1983年の南海ホークス(後編)



6月ーようやく疲れが

 6月も滑り出しは上々だった。1日のロッテ戦では山内和が完封し、2日の同カードでは、9回2死から久保寺が同点2塁打を放ち引き分けた。4日の日ハム戦も17安打で打ち勝ち、5月12日以来の勝率5割に復帰した。しかし5日には、香川の悪送球もあり山内和が自責点1で惜敗、7日には藤田学がまたもKO、終盤追い上げたものの1点差で近鉄に敗れた。さらに8日にも鈴木啓に完投を許し、近鉄に同率4位と並ばれてしまう。
 が、ここでも踏ん張ったのは両山内だった。9日には山内孝が近鉄を抑え、11日には山内和がロッテを1点に抑えた。南海が常に沈みそうで沈まなかったのは、この2人のおかげだった。12日には、1カ月ぶりに先発した山内新がまたも打たれたが、8回を7安打というまずまずの内容であり、今後に期待を抱かせた。13日には、日ハムが破れたため、試合がなかった南海は単独3位に浮上する。
 この後、14日の阪急戦で井上がKOされたが、15日には山内孝が踏ん張り、3対3で引き分けに持ち込んだ。とはいえ、これは完封目前の9回に松永に3ランを浴びたものだった。それでも、17日には山内和が近鉄を1点に抑え、18日にもロングリリーフの井上が近鉄を振り切った。そして、19日の近鉄戦は南海にとってベストゲームの1つになる。
 この日は日曜日ということもあり、大阪球場には2万3000人が集まった。このシーズン2番めの大観衆である。この頃、球場にはチアガールが置かれ、雰囲気を盛り上げていた(実は森口博子もその1人だった)。先発の山内新は、5回まで零封というここまでで最高のピッチングを見せた。6回に仲根の2ランで逆転されたが、7回に山村のソロ、河埜の2ランなどで南海は再逆転した。8回には門田が14号を放ち、最後は金城が締めて6対2での勝利となった。これはただの勝利ではなく、南海が5割に復帰すると共に単独2位に浮上する勝ち星だった。

山内新ー○矢野(3勝2敗1S)ーS金城基(1勝2敗7S)
山村5号、河埜3号、門田14号

打数 安打 打点 回数 安打 自責
河埜 山内新 5 2/3
池之上 矢野 1 2/3
ライトル 金城基 1 2/3
門田
山村
新井
久保寺
定岡
岩木
香川
中野
吉田

 しかしこの後、南海は6連敗してしまう。阪急と日ハムに3連戦3連敗を続け、気がついた時には5位にまで落ちてしまった。このうち3つの黒星は終盤に勝ち越された僅差の敗戦だったが、地力のなさが露呈した印象である。特に、ここまで数字を残してきた抑えの金城が打ち込まれたのが痛かった。この年、西武には森、日ハムには江夏、近鉄には鈴木康という絶対的なストッパーがいたが、金城には今ひとつ安定感が欠けていた。浮き上がる速球が衰えたため、あまり得意でない変化球に頼らざるを得ないピッチングになっていたのである。
 それでも、ここで南海は踏ん張った。6月末の苦手・阪急との3連戦には2勝1敗で勝ち越し、4位に復帰して7月を迎えることになる。28日には代打・岡本が、30日には代打・山本雅がサヨナラ打を放ったのであった。
 ところで、22日にはドラフト1位の畠山が1軍デビューを果たした。1回を3人で締める上々の出来であり、25日にはドラフト2位の大久保もデビューした。高卒ルーキー2人が1年めから1軍というのはなんとも苦しげな話ではあった。

6月終了時点の順位は次の通り

勝率
西武 63 43 18 .705
日ハム 59 29 28 .509 12
阪急 63 30 29 .508
南海 61 26 31 .456
近鉄 63 25 30 .455
ロッテ 61 20 37 .351

