1986年の南海ホークス(前編)
杉浦監督の誕生
1985年のシーズンいっぱいで契約が切れる穴吹監督の後任について、川勝オーナーは9月22日に、OBの杉浦忠を起用することを明らかにした。杉浦は言わずと知れた南海の元・大エースである。マスコミは、穴吹のここまでの奮闘に同情するコメントを載せつつも、杉浦の起用には好意的だった。穴吹自身も、杉浦がきっと花を咲かせてくれるというエールを送った。
フロントは、新外国人の獲得にも逸早く乗り出した。ドイルは10月11日に登録を抹消されて、解雇が決定的だったが、ナイマンは終盤に打ち出したのでその去就は微妙だった。しかし同じ一塁手のデビッド・ホステトラー(29歳、3Aアイオワ)の獲得が決まったため、急遽退団が決まった。ナイマンはまがりなりにもチームの三冠王だったため、この仕打ちに怒りのコメントをぶつけた。が、ドイルの方は「よい結果を残せなかったのが残念」と言い残し、静かに帰国した。この時、選手会からは時計が贈られたという。
この後しばらくして、3Aタコマのダニ・グッドウィン(32歳)の入団も決まった。グッドウィンは5月にヒジを痛めて1カ月のブランクがあったが、この年はプレイング・コーチとして316打数で打率.291、12本、65打点を記録していた。1975〜1982年に通算252試合のメジャー出場を果たし、1979年には58試合で打率.289、5本塁打と、実力派の選手だった。ただ、守備はメジャー時代にはほとんどDHで、3Aでもたまに外野や一塁を守った程度だった。
一方のデビッドも、1981〜1984年に249試合のメジャー出場を果たした実力派だった。特に1982年には、レンジャーズのレギュラー一塁手として、113試合で打率.232、22本塁打の成績を残した。三振が多く(1983年に113個、1984年に103個)ポジションを若いオブライエンに取られたこともあり、日本への出稼ぎを決めたのだった。ちなみに1986年にはメジャー出場はなく、3Aで465打数、打率.257、29本、89打点という成績だった。シュアーなグッドウィンとバランスがとれた補強だったといえる。
11月4日からの秋季キャンプを前に、大急ぎで首脳の陣容も整えられた。ヘッドの藤原満は打撃コーチとして、またバッテリーコーチの柴田猛はそのまま留任したが、投手コーチには近鉄2軍の中西邦之が、内野守備走塁コーチには森下整鎮が、外野守備走塁コーチには寺岡孝が迎えられた。特に中西は、井本、久保、谷宏を育てた手腕が見込まれての起用だった。
秋季キャンプで杉浦は、「一丸となって優勝を目指そう」と訓示し、前日に結婚した立石を、予行演習だとして胴上げした。負け犬根性の払拭を狙ったのだろう。またキャンプの目玉として、香川の三塁コンバートを打ち出した。香川は捕手失格となっていたが、その打力を生かそうとしたものだった。小学校でショート、中学校でセカンドを守っていた香川は意外に器用で、このコンバートは成功しそうだった。またドイルが抜けたセカンドには、センターの河埜が復帰することになった。畠山も久々に登板し、湯上谷はスイッチに挑戦するなどキャンプは順調に進んだ。が、左足の亀裂骨折が判明した佐々木が参加できなかったのは痛かった。
さて、11月20日のドラフト会議の目玉は、なんといっても桑田真澄・清原和博のPLコンビだった。これとNTT関東の長富浩志、本田技研の伊東昭光がビッグ4と呼ばれた。南海は早くから清原指名を宣言していたが、清原はパ・リーグなら日本生命に進むと語っていた。マスコミは、南海は清原が取れなかったら斉藤学(青学大)か園川一美(日本大)にシフトすると報じていた。
この時のドラフトの結果は、周知のように桑田が「密約」で巨人に入り、清原が「涙の西武入り」を果たすものになった。南海は清原を抽選で外し、外れ1位として西川佳明(法大)を指名した。西川は81年のセンバツでPL学園高のエースとして優勝、法大では30勝をあげた技巧派左腕だった。本人は阪神入りを希望しており、阪神の2位指名が有力視されていただけに、この指名にはとまどったようである。しかしもともとプロ志望でもあり、25日には入団を内諾し、12月12日に契約金5500万円で交渉はまとまった。
