1985年の南海ホークス(前編)


大荒れのオフ

 穴吹監督の2年目、1984年の南海ホークスは、若手投手が次々に現れて善戦した。が、8月に10連敗するなど負けが込み、最終的には2年連続の5位に終わってしまった。それに伴い、ベテラン投手陣と首脳の対立が喧伝され、またマスコミの視線も冷たくなった。
 観客動員も、7月までは前年より微増していたが、夏場に落ち込んだためにトータルでは4万人減の61万人にとどまった。甲村球団社長も9月7日に、前年はよくやったがそれで安心したのではという談話を発表した。甲村は、河村コーチと他のコーチの不協和音や、竹口と森口の使い方に注文をつけ、また両外国人は予想以下だったとコメントした。
 穴吹は10月1日に川勝オーナーにシーズン報告をしたが、その際、ヘッド、打撃、投手コーチを変えるつもりはないと語った。翌日には、甲村社長、泉谷代表との3者会談が行われ、穴吹の後押しでドイル、ナイマンの残留も決まった。森口についても、抑えをさせる方針が発表されており、竹口についてはサイドスローに転向させるなど、早くもチームは来季に向けて動き出した。
 その中で、金城基と藤田学は河村コーチの構想から外れたままだった。そのため10月末には、2人が大洋にトレードされるとの情報も流れた。また、巨人の中条との交換も根強く報じられていた。結局この件は、ドラフトでの戦力補強を見定めてからということで、一旦棚上げになった。
 11月20日のドラフト会議は、法大のエース・竹田光訓と主砲・広沢克巳が目玉となった。本田技研の伊東昭光(のちヤクルト)、電電四国の広田浩章(のち巨人)らがプロ入りを拒否したため、この2人が俄然注目されだしたのである。しかし、南海は端からこの2人を指名する気はなかった。契約金が7000万円級の高額になることが予想された上、竹田は巨人を、広沢は在京セか西武を逆指名していたからである。
 結局、南海が1位指名したのは、近大工学部のエース・佐々木修だった。しかし抽選に負けて近鉄が交渉権を得、代わりに都城高の左腕・田口竜二を指名した。田口は選抜大会の準決勝でPL学園の桑田真澄と投げ合い、延長10回で0−1と惜敗した投手だった。カーブと速球が売り物だったが、夏の甲子園では疲れのためかスピードが出ず、2戦目で消えていた。穴吹は、第2の加藤伸一にと期待して指名したのだった。
 2位以下は、2位湯上谷宏(星陵高)、3位大塚義樹(向上高)、4位松崎秀昭(鎮西高)、5位岩田由彦(電電九州、拒否)、6位坂口千仙(九産大)となった。他にドラフト外で西清孝(東灘高)も入団した。2位の湯上谷は、弱体の内野に梃子入れすべく、スカウト陣が春以来注目していた選手だった。なお、この年のドラフトで入団した有力選手は以下の通りである(青字は2001年度現役)。広島は2位で正田耕三、中日は1位で中村武志、巨人は3位で宮本和知、阪神は3位で和田豊、5位で大野久、ヤクルトは1位で広沢克巳、2位で秦真司、阪急は2位で古溝克之、3位で熊野輝光、4位で高橋智、5位で福良淳一、ロッテは2位で小川博、4位で横田真之、西武は1位で大久保博元、2位で田辺徳雄、近鉄は1位で佐々木修、3位で山崎慎太郎、4位で山下和彦、5位で鈴木貴久、日ハムは1位で河野博文、ドラフト外で松浦宏明。。
 田口は一応日産自動車に内定していたが、入団には前向きで、12月3日には契約金4500万円で正式契約を結んだ。プロ拒否の岩田以外の各選手も、随時入団が決まった。なお、竹田の契約金は6800万円、広沢は6600万円と伝えられたが、阪神3位の和田は4500万、4位の嶋田兄は5500万、ヤクルト2位の秦は4500万と言われている。補強に使える資金にかなりの格差があったことがわかる。

