1985年の南海ホークス(後編)


6月ー正念場

 6月は日ハムとの3連戦で始まった。その初戦、先発の山内和は調子があがらず3失点で降板し、翌日は藤本修が9回に崩れた。救援の矢野も大崩れして連敗し、チームは5位に転落した。3戦目は加藤が1失点で完投し、連敗を4で止めた。しかし翌4日の近鉄戦は、山内孝が完投したものの2つのエラーで引き分けに終わってしまった。5日には矢野が打たれたが、なんとか1点差で近鉄を下した。
 この後、またも長いトンネルが訪れてしまう。6日には矢野が大石に3ランを打たれて逆転負け、8日には藤本修が好投したが、終盤に逆転されてしまった。リリーフの矢野に安定感がなくなったので、続投せざるを得なかったのである。門田は連日本塁打を放ったが、それも実らなかった。さらに9日にも、今井を崩したものの打撃戦に敗れ3連敗となった。ここで気分転換の意味もあってか、11日のロッテ戦には香川がマスクをかぶった。その香川は4号弾を放ったものの、山内和ー青井ー畠山と繋いだ投手が滅多打ちされ、4連敗で借金は8となった。さらに12日には、加藤が好投したが、打線が村田兆次の前に沈黙し、これでとうとう借金は9となった。Aクラスが絶望的になっただけでなく、最下位の日ハムも2ゲーム差に迫ってきていた。
 フロントもこの危機に慌しく動き、11日と13日には穴吹監督と意見交換がなされた。しかしそれも実らず、15日には打線が小山ー住友に完封され、好投の藤本修が見殺しとなり6連敗となった。
 ようやくトンネルを脱出したのは16日の近鉄戦だった。山内孝が完投し、山村の5号弾が決勝点となり、3−2で接戦をものにした。さらに17日には、加藤が近鉄を4安打に完封し、7勝目をあげた。これでチームも一息ついたようだったが、20日には藤本修が打たれ、打線も津野に完封されて連勝は止まった。22日には山内孝がロッテ打線を抑え、定岡が仁科から3ランを放ち、4−3で競り勝った。
 このように、山内孝と加藤は奮闘していたが、腱鞘炎の山内和の調子は一向にあがらなかった。23日にもあっけなくKOされ、チームに貢献することはできなかった。藤本修も好不調の波が大きく、26日には2回にKOされた。腰痛から復帰していた井上も、出れば打たれるの繰り返しで、この日も6失点と打ち込まれ、防御率は10点台になっていた。29日には山内孝が西武を1点に抑え、東尾の連勝を10でストップさせたが、これはあまりにも寂しい孤軍奮闘だった。

6月終了時の成績は以下の通り

勝ー敗ー分 勝率
西武 36−19−1 .655
阪急 32−27−0 .542 6.0
ロッテ 27−26−2 .509 2.0
近鉄 27−26−3 .509 0.0
南海 23−32−4 .418 5.0
日ハム 19−34−2 .358 3.0

 西武は9勝7敗と快進撃が止まった形だった。打撃ベストテンに片平(4位)、スティーブ(6位)、石毛(7位)、金森(9位)を送り込み、伊東も.289まで打率をあげていたが、弱点を覚えられた秋山と、スランプの田尾が打率を落としていた。投手陣では、郭が6月4日にノーヒットノーランを記録し、東尾も3勝1敗と好調だったが、松沼兄や渡辺がやや調子を落としていた。
 阪急は、13勝2敗という驚異的な強さを発揮して、2位にまで進出していた。佐藤が5勝0敗(通算12勝3敗)、今井も復調して4勝1敗、山田も3連勝と、やはり3本柱が復調すると強かった。打線も、マークされたブーマーは平凡な数字しか残せなかったが、月間打率4割2分の松永をはじめ、弓岡、福本、熊野らが好調だった。復帰した蓑田も、月間7本塁打を放った。
 ロッテは7勝9敗と負け越した。村田は3連勝と依然負けなしだったが、荘が3連敗し、期待された石川は復活できず、深沢は太腿を痛めて2軍に落ちていた。打線はリーが死球で離脱したとはいえ、落合以下が好調だったが、打高投低のため安定した勝ち星は残せなかった。
 近鉄も7勝9敗1分と負け越した。3冠を争うデービス、大石、加藤英、村上らはまずまず打ったが、投手が足りなかった。エースの鈴木啓示は、防御率が7点台になったとことで引退を決意し、後を村田辰美、柳田、小山らに託すことになった。
 日ハムも7勝11敗と苦戦していた。クルーズ、パターソンらの外国人が低打率にあえぎ、打率では古屋が20位に顔を出すのがやっとだった。川原が不在の投手陣も駒不足で、しかも坂巻はヒジ痛で月末にファーム落ちした。期待の河野も、牽制の際のクセが発覚してこの月は2勝4敗に終わった。ただ6月10日に、田中幸が突如ノーヒットノーランを達成する快挙も起こった。