2位以下の指名は次の通り。2位中村弘道(投手・拓銀)、3位広永益隆(投手・徳島商)、4位西山秀二(捕手・上宮高)、5位坂田和隆(投手・九産大)、6位安田秀之(外野手・亨栄高)。2位の中村はコントロールがよい実戦派の左腕で、3位の広永は打力を買っての指名だった。これ以外にドラフト外で、木戸賢永(捕手・津名高)、石川晄(内野手・日産サニー札幌)が入団した。この中で西山だけが2002年シーズンも現役である。
他球団の主な入団者は次の通り(青字は2002年現役)。巨人(1位)桑田真澄、(2位)広田浩章、阪神(1位)遠山昭治、(2位)中野佐資、中日(5位)前原博之、大洋(1位)中山裕章、(外)松本豊、広島(1位)長富浩志、(2位)高信二、ヤクルト(1位)伊東昭光、(2位)荒井幸雄、(4位)矢野和哉、(5位)山田勉、阪急(4位)本西厚博、日ハム(1位)広瀬哲朗、(3位)田中幸雄、ロッテ(2位)園川一美、(4位)古川慎一、西武(1位)清原和博、(6位)横田久則、近鉄(4位)池上誠一。
新井の放出
このオフは、球界全体をトレードの話が覆った。そのきっかけは、巨人の定岡正二が近鉄へのトレードを拒否して引退した事件にあった。これで淡口、有田、谷宏がトレード要員ということが明らかになり、そこから様々な憶測が飛び交った。南海関係では、巨人の中畑と山内孝徳のトレードというのが、まことしやかに報じられた。しかし杉浦の方針は、投手力の充実を優先させるものであり、この話は杉浦自身が否定した。
そして年内には、南海はロッテの田村勲(投手・28歳)、近鉄の中馬賢治(捕手・23歳)を金銭で獲得し、阪急の吉沢俊幸(外野手・31歳)と中出謙二(捕手・31歳)を交換するにとどめた。田村は通算6勝ではあったが、85年には14SPでイースタンの最優秀救援投手に輝いていた。また中馬は視力障害で1軍には出場できなかったが、回復を見込んで獲得したものだった。吉沢と交換した中出は、ほとんど戦力になっていなかったため、転機を与える意味で放出したのだろう。
しかし、香川を三塁手にした以上、南海の捕手はいかにも手薄になった。そこで阪神に山川猛(30歳)の譲渡を申し込んだ。山川は84年には114試合に出場していたが、85年には木戸と嶋田兄の台頭で第3の捕手に成り下がっていた。この交渉は長々と続いたが、結局阪神が了承せず流れてしまった。
もう1つ、南海のチーム構成上の問題は、外野手が余ることにあった。グッドウィンと山本のレギュラーは確定的であり、それならばあと1つの空きを、新井、山田、佐々木、岡本、山村、高柳で争うことになりそうだった。そこでフロントは、来シーズンに34歳を迎える新井宏昌を切る選択を下した。投手力の充実のため、近鉄の谷宏との交換を申し込んだのである。しかし谷は、85年は1勝に終わったとはいえ、84年には8勝をあげたエース候補だった。近鉄は放出を渋り、交渉は難航の末に1月10日になって山口哲治+金銭という形で妥結した。山口は近鉄の79、80年の優勝に抑え役で貢献したピッチャーだった。腰を痛めて3年間勝ち星がなかったが、まだ26歳と若く、復活の可能性はあると考えられたのだった。
キャンプとオープン戦
自主トレは1月16日から始まった。門田、山内孝、山内和、定岡、矢野は球団の費用で台湾でトレーニングする機会が与えられた。呉キャンプは2月5日から始まったが、台湾組は9日に合流し、デビッドとグッドウィンは7日に合流した。ここでグッドウィンが、与えられた背番号4を嫌ったことから、60本塁打に届けという意味で、デビッド(61番)門田(60番)グッドウィン(62番)の「60番トリオ」が編成されることになった。キャッチフレーズの「ジャスト・ナウ」と共に、これがこの年の南海の謳い文句となった。
キャンプは順調に進み、デビッドは長打力を、グッドウィンはミートの巧さを見せた。杉浦人気でキャンプの観客も多く、全般に仕上がりもよかった。最終日の3月2日には、1年目のフォームに戻した畠山がパーフェクな投球を見せ、杉浦はキャンプは90点に近かったと総括した。