 相変わらず西武は圧倒的に強く、この月も15勝6敗と絶好調だった。日ハム、阪急は相変わらず5割ラインをウロウロしていた。南海は9勝12敗と借金を重ねてしまった。月末の6連敗が大きく響いたことになる。近鉄はやや盛り返し、ロッテは泥沼にはまったままだった。
 南海で気になるのは、山内孝、山内和の調子が落ちてきたことである。山内孝は、6月9日の完投勝利の後、15日には9回に同点弾を浴びて降板、21日にも8回にエラーから勝ち越され、26日には大量失点でKO、30日にも9回に同点弾を浴びて勝ち投手の権利を失っている。もう少し確実な抑えがいればというところだが、勝ち星は9日以後伸びていないわけである。また山内和も、17日の完投勝利の後、22日には序盤KO、24日には完投したが1点差で負け、29日には序盤KOである。南海の命運はこの2人にかかっているだけに、先行きが心配されることになった。
 打線では、香川、池之上、山村が相変わらず好調で、新井、門田も調子をあげてきていた。とはいえ、長打力の乏しさは相変わらずだった。

7月ー最後の踏ん張り

 7月1、2、3日のロッテとの3連戦に、南海は3連勝を収めた。初戦は粘って逆転勝ち、2戦目は山内和ー金城のリレーで圧倒、3戦目は打撃戦を制し山内新が初勝利と、それぞれが内容のある試合だった。さらに7日の西武戦にも山内孝ー金城のリレーで勝ち、チームは5連勝で3位に浮上した。翌8日の近鉄戦でも苦手の鈴木啓を攻略し、井上ー金城と繋いで勝ち、南海は6年ぶりに6連勝したことになった。
 なお、この試合には李が久々に先発出場した。センターへの定着を期待されながら、不振のため4月中旬にファームに落ち、以後南海は外国人1人(ライトル)で戦っていた。李はファームでは段違いの力量を見せ、2カ月半で13本塁打を放って復帰したが、この試合で早速打点をあげたのである。
 以後、李のスタメン出場も多くなったが、それと共に大久保、竹口らの若手投手の登板も増えた。彼らは、投げ込みのためにファームに落とされた藤田学に代わり、畠山らと共に昇格していた。河村コーチは特に安定感のある大久保を買っていたが、大久保は7月11日に中継ぎで初の勝ち星をあげた。ドラフト1位の畠山は、先発予定が雨で流れ続け、オールスター前には1試合に投げたきりだった。
 さて、南海の連勝は9日の近鉄戦で止まった。3対2でリードしていた7回に、山内和の後を受けた金城が谷真に満塁弾を食らい、逆転されたのだった。金城は翌10日にも負けはしなかったものの4失点を喫した。6連勝の時には4試合に登板し、無失点だっただけに、金城の好不調はチームの不沈と大きく繋がっていたわけである。12日のロッテ戦も、2対0とリードした9回に山内孝が連打され逆転サヨナラ負けとなったが、金城が万全でさえあれば救援のマウンドに立っていた筈の試合だった。
 それでも南海は、13、14日にはロッテに連勝した。門田が連夜、本塁打を打ち、13日には山内新が好投して2勝めをあげた。その結果、チームは貯金1、単独3位となり、2位の阪急には0.5ゲーム差に迫った。そしてすっかりパ・リーグの看板カードとなった16、17日の西武戦は、南海主催で札幌球場で行われたが、2日間で4万6000人を動員したのである。もっとも、試合は東尾の完封、テリーの3ランなどで南海の連敗となり、チームは4位に転落した(17日)。そしてこの年はこれ以後、南海がAクラスに復帰することはなかった。19日の日ハム戦にも敗れ、結局南海は借金2の4位でオールスターを迎えることになった。

なお、前半戦終了時のパ・リーグの個人成績は次の通り。

(打率)

香川 .367 11 田淵 .304
島田誠 .343 12 落合 .3021
大石 .330 13 松永 .3016
ブーマー .328 14 河埜 .294
蓑田 .327 15 石毛 .293
リー .319 16 古屋 .2851
クルーズ .31718 17 門田 .2850
水上 .31716 18 福本 .284
スティーブ .316 19 栗橋 .283
10 池之上 .305 20 高代 .279


(本塁打)

田淵 29 リー 17
テリー 26 ソレイタ 17
門田 22 柏原 14
水谷 19 大田 14
蓑田 18 10 栗橋 13


(防御率)