 南海は6勝11敗1分と大きく負け越した。加藤は防御率4位にまで進出し、山内孝も3完投勝利と頑張ったが、山内和の調子があがらず、藤本修も不振だった。藤本の不調は、カーブの制球が定まらないことにあるようだった。先発に入るべき畠山もフォームが安定せず、突然サイドスローに変えるなど苦心していた。腰痛から復帰の井上も、調整不足で毎回のように打たれ、救援の矢野も、肝心な所で打たれる「クラッシャー」ぶりを発揮していた。ベテランの藤田学、森口は登板がなく、抜擢された若手の青井、大久保も、まだ慣らし登板の域を出なかった。打線も深刻だった。3割を超えていた山本、門田は2割7分台まで打率を落とし、最高打率はリーグ19位のナイマンだった。三塁を定位置とした池之上、代打の高柳、香川、定岡は好調だったが、レギュラー陣に取って代わることはできなかった。

7月ー最下位攻防戦

 梅雨のせいで中止試合が続き、7月の第1戦は4日のロッテ戦となった。先発の藤本修は崩れたが、門田の15号も出て勝負は終盤に持ち込まれた。しかし、セットアッパーの井上が古屋に勝ち越し弾を許し、敗戦スタートとなってしまった。6日には山内孝が力投し、4連続完投勝ちでロッテを下した。10奪三振は自己最多であり、山内孝は好調を保っていた。
 投手不足の中、翌7日には久々に井上が先発した。しかし早々とKOされ、終盤には矢野も炎上して、大差での敗戦となった。9日の西武戦にも、投げ続けた加藤が終盤に逆転された。抑え不在は南海の致命的な弱点だった。
 10日には東尾を早々とKOし、6回から登板の井上が4回を無失点に抑え、初勝利(4敗)をあげた。ここにきてようやく井上も調子が戻ったかと期待された。が、翌日はそのリリーフ起用が裏目にでた。7回まで2安打無失点の山内和に代えて井上を投入したが、最後の最後で秋山に逆転2ランを浴びてしまった。
 悪い形での敗戦が続く中、12日には近鉄に大差をつけたが次第に追い上げられた。最後にはリリーフ投入した加藤が打たれて、11対11の引き分けに終わった。13日には藤本修がようやく立ち直り、近鉄を2安打に抑え、プロ入り後初の完封勝利をあげた。この試合で満塁の5号を放った香川は、打率.313と好調だった。
 16日の阪急戦は、前回好投した山内和の登板だった。しかし、山内和は1回も持たずにKOされた。打線は山田に12安打を浴びせたが、失点が多すぎて勝つことはできなかった。翌日は加藤が完投した。代打で出た門田、岡本、山村がいずれもヒットを打ち、チームは久々の逆転勝利を収めた。
 前半の最終戦は18日に行われた。阪急は10連勝中の佐藤を登板させたので、南海に勝ち目はなかった。この日最下位の日ハムが勝ったため、南海はこれと1ゲーム差で前半を終えることになった。

 さて、オールスターである。南海勢は83、84年には活躍したが、この年はなんとも寂しかった。まずJrオールスターには山口、岸川、大津が出たが、たいした活躍はできなかった。南海のファームも、山川や大久保、青井が金の卵といわれていたが、1軍ではなかなか結果が残せなかった。大坪や大津も、ファームでは活躍したが、球威不足のため1軍で通用するかは未知数だった。打者では、山田がウエスタンの首位打者を守っていたが(前半戦.353)、長打力がないため1軍レギュラーには食い込めなかった。
 20日のオールスター第1戦には、南海からの出場者はいなかった。これも、野手で誰も選ばれなかったのだから仕方がないことだった。第2戦には加藤が登板、2回2失点という内容だった。加藤はこの登板で肩を痛めてしまった。第3戦では山内孝が登板し、2回無失点で優秀選手に選ばれた。かろうじて南海勢の存在をアピールしたことになる。