ところが、オープン戦ではなかなか勝てなかった。緒戦の近鉄戦(3月4日)には2年目の田口が先発し、3回まで無失点の投球を見せたが、試合には2対6で負けてしまった。翌日には坂田、山口が好投し、グッドウィンが1号弾を放ったが引き分けで、翌日も門田が本塁打を放ったが大敗した。畠山は制球が甘く5回2失点で、西川も1回5失点と打ち込まれた。
8日のヤクルト戦でも、グッドウィンと門田が2号弾を放ったが竹口がKOされてしまった。門田は翌9日にも3号弾を放ったが、藤田と畠山は打ち込まれた。坂田はこの日も好投したが、依然として勝ち星はなかった。
12日には大久保が好投し、13日にも田口がまずまずの仕上がりを見せたが、打線が沈黙してこれで6連敗となった。南海は、前年の終盤に10連敗したままシーズンを終えたが、それと合わせると16連敗ということになる。
ようやく連敗が止まったのは15日の中日戦だった。この試合、山内孝は5回を零封し、デビッドは3ランを放った。しかし翌日は5対7で負け、1勝7敗になってしまった。1日置いた18日には田口が打ち込まれたが、矢野の好投もあって6対4で勝った。20日には加藤、矢野が好投し、22日にも井上、藤本修が好投して3連勝となった。この間、グッドウィンとデビッドが3号弾を放ち、ようやく見られる成績になってきた。
25日には畠山が先発し、3回までは無失点だったが4回に痛打された。畠山はまだ完全復活というわけにはいかなかった。翌26日には山内和が6回無失点、29日には山内孝が7回3失点とまずまず好投した。藤本修も2回を無失点に切り抜けた。
最終戦は30日に行われたが、門田の6号などで打ち勝ち、結局オープン戦は6勝10敗1分ということになった。打率.375で6本塁打を放った門田は、「このまますぐ開幕を迎えたい」と語った。門田をはじめ、主力選手が中盤以降に好成績を収めたのがこの年の特徴だった。山本は.400で3本塁打、デビッドは.279で3本、グッドウィンは.228で3本と率は低かったが、12球団中で3位の打点をあげた。矢野の3Sというのも、1位タイの成績だった。
予想された各チームの陣容は以下の通り
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西武 |
|
|
阪急 |
|
|
ロッテ |
| 中 |
田尾 |
|
左 |
福本 |
|
二 |
西村 |
| 左 |
金森 |
|
遊 |
弓岡 |
|
右 |
横田 |
| 遊 |
石毛 |
|
右 |
蓑田 |
|
D |
リー |
| 右 |
ブコビッチ |
|
一 |
ブーマー |
|
一 |
落合 |
| D |
片平 |
|
三 |
松永 |
|
中 |
高沢 |
| 三 |
秋山 |
|
中 |
熊野 |
|
左 |
山本 |
| 一 |
清原 |
|
D |
石嶺 |
|
三 |
有藤 |
| 捕 |
伊東 |
|
捕 |
藤田 |
|
捕 |
袴田 |
| 二 |
辻 |
|
二 |
福原 |
|
遊 |
水上 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
東尾 |
|
|
山田 |
|
|
村田 |
|
松沼兄 |
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佐藤 |
|
|
仁科 |
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渡辺久 |
|
|
今井 |
|
|
荘 |
|
郭 |
|
|
アニマル |
|
|
土屋 |
西武は、長打のないスティーブに代えて、大リーガーのブコビッチを入れ、また新人の清原がスタメン入りする予定だった。打線はそれなりに充実していたが、問題は投手陣だった。前年に右肩を脱臼した東尾は万全でなく、森繁は手術で復帰のメドが立たず、肩を痛めた郭もどこまで投げられるかわからなかった。1位に予想する評論家は多かったが、この点が弱点と見られていた。
阪急は、抑えにアニマルを獲得し、これが切り札になる筈だった。若手の星野、ドラフト1位の石井宏もローテーション入りすると見られ、駒不足の投手陣が整えられたようだった。評論家の間でも、西武の対抗馬に予想する人が多かった。ただ、ブーマーが夫人のお産に立ち会うために来日が遅れ、キャンプなしで合流したのが不安な点ではあった。