金城基康の放出

 ドラフト後、27日から年棒更改が始まったが、これが大荒れになった。畠山は470万から580万への小額のアップを提示されただけで、加藤も300万から520万への増額を提示されただけだった。この後、矢野、竹口、久保寺、山村、新井、森口らも相次いで保留した。さらに12月4日には、門田が複数年契約を求めて争い、ここでもまた保留となった。
 門田は8日の2度目の交渉で、球団の補強意欲の薄さを批判した。が、思うような返答が得られず、チームプレイよりも自分の目標を重視させてもらうという捨て台詞を残し、渋々サインした(4800万の現状維持)。さらに11日には選手会長の池之上が、4時間半にわたり球団の姿勢を批判した。池之上と門田は、金城、藤田、森口らの処遇についても抗議したようである。
 彼らベテラン投手については、12月7日の甲村、泉谷、穴吹会談で、ようやく残留が明示された。しかし9日に古賀調査員が巨人と接触し、急転直下、金城基と中条喜伸のトレードが決まったのである(14日)。これは15日に正式発表となったが、金城は「ほっとした。あと8に迫った100Sを目指したい」と語った。一方の左腕・中条は、登板機会が増えることを見越し、「バリバリ投げたい」と語った。
 中条喜伸(22歳)は東北高から巨人に入り、4年目の左腕投手だった。84年は21試合に主に中継ぎで登板、0勝1敗0S、防御率4.07という成績だった(通算では40試合、0勝1敗1S)。同タイプの左腕・橋本敬司がこの年3勝をあげ、抑えでも角三男がいる以上、巨人としても放出に抵抗が少なかったのだろう(この他、左腕・カムストックの獲得も決まっていた)。
 彼らの入団会見は20日に行われたが、金城は「130試合ベンチ入りが目標」と語り、中条は「巨人では戦力になれなかったがそれを晴らしたい」と語った。
 なお、藤田学と森口は結局トレードされないままになった。その代わり、水谷茂雄(24歳)が中日の青山久人(27歳)と交換された。水谷は四日市工を出た翌81年、抑え役として2勝1敗10Sと成績をあげた投手だった。それが肘を痛めた上、肝炎をわずらって登板機会が減っていた。中日は、準地元選手ということもあり復活を期待したのだろう。交換された青山は、下手投げの本格派として、通算14勝4Sをあげていた。ここ3年は勝ち星がなかったが、こちらも復活の可能性はあると見られた。

 更改保留者が続出したまま年が明けた。若手の合同自主トレは1月7日からの予定だったが、その直前の4日に悲報が飛び込んできた。天才万能選手と謳われた久保寺が、急性心不全で、26歳の若さで亡くなったのである。久保寺は、静岡商業から76年のドラフト2位で入団し、2年目から1軍に定着した。三塁、遊撃も守れたが、初期には主にレフトを守っていた。藤原の引退後は背番号7を受け継ぎ、83年には三塁に定着していた。84年にはケガの定岡に代わり遊撃を守るなど、チームには欠かせない選手だった。通算成績は1170試合で打率.258、44本塁打、239打点だった。
 首脳陣は10日にコーチ会議を開き、後釜はトレードには期待せず、既存のメンバーで埋めることにした。遊撃には、アキレス腱断裂から復活しつつある定岡の他、中尾、小川を充て、三塁には立石、池之上を充てようというのだった。確かに定岡は、12月にはホノノルマラソンで20キロを走るまでに回復していたが、それでも消極的対応には違いなかった。
 選手会長の池之上は、球団の補強への消極性を批判していたが、22日には吉村元富が突如引退を申し出た。吉村は後に韓国球界に入っていくが、池之上はこの件に関しても、球団の管理能力の問題だとして批判した。