 後半戦は西武との3連戦で幕を開けた。第1戦は加藤が無理を押して先発したが、打線が東尾の前に沈黙し、1対3で惜敗した。この日、日ハムが阪急に勝ったことで、チームはとうとう同率5位に並ばれた。第2戦は山内孝と新鋭・工藤の対決となった。中継ぎの大坪の好投もあり、ゲームは1対1のまま終盤勝負となったが、最後は井上が悪送球などで自滅して敗れた。3戦目には、山内和と松沼兄が先発した。南海は初回に4点をとったが、山内和も5回に崩れて5対6での敗戦となった。これで、ついにチームは単独最下位に転落した。
 この後のロッテ戦でナイマンの13号が出て、なんとか連敗を4で止めた。井上も救援で2勝目をあげたが、ナイマンはこれが初の勝利打点だった。31日にもロッテを押していたが、9回に井上がタイムリーを打たれ、引き分けに終わった。それでも日ハムが連敗したことで、南海は0.5ゲーム差で5位に戻っていた。

7月終了時の成績は次の通り

勝ー敗ー分 勝率
西武 48−25−1 .658
近鉄 35−31−5 .530 9.5
阪急 39−37−2 .513 1.0
ロッテ 32−34−3 .485 2.0
南海 28−41−6 .406 5.5
日ハム 28−42−3 .400 0.5

 西武はこの月12勝6敗と、好調さを取り戻した。郭が肩痛でリタイアしたが、東尾や松沼兄は順調に勝ちを重ね、高橋直や森などのベテランも復活していた。経験不足から落ち込みが予測された秋山も、7本塁打を放って単独トップに戻るなど、打線にも死角はなかった。僅かな不安材料は、田尾の調子が戻らないことだった。
 近鉄はこの月8勝5敗2分と、久々に勝ち越した。先発は潰滅状態だったが、石本がゲームをつくり、鈴木康が締めるパターンでなんとか勝ちを拾った。大石は足を捻挫して離脱したが、後は吹石が埋めた。デービスは依然首位打者で、バンボもこの月6本塁打を放っていた。
 阪急は7勝10敗2分と負け越した。前月に13勝2敗と大勝ちしたのは、3本柱が万全だからだったが、この月は今井が調子を落として0勝2敗、山沖も0勝4敗と崩れた(山沖の好不調の波は、上半身の使い方が原因だと言われている)。ブーマーや弓岡が率を上げたが、これでは勝ち越すことはできなかった。しかも弓岡は頬骨骨折で、月の後半には出場できなかった。
 ロッテも5勝8敗1分と負け越した。村田が11連勝で止まってから勝てなくなり、そうなると貯金をつくれる投手はいなかった。準エースの仁科も、7月末の時点で6勝9敗という成績に終わっていた。打線も、落合や西村は好調だったが、リーや山本が率を落としていた。
 日ハムは9勝8敗1分と勝ち越した。低打率だったクルーズ、パターソンが爆発し、古屋も月刊MVPに輝く活躍で3割に乗せた。復帰した川原も抑えで2勝0敗3Sと活躍し、チーム力は確実にアップしていた。

 南海は5勝9敗2分と、2ヶ月連続で大きく負け越した。山内孝は頑張っていたし、加藤も体調不良の中で好投を続けたが、それに続く投手がおらず、毎試合のように井上を投入しては集中打を食らうパターンが続いていた。矢野、畠山は1軍のマウンドからは消え、代わりに藤田学や大坪が昇格していた。打線も低調なままで、特に腰痛の門田と新井の落ち込みが目立っていた。この時期のオーダーはおよそ次の通り。左・新井(.258)二・ドイル(.263)一・ナイマン(.285)D・門田(.257)右・山本(.283)中・河埜(.249)三・池之上(.301)捕・吉田(.220)遊・小川(.239)。好調なのは池之上と、代打役の高柳、香川ぐらいだった。