ロッテは、なんだかんだと前年、前々年には2位であり、地力はあるものと考えられた。落合、リーを中心とした打高投低の布陣だったが、深沢や石川が復活すれば優勝争いに加わることも可能と考えられた。
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近鉄 |
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|
日ハム |
|
|
南海 |
| 二 |
大石 |
|
中 |
島田誠 |
|
中 |
山田 |
| 中 |
新井 |
|
遊 |
高代 |
|
遊 |
湯上谷 |
| D |
栗橋 |
|
右 |
ブリューワ |
|
左 |
グッドウィン |
| 一 |
デービス |
|
一 |
パットナム |
|
D |
門田 |
| 左 |
淡口 |
|
三 |
古屋 |
|
一 |
デビッド |
| 三 |
羽田 |
|
D |
津末 |
|
三 |
香川 |
| 右 |
バンブ |
|
左 |
二村 |
|
右 |
山本 |
| 捕 |
梨田 |
|
捕 |
田村 |
|
捕 |
吉田 |
| 遊 |
村上 |
|
二 |
白井 |
|
二 |
河埜 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
村田 |
|
|
柴田 |
|
|
山内孝 |
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小野 |
|
|
津野 |
|
|
山内和 |
|
佐々木 |
|
|
河野 |
|
|
加藤 |
|
石本 |
|
|
田中幸 |
|
|
矢野 |
近鉄は、新井や淡口を入れて、打線はますます強化された。しかし先発投手にメドが立たず、相変わらずの不安定な戦いが予想された。酷使された石本が2年続けて好投できるかも疑問視された。
日ハムは、新外国人のブリューワ、パットナムの評価が高かった。元エースの間柴や、木田とのトレードでやって来た金沢も戦力になりそうだった。とはいえ他の4球団に張り合う力はなく、Bクラスに予想する向きが強かった。
南海は、山内孝、山内和、加藤、藤本修、井上らの投手陣の踏ん張りに期待するしかなかった。前年は腱鞘炎だった山内和、故障明けだった井上、まだ成長途上の加藤と藤本修には、十分に成績の向上が期待できた。抑えに予定された矢野を含め、彼らがおしなべてオープン戦に好調だったことも明るい材料だった。開幕1軍に漏れた畠山や田口も、それなりの投球はできていたので、早いうちに合流できそうだった。ただ、ドラフト1位の西川がオープン戦でもぱっとしないままで、開幕1軍に入れなかったのは誤算だった。
打線は、香川のサードコンバートがうまくいき、新外国人もそれなりに期待できそうだった。38歳になる門田も好調で、前年は不振だった山本も調子がよかった。山田、湯上谷、佐々木らの若手も、順次スタメンに加わってくるものと考えられた。
それでも、一般には5、6位に予想されていた。
4月ー早くも最下位
4月4日の開幕戦は、西武との対決となった。先発は南海が山内孝、西武は東尾だった。山内孝の調子はまずまずだったが、配球を読まれて3本塁打を浴びた。南海も門田の本塁打などで追い上げたが、リリーフの小田、郭を打てず、4対5での惜敗となった。この試合、9回に代走で出た山口裕は盗塁を決めた。
翌5日には藤本修と渡辺が先発した。南海は河埜のタイムリーで先制し、グッドウィンのタイムリーで突き放し、藤本修が完投勝利を収めた(スコアは4対2)。この日がデビュー戦となった西武の清原は、初打席で四球を選び、9回の2打席目でプロ初ホーマーを放った。なお、代走で出た山口裕は、この試合でも盗塁を決めた。
3戦目は山内和と松沼弟の対決となった。デビッドの1号が出たが、山内和が5回に崩れ、後は大久保らが打ち込まれて3対14での大敗となった。清原はこの試合でも2打席2安打で、南海は引き立て役になった。
