1984年の南海ホークス(後編)


6月ー逆転サヨナラ満塁弾

 貯金1で迎えた6月は、恒例の新潟遠征で始まった。長岡での2日の日ハム戦は、門田が13、14号弾を放ち、ナイマンも14号を放って打ち勝った。翌日の新潟での同カードには、地元ということで水島新司が始球式を務めた。水島は5球投げるというパフォーマンスで、1万3000人の観客を喜ばせた。試合は、門田が蓑田と並ぶ15号を放ち、高柳も2試合連続の5号を放つなどしたが、先発の藤田学が打ち込まれて10対10の引き分けとなった。
 この後、首位の阪急、2位の近鉄との連戦を迎えたが、ここで南海は崩れてしまった。阪急は9連勝中で、先発が6連勝中の山田、7連勝中の佐藤、絶好調で8勝の今井と敵が強すぎたのも事実だったが、まずここで3連敗を喫した。打線は3試合で5点しかとれず、しかも3戦目には守備が乱れて7失策の惨状だった。足を引っ張られた山内孝は、自責点0で敗戦投手になった。チームも借金生活に突入し、好調のロッテに抜かれて4位への転落となってしまった。
 さらに近鉄との対戦も、ショックが残る展開になった。藤本修が踏ん張って3対2で迎えた最終回、抑えの金城基が加藤英に逆転サヨナラ満塁弾を喰らったのである。そのため2戦目には、2対0で完封目前の山内和にリリーフは送られなかった。その結果、今度は柳原に代打逆転サヨナラ満塁弾を喰らったのである。これで5連敗、気が抜けたのか翌12日の日ハム戦にも負けて、借金は4にまで膨れ上がった。さらに13日の同カードも、畠山が5安打1失点の好投を見せたが、打線は間柴に完封されてしまった。これで5位西武にも0.5ゲーム差である。
 畠山はこの日防御率3.30で7位に登場したが、勝敗は2勝5敗だった。ここまで藤本修は3.32で2勝2敗、加藤は5.61で3勝2敗1Sだった。畠山は勝ち運がなかったことになるが、その実力はファンにも認められたようである。この時期に始まったオールスターファン投票では初登場6位で、以後南海の投手陣では1番の得票を獲得していくことになる。
 さて、連敗を脱出したのは14日の日ハム戦だった。2番ドイル、3番高柳という打順の組み替えが当たり、また矢野の好リリーフもあって、11日ぶりの勝利となった。さらに16、17日のロッテ戦には、門田が17号を、ナイマンが16、17号を放って大勝し、再び3位に浮上した。ホームランダービーは、門田、ナイマンが17本で蓑田に並んだわけだが、特にナイマンの意外な活躍に、新聞には「止まらナイマン」などの見出しが躍った。
 借金2で迎えた19日の日ハム戦は、6日前と同じ畠山ー間柴の投げ合いとなった。畠山は4失点で完投したが、打線は相変わらず間柴を打てず、結局2対4での負けてしまった。それだけでなく、畠山を援護しようとバントヒットを試みた門田が、走塁の際に右足を痛め、しばらく欠場を余儀なくされた。
 門田欠場というピンチの中、代わって4番に座ったのはナイマンだった。ナイマンは20日の日ハム戦に、単独トップとなる18号を放ち、また次の西武戦にも19号を打って立派に代役を果たした。藤本修も20日に自責1で完投勝利を収め、防御率3.15で3位にまで進出した。ただロッテも好調であり、21日に試合がなかった南海を抜いて3位に進出した。南海が24日に山内孝で負けた時には、ロッテとは1.5ゲーム差に広がっていた。
 この後27日からは、またも阪急、近鉄との連戦だった。その初戦、畠山が阪急打線を完封し、山田の連勝を9で止めた。当たり屋(?)池之上への死球で、山田は調子を乱したのだろうか。ともかく久しぶりの阪急戦での勝利だった。初完封の畠山は、防御率を3.04として藤本修を上回った。
 28日には佐藤に完封されてお返しを喰らったが、29日には山内孝が久々に好投を見せた。最後は、6月になって好調な矢野が締め、4対2で近鉄を下した。しかし30日には、藤本修が好投したものの、打線が鈴木啓に抑え込まれ1対3での敗戦となった。