8月ー最下位転落

 8月1日のロッテ戦は、久々に希望を抱かせる試合となった。先発の藤田学が8回途中まで投げて、1年2ヶ月ぶりに勝ち星をあげ、リリーフの大坪は2回をパーフェクトに抑えた。ナイマンは14、15号を連発し、門田も17号弾を放った。また、2年目の佐々木誠が初ヒットを放った。
 しかし続く近鉄戦で3タテを食らい、チームは再度最下位に落ちてしまった。この間、門田が3本塁打を放ったが、藤本修、井上、山内和がいずれも打ち込まれた。大坪も4回を投げて7失点であり、救世主にはなれなかった。折しも、頼りの加藤と山内孝も肩を痛めてしまい、チームは瀬戸際に追い込まれた。
 そんな中、6日の阪急戦には山内孝が無理して登板し、打線も奮起して佐藤義を打ち崩した。これで一瞬、チームは5位に浮上した。しかしそれも1日だけで、翌7日には日ハムが勝ったため最下位に転落した。さらに8日には、藤本修が四球で自滅し、9日には石本ー鈴木康のリレーに封じられて負けてしまった。門田は連日のようにヒットを量産し、打率を.292まで上げていたが、それも実らなかった。
 10日にも藤田学、藤本修に加え、初登板となった森口が痛打され、5点リードを守れず逆転負けを喫した。が、11日には、山内和が近鉄を相手に久々に好投し、抑えに転じた加藤が初セーブをあげた。これで日ハムとのゲーム差は0.5に縮まり、13日からの直接対決に望みを託すことになった。
 その初戦、打線は津野を崩したが、先発の山内孝がやはり万全でなく、結局追いつかれて引き分けに終わった。この試合、先発2試合目でトップを打った佐々木は2安打を放った。翌日の第2戦は、先発の井上が打たれ、1対12と大敗した。佐々木は3安打して、打率.474と1人気を吐いた。が、3戦目も藤田学が打たれ、2対10での大敗となった。これで日ハムとは2.5ゲーム差となり、南海の最下位ムードが一気に高まった。
 16日の阪急戦では、佐々木の攻守にわたる活躍もあり、山内和が完投勝ちを収めたが、この後チームは6連敗した。まず17日のロッテ戦では、腰痛の門田に代わり岸川が4番に抜擢され、いきなり本塁打を放った。が、抑えの加藤が打ち込まれて逆転負けを喫した。翌日は山内孝が打たれ、日ハムとの差は3.5に開いた。20日には井上が好投して阪急を1点に抑えたが、味方も山田に完封されて惜敗、21日にも池之上の失策から1点差で競り負けた。岸川は打率が1割を切り、佐々木もあまり打てなくなりスタメン落ちしたが、21日からは湯上谷がスタメンショートで起用された。湯上谷はここまでウエスタンで33盗塁のホープだった(結局盗塁王になった)。この試合に2安打した湯上谷は、以後もしばらく3割をキープした。
 22日には加藤が久々に先発したがKOされ、23日には藤本修のカバーミスで1点差で負け、6連敗となった。この連敗を止めたのはやはり山内孝だった。24日の日ハム戦で1失点の完投勝利を収めた。この試合、若手起用策の一環として、山田がセンターでスタメン出場した。
 25日に井上で負けた後、27日には山内和が8回まで1失点と好投した。しかし抑えで出た加藤が打たれ、またも負けてしまった。加藤は肩を痛めながら先発に抑えにと酷使され、めっきりと調子を落としていた。翌28日には、藤本修が西武を完封し、自己の連敗を6で止めた。湯上谷は2安打して打率を.368まであげた。
 29日に山内孝が打ち込まれて大敗し、30日にはナイマンの活躍などで阪急に逆転勝ちし、苦しい8月の戦いは終わった。この試合で、湯上谷は9番から繰り上がって2番を打った。

8月終了時の成績は次の通り

勝ー敗ー分 勝率
西武 63−33−3 .656
近鉄 49−43−5 .533 12
阪急 49−48−4 .505 2.5
ロッテ 42−47−5 .472
日ハム 41−50−6 .451
南海 35−58−7 .376