8日の大阪球場での開幕カードには、加藤が先発した。しかし加藤は、1回を投げ終わったところでヒジ痛で降板した。このため一時は5点差をつけられたが、中条や矢野の好投と、門田、デビッドの2号で引き分けに持ち込むことができた。山口裕は代走だけで早くも3盗塁目をあげた。
ここまでは西武、阪急を相手に1勝2敗1分だったので、まずまずの善戦だったといえるが、南海はこの後しばらく勝つことができなくなってしまった。10日には山内孝が佐藤に投げ負け、12日にも山内和が序盤でKOされた。さらに13日には、中条、矢野の好リリーフとデビッドの3号などで近鉄を追い上げたが、石本を打てず1点差で敗れた。15日には、それまで未勝利だったロッテが勝ち、南海は勝率で抜かれて最下位に転落した。
16日にも藤本修が打ち込まれたが、矢野らの好投と門田の3号で1点差まで追い上げた。しかし暴走した湯上谷が憤死し、追いつくことはできなかった。しかもずっと2番を打っていた山田が、死球で右手親指を骨折し、離脱してしまった。これで1勝6敗1分、うち3戦は1点差負けである。トップの山本、3番のデビッド、4番の門田らはまずまず打っていたが、後の打者が打てなさすぎた。期待の香川は.133の低打率にあえぎ、湯上谷も無安打で、ショートを小川に明け渡していた。
南海の2勝目は、17日の阪急戦だった。小刻みな投手リレーと、山本、グッドウィンの2号弾などで接戦を制した。リリーフで初登板した西川に、初の白星が付いた。しかし肝心の山内孝が勝てなかった。19日の日ハム戦でも、9回の3点でとどめを刺され、山内孝は3連敗となった。一方で山内和は、腰を痛めてローテーションを外されてしまった。加藤も不在であり、早くも投手陣は火の車になった。
20日には井上が好投したが、南海キラーの間柴が復活の完投勝ちを収め、1対3で負けてしまった。さらに23日には藤本修が序盤でKOされた。24日には中4日の山内孝が好投し、ロッテ打線を5安打に抑えたが、打線が仁科に沈黙した。これで山内孝は4連敗となった。
久々の勝利は25日の日ハム戦だった。山本、小川が初回に連続アーチをかけ、門田の4号や井上の好投もあってようやく3勝目をあげた。しかし26日には、復帰した山内和が好投したものの、打線が金沢に完封されて勝つことはできなかった。さらに27日にも藤本修が2回でKOされた。
29日には西川が初めて先発し、東尾と投げ合って延長10回を1対1で引き分けた。30日には、2対2の同点からデビッドのサヨナラヒットが生まれ、ようやく山内孝が初勝利をあげた。
ここまでの成績は以下の通り
|
|
勝ー敗ーS |
率 |
差 |
| 1 |
近鉄 |
12−5−1 |
.706 |
− |
| 2 |
日ハム |
13−6−0 |
.684 |
0.0 |
| 3 |
阪急 |
8−7−1 |
.533 |
3.0 |
| 4 |
西武 |
8−9−1 |
.471 |
1.0 |
| 5 |
ロッテ |
4−10−1 |
.286 |
2.5 |
| 6 |
南海 |
4−12−2 |
.250 |
1.0 |
近鉄はオープン戦の好調さをそのまま持ち込み、12勝5敗1分でトップに立った。リリーフの石本が1勝1敗5Sと大車輪の活躍を見せ、村田辰美が4勝1敗で月間MVP、佐々木が3勝0敗、小野が3勝1敗と、課題だった先発陣が整った。序盤、捕手の梨田が肩を痛めてリタイアしたが、若手の山下が穴を埋めた。また、膝を痛めた羽田に代わり金村がサードを務めるなど、世代交代も順調に進んでいた。デービス(7本)と村上(6本)は本塁打レースの1、2位に進出し、共に打率も3割をキープした。ベテランの栗橋も3割を打っていた。
日ハムも13勝6敗と大勝した。4勝1敗の柴田をはじめ、金沢(2勝1敗)、津野(2勝1敗)、間柴(2勝0敗)と先発が揃い、中継ぎの岡部(2勝0敗1S)も復活し、田中幸(0勝0敗5S)が抑えに定着した。新外国人のブリューワ、パットナムが3割を打ち、津末や田村も好調だった。「春の椿事」とは言わせないまでに戦力は整っていた。