6月終了時の成績は以下の通り

勝敗分 勝率
阪急 41−24−5 .631
近鉄 33−30−7 .524 7.0
ロッテ 30−28−12 .517 0.5
南海 30−32−8 .484 2.0
西武 30−37−3 .448 2.5
日ハム 24−37−9 .393 3.0

 阪急はこの月11勝8敗1分と、中盤以降少しペースを落とした。蓑田が故障で休みがちになり、今井もやや調子を落としていた。それでも山田、佐藤は好調で、ブーマーも2冠王だった。近鉄はこの月8勝11敗3分と不調だった。柳田の3連敗に見られるように、鈴木啓以外の先発投手が勝てなくなった。打線でも好調なのは平野ぐらいで、加藤英や羽田は2割4分から5分台をさまよっていた。
 ロッテはこの月12勝7敗4分だった。5月末からの8連勝もあり、一気にAクラスにまで進出した。落合はまだ2割6分台だったが、リーが調子をあげ、高沢も依然として好調だった。投手陣ではこの月だけで仁科が4勝、深沢が3勝していた。西武は9勝12敗1分と相変わらず低迷していた。広岡監督も優勝を諦めたのか、辻、安部、駒崎、金森、秋山らの若手を優先的に起用するようになった。投手陣でも、江夏や高橋直らのベテランはほとんど使わなくなった。日ハムは9勝8敗4分とやや持ち直した。間柴を中心としてローテーションを再編した影響だろう。が、それでもダントツの最下位であり、責任をとって植村監督は辞任した(28日)。後任はフロント入りしていた前監督の大沢だった。

 南海は8勝11敗1分だった。前半の6連敗の影響がもろに出た形である。金城基も打ち込まれるようになり、山内孝も調子を崩していた。前年最多勝の山内和も、ここまで6勝7敗と今ひとつ不振だった。ただ、畠山、藤本修、加藤が登場し、また矢野がリリーフで調子を戻したのは明るい材料だった。しかし、藤田学が6月3日以来登板がなく、時々好投する森口も勝ちゲームから外されたことで、河村コーチが若手を偏重しているという不満もくすぶりだした(らしい)。
 打線では、門田が19日を最後として欠場していたが、ナイマンがホームランダービーのトップを走り、まずはその穴を埋めていた。新井、久保寺も2割8分台まで成績を戻していた。また、ライトには高柳と山本が定着するようになったが、彼らは待望の中軸を打てる選手だった。

