投し、打線も爆発して16点をとった。26日にも、調整が遅れていた西川が5回を1失点に抑え、矢野も好投した。しかし西が1回6失点と打ち込まれ、すぐに戦力になるわけではないことが明らかになった。
 28日にはスロー調整の山内孝が登板し、まずまずの仕上がりを見せた。中条も次第に調子を上げ、この試合でも2回を無失点に切り抜けた。次いで29日には山内和が、31日には藤本修が好投するなど、主力投手は順調に仕上がってきた。しかし4月1日には、西がまた痛打され、2回1/3で6失点を喫してしまった。それでも中村、畠山らは好投した。
 4月3日には、先発した中条が5回を1失点に抑え、井上も3回を無安打に抑えた。しかし、ここまで3試合で無失点と、復活の気配を見せていた畠山が、1回3失点と炎上した。4日には、山内孝が先発し、リリーフで加藤が初登板を果たした。しかし2/3回で3安打であり、肩痛からの完全復活とはならなかった。
 オープン戦の最後の試合となった5日には、山内和が6回を無失点に抑えた。これでオープン戦は9勝8敗1分で5位ということになった。山内和、藤本修、井上らの主力投手陣の仕上がりはよかった。また2年目の中村弘道が、5試合で8回1/3を投げ、自責点0で1軍入りをアピールした。が、西、山川、畠山らは結局力不足だった。加藤伸、西川が故障がちで、調整が遅れているのも気がかりな点だった。

予想された各チームの陣容は以下の通り

西武 阪急 近鉄
5石毛 8福本 4大石
7吉竹 4福良 8新井
8秋山 3ブーマー 3デービス
3清原 D石嶺 7オグリビー
9ブコビッチ 3松永 D栗橋
D金森 7熊野 9鈴木
2伊東 9蓑田 5金村
6田辺 2藤田 6真喜志
4行沢 6弓岡 2山下
東尾 山田 小野
渡辺 佐藤 村田
工藤 星野 阿波野
松沼弟 アニマル 石本

 優勝候補はやはり西武だった。渡辺、工藤、郭らの肩の調子がよく、東尾、松沼兄と揃えた先発投手は最強と見られた。ただ、抑え役は未確定だった。森山が肩痛のため松沼弟の起用が見込まれたが、これもいざとなれば渡辺や東尾を配置すれば済むことだった。打撃陣では、石毛をサードに、秋山をセンターにコンバートし、ショートには田辺を入れる新たな布陣が敷かれた。レフトには田尾とトレードした吉竹が入り、守備も鉄壁だった。ただ、セカンドの辻が右手の指を骨折し、当分出られそうにない点は誤算だった。
 阪急は白井(オープン戦防御率1.23)、古溝(2.16)などの若手投手が台頭し、高齢化した主力とうまく噛み合いそうだった。山沖も復活ムードであり、充分に優勝が狙えると見られた。山越、本西、藤井らの野手も即戦力になりそうだった。ただ不安なのは、オープン戦で4試合連続で抑えに失敗したアニマルと、肝炎で充分にキャンプをこなせなかった石嶺の調子だった。
 近鉄は大物大リーガーのオグリビーと、アマチュアNo.1投手と見られた阿波野を獲得した。一発のある鈴木貴久も成長し、レギュラーに食い込みそうだった。真喜志や山下も成長し、野手の層は厚くなった。ただ、小野や村田らの主力投手の調子が上がらなかった。抑えの石本が、酷使された影響からか精彩を欠いているのも気がかりだった。また、開幕直前に一時帰国した(すぐに復帰したが)オグリビーのやる気も懸念された。

ロッテ 日ハム 南海
5西村 8島田誠 8佐々木
4佐藤健 4白井一 4湯上谷
8横田 7ブリューワ 9山本
7古川 3パットナム 3デビッド
Dリー D津末 5ハモンド
9高沢 2田村 D門田
3愛甲 9二村 7山村
2袴田 6田中雄 2吉田
6水上 5高代 6小川
柴田 藤本修
村田 津野 山内孝
仁科 金沢 山内和
牛島 田中幸 井上