 西武はこの月も、15勝8敗2分と絶好調だった。東尾が脱臼で離脱したが、松沼兄が3勝1敗と安定していた。新鋭の工藤も2勝し、小野和幸、高山郁夫も勝ち星をあげるなど若手も育ってきていた。ベテランの高橋直樹も2勝0敗、森も1勝1敗2Sと務めを果たした。気がかりなのは、2割5分台まで打率を落とした田尾と、疲れのせいか打ち込まれることが目立った渡辺久信ぐらいだった。
 近鉄はこの月も、14勝12敗と勝ち越した。セットアッパーの石本が5勝1敗2Sと大車輪の活躍をし、鈴木康が1勝0敗5Sと見事に抑え役を果たしたのが大きかった。ただし先発陣は潰滅状態で、村田辰美は1勝3敗、小野和義は1勝4敗1S、柳田は0勝1敗、谷宏は0勝2敗という惨状だった。かろうじて小山だけが2勝0敗という数字を残した。打線では、8本塁打のデービス、6本塁打のバンボなどが相変わらず好調だった。
 阪急は10勝11敗2分と負け越した。山田が4勝1敗と踏ん張ったが、佐藤が2勝2敗、今井が2勝1敗、山沖が2勝3敗と、主軸投手であまり貯金ができなかった。若手の星野、太田らはこの月1勝もできず、これでは優勝争いには加われなかった。打線では、ブーマーが10本塁打を放つなどしてようやく三冠争いに参入してきた。打率3割に乗せた新人の熊野、代打本塁打を量産した石嶺の活躍も目立った。
 ロッテも10勝13敗2分と負け越した。荘が3勝1敗、先発にまわった水谷は3勝2敗、村田が2勝1敗と貯金を稼いだが、0勝3敗の仁科らがそれを吐き出した。打線では落合が本領を発揮し、首位打者(.366)、本塁打王(33本)に躍り出た。
 日ハムは13勝8敗3分と勝ち越し、完全に上昇気運にあった。牽引役は、4勝1敗の柴田、2勝0敗1Sの川原、それに絶好調でリーグ4位(.336)まで打率をあげたクルーズだった。

 南海は7勝17敗1分と大きく負け越し、最下位が確定的となった。投手層が薄いため、調子が悪くても投げざるを得ず、藤本修(1勝5敗)、井上(0勝5敗)らが負けを重ねた。肩を痛めた加藤も、リリーフで出てゲームを潰すことが多かった。大坪、大津らの若手もまだ力不足だった。打線も迫力不足だった。スティーブ、デービス、ブーマー、リー、クルーズらの他球団の外国人野手に比べて、ドイルとナイマンでは見劣りがした。門田も8月前半には率をあげたが、腰がパンクして休みがちになっていた。僅かな好材料は、佐々木(.313)、湯上谷(.375)らの若手が3割を保ち、来季への期待を抱かせたことだった。

9月ー監督交代へ

 9月1日の阪急戦では、山内和が好投した。山内和の秋になると調子がよくなるパターンは健在だった。ナイマンの20号弾の支援もあり、4対2で完投勝ちを収めた。ナイマンは3日にも21号を放ったが、松沼兄を崩しきれず2対3で惜敗した。しかし4日には池之上、岡本らの代打策が成功し、シーズン2度目のサヨナラ勝ちを収めた。完投した山内孝は9勝目をあげた。
 さらに8日にも、山内和が好投して近鉄に大勝した。トップを任された山田は、先頭打者アーチを放った。10日には山内孝が打ち込まれたが、13日にはまたも山内和が好投した。山内和は9勝目、締め括った矢野に久々の5セーブ目がついた。2番に入り続けていた湯上谷は2安打し、再び打率を3割台に乗せた。翌14日の日ハム戦でも、先発の加藤が7月17日以来の9勝目をあげ、矢野もセーブを記録した。
 9月になって2勝1敗ペースを続けた南海だが、15日には接戦を落とし、16、17日と3連敗を喫した。特に16日は、矢野が追いつかれ、最後にはサヨナラ弾を食らうという悔いの残る試合だった。17日は大津が初先発したが、投手陣が4回に連鎖的に崩れ、結局は大敗となった。
 連敗が止まったのは、18日の近鉄戦だった。初先発の吉井がショート・村上のお手玉から崩れ、2回までに8点をとった南海は、4回には一挙11点をあげた。結局スコアは25対4という物凄いものになったが、この得点はパリーグ新記録だった。完投した山内和は、4年連続の2桁勝利となる10勝目をあげた。
 しかし20日の日ハム戦では、山内孝が打ち込まれてしまった。手術の後、出番が減っていた日ハムの元エース・間柴がロングリリーフして、シーズン初勝利をあげた。中軸に左が多い南海としては、嫌な投手の復活を許したことになる。21日の同カードでもリードを許していたが、終盤に追いつき、最後は山内孝を投入して引き分けた。この試合、7番の佐々木が初アーチを放った。この段階で、佐々木の打率は.296だったが、.306の湯上谷、.233の山田ら若手のスタメン起用は続いていた。
 22日には藤本修が日ハムを完封した。この日、川勝オーナーが新監督にOBの杉浦忠を起用する方針を明らかにしたが、彼ら若手の成長は、穴吹監督の置き土産になる筈だった。
 杉浦の就任は25日に正式発表となったが、その日も南海はロッテに大勝した。山内和が11勝目をあげ、湯上谷は2安打して打率を.325まで上げた。選手会長の池之上は、4安打して打率を.337とした。
 26日の同カードでは、味方のエラーもあり、山内孝が初回にKOされた。それでも2番手の井上の好投もあり、6対6で引き分けることができた。
 27日の阪急戦は加藤と山田の投げ合いとなり、1対3で競り負けた。9月最後の試合は30日の西武戦だった。門田の22、23号などで南海が主導権を握ったが、山内和が崩れて結局負けとなった。