7月ー4位攻防戦への移行

 7月1日にの近鉄戦には加藤が先発した。加藤は5回無失点と好投したが、後を受けた竹口、森口が崩れた末に、矢野が仲根に代打逆転満塁弾を浴びてしまった。2日の阪急戦も、畠山が山田に投げ勝っていたのに、最終回に矢野が打ち込まれてサヨナラ負けとなった。
 翌日は、山内和が佐藤に2対1で投げ勝ったが、4日には山内孝が今井と投げ合い、2対3での敗戦となった。このように接戦にはなるのだが、今一歩及ばないというパターンが多く、この時点で借金は4にまで増えていた。
 その南海が唯一カモにしたのはロッテだった。6日からの3連戦には門田も復帰し、久々に相手を圧倒する姿が見られた。まず初戦では、藤本修が3回途中8失点でKOされたが、後の竹口と矢野が追加点を許さなかった。その間、池之上と山本が本塁打を放ち、門田も2打点をあげて10対8で逆転勝利を収めた。次の試合は畠山が完投、門田が18号3ランを放ち競り勝った。3戦目も門田が3打点をあげ、山内和が1安打で完封して8勝目をあげた。
 これでロッテと入れ替わって3位に浮上、借金も1となった。穴吹監督も、「戦力が整えばこんなゲームができるんや」と、自信を窺わせるコメントをした。しかし、この後の西武3連戦が、南海の致命傷となってしまった。初戦、山内孝が1回持たずにKOされて3対10で敗戦、2戦目も藤本修が打ち込まれて負けてしまった。のみならず3戦目も、折角江夏を崩して勝ち越したのに、畠山が延長10回裏に追いつかれ、金城基が犠飛を打たれてサヨナラ負けとなった。この3連敗の結果、Aクラスに手がとどかなくなっただけでなく、死に体となっていた西武も蘇ることになった。4ゲーム差をつけていたのが一気に1ゲーム差となり、西武も戦闘意欲を蘇らせたのである。
 連敗は次のロッテ戦で止まった。3連勝と調子を戻していた山内和が2失点で完投し、防御率を3.24として9勝目をあげた。この試合、ライトに入っていた山本が3捕殺のパ・リーグ記録を達成し、その強肩が注目されることになった。山本は7月に入って3番ライトに完全に定着し、打率も3割を超えていた。この時期の南海の打順は、1河埜、2ドイル、3山本、4門田、5ナイマンで固まりつつあった。しかし翌日は、山内孝が不調で、代わった竹口、森口も打ち込まれて大敗となった。
 前半戦の締め括りは、日ハムとの3連戦だった。初戦は、藤本修と加藤が日ハム打線を2点に抑えた。が、味方打線も不調で、敗色濃厚のまま迎えた9回裏、ドイルが8号弾を放ち引き分けに持ち込んだ。2戦目も、山本の9号で先制したが後が続かず引き分けとなった。好調の山本は、この試合を終えて打率.323を記録していた。18日の前期最終戦は、山内和が3点差を守れず同点にされたが、香川が代打でサヨナラ2塁打を放ち勝ちとなった。
 なおこの日、不調の金城は自ら再調整を申し出て、翌日に2軍落ちとなった。

 さて、20日のJrオールスター戦には、南海からは畠山、加藤、吉村、藤本博史が出場した。畠山も加藤も既に1軍の中心選手となっており格下相手の感があったが、加藤は先発で2回を、畠山はリリーフで1回を投げた。途中、池田高校の1年後輩の水野との対決という演出も織り込まれた。打つ方では、藤本博は代打で出てノーヒットだったが、吉村は先発で2安打2打点と活躍し、MVPとなった。
 21日からのオールスター戦には、南海からはファン投票で香川が、監督推薦で山内和、門田、河埜が選ばれた(ちなみにファン投票で、畠山は投手5位、ドイルは二塁手5位、久保寺が遊撃手4位、門田が指名打者2位、新井が外野9位だった)。
 初戦は、蓑田の活躍もあり14対5でパ・リーグが大勝したが、南海勢には目立った活躍はなかった。2戦目には、広岡監督が予告通り、門田をスタメン5番(ライト)で出場させた。「門田は実はうまいから」という説明だったが、門田は無難にこなした上、6回には西本から2ランを放ち優秀選手賞に輝いた。
 門田は3戦目にも代打でヒットを放ったが、この試合では山内和も活躍した。先発して3回を無失点に抑え、優秀選手賞を受けたのだった。なお、河埜は毎試合代走や代打で出場し、3戦目には四球で出塁した。香川は3戦連続で代打に出たが、いずれも凡退した。