阪急は8勝7敗1分と、前評判ほどには勝てなかった。山田(2勝2敗)、佐藤(2勝1敗)、今井(1勝1敗)で貯金を稼げなかったためだが、抑えのアニマル(1勝0敗4S)のパフォーマンスで観客は信じられない程に増えた。また星野(1勝1敗)がローテーションに入ったことも収穫だった。打線では、ブーマーが首位打者を独走し、蓑田も3割5分台の高打率を残した。しかしその蓑田は、30日に自打球で骨折してしまった。
西武は8勝9敗1分と苦戦していた。東尾(2勝2敗)、渡辺(2勝2敗)で貯金できず、松沼兄(0勝2敗)は不調でファーム落ちした。松沼弟(2勝1敗)、郭(0勝1敗3S)は復活したが、チームとしてはまだ勢いに乗れていなかった。打線では、ブコビッチ、秋山、片平の中軸は3割を打ったが、新人の清原はまだ2割3分程度しか打てなかった。それでも、清原を見ようという観客が増え、リーグ全体が随分と活性化された。
ロッテは4勝10敗1分と大きく負け越した。復活2年目の村田兆治が、好調のあまり真っ向勝負にこだわって3連敗したのが痛かった。勝ちを収めたのは荘(2勝0敗)、仁科(2勝2敗)だけで、石川は0勝2敗と相変わらず苦戦していた。打線では、打率4割の西村以下、横田、リー、高沢は打ちまくったが、落合が2割2分台の低打率にあえいでいた。ショートの水上、サードの有藤も1割台の打率しか残せなかった。
南海も4勝12敗2分と大きく負け越した。エースの山内孝はそれなりの投球をしたが、あと一歩のところでホームランを浴びるパターンが続き、1勝4敗と出遅れた。また山内和も腰痛もあり0勝3敗という結果に終わった。藤本修も1勝3敗と不調で、加藤は右ヒジを痛めてリタイアしてしまった。
比較的好調だったのは井上で、1勝2敗と負け越したが内容はよかった。また、中条(0勝0敗1S)矢野(0勝0敗1S)も調子がよく、新人の西川も今後を期待させる投球を見せた。
打線では、期待の香川、湯上谷が1割台の低打率に沈んでいた。池之上もファーム落ちしたので、サードには山村が入ることが多くなった。またショートには小川が復帰し、3割7分台の打率で打撃ベストテンの4位に進出した。山本(.300)門田(.303)デビッド(.295)グッドウィン(.274)らの中軸はまずまずの成績だったが、下位打線があまりにも打てなかった。山田の負傷で空いたセンターには、登録されたばかりの佐々木が入ったり(4月29日)、初スタメンの山口裕が入ったりした(4月30日)。山口裕は代走だけで6盗塁を決めていたが、打撃には期待できなかった。
5月ー最下位を独走
5月1日の西武戦には、デビッドの4、5号などが出て6対4と競り勝った。肩に不安のなくなった中条、シンカーを覚えた青山ら中継ぎ陣も無失点で勝利に貢献した。この日ロッテが負けたために、南海は5位に浮上した。4日の近鉄戦では井上がKOされて大敗したが、5日には西川が好投した。近鉄を4安打で完封したが、これは南海の左腕としては8年ぶりの快挙となった。西川はこれで防御率0.46で、投手成績のトップに踊り出た。
7日には山内孝がまたも打ち込まれた。門田と山本の5号弾などで追い上げたが及ばず、これで山内孝は1勝5敗となった。翌8日には山内和がロッテを1点に抑え、初勝利をあげた。山内和は腰痛が治り、本来の調子を取り戻していた。この試合の決勝点は代打岡本の本塁打だった。
9日の阪急戦では、藤本修が久々に好投した。しかし、ここまで踏ん張ってきた中継ぎの青山が、石嶺に逆転3ランを浴びてしまった。なんともちぐはぐな展開である。10日には佐藤に完封で敗れ、チームは再び最下位に転落した。この日、右足を痛めていたグッドウィン(ここまで打率.294)は登録抹消になってしまった。
11日には期待の西川が登板したが、阪急の一発攻勢で敗れた。13日にも、完投目前の山内孝が秋山に満塁弾を浴びて敗れた。これでチームは4連敗である。15日にも藤本修がKOされ西武に大敗した。17日には山内和が荘に投げ負けて6連敗となった。
18日には西川が好投したが、最後に小川が悪送球をして2対3で敗れた。20日にも間柴に捻られて2対4での惜敗である。ようやく連敗が止まったのは21日の日ハム戦だった。門田の7、8号、デビッドの8号弾などの援護もあり、8対6と打ち勝ち、完投の山内孝は2勝目をあげた。さらに翌22日にも山内和が完投して5対2で勝った。