9月終了時の成績は次の通り

勝ー敗ー分 勝率
西武 72−39−5 .649
近鉄 56−53−7 .514 15.0
阪急 55−56−5 .495 2.0
ロッテ 52−54−6 .491 0.5
日ハム 47−57−10 .452 4.0
南海 43−66−9 .394 6.5

 西武はこの月9勝6敗2分だった。ゴールが見えていたので無理をしない選手起用をしていたが、それでも勝ち越したのは4連勝の工藤の存在が大きかった。東尾は離脱していたが、3年目の石井毅を起用して1勝(0敗)1Sの成績をあげさせるなど、やることにそつがなかった。秋山も6本塁打を放ち、通算37本でトップの落合を追っていた。ただし、石毛の調子が急降下したのは誤算だった。
 近鉄は7勝10敗2分と負け越した。石本は3勝0敗1Sと活躍したが、鈴木康が2つの逆転負けを喫し、「後ろで勝負」のパターンがやや破綻した結果だった。打線では、打率2位、本塁打3位、打点3位のデービスが、依然目立っていた。
 阪急は6勝8敗1分と負け越し、次第にAクラス確保が危なくなってきた。山田が1勝4敗、佐藤が3勝2敗では、このチームの進撃パターンはつくれなかった。
 ロッテは10勝7敗1分と勝ち越した。最大の功労者は、この月10本塁打し、三冠王を独走する落合だった。またリーも.412の打率を残し、そのおかげで荘、村田、水谷、仁科らが少しずつ貯金することができた。
 日ハムは6勝7敗4分と、しばらくぶりに負け越した。田中富は2勝をあげたが、柴田や河野が疲れのせいか負け越した。

 南海は8勝8敗2分と、やや持ち直した。山内和が5勝1敗と完全に復活したのが大きかった。また、ナイマンも打率を2分以上あげ、6本塁打を放つなど残留をアピールしていた。若手の湯上谷(.325)、佐々木(.291)も順調に成長していた。佐々木は、低打率(.230)にあえぐライバルの山田を抜き去った観があった。