 ロッテは、落合と牛島、上川、平沼、桑田の大トレードで、機動力重視のチーム構成に切り替えようとしていた。オープン戦での打率.313、49盗塁は12球団1位であり、勝率もパリーグ1位で、かなりやれるのではないかと見られた。上川は肩を痛めて出遅れたが、若手の成長で野手の層も厚くなっていた。問題は先発投手の駒不足だった。
 日ハムは、オープン戦はパリーグの球団では最下位だった。新人の西崎を加え、投手陣は充実していたが、打線が全体に低迷していた。その上、古屋が右肩の脱臼でしばらく出場できず、得点力の不足が予想された。
 南海は、藤本修、山内和、井上らの調子がよく、投手陣はかなり整っていた。西川が故障がちで、加藤伸一の復帰にもメドが立っていなかったが、投手陣はまずまずだった。打撃陣も、佐々木が成長して1番に定着し、門田が6番に下がった分、重厚になっていた。香川、河埜、定岡、加藤英司らが控えにまわるのだから、厚みも程々についていたといえるだろう。スイッチをやめた湯上谷も、それなりに成長していた。それでも、一般には6位に予想されていた。豊田泰光氏などは、1位に予想した西武の戦力を44、5位の日ハムを29とした上で、南海を格段に低い22と評したほどだった。


4月ー善戦・2位

 開幕戦は4月10日だった。相手の阪急は佐藤義則を、南海は山内孝を先発させた。1回表、佐々木、湯上谷の短長打で、僅か2球で先制した南海は、門田の3ランもあり6対2とリードした。ところが8回から登板した井上が、9回裏に藤井の2塁打と2四球で2死満塁のピンチを迎えた。ここでブーマーに同点満塁弾を打たれ、試合は6対6の引き分けに終わった。9分9厘勝っていた試合をものにできず、なんとも悔いの残る内容だった。
 翌日は藤本修と山田の対決となったが、またもブーマーに3ランを打たれてしまった。試合は一方的になり、結局1対10での敗戦となった。南海の1点は佐々木のソロ本塁打である。さらに12日にも惜しい試合を落とした。山内和は阪急打線を1点に抑え、9回表に代打定岡のタイムリーが出て、試合は1対1のまま延長戦に突入した。10回表に代打加藤英の二塁打で勝ち越したが、その裏に松永の二塁打で逆転サヨナラ負けとなった。
 開幕カードを0勝2敗1分と負け越し、14日からは本拠地でロッテを迎えることになった。その初戦、先発の西川の出来は悪かった。が、7回に代打の定岡、高柳の活躍で逆転し、最後は井上を投入して競り勝った。この試合、デビッドは1、2号弾を放った。15日には、新人の田嶋が先発した。しかし失策もあり3回3失点(自責2)で降板、後を継いだ中条が好投したが、結局1対3で敗れた。翌16日には、山内孝がロッテを4安打で完封した。DHで先発した加藤英は決勝の1号弾を放ち、門田は志願してレフトで先発出場した。
 17日の日ハム戦にも、門田はレフトで先発した。2度目の登板となった藤本修が完投し、相手をハモンドのエラーによる2点に抑えた(自責0)。決勝点は6回の代打高柳の犠飛で、結局3対2での勝利だった。DHの加藤英はこの日もヒットを放ち、打率を6割とした。翌18日には門田はDHに戻り、レフトには河埜が入った。その門田は3、4号弾を放ち、代打加藤の決勝タイムリーで5対3と競り勝った。これで4勝3敗1分となり、貯金が1つできた。門田は翌19日にも5号を放ったが、この日は日ハムに終始先制され、2対6で敗れた。なおこの日、左ヒザを痛めた中尾がファーム落ちした。背中を痛めていた湯上谷も、それを試合中に再発させた(翌日登録抹消)。小川も腰を痛めており、内野の人手が足りなくなっていた。そのためしばらくの間、坂口がセカンドで先発することになった。
 22日の西武戦では、山内孝が好投した。8回を6安打という投球だったが、初回にハモンドがエラーした上、本塁への投球を怠り、余計な点を与えた。結果、1対2での敗戦となった。ハモンドの守備の拙さは目立っていたが、それが勝敗に直結したのは初めてだった。しかし23日には、門田の6号で先制し、藤本修が完投して、6対1と完勝した。
 門田は絶好調で、24日の近鉄戦でも7号弾を放った。この日南海は12点を取り、山内和は1失点で初勝利をあげた。さらに翌25日にも、門田は8号を放った。しかし西川が打ち込まれて、2対8で敗れた。なおこの日、田嶋が練習中にふざけていて、注意した中西コーチと衝突した。結局3日間の謹慎を言い渡され、登録も抹消されてしまった。
 28日からは、西武との3連戦だった。南海の意外な健闘に、大阪球場には3日間で6万5000人が訪れた。その緒戦には、山内孝が秋山に3ランを浴び、2対7で敗れた。しかし2戦目には、藤本修が西武打線を完封した。デビッドは連日の5号弾を放ち、3対0での勝利となった。さらに30日の第3戦でも、一進一退の攻防を征し、6対3で勝利を収めた。