 後半戦、穴吹は、金城の代わりに加藤を抑えにまわすと宣言していた。加藤、畠山、藤本修の3人は、新人王候補と目されるようになり、穴吹もフル回転させようとしていた。ここまで加藤は3勝3敗0Sで防御率4.08、畠山は4勝7敗0Sで防御率は3.19、藤本は4勝4敗0Sで防御率は4.05だった。
 近鉄の小野、西武の渡辺、日ハムの津野らの高卒ルーキーも1軍で勝ち星をあげていたが、投球回数が少なくチームへの貢献度は南海勢の方が上だった。むしろ、5年目でギリギリ資格を残していたロッテ・高沢の方が、3割台の打率を保ち強力なライバルだと見られていた。
 後半の開幕は、得意のロッテとの3連戦だった。初戦の先発に好調の山内和を立て、南海は必勝を期していた。しかし、その山内和が2回と持たず、後を受けた竹口もメロメロで、黒星スタートになってしまった。ナイマンがブーマーに並ぶ21号、門田が19号を放っただが、それも無駄になった。
 2戦目には山内孝が完投で9勝目をあげたが、3戦目は打ち合いの末にまた負けてしまった。畠山、矢野、森口が総崩れで、門田が20、21号も及ばない敗戦だった。
 この後、30日の西武戦も藤本修が8四死球で自滅し、借金は5まで膨らんだ。のみならず5位西武が0.5ゲーム差まで迫ってきた。が、31日の同カードは山内和ー加藤のリレーで勝ち、なんとか5位転落は免れた。これが山内和の10勝目であり、また加藤にとっては初のSとなった。なおこの試合、門田とナイマンが共に22号を放ち、南海勢2人がホームランダービーのトップに立つことになった。

7月終了時の成績は以下の通り

勝敗分 勝率
阪急 49−30−7 .620
近鉄 42−36−7 .538 6.5
ロッテ 41−36−12 .532 0.5
南海 38−42−10 .475 4.5
西武 38−45−5 .458 1.5
日ハム 28−47−11 .373 6.0

 阪急はこの月、8勝6敗2分だった。7月7日に、山田が打球を受けて離脱するアクシデントがあったが、今井が復調して4勝1敗とチームを支えた。また、ベテラン左腕の宮本は、この月も好調で防御率の3位に登場していた。気がかりなのは、復帰した水谷の調子が一向にあがらないことと、セカンドのバンプの怠慢プレイだった。
 近鉄は9勝6敗だった。鈴木啓はやや調子を崩したが、柳田、久保、谷宏が復活してきた。新外国人のデービスも慣れてきて長短打を連発、一時は阪急に4ゲーム差まで迫っていた。
 ロッテは11勝8敗だった。南海に負け越したためこの数字にとどまったが、勢いはパ・リーグで一番だった。落合はようやく調子をあげ、この月は打率.333で本塁打8本、リーも打率を一挙に3割2分台まで引き上げていた。投手では石川が3連勝したのが目立った。
 西武は8勝8敗2分だった。7月1日に広岡監督が「敗北宣言」をしたのだが、その割にベテランを使い続けチームは混乱していた。25日に登録抹消された江夏が、広岡批判をやり返すというドタバタもあった。投手陣の柱たるべき東尾はこの月4連敗、石毛も絶不調だった。それでも南海戦に4勝1敗だったおかげで、4位浮上の目が出てきていた。
 日ハムはこの月、4勝10敗2分だった。主砲の柏原は、視力減退のため打率が2割2分台まで落ちていた。投手陣でも、頼みの間柴が血行障害を再発させて3連敗、田中富も2連敗していた。

 南海は8勝10敗2分だった。山本が打率.443、3本塁打で月間MVPに輝き、また門田と河埜も3割を保ち好調だったが、どうにも投打がちぐはぐだった。藤本修が調子を落とし、矢野、竹口、森口は不安定で、一挙に大量失点することが多かった。ベテランの金城基はファーム落ちし、藤田学にも昇格の声がかからず、投手陣は若年層ばかりに頼ることになっていた。