キャンプとオープン戦

 暗い話題が続く中、2月4日には呉キャンプが始まった。その中で、前年リタイアしていた井上がいち早く仕上げたのは明るい材料だった。井上には、金城の後の抑え役が予定されていた。3年目の山川、2年目の佐々木も成長を遂げ、万年主軸候補の岡本もスタメンに定着できそうな勢いだった。
 しかし、山内和は右手中指の血行障害で本格的投球が出来ず、畠山も水疱瘡が判明し、ほとんどキャンプを棒に振ってしまった。畠山には、上半身に頼りすぎる「ハンマー投げ」フォームのせいで、腰を痛める傾向があった。その矯正は出来ないままになってしまったのである。
 さて、オープン戦は3月2日に始まった。しかし、この西武戦、藤本修が先発したが2回5失点、加藤も2回3失点と打ち込まれたしまった。翌日は、4番に座った岡本が本塁打を含む3安打を放ったが、井上、中条、矢野がいずれも打たれて連敗となった。
 それでも5日の近鉄戦では、竹口が6回まで1安打無失点と好投し、山川ー加藤と繋いで近鉄に完封勝ちを収めた。この試合でも4番に座った岡本は本塁打を放ち、定岡も先発で復帰を果たした。翌日も藤田学が4回を無失点に抑え、藤本ー山川ー井上のリレーで連続完封である。
 この後も、中尾の3ランでの逆転勝ち(10日)、負けはしたが藤本修が7回を自責点1(12日)、藤田学が5回まで1失点(13日)、加藤が3回無失点(16日)と、収穫のある試合が続いた。さらに18日の近鉄戦では、竹口が1失点で完投勝利を収めた。これで竹口は、4試合、18回を投げて10安打、自責点2で防御率1.00である。誰もが、「あのノーコンの竹口が」と驚く程の変貌だった。
 続く22日の試合は、スロー調整の山内孝が打たれて負けたが、23日には加藤が2安打で完投勝ちを収めた。加藤は完投の経験がなかっただけに、これも大きな成果だった。
 24日には藤田、竹口が打ち込まれたが、井上が3回を無失点に締めた。26日には山内孝が6回1失点、中条が3回を無失点である。さらに29日の阪神戦では、岡本、門田、山本が1本ずつ本塁打を放ち、藤本修も7回を無失点と完勝した。30日にも加藤が5回を無失点、山内和も初登板で1回1/3を無失点に切り抜けた。31日の阪神戦は、オープン戦でありながら大阪球場には1万5000人が集まった。試合は2対5で負けとなったが、畠山がようやく登板し、1回を無失点に抑えた。
 これでオープン戦は10勝6敗1分で終了となった。南海は大きく勝ち越し、収穫も大きかった。山川は制球難でものにならなかったが、加藤と藤本修にはさらなる飛躍が見込めたし、岡本も4本塁打と成長のあとを見せた。これを受けて穴吹監督は、今シーズンはもはや育てる年ではなく、勝負に出る年だと語り、浮上への自信をのぞかせた。
 確かに、他のチームの戦力と比べると、確実に4位以上は確保できそうな雲行きではあった。予想された各チームの陣容は次の通りである。

阪急 ロッテ 西武
福本 庄司 石毛
弓岡 西村 金森
蓑田 リー 田尾
ブーマー 落合 スティーブ
松永 山本 片平
熊野 有藤 秋山
ヒックス 水上 岡村
藤田 袴田 伊東
福原 横田 行沢
山田 仁科 東尾
佐藤 深沢 松沼兄
今井 村田
山沖 西井

 阪急は、ドラフト3位の熊野がセンターに定着しそうだった。が、不安なのは山田の故障だった。左膝を痛めて3月中旬まで入院し、大車輪の活躍ができるのか疑問視された。36歳になる今井もオープン戦終盤に打ち込まれ、3本柱の中で安心できるのは佐藤だけだった。また山沖は抑えを嫌がっていたが、これに代われそうな人材もいなかった。連続優勝には暗雲が立ち込めていた。
 ロッテは、村田兆治に復帰のメドが立ち、台湾からは荘勝雄が入団し、十分に優勝を狙えると見られた。ドラフト2位の小川博も戦力になりそうだった。高沢は開幕に間に合いそうになかったが、新人の横田真一がオープン戦の新人王を獲得しており、穴を埋めそうだった。ただ、前年15勝の石川が、肩を痛めて調整が進まず、抑え役も頼りないという問題はあった。
 西武は、田尾安志と杉本+大石という大型トレードを成立させ、また台湾からは郭泰源を入団させた。広岡監督としては、投手力を前面に出してチーム再建をするつもりだったのだろう。が、オープン戦では打線が好調で12球団1の.304という打率を残した。秋山は打率.365(3位)、7本(1位)、19打点(2位)でオープン戦MVPに輝き、石毛も7本塁打を放った。評論家の間では、西武の優勝を予想する向きが強まっていた。