ここまでの成績は以下の通り

勝−敗−分 勝率
阪急 11−5−1 .688
南海 8−7−1 .533 2.5
近鉄 8−7−0 .533
西武 7−9−0 .438 1.5
ロッテ 7−9−0 .438
日ハム 7−11−0 .389 1.0

 阪急は11勝5敗1分と、開幕ダッシュを果たした。石嶺が打率.441、6本塁打と絶好調で、熊野、ブーマー、藤田、福良、藤井らも打ちまくった。打撃陣で不調なのは弓岡ぐらいで、福本の右肩脱臼の穴を感じさせなかった。投手陣では、山田が3連勝で防御率1.88、山沖が2連勝、不安視されたアニマルも2勝0敗1分とそれなりの成績を残した。ただ、今井は打ち込まれてファーム落ちしてしまった。
 近鉄は8勝7敗と、まずまずの成績だった。佐々木の歯槽骨骨折、栗橋の左足負傷、オグリビーの不調(打率.255、0本塁打)などのマイナス要素があったが、新人の阿波野が救世主となった。3連勝で防御率は0.99(リーグトップ)であり、月間MVPを獲得した。またデービス、新井も3割を保ち、3年目の鈴木貴久は5本塁打を放った。
 西武は7勝9敗と苦戦した。清原が打率.212、秋山が.217、石毛が.200と、主力打者が軒並み低調だった。ブコビッチも打率こそ.250だったが、本塁打は1本しか打てなかった。ただ、ショートに抜擢された田辺は、.264と期待に応えていた。投手陣では、工藤が3連勝したが、東尾が1勝2敗、渡辺も1勝2敗と波に乗れなかった。松沼兄もヒジを痛めてファーム落ちしてしまった。
 ロッテも7勝9敗と苦戦した。リーが腰痛で不調(.214、1本)、4番に抜擢された古川も死球で右手首を骨折し、主軸が定まらなかった。横田、岡部、山本、水上、愛甲らはよく打ったが、なかなか得点に結び付かなかった。投手陣では、荘が2勝1敗(防御率1.82)、牛島が3セーブをあげたが、深沢や仁科が負け越した。
 日ハムも7勝11敗と大きく負け越した。ブリューワ、島田誠、田中雄らはよく打ったが、白井一、津末、二村、田村、高代らが全く打てなかった。抑えの田中幸も、早くも2敗を喫した(1勝2敗2S)。そんな中、勝ち星は1つだったが(1勝1敗)、新人の西崎が防御率2.45と好投して注目されだした。