8月ーまたもや急降下

 8月1日の西武戦には、1年ぶりに森口が先発した。が、2回3失点でKO、さらに矢野も打ち込まれて5対9での敗戦となった。これで西武と再び0.5ゲーム差である。3日の近鉄戦では山内孝が完投で10勝目をあげたが、チームはこの後15日間、勝ち星から見放されてしまった。
 引き分けを挟んで10連敗したわけだが、これでチームは5位に陥落し、穴吹政権への評価もがらりと変わってしまった。それまでは、どん底の南海に新風を吹き込んだ男として、マスメディアでも好意的に扱われていたのだが、批判の声があがるようになった。球場でもようやく罵声が聞かれるようになり、首脳陣とベテラン投手の対立も取り沙汰されるようになった。
 連敗の始まりは、4日の近鉄戦だった。ナイマンが単独トップに立つ23号を放ったが、畠山、藤本が打たれて5対6で負けてしまったのである。これで南海は5位に転落した。5日の同カードも、ナイマンの24号が出たが、山内和が崩れて大敗となった。この後6日の同カードは、久々に竹口が先発したが、案の定初回にKOされた。膝痛でスタメン落ちの門田が、代打3ランを放ち逆転したが、結局7対7での引き分けとなった。
 さらに7日、8日の阪急戦は、矢野、山内孝らが崩れて大敗となった。これで引き分けを挟んで4連敗である。不調の藤本修を中継ぎにまわし、矢野、竹口に先発させるという配置換えも裏目で、誰かがどこかで大崩れするというパターンが続いていた。
 さらに悪いことに、9日の試合前には門田が腰痛でリタイアしてしまった。この日、畠山はまたも山田に投げ勝っていたが、加藤が崩れて延長10回に勝ち越されてしまった。加藤も、これ以前は10試合連続で無失点だったのに、登板過多で力が落ちていたのだろう。それにしても巡り合わせが悪かった。
 11日の日ハム戦も、山内和が坂巻に投げ負けて敗戦、12日にも矢野が打たれて3対5での敗戦となった。14日の西武戦も、松沼弟に1点に封じられて負け、15日の同カードも畠山、加藤が踏ん張ったが、水谷が行沢にサヨナラ弾を打たれて敗戦となった。これで力を落としたのか、17日の近鉄戦は山内和が2回と持たず、7失点でKOされて10連敗となった。
 連敗がようやく止まったのは、18日の近鉄戦だった。矢野ー畠山ー加藤の小刻みなリレーと、山本の好走塁などで久々の勝利を収めたのだった。しかし、この時点で4位西武とは5.5ゲーム差がつき、2年連続の5位は決定的になっていた。19日の同カードでは、山内孝が完封勝利を収めた。この日、ナイマンも久々の25号3ランを放ったが、29本まで伸ばしたブーマーには4本差をつけられていた。
 20日からの阪急戦で、ようやく門田が復帰した。が、その初戦ではブーマーが30、31号弾を放ち、小刻みな投手リレーも実らず敗戦となった。2戦目には門田が24号、山本が12号を放ったが、久々に先発した藤本修がKOされ、9対11で負けてしまった。さらに3戦目も、矢野が打たれて大敗した。ブーマーは32号を放ち、南海勢のホームラン王も絶望的になった。
 このようなチーム状態の中、穴吹は金城基を再昇格させようとしたが、肘痛を理由に拒否された。金城はファームで抑え役として活躍し、そのお陰もあってウエスタンが急に勝ちだしただけに、穴吹は納得できなかったのだろう。23日には、金城のトレードを考えるという談話を漏らすに至った。さらに、藤田学についても戦力外という談話がなされた。
 このようなベテランへの処遇には、反発する首脳もいたようで、チームはますます混乱した。24日の日ハム戦は、その混乱を反映したかのように、21失点という大敗になった。山内孝が6失点でKOされた後、竹口が7失点、水谷が6失点である。水谷は、3年ぶりの活躍が期待された若手ストッパー候補だったが、これでファーム落ちすることになった。
 再び入りかけたトンネルを抜け出したのは、26日の日ハムとのダブルヘッダーだった。その1戦目、門田の25号、立石の5号3ランなどで津野を崩し、藤本修が67日ぶりの5勝目を収めた。加藤も7月31日以来の2Sをあげた。さらに2戦目にはナイマンの26号、ドイルの11号などで大量得点し、山内和が26日ぶりの11勝目をあげた。さらに28日のロッテ戦でも、山内孝が完投勝利を収め、3連勝となった。
 しかし29日の同カードでは畠山が打たれ、4連勝はならなかった。