近鉄 南海 日ハム
大石 河埜 島田誠
栗橋 ドイル 高代
バンボ 岡本 パターソン
デービス 門田 柏原
加藤英 山本 クルーズ
羽田 ナイマン 古屋
平野 立石 二村
梨田 定岡 田村
村上 吉田 白井
鈴木啓 山内孝 田中富
柳田 山内和 津野
谷宏 加藤 河野
鈴木康 井上 川原

 近鉄は投打共に高齢化が進み、オープン戦では3勝14敗1分と大きく負け越した。鈴木啓以外の先発は潰滅状態で、抑えの鈴木康もシンカーのキレが鈍っていた。打線も12球団最低の.232という打率しか残せなかった。新外国人のバンボも、打率.205で本塁打はゼロだった。その中で唯一期待できたのは、2年目のショート・村上だった。規定打席に1足りなかったが打率.346を残し、打てる遊撃手として注目されつつあった。
 日ハムは打線がスランプを脱することが出来るか、先発投手陣が立ち直れるかがポイントだった。が、エースの間柴は再手術で出遅れ、先発で頼りになりそうなのが田中富(実は太腿を痛めていたのだが)だけでは苦戦が予想された。

 このような状況の中で、南海が近鉄、日ハムの上を行くことは十分可能と思われていた。『読売新聞』は、西武、阪急、ロッテ、南海、日ハム、近鉄と順位を予想したし、『週刊ベースボール』の解説者9人による予想でも、南海については6人が4位、3人が5位とした。
 なお、森口は腰を痛めてオープン戦には登板しなかったが、河村コーチは期待していたようである。毎年春先は調子がよいので、先発で使う予定とされ、開幕1軍にも名を連ねた。また山内和も、当分は間隔を置いて使うこととし1軍に入った。しかし、調整が遅れた畠山は、開幕1軍には入れなかった。