 南海は8勝7敗1分と善戦した。原動力は、打率.359(2位)、8本(1位)の門田、打率.455の加藤英の両ベテランだった。2年目のデビッドも.290、5本とオープン戦以来好調だった。佐々木も1番で打率.297、吉田も.303という数字を残した。投手陣では、藤本修が3勝1敗と安定した成績を残した。山内孝も、不運続きで1勝(2敗)だったが、長いスランプを脱したようだった。また山内和も好調で、2勝1敗、防御率2.35の成績を残した。井上も、開幕戦では抑えに失敗したが、1勝0敗2Sの数字を残した。
 対して不調だったのは、4月28日までヒットを打てなかった香川、打率.130の河埜らだった。またハモンドは、打率こそ.300だったが、長打がなくエラーも多かった。サードの守備固めの中尾もリタイアし、湯上谷もケガをするなど、内野手の不足も目立ってきていた。また西川も、足の状態が悪く防御率7.47と不調だった。
 他に、目立たない点だが、中条が5試合で無失点、矢野が9回1/3を投げて自責点1と好投を続けていた。


5月ーつまずき

 5月はロッテとの3連戦で幕を開けた。その初戦、絶好調の門田は9号弾を放った。レフトの守備は負担になっていないようだった。ハモンドもようやく1、2号を放ち、この打撃戦を制した。この試合、3番手で投げた中条がプロ入り初勝利を収め、井上は3セーブ目をあげた。この日阪急が負けたため、南海は首位に1.5ゲーム差に迫ることになった。
 2戦目は、ファームで2試合連続完封勝ちを収め、1軍に昇格した山川が先発した。山川は速球を持ちながら、上で投げると制球が定まらずメロメロになることが多かったが、この日もそうだった。打者6人に3安打1四球で、1回途中でKOされた。それでも打撃陣が奮起し、一旦は5対6まで追い上げた。が、中村と西が打ち込まれ、結局5対11での大敗となった。3戦目は山内孝が1失点で完投し、2対1で競り勝った。
 この後、5日からの阪急との3連戦には、大阪球場に6万6000人の観客が詰めかけた。パリーグ人気は絶頂に達しようとしており、しかもこのカードは首位攻防戦でもあった。第1戦は藤本修と山沖が先発した。序盤から河埜や山本の長短打で加点し、南海が8対4で勝利した。河埜はセカンドに復帰して3安打の活躍で、打率を2割7分台にあげた。藤本修も完投で4勝目を収めた。これで阪急とのゲーム差は1となった。
 2戦目は山内和と白井が先発した。この試合に勝てば同率首位になる筈だったが、そううまくはいかなかった。山内和が立ち上がりから崩れ、2対8の完敗に終わった。それでも3戦目は、西川が阪急打線を1点に抑えて(自責0)快勝した。5番DHで出場した加藤英は、元同僚の山田から2号弾を放ったが、これが記念の2000本安打だった。6番レフトの門田も2安打を放ち、打率を3割9分まで上げた。
 9日の日ハム戦には山内和が先発した。山内は6回に突如崩れたが、後を井上がピシャリと抑えた。9回に加藤英のタイムリーで追いつき、結局5対5での引き分けとなった。この日の加藤は4安打で、打率は.419まで上がり、門田も2安打して.397まで上げた。この日阪急が負けたので、南海は首位に0.5ゲーム差まで迫った。
 しかし、首位に立てるだけの地力はまだついていなかった。10日には、山内孝が金沢と投げ合ったが、終盤に勝ち越し打を浴びた。結局1対5で敗れ、阪急との差は1ゲームに広がった。
