藤田学の大洋トレード不成立の件

 1983年のオフ、南海は大洋に対し藤田学投手(28歳)と高浦美佐緒捕手(31歳)のトレードを申し込んだ。南海としては、香川(22歳)の捕手としての力量を不安視しており、しかもこれに代わるべき岩木(29歳)、吉田(23歳)は打力が弱かった。当時大洋は捕手が余っており、南海の目の付け方は妥当なものに思われた。が、結局この件はまとまらず、若手投手とのトレード話に移行した。ここではこの件について少し補足してみる。

大洋の捕手事情

 大洋では70年代後半から、強肩で打力もある福島久晃が正捕手として君臨してきた(ちなみにプロゴルファーの福島晃子はその娘)。第2捕手としては、辻恭彦というベテランがいた。さらに82年には、日ハムからベテランの加藤俊夫がやってきた。加藤も77年にはベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝いた名捕手である。さらに83年には、西武から吉本博が移籍した。吉本も外野にコンバートされていたとはいえ、草創期の西武で正捕手の座を大石と争ったことがあった。さらに83年のシーズン途中には、米国3Aから若菜が加入した。若菜も、クラウン、阪神でレギュラーを務めたことがあった。このような中で、福島の後の正捕手と見られていた高浦の立場は、急激に苦しいものになっていた。
 捕手のレギュラー争いについて表にまとめると、下のようになる。

81年 福島(34歳)106試、298打、.248−7
辻(39歳)54試、86打、.233−1
高浦(29歳)29試、28打、.143−0
82年 高浦(30歳)91試、151打、.172−0
福島(35歳)75試、142打、.197−6
辻(40歳)75試、118打、.195−3
加藤(34歳)42試、52打、.212−0
83年 辻(41歳)72試、132打、.205−3
加藤(35歳)67試、139打、.216−6
福島(36歳)54試、64打、.281−2
高浦(31歳)47試、85打、.247−3
若菜(30歳)28試、60打、.350−0
吉本(27歳)14試、12打、.083−0

 84年のシーズンでは、83年にしのぎを削ったこの6人が全員健在だった。結局、若菜が98試合に出てレギュラーの座を掴み、以後は若菜の時代が続くことになる。しかしまあ、これだけキャッチャーがいたのなら、南海が高浦の譲渡を要求した時に、別に拒否しなくてもよかったのではないかと思ってしまう。しかし、高浦の84年の成績は、8試合で14打数、打率.214、本塁打1だった。イースタンでも20試合で52打数、打率.231、本塁打0と打てなかった。移籍しても活躍は無理だったかもしれない。


若手投手たち

 高浦の放出を拒否された南海は、左腕の久保文雄投手(21歳)を要求し、大洋はこれも渋って堀井幹夫投手(25歳)か山口忠良投手(25歳)を交換要員とした。ただし、藤田学の高額な年棒をそのままにするわけにはいかないという条件も付けられた。この年棒の件に穴吹監督が納得せず、話は流れたのである。
 以下、名前が出た選手たちの成績について記しておく。

試合 回数 勝敗S 防御率
藤田学 81年 29 213.1 13−11−0 3.68
82年 25 115.1 6−8−0 5.24
83年 12 54.2 2−6−0 6.26
久保 81年 0−0−0 0.00
82年 7.2 0−0−0 13.50
83年 23 24.1 0−1−0 5.55
堀井 81年 6.2 0−0−0 5.14
82年 11.1 0−1−0 3.27
83年 13 21.1 0−1−0 3.80
山口 81年
82年 17 21.2 0−0−0 2.05
83年 14 20.2 1−0−0 3.05

 パッと見、1対1でも藤田学の放出はもったいないように見えるが、それに乗らなかった大洋側が賢かったかといえばそうでもない。大洋側の3人のうち、堀井は85年には40試合で5勝、86年には47試合で7勝2Sと飛躍したが、球団は彼の放出を認めていたのである。逆に南海は、思い切って交換するべきだったことになる(後知恵だが)。



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