開幕ー久々の強力打線

 4月6日の阪急との開幕戦、先発は山田と山内孝だった。6回まで0−3とリードされていた南海は、7回に追いついて山田をKO、試合はリリーフの山沖と井上の対決に移った。しかし両者共に不出来で、山沖は8回表に3点を失い、井上もその裏に簡単に同点に追いつかれた。ここで南海は、第2戦に先発予定の加藤を継ぎ込んだ。が、吉田の悪送球で勝ち越され、結局6対8での敗戦となった。
 第2戦はその加藤が志願で先発した。初回にナイマンの2ランなどで今井をKOし、加藤は完投、試合は9対4で完勝となった。さらに第3戦も、打線が爆発して佐藤を打ち込み、藤本修が完投して8対1で大勝した。この試合、山本は4打数4安打で、初回には2点タイムリーを打つなど活躍した。前年優勝の阪急を相手に、その3本柱を打ち崩しての勝ち越しであり、先行きは明るそうだった。
 9日の大阪球場での開幕カードは、近鉄戦だった。先発の山内和は大事をとって2回1失点で降板したが、岡本、門田、ナイマンに本塁打が飛び出し、3点リードで9回を迎えた。しかしここで、それまで好投していた矢野が崩れ、救援の井上も4安打を浴びて逆転されてしまった。これで井上は抑えから外されることになる。
 それでも打線は好調で、翌日はドイル、岡本、吉田が本塁打を放ち、12対4と近鉄を圧倒した。この試合、初先発の竹口は2回まで5四球とノーコンが治っていないことを暴露したが、後を受けた畠山が6回を無失点と好投した。
 さらに13日の日ハム戦も、岡本の3号などで9点をとり、山内孝が余裕の完投勝利をあげた。この段階で打線は、河埜(.345)ドイル(.333)岡本(.364)門田(.381)山本(.391)ナイマン(.308)と、ずらりと3割打者が並ぶ盛況だった。不調なのは三塁の立石ぐらいで、捕手の吉田、遊撃手の小川も好調、好打者・新井ですらスタメンに入れない程だった。
 14日の同カードは門田の満塁弾で逆転し、藤本修が完投で2勝目をあげた。三塁のスタメンに、これまで一軍経験のない藤本博史を使ったのは余裕の現れだろうか。さらに16日の西武戦も、終始リードを奪い、加藤ー中条ー矢野と繋いで5対2で勝った。この試合で門田は4号、ドイルも4号を放ち、矢野は初セーブをあげた。これでチームは6勝2敗、頭1つ抜け出して首位という形になった。
 翌17日には藤田学が初めて先発した。藤田は緩い球を効果的に使い、7回を3安打1失点に抑えたが、打線が東尾の前に沈黙してしまった。結局、雨天コールドで0対1での敗戦となったが、藤田に使えるメドが立ったのは大きかった。翌18日は、快速球で売り出し中の郭泰源と山内孝の対決となった。この試合、山内は相手打線を5安打に、郭は3安打に抑え、結局0対0での引き分けとなった。
 20日のロッテ戦には、香川が初めて出場し、2本塁打、5打点と活躍した。先発の藤本修は打ち込まれたが、2番手の山内和が3回から9回までを投げ切り、初勝利をあげた。これで山内和にも先発のメドが立ったことになる。
 21日の同カードでは、大阪球場に2万4000人の観衆が集まった。ロッテ戦にこれだけ集まったのは、球団がラッキーカードを配ったからだけではなく、復活した村田兆治の登板が知れ渡っていたためだろう。南海は畠山が初先発したが、8回に崩れて結局負けてしまった。
 次いで23日の近鉄戦は、8回に追いつくと加藤が投入され、6対6でなんとか引き分けた。井上が腰を痛めて登録抹消され、矢野も中条も不安定なので仕方がなかったのだろうが、加藤がなにかと酷使されていたことがわかる。次いで24日は、先発の藤田学、2番手の竹口が大崩れして、4対11での大敗になった。これで、開幕直後以来のトップの座からの転落である。25日には、9回表に同点に追いついたが、抑え役に指名された畠山が大石にサヨナラ弾を浴びてしまった。さらに27日の西武戦には、加藤が完投したが1点差で敗れ、ついに貯金がなくなってしまった。
 しかし、ここで踏ん張ったのは山内孝だった。18日に続き西武を連続完封し、打線も松沼弟を崩し、9対0で完勝を収めた。翌29日には、大阪球場には3万人(前日は2万8000人)が訪れたが、これもチームが好調だったからこそだろう。しかしこの日の試合は、藤田学が序盤でKOされ、1対5の敗戦に終わった。

4月終了時の成績は以下の通り

勝ー敗ー分 勝率
近鉄 11−5−1 .688
西武 11−6−1 .647 0.5
南海 8−8−2 .500 2.5
阪急 9−10−0 .474 0.5
ロッテ 7−8−0 .467
日ハム 3−12−0 .200 4.0

 近鉄はBクラスと予測されていたが、大石(.333)ー栗橋(.300)ーデービス(.373)ー加藤英(.333)と続く打線が好調で首位に踊り出た。5番の羽田も.294という打率を残し、ショートには村上が定着していた。エースの鈴木啓示は不調だったが、打撃陣に支えられて2勝をあげた。また、日ハムから移籍の高橋里志が中継ぎで3勝し、新星・石本が3勝、復帰の住友が1勝2Sと、リリーフ陣の充実が光った。
 西武は渡辺久信が3勝、郭泰源が2勝するなど、世代交代が順調に進みつつあった。金森(.321)、田尾(.314)らも期待通りの成績をあげ、ベテランのスティーブ(.324)、片平(.333)、3連勝の東尾らと歯車が噛み合った。秋山、伊東も完全にレギュラーに定着していた。
 阪急は3本柱の山田(2勝1敗)、今井(2勝3敗)、佐藤(3勝2敗)であまり貯金ができず、苦戦していた。打線では弓岡(.356)が好調だったが、徹底マークされたブーマーが打てず、水谷も死球の後遺症で低迷していた。好調だった蓑田も17日に頭部死球で離脱し、熊野、藤田、福原らも1割台の低打率に喘いでいた。
 ロッテは、先発に復帰した村田が「サンデー兆治」として3連勝し、打線も好調だった。落合が打率.352(5位)、8本塁打(1位)、リーが.375(1位)、山本が.357(3位)で、新戦力の荘勝雄も3勝1敗だった。それでも勝ち越せなかったのは、石川が調整遅れで未登板、深沢も不調で未勝利だったためだろう。
 日ハムは大きく負け越した。打線が相変わらず低調で、柏原は打率が.191、二村は.083、新外国人のパターソンは.189という惨状だった。好調なのは古屋ぐらいで、島田誠や高代も打率は2割台前半だった。エースに予定された田中富生は3連敗、柴田は2連敗、抑え役の川原は爪を割って登録を抹消されていた。