 この後14日まで、悪天候もあって試合は行われなかった。その14日に、広島の森脇浩司(26歳)、永田利則(25歳)と、西山秀二(19歳)とのトレードが報じられた。中尾がヒザを痛めてファーム落ちしたままで、小川も腰と肩が悪く、ショートのスタメンには坂口が出ることが多くなっていた。湯上谷も12日にようやく復帰したばかりだった。森脇は広島ではほとんど守備要員だったが、この年はウエスタンで.313の成績を残していた。意外に打てるのではないかという期待もあり、交換トレードがなされたのである。ただ、入団2年目の西山を手放したのは、結果論となるがもったいなかった。
 15日の阪急戦には、4連勝中の藤本修が先発した。門田がDHに戻り、加藤英がレフトに入るという新たな布陣が敷かれた。が、藤本修が打ち込まれて2対9で敗れた。これで日ハムに抜かれて3位転落である。さらに16日にも西川が打ち込まれた。打線も佐藤義に完封されて完敗、勝率は5割に戻った。この試合、打率が1割台に落ちた坂口に代わり、久々に小川がショートでスタメン出場をした。が、ヒザを痛め、翌日に登録抹消となった。
 19日の西武戦には、森脇が初めてショートでスタメンを務めた。しかし渡辺を打てず、4対0で完封負けを喫した。これで4連敗、西武にも抜かれて4位転落である。20日にも郭に1点に抑えられた。好投していた山内和が、6回に秋山の2ランを浴び、結局1対5で敗れてしまった。
 さらに21日にも、秋山が3試合連続の本塁打を放ち、藤本修をKOした。セカンドの河埜は3失策、吉田も1失策といいところなく、ついに近鉄にも抜かれて5位転落となった。渡辺、郭、工藤とぶつけられては、勝機は乏しかった。
 一日置いて、23、24日は恒例の新潟遠征だった。その初戦は、前年までの長岡ではなく、柏崎で行われた。柏崎市民球場のこけら落としゲームである。雨のせいで試合開始はかなり遅れたが、なんとか整備が終わり、水島新司の始球式で幕開けした。しかし4対4のまま、7回終了時には日没が迫ってしまった。同球場はナイター設備がないため、8回1死の場面で21年ぶりのサスペンデッドゲームが宣告された。この試合の続きは、7月7日の試合前に行われることになり、公式記録へはその時点で加算されることになった。全ては、柏崎の観衆(1万2000人)に配慮した結果の措置だった。雨はこの後再び降り出し、翌日の新潟での試合は中止になった。
 次の試合は、3日置いた27日に行われた。相手は近鉄である。試合は打撃戦になったが、リリーフで出た藤本修が好投し、10対8で競り勝った。これは5月7日以来、20日ぶりの勝利だった。チームは近鉄を抜いて4位に浮上した。この試合、出遅れていた山田と高柳が初ホーマーを放った。さらに28日にも、山内和が近鉄打線を1点に抑え、6対1と快勝した。門田は11号弾を、佐々木は3号3ランを放った。
 29日の日ハム戦は、2対2のまま終盤勝負となったが、西川が崩れて敗れてしまった。この試合、アキレス腱の調子が悪い門田は欠場した。しかし30日の同カードでは、田島が完投で初勝利をあげた。門田も6回に代打で逆転3ランを放ち、これを援護した。また、レフトでスタメン出場の山村は、4安打を放ち打率を.414とした。
 31日の同カードは、藤本修が終盤に崩れ、4点差を追いつかれた。8回には青山がブリューワに14号弾を打たれ、7対8での敗戦となった。南海は4失策(デビッド3、湯上谷1)で、自責点以外に5点を献上していた。

ここまでの成績は以下の通り

勝ー敗ー分 勝率
阪急 20−13−3 .606
日ハム 21−17−2 .553 1.5
西武 19−17−3 .528 1.0
南海 15−17−2 .469 2.0
近鉄 14−19−2 .424 1.5
ロッテ 13−19−4 .406 0.5