10月ー終幕

 この年はシーズンが終わるのが遅かった。南海は9月が終わった段階で、まだ12試合を残していた。1日からは優勝目前の西武との3連戦が行われた。その初戦は山内孝が完封勝ちを収め、山内和と並んで4年連続の2桁勝利をあげた。西武の広岡監督も、この好投に脱帽だというコメントを残した。しかし2戦目には、藤本修が初回に秋山に満塁弾を打たれ、2対5で敗れた。ただ、2番手の竹口が、7回1/3を1安打に抑えたのは収穫だった。3戦目は、香川の代打3ランで同点に追いついたが、最後に矢野が打たれてサヨナラ負けを喫した。
 西武戦を終え、後は完全な消化試合となったが、これは南海としては若手に経験を積ませるチャンスだった。しかし、チームはそれに徹することができなかった。西武戦から続いた連敗は、引き分けを挟んで10まで伸びた。それをなんとかしようと、最後まで門田やナイマンの出場が続いたし、山内孝、山内和、藤本修、加藤ら主力投手の起用も続くことになってしまった。
 8日に藤本修で負けると、9日には加藤が登板した。加藤は好投したが、打線が間柴を打てず、結局1対2のサヨナラ負けで、4連敗となった。
 10日には山内孝が登板したが、エラーで足を引っ張られて負けてしまった。僅かな救いは、トップを打った佐々木が、2安打4打点の活躍で打率を3割に乗せたことだった。さらに11日にも、山内和が好投したが終盤に逆転されてしまった。
 12日には、若手の中条が先発したが、立ち上がりから4連打を喰らいKOされた。ナイマンの26号弾などで追い上げたが及ばず、これで7連敗となった。
 13日には井上の後、2番手の大津が打ち込まれて大敗、14日には藤本修ー加藤のリレーで延長11回を2対2で引き分けた。トップを打って3安打した山田は、打率を.261まであげた。18日にも主力投手を総動員したが負けてしまった。最後の20日の近鉄戦も6対7で敗れ、結局穴吹南海は、10連敗で閉幕することになった。ただ、4安打した山田が.296まで率をあげたのが救いだった。
 試合終了後に穴吹が残した「私も死ぬまでホークスが好きです。あらゆるところで力になりたい」は、蓋し名文句だろう。



最終的な成績は次の通り

勝ー敗ー分 勝率
西武 79−45−6 .637
ロッテ 64−60−6 .516 15.0
近鉄 63−60−7 .5121 0.5
阪急 64−61−5 .5120 0.0
日ハム 53−65−12 .449 7.5
南海 44−76−10 .367 10.0

 西武は安定した投手力、総合力で圧勝した。東尾(17勝3敗)、松沼兄(14勝6敗)、渡辺(8勝8敗11S)、郭(9勝5敗)らの投手陣は12球団1の防御率を誇っていた。郭がリタイアした後半戦には工藤が現れ、8勝3敗で最優秀防御率(2.76)を獲得した。打線も、40本塁打の秋山、打率.312の金森などが成長し、隙がなかった。
 ロッテは、最後の最後で落合の猛打(.367、52本、146打点で三冠王)にも支えられて2位に浮上した。西村ー横田ーリーー落合と続く上位打線は強力だった。復活した村田兆治(17勝5敗)も「サンデー兆治」として話題になった。仁科(12勝13敗)、荘(11勝10敗4S)などもまずまずの成績だったが、石川、深沢が誤算で、ほとんど優勝争いには加われなかった。
 近鉄は石本(19勝3敗7S)の登場で、終盤勝負に持ち込むパターンが確立して生き返った。鈴木康治朗(5勝2敗12S)も安定感のある投球を続けた。しかし、鈴木啓示が引退した先発陣は、村田辰美の8勝が最高であり、後は小山(6勝)、小野(3勝)、佐々木(3勝)などと低迷した。打線は、デービス(.343、40本)、バンボ(.244、31本)に引っ張られて212本塁打を記録した。村上の成長もあり、世代交代が順調に進みつつあった。
 阪急は結局Bクラスに落ちてしまった。最多勝の佐藤(21勝11敗)、それに続く山田(18勝10敗)はさすがの成績だったが、今井(12勝13敗)、山沖(7勝14敗6S)が不調で、これに続く若手も出てこなかった。打線は、じわじわと成績をあげたブーマー(.327、34本)、.320で26本を放った松永らが引っ張り、熊野は.295で新人王を獲得した。
 日ハムはなんとかチーム再建を果たした。古屋(.300、33本)、柴田(11勝13敗1S)の成長、河野(8勝13敗)の活躍などで、来期に希望を抱かせる状況になった。

 南海は結局この3年間、同じパターンを抜け出せなかったことになる。開幕ダッシュは果たすのだが、夏場に大敗し、転落するのである。これは選手層が薄く、疲れが溜まっても代わる者がいないチーム事情によるといえようか。