 南海は打撃陣の爆発もあり一時的に首位に立ったが、結局5割で4月を終えた。打線は月末には次のような形になっていた。左・新井(.367)二・ドイル(.343)中・河埜(.273)D・門田(.292)右・山本(.338)一・ナイマン(.299)三・池之上(.286)捕・吉田(.175)遊・小川(.255)。門田は6本塁打(2位)、ドイルが5本、ナイマンが3本と、まずまずの成績である。
 開幕から好調だった岡本はケガで離脱し、後には新井が返り咲いていた。遊撃に予定された定岡は、太腿を痛めて登録を抹消され、後は小川がほぼ1人でこなしていた。また、三塁の立石は.120という低打率のため、スタメンを池之上に譲ることが多くなった。それから捕手では、打撃好調の香川がマスクをかぶることも増えていた。
 投手では、山内孝が2勝0敗、防御率2.70と奮闘し、加藤、藤本修も2勝していた。腱鞘炎が不安視された山内和にも使えるメドが立っていた。しかし、竹口は依然として四球を連発し、抑えが予定された井上も腰を痛めて抹消されていた。そのため畠山がリリーフにまわることになったが、どうにも駒不足の感が拭えない投手陣ではあった。

5月ー4位転落

 5月の滑り出しは上々だった。1日のゲームでは、追い上げる阪急を矢野ー中条ー大久保の救援で抑え込み、藤本修が3連勝、大久保は初セーブをあげた。2日には加藤が2失点で完投し、藤本博史は2度目のスタメンで初アーチをかけた。3日の同カードは2万3000人を集めたが、吉田が山沖から死球を受けて決勝点をあげ、これで3連戦3連勝となった。ただ、門田は2日に三塁打を放った走塁中に足を痛め、以後2週間欠場することになる。
 4日からはロッテとの3位をかけての対戦となった。その初戦、リリーフにまわった畠山が打たれると、2戦目も先発の竹口が大量失点で敗れ、チームは4位に転落した。それでも3戦目に藤本修が完投勝ちを収め、3位に復帰した。翌7日には、日ハム相手に加藤が4勝目をあげ、矢野も好リリーフを見せた。これで13勝10敗、首位の西武には2ゲーム差である。一見、門田欠場の穴を感じさせない戦いぶりだった。
 しかし、8日に山内孝で日ハムに負けて4位に沈むと、以後チームはAクラスに復帰することはなかった。9日にも調子のあがらない山内和が四球を連発して競り負け、11日の阪急戦では藤本修に初めて土がついた。これで3連敗、貯金もなくなったことになる。
 この危機になんとか抵抗しようとしたのは加藤だった。12日の同カードに4対3と粘り勝って、村田と並ぶハーラートップの5勝目をあげた。さらに13日には、山内和の後を受けた矢野らが好投して貯金を2とした。矢野はこれで負けなしの1勝3S、抑えのエースの座を射止めつつあった。
 が、この後、チームは引き分けを挟んで6連敗してしまう。まず15日には松沼兄に完封され、16日には東尾に1点に封じられた。門田がスタメンに復帰した17日にも、エラー絡みで加藤が自責0で負けてしまった。18日には、最後の最後で矢野が同点弾を浴びて引き分けである。19日は村田兆治を崩したものの、リリーフの梅沢に締められて惜敗、21日は山内孝が大量失点で大敗、22日は加藤がKOされての負けだった。
 連敗が止まったのは23日の近鉄戦だった。この試合、山本が5、6、7号の3本塁打を放ち、先発の山内和も8回途中まで投げて3勝めをあげた。26日の日ハム戦も、ドイルとナイマンの7号弾などの支援を受けて、藤本修が5勝めをあげた。これで借金2、まだ上昇のチャンスは残されていた。しかしこの後、負け癖がついたのか借金ばかりがかさむことになる。
 28日の西武戦は、ドイルと定岡のエラーが響いて1点差負け、加藤は好投したが4敗めを喫した。さらに30日の同カードは、山内孝が大量失点で完敗となった。