8月終了時の成績は以下の通り

勝敗分
阪急 65−39−9 .625
ロッテ 56−43−15 .566 6.5
近鉄 51−50−10 .505 6.0
西武 51−53−6 .490 1.5
南海 44−58−11 .431 6.0
日ハム 37−61−13 .378 5.0

 阪急はこの月、16勝9敗2分だった。山田は迅速に復帰したが、また本調子ではなく1勝もあげることはできなかった。その分、今井が5勝1敗、山沖が5勝3敗3S、佐藤が3勝1敗と絶好調で、ブーマーも13本塁打を量産して三冠王に立っていた。蓑田がやや率を落としたものの、松永、弓岡なども依然好調だった。また、捕手の藤田が打撃でもアピールし、規定打席不足ながら打率を.286まであげ、新人王候補の一番手に踊り出た。
 ロッテは15勝7敗3分と、阪急を上回る勝率をあげた。落合はこの月、打率.374で13本塁打を放ち、リーも7本塁打を放った。投手陣でも仁科、石川、深沢らが好調だった。ただ、高沢が11日のフェンスに激突して骨折、離脱したのは痛かった。
 近鉄は、9勝14敗3分と大きく負け越した。ロッテに抜かれ、Bクラスに転落する危機も迫っていた。羽田がようやく調子をあげたが、全体として打線が下り坂だった。西武は13勝8敗1分と、ようやく立ち直った。伊東が正捕手に定着し、一塁・片平、二塁・行沢、三塁・スティーブ、遊撃・石毛という布陣が定まり、巻き返しの気配を見せていた。
 日ハムは9勝14敗2分だった。クルーズ以外の主軸は相変わらず不調で、間柴も4連敗した。その中で救いは、木田が3勝2敗と復調の気配を見せたことだった。

 南海は6勝16敗1分と、2年連続で8月に大負けした。新人王争いをしていた3人も成績があがらず、受賞は絶望的になった。畠山は8月末の時点でも防御率3.74と安定していたが、勝ち星が増えず5勝11敗にとどまっていた。竹口、矢野、森口も出ては打たれるばかりで、山内孝、山内和も連鎖的に崩れることが増えていた。
 打者では山本、河埜が依然として好調で、復帰した立石も頑張っていた。香川はファームの正捕手と化していたが、代わって吉田が成長し、ここまで打率.263で4本塁打を放っていたのは救いだった(ただ、リードは香川の方がよかったという説もある)。