個人成績は次の通り

試合 打数 率ー本ー点 盗塁
新井 118 325 .262−3−26 10 規定打席も割り、冴えないシーズンだった。
29 ドイル 120 406 .264−16−44 やや長打が増えたが、助っ人にはなれなかった。
17 ナイマン 121 425 .285−26−78 13 9月に巻き返したが、今ひとつ迫力不足だった。
23 門田 114 383 .272−23−62 37歳という年齢に加え、腰痛で不振だった。
28 山本 130 472 .265−15−57 14 実質2年目のジンクス。
河埜 108 350 .237−8−43 前年がよかっただけに不振が目立った。
池之上 100 239 .301−2−35 守備も堅実。頑張ったが長打がなかった。
吉田 124 342 .240−10−43 正捕手に定着。まずまずの活躍。
小川 113 192 .229−2−18 夏まではほぼスタメンに定着した。
香川 69 134 .261−8−27 捕手失格で代打要員になった。代打では活躍。
定岡 45 108 .250−3−8 ケガから復帰。主に代打で活躍した。
湯上谷 37 122 .262−1−7 ウエスタン盗塁王。終盤、遊撃手に定着。
立石 36 70 .200−1−7 序盤スタメンも不調、ケガもあった。
岸川 22 27 .074−1−1 4番抜擢で初アーチ。しかし以後は1安打のみ。
山村 77 178 .247−7−25 三塁手としても出場した。
岡本 80 214 .257−9−43 当初はスタメン、しかしアキレス腱痛で離脱。
高柳 65 101 .248−6−16 左キラーの代打。
佐々木 54 103 .291−2−15 8月からスタメンで出場し、活躍した。
山田 75 98 .296−3−10 ウエスタン首位打者。終盤にはトップを打った。
試合 回数 勝ー敗ーS 防御率
6 加藤 34 189.1 9−11−1 4.09 順調に勝ちを重ねたが、酷使で夏場に調子を落とした。
18 山内孝 32 202.1 10−12−0 4.76 勝ちは増えなかったが安定した投球を続けた。
20 山内和 29 164.2 11−11−0 4.86 腱鞘炎で山あり谷ありのシーズン。8月以後好調。
23 藤本修 37 196.1 8−17−0 5.41 絶好調スタートだったが、すぐに調子を崩した。
矢野 40 68 2−3−7 4.37 前半は好調。しかし打たれて夏にはファーム落ち。
井上 33 105 2−13−0 5.40 復活のシーズンだったが、出ては打たれた。
藤田学 18 43 1−4−0 6.28 球威が落ち、1勝にとどまった。
畠山 13 38.2 1−3−0 4.89 フォームを崩して7月にファームに落ちた。
大久保 12 18.1 0−0−1 8.35 前半は1軍にいたが打ち込まれた。
大津 14 23.2 0−0−0 4.56 ファームで活躍して後半昇格。が、力不足だった。
大坪 12 24.2 0−0−0 5.11 夏場に1軍にあがったが力不足だった。
竹口 25 37 0−1−0 6.57 軟投派に変えたが通用せず。
中条 23 17.1 0−1−0 5.71 期待されたがあまり登板なし。

 開幕当初は、山内孝、加藤、山内和、藤本修、畠山でローテーションをまわし、井上と矢野を抑えとする筈だった。それが、井上が腰痛で消え、畠山はフォームを崩して戦力にならなかった。それでも加藤以下は好調であり、打線が爆発したこともあり、5月中盤までは善戦することができた。岡本は中軸を打つまでに成長していた。
 しかし、やがてその岡本がアキレス腱を痛め、河埜もスランプに陥った。投手でも、藤本修と矢野が調子を落とした。その後しばらくは山内孝と加藤が踏ん張ったが、加藤は酷使されて肩を痛めた。大久保や山川、青井らの若手投手は戦力にならず、調子が悪くても井上や藤本修が投げざるを得なかった。
 レギュラー野手も、7月には池之上以外はおしなべて落ち込んでいた。門田も爆発せず、ナイマンも不発だった。そこで後半戦は、野手で佐々木、湯上谷、山田をスタメン起用し、来期以後の彼らの成長に賭けることになった。
 8月に大負けしたチームは、9月にはやや立ち直った。山内和が調子を戻し、ナイマンもようやく打ち始めた。しかし、10月は悲惨だった。引き分けを挟んでの10連敗でシーズンを終えることになってしまった。西武の広岡監督は、「誰が監督をしても同じ」と厳しいコメントをしたが、実際、あまりにも戦力が不足していた。


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