 阪急はこの月9勝8敗2分と、4月の勢いはなくなった。石嶺は首位打者の座を守ったが、月間打率は3割を切り、本塁打も3本しか打てなかった。また、ブーマーも左太腿痛で絶不調、福良も手首を痛め、熊野、藤田らもスランプに陥った。蓑田の存在感も薄れていた。好調なのは松永と、5月半ばに復帰した福本ぐらいだった。このような打撃陣の不調もあり、山田は1勝3敗、星野は1勝2敗、山沖も2勝2敗という成績に終わった。ただ、佐藤だけは3勝1敗と好調だった。また、信頼を失っていたアニマルも、フォーム改造が実って2セーブをあげた。
 日ハムはこの月14勝6敗2分と大勝し、2位にまで進出した。その打の原動力は、月間MVPのブリューワとパットナムで、それぞれ8、7本塁打を放ち、打率もベストテン4、5位に進出した。また、5月6日に初勝利をあげたセットアッパーの松浦も、5連勝でこの進撃を支えた。柴田も0勝0敗5S、佐藤誠も3勝1敗、津野も2勝0敗で、打撃陣では白井一、古屋、津末らが好調だった。ただ、西崎はこの月は0勝2敗に甘んじた。
 西武は12勝8敗3分と、じわじわと上がってきた。打撃陣はまだ低迷気味だったが、秋山が11本塁打(通算15本)でホームランダービーのトップに立ち、伊東も打率を3割に乗せた。しかしマークされた清原は絶不調で、打率は2割そこそこに終わった。また、田辺はスパイクされて裂傷を負い、離脱を余儀なくされた。それでも、工藤が3勝1敗(通算6勝1敗、防御率は1.63で1位)、郭が4勝1敗、渡辺が3勝2敗(防御率6位)、東尾が2勝1敗(防御率3位)と、投手陣の奮闘でここまで挽回した。
 近鉄は6勝12敗2分と大きく負け越し、5位にまで転落した。抑えの石本が調子を崩し、0勝4敗2Sに終わったのが痛かった。これで近鉄の必勝パターンは崩れてしまった。阿波野も1勝3敗と星を伸ばせず、小野だけが2勝1敗と踏み止まった。打撃陣も、デービスが契約の不満からか怠慢プレイが目立つようになり、率を残した(.348で2位)ものの、長打がめっきりと減った。それでも、オグリビーと新井と合わせ、3人が打率ベストテンに入っていたのだが、栗橋はケガで不在、梨田は肩痛、羽田と淡口は不調と、それ以外のベテランの衰えが目立った。
 ロッテは6勝10敗4分と絶不調で、最下位に転落した。古川が不在のところに、リーが腰痛で不調、横田もスランプで、打線に軸がなくなってしまった。急遽、高沢や山本が4、5番に入ったが迫力不足だった。また西村や愛甲もケガで休みがちだった。この貧打のため、通算防御率2位の荘ですら2勝2敗に終わった。抑えの切り札・牛島も登板機会が少なく、この月は0勝1敗1Sだった。また、復活が期待された石川も、0勝2敗(通算1勝4敗)の成績にとどまった。

 南海はこの月、7勝10敗1分と負け越した。門田はこの月も3割を打ち(通算.340)、4本塁打(通算12本)、加藤英も3本塁打とチームを引っ張ったが、両外国人が不調だった。デビッドは1本塁打に終わり、ハモンドと共に打率も2割7分前後に落ちていた。デビッドの不調は、ストライクゾーンへの戸惑いにあったらしい。山本もまだ本塁打はゼロで、打率も.256と低迷していた(高血圧で体調が悪かった?)。これに対して好調だったのは、セカンドに復帰した河埜、打率4割の山村だった。
 投手陣は全般に好不調の波があり、山内孝は2勝2敗で、山内和と西川は1勝2敗、藤本修は1勝2敗1Sの成績に終わった。ただ、新人の田島が完投で初勝利をあげ、抑えの井上も、セーブこそ1つだったが調子をあげていた。


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