9月ーまたも5位に終わる

 9月は近鉄との連戦で幕を開けた。が、目標を失ったチームは脆く、藤本修、山内孝であっさりと連敗した。続く3日の西武戦では、山内和が完投で12勝目をあげ、最多勝投手の意地を見せた(実はこの少し前から右手中指に血行障害の症状が現れていた)。この試合、吉田が5号弾を放ち、打率も.280まで引きあげた。ライバルの香川は打率.202で4本塁打であり、新聞には「香川はお払い箱」という見出しが躍った。
 5日の西武戦では、打線が久々に粘りを見せ、3点差を追い上げての引き分けとなった。ロングリリーフの加藤は5回無失点で、防御率はついに2点台(2.96)になった。加藤は次のロッテ戦でも2回を締め括り、終盤チームが逆転したため久々に勝ち投手になった。この試合では門田が27、28号弾を放った。8日の同カードは、山内和が初回KOで大敗したが、次の阪急戦では山内孝が1失点で完投勝利を収めた。これで13勝目である。
 1軍はこのように一進一退だったが、ウエスタンでは南海2軍は圧倒的に強かった。夏場までは勝率5割前後だったのが、金城基がリリーフエースに定着し、香川も1軍と掛け持ちでスタメンに入ると、途端に勝ちが増えだした。5日の阪神戦では大坪がノーヒットノーランを達成し、13日の中日戦でも9回途中までノーヒットという活躍で優勝を決めた。大坪は10勝2敗7Sという成績を引っ下げて、この直後(16日)1軍に昇格した。
 さて、1軍は15日の西武戦で東尾に完封されたが、16日の同カードには粘り勝った。門田は29号、ナイマンは27号を放ち、藤本修が6勝目を、加藤が3S目をあげた。さらに17日の近鉄戦にも、山内孝が鈴木啓に3対2と投げ勝った。決勝ホームランを放ったのは吉田だった。
 19日の同カードには、期待の大坪が先発したが、久保寺の失策もあり3回5失点でKOされた。門田が反撃の30号を放ったものの、2番手の森口も崩れて大敗となった。20日には鈴木康を崩して逆転勝ちを収め、加藤が5勝目をあげた。加藤は22日の日ハム戦にも好救援を見せ、自らは4S目を、山内孝は15勝目をあげた。この試合、ナイマンは28、29号を放った。なんだかんだと投打が噛み合い、9月はここまで7勝5敗1分である。
 阪急が完全優勝を決めた23日、南海は日ハム戦に山川を先発させた。大坪同様、来期に向けたテスト登板だった。が、5回に一挙に乱れて結局負け試合になった。これで南海の5位は確定した。24日は藤本修が宿酔いの阪急打線を2点に抑え、久々の完投で7勝目をあげた。25日は畠山のラスト登板となったが、2回途中にKOされ、大坪と山川のテストの場に切り替えられた。
 最後の試合は、28日のロッテ戦だった。山内孝ー山川の完封リレーで競り勝ち、山内は16勝目を、山川は初セーブをあげた。

最終的な成績は以下の通り

勝敗分 勝率
阪急 75−45−10 .625
ロッテ 64−51−15 .557 8.5
西武 62−61−7 .504 6.0
近鉄 58−61−11 .487 2.0
南海 53−65−12 .449 4.5
日ハム 44−73−13 .376 8.5

 阪急は最後までペースが落ちず、19日に1位を決め、変則プレーオフ(2位チームが5連勝で逆転できるなら行う)のない完全優勝を23日に決めた。山田、今井、佐藤の3本柱とリリーフの山沖の活躍、福本、弓岡、蓑田、ブーマー、松永と繋がる強力打線での圧倒的な勝利だった。また失策54は守備率.989で、パ・リーグの新記録を更新するものだった。
 ロッテは最後まで善戦したが、落合、リーにエンジンがかかるのが遅すぎた。それでも、8月以後手術から復活した村田も合流し、来季への見通しは明るかった。
 西武は9月も11勝8敗1分と勝ち越し、26、27日に近鉄に連勝して3位を確定させた。田淵、山崎、江夏を外し、若手主体で持ち直したのは明るい材料だった。
 近鉄は終盤落ち込んで、ついにBクラスに転落した。栗橋、羽田、梨田、平野らのVメンバーが力を落とし、打線が凋落傾向にあった。若手でレギュラーと言えるのは大石ぐらいで、投手にもなかなか新戦力は現れなかった。
 日ハムはついに立ち直れないまま終わってしまった。クルーズ以外の打撃陣が絶不調、投手でも頼りになるのは坂巻ぐらいで、事態は深刻だった。