24日の近鉄戦は5回コールドで引き分けたが、25日にはまたも西川を見殺しにした。打線が柳田、石本に抑えられ、2対4での惜敗である。さらに27日にも、3対5で阪急に競り負け、山内孝は7敗目を喫した。この日、打撃不振(.122)の香川はファーム落ちとなった。
28日にも、山内和が好投したが、最後にブーマーに逆転サヨナラ弾を浴びて負けてしまった。31日にも、西川が8回に逆転弾を浴び、1点差で敗れた。
ここまでの成績は以下の通り
|
|
勝ー敗ーS |
率 |
差 |
| 1 |
阪急 |
22−14−2 |
.611 |
− |
| 1 |
近鉄 |
22−14−2 |
.611 |
0 |
| 3 |
日ハム |
22−17−2 |
.564 |
1.5 |
| 4 |
西武 |
18−20−1 |
.474 |
3.5 |
| 5 |
ロッテ |
15−17−2 |
.469 |
0 |
| 6 |
南海 |
9−26−3 |
.257 |
7.5 |
阪急はこの月、14勝7敗1分と好調で、同率首位に踊り出た。佐藤が2勝後にヒジを痛めて離脱したが、山田が4勝1敗、星野が4勝1敗、アニマルが無傷の6セーブの好成績をあげた。打撃陣では、ブーマーが首位打者の座を守り、石嶺も.348まで率をあげ、4番に定着した。不調の弓岡に代わり、2番には福良が現れ、藤田も不振を脱して本塁打を量産していた。蓑田のケガは長引きそうだったが、その穴を感じさせずチームは好調だった。
近鉄はこの月、10勝9敗1分だった。デービスは本塁打王の座を保ったが、打撃陣が軒並み調子を落としていた。4月に絶好調だった村田、佐々木、小野もそれぞれ1勝3敗、1勝3敗、1勝2敗と負け越した。ただ、ヒジ痛から復活の柳田が4勝0敗と救世主的な働きをした。石本も無傷の4セーブをあげた。
日ハムはこの月、9勝11敗2分と負け越した。柴田は絶好調で、この月も4連勝で通算8勝1敗、田中幸も0勝1敗6S、川原も2勝0敗と活躍したが、金沢(1勝3敗)、津野(0勝2敗)、河野(0勝2敗)で貯金を吐き出した。打撃陣ではブリューワ、パットナム、津末、田村らがよく打ったが、島田誠、高代をはじめ調子が上がらない選手も多かった。
西武はこの月、10勝11敗と、依然として波に乗れなかった。柱になるべき東尾が2勝3敗、松沼兄に至っては0勝2敗(通算0勝4敗)でファームに落ちてしまった。ただ、渡辺が3勝1敗、工藤が2勝0敗とじわじわと調子をあげていた。注目の清原は通算3割まで率をあげるなど(この月.324)、秋山と共に好調だった。片平、辻、ブコビッチらもまずまずの数字を残したが、石毛と田尾は不調だった。
ロッテは11勝7敗1分と、急速に調子を取り戻していた。荘が3勝1敗、土屋が2勝0敗で、村田も25日に初勝利をあげた。4月に2割2分台だった落合は、この月打率.429で月間MVPを獲得、打撃ベストテンには横田、落合、西村、リーが入っていた。腰痛の山本、不振の有藤は休みがちになったが、代わって佐藤健一や古川が活躍していた。
南海は5勝14敗1分と、2ヶ月続けて大きく負け越した。勝ったのは山内和(2勝)、山内孝、西川、矢野(1勝ずつ)という惨状で、早くも最下位は決定的になった。山内孝はそこそこに好投するのだが、一発で沈むパターンが多かった。西川も好投のわりに見殺しにされるケースが多かった。この惨状に、パ・リーグ全体の熱気とは逆に、観客は前年同時期に比べて30パーセントも減っていた。
打撃陣では、小川(.288)山本(.298)門田(.306)デビッド(.296)と続く中軸はともかく、あとがさっぱり打てなかった。グッドウィンが離脱した外野には、佐々木(.174)山口裕(.200)を使わざるを得ず、香川がファーム落ちした三塁は、守備の悪い山村で埋めざるを得なかった。二塁の河埜も不調、代役の定岡も1割台の低打率にあえいでいた。捕手の吉田も、.153と全くの不振だった。
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