5月終了時の成績は次の通り

勝ー敗ー分 勝率
西武 27−12−1 .692
ロッテ 20−17−2 .541 6.0
近鉄 20−17−2 .541 0.0
南海 17−21−3 .447 3.5
阪急 19−25−0 .432 1.0
日ハム 12−23−2 .343 2.5

 西武はベテランと若手の力が噛みあい、この月16勝6敗と絶好調で首位に踊り出た。ベテランの片平は、この月の打率.424(通算.383)で首位打者、東尾は4連勝(通算7連勝)、松沼兄も4連勝(通算5勝1敗)という好調さだった。若手では秋山が4割近い打率で13本塁打を放ち(通算.317で17本)、月間MVPに輝いた。渡辺久信もリリーフに転向し、この月は1勝1敗5S(通算4勝1敗5S)で郭と防御率1位の座を争った。
 ロッテは13勝9敗2分と勝ち越し、同率2位にまで進出した。村田が4連勝(通算7連勝)と頑張り、抑えに定着した梅沢が1勝(0敗)3Sの成績を残した。打撃陣も、リーが小指骨折で離脱したものの、山本、落合、横田、西村らが好調だった。不調の深沢や石川が本来の力を出せば、まだまだ上を狙えると思われた。
 近鉄は9勝12敗1分と負け越し、首位を滑り落ちた。4月は調子がよかった打線も、デービス以外は並みの数字に戻り、そうなると先発投手陣の弱さが露呈した。鈴木啓示が打たれながらも3勝(2敗)したが、谷宏、久保、柳田らは不調なままだった。唯一の勝ちパターンは、セットアッパーの石本(この月2勝1敗3S)に繋ぎ、終盤勝負に持ち込むことだった。
 阪急は10勝15敗と大きく負け越した。特に蓑田不在の5月前半はどん底で、今井が負けを重ね、山沖は4試合連続救援失敗という体たらくだった。なんとか踏み止まったのは、佐藤(この月4勝1敗)や新ストッパーの谷(この月0勝1敗3S)のおかげだった。また、熊野や松永も次第に調子をあげていた。「三振か本塁打か」のヒックスも、この月だけで10本塁打を放った。
 日ハムは9勝11敗2分と善戦した。4月の勝率が2割だったことからすれば、チーム状態は随分よくなったことになる。打線では力が落ちた柏原(5月終了時に打率.169)を外したが、島田誠やプラントが好調で、ようやく最悪の時期を脱した。投手陣では、先発に起用された柴田がこの月3勝2敗で、リーグ防御率3位に登場した。またドラフト1位の河野も3勝をあげた。

 南海はこの月9勝13敗1分に終わった。5勝2敗で滑り出したが、中盤以後は4勝11敗という落ち込みようだった。4月に好調だった打線は、山本(通算.313−7)、門田(.302−10)、ナイマン(.295−7)らの中軸はともかく、全体としてはかなり落ち込んでいた。河埜(.204)はスタメン落ちが多く、新井(.247)岡本(.264)らも率を落とし、変わって山村(.281)の出場が増えていた。遊撃の小川(.290)、三塁の池之上(.283)は頑張っていたが、長打がなかった。
 投手では、5月12日現在5勝1敗の加藤がその後3連敗し、4連勝スタートの藤本修もその後1勝2敗とペースダウンした。大黒柱の山内孝も調子を落とし、5月終了時にまだ2勝4敗という成績だった。彼ら主力投手は調子が悪くても投げざるを得ず、防御率はなかなかよくならなかった。本来ローテーションに入るべき山内和は、腱鞘炎のため間隔を置いての登板であり、畠山もフォームが定まらず、井上は腰を痛めてファームで調整中だった。そんな中、抑えに定着した矢野は、5月末現在で1勝0敗3S、防御率1.75と踏ん張っていた。


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