 南海は、8月の10連敗が致命傷となった。畠山、藤本修、加藤が登場し、河埜や山本が活躍するという明るい材料もあったが、まだチーム力がついていないということだったろうか。しかも、定岡の離脱、立石の骨折で三遊間の守備が定まらず、三塁は26失策、遊撃は34失策というザル内野ぶりだった。全体としても、年間115失策は近鉄と並んでリーグワーストで、しかも阪急の2倍以上だった。ドイルの守備率はセカンドで1位だっただけに、いかに他が悪かったかがわかる。

個人成績は次の通り

試合 打数 打率、本塁打 盗塁
10 河埜 130 551 .296−14 17 フル出場で大活躍した1年だった。
22 ドイル 123 447 .262−13 チームプレーに徹したが、やはり長打力が不足していた。
山本 115 317 .306−16 15 レギュラーに定着して飛躍の年となった。
14 門田 108 362 .285−30 ケガが多かったが、12打数で1本塁打はブーマー以上。
21 ナイマン 125 427 .267−29 15 ホームランは多かったが確実性に欠けた。
11 新井 127 412 .286−4 14 安定した成績を残した。長打力はなかったが・・
久保寺 112 353 .272−9 失策は多かったが打撃は合格ライン。
吉田 84 172 .267−6 香川を抜いて後半はレギュラーに定着。
立石 74 199 .286−7 骨折もあったが意外な打撃力を発揮した。
香川 82 200 .215−5 内角攻めもあり絶不調。後半は控えになった。
岩木 57 52 .173−0 吉田に抜かれ3番手捕手になった。
定岡 33 104 .221−7 序盤、本塁打を量産したがアキレス腱を断裂。
小川 51 45 .244−0 内野手不足で急遽1軍入り。
中尾 85 81 .198−1 内野の守備固めの筈が、意外にエラーが多かった。
池之上 94 184 .255−4 一塁を追われて流浪の日々。
岡本 81 129 .256−4 中軸候補だったが、山本の登場で出番が減った。
山村 53 84 .214−1 絶不調でレフトのレギュラーから転落。
高柳 81 162 .272−8 左殺しとして評価が高まってきた。
山田 83 45 .156−1 外野守備、代走要員として1軍に帯同した。
試合 勝敗S 回数 防御率
16 畠山 32 5−12−0 153 4.24 好投はしたが不運で勝ち星が伸びなかった。
17 山内和 32 12−12−0 222 4.62 それなりの活躍をしていたが、8月に調子を崩した。
19 藤本修 31 7−6−0 162 4.72 好発進も、疲れのせいか夏場に調子を崩した。
21 山内孝 31 16−11−0 2041/3 4.88 6連勝スタートも、後は勝ったり負けたりだった。
矢野 29 0−5−3 682/3 5.11 膝を痛めながらも頑張ったが、8月に打ち込まれファームへ。
竹口 40 2−4−0 662/3 6.21 先発失格、後半戦は打たれ放題だった。
森口 36 3−5−0 60 6.60 波があったが前半は活躍。が、夏以後は打たれ放題。
藤田学 2−0−0 381/3 5.87 登板機会を与えられず、飼い殺し状態だった。
山川 0−1−1 242/3 5.11 終盤、1軍テストでまずまずの投球をした。
井上 1−1−0 151/3 7.63 腎炎でリタイア、シーズンを棒にふった。
水谷 0−2−0 102/3 11.81 8月に久々に復活登板をしたが、打ち込まれた。
加藤 33 5−4−4 75 2.76 リリーフで常に安定感があった。
金城基 20 0−1−8 21 3.86 序盤は大活躍したが7月にファーム落ち。

 なお、タイトル受賞者は現れなかった。新人王も阪急の藤田が221票を獲得、藤本修は1票を得ただけだった。またベストナインでも、河埜が外野で113票を得たが、125票の高沢に及ばず選に漏れた。なおDH部門では1位はリー(101票)、2位がクルーズ(59票)で、門田は3位(43票)だった。それからダイヤモンドグラブ賞を得た者もいなかった。



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