間柴 10−5−0 2.70
鈴木啓 10−4−0 2.808
東尾 9−5−2 2.810
高橋直 7−1−0 2.93
山内和 10−7−0 3.38
松沼弟 11−4−0 3.51
今井 10−4−0 3.74
山田 5−8−0 3.76
山内孝 7−7−0 3.94
10 松沼兄 9−5−0 3.96


 話をオールスターに移す。まず7月22日にJrオールスターが開催された。この試合にウエスタンは畠山が予告先発し、3回を2安打5奪三振で無失点に切り抜けた。試合は3対2でウエスタンが勝ったが、この3点も李、赤星、神田の南海勢がそれぞれソロホームランを放ったものだった。MVPは畠山に与えられ、まさに南海勢の独り舞台になったわけである。この段階で南海の2軍は、29勝20敗(2分)で首位に立っていた。その勢いがそのまま発揮されたかの展開は、南海の未来の明るさをアピールする絶好の機会となった。
 次いで23、24、26日にオールスターゲームが行われた。南海からの出場は、ファン投票による香川、監督推薦による門田、山内孝、山内和の計4人だった。ちなみにファン投票では、山内和が投手の9位、香川が捕手の1位、河埜が二塁手の5位、久保寺が三塁手の5位、定岡が遊撃手の3位、ライトルが外野手の10位だった。指名打者はここからは外されていたので門田の名が見えないが、前半戦ベストテン10位の池之上の名がないのが寂しい。ポジションが一、三塁の掛け持ちで固定されていなかった影響だろうか。それから定岡の3位というのは、弟のおかげでかなり得をした印象である。さて試合だが、23日の初戦には門田が松岡と西本から本塁打を放ちMVPになった。24日にも先発の山内和が、3回を無安打に抑えて優秀選手となった。山内孝は初戦で山本浩に2ランを喰らい、2回2失点という内容である。それから香川は、3戦全てに出場したものの、7打数でヒットを打つことはできなかった。
 ペナントが再開された29日、最終回に2点差を跳ね返し、南海は勝利を収めた。最後にサヨナラ打を放ったのは香川だった。しかしこの後、山内和と山内新が打ち込まれ、連敗したまま7月は終わった。3位の阪急には1.5ゲーム離され、振り返ると後ろには0.5ゲーム差で近鉄が迫ってきていた。

7月終了時点の順位は次の通り

勝率
西武 77 52 23 .693
日ハム 74 36 35 .507 14
阪急 78 36 36 .500 0.5
南海 77 35 38 .479 1.5
近鉄 78 33 37 .471 0.5
ロッテ 80 26 49 .347 9.5

 西武は7月13日に、田淵が柳田の死球により骨折したものの、それが痛手にはならない程に走り続けていた。もはや優勝は当確で、田淵の復帰が日本シリーズに間に合うかが問題だという雰囲気になっていた。あとはどこのチームも勝っては負けるというパターンを繰り返し、順位に大きな変動はなかった。

8月ーもはやこれまでか

 穴吹監督は、南海は若いチームだからこそ、夏場には強い筈だと広言していた。確かに、西武の主力は大田、山崎、東尾、高橋直らのベテランであり、日ハムにも江夏、高橋一、阪急にも山田、今井、福本、水谷らのベテランが多かった。それに比べると、南海は特に投手陣が若く、確かに強みがありそうだった。
 しかし現実は、そううまくはいかなかった。主力の山内孝、山内和、井上は酷使されてへばっていたし、矢野もフルシーズン働くのは初めてだった。打線も夏に強いベテランの門田は別格としても、香川、池之上はこの年が初めてのフル出場だった。
 そして、チーム全体がバテバテになる中、2日からの西武との3連戦は1つも勝てないまま終わってしまった。初戦は井上が打ち込まれ、打線は1点しかとれず完敗し、2戦目は山内孝が力投したが0対0で引き分けた。3戦目は山内和が7回まで1点に抑えていたものの、ライトルのエラーで追いつかれ、最後は金城が打たれて負けてしまった。
 翌5日の近鉄戦でも、最終回に矢野、金城が打たれ、3対3の引き分けに終わった。5回1失点の先発・大久保を見殺しにしたことになる。さらに6日にも、井上が3失点で完投したものの、鈴木啓に封じられて1点差での敗戦となった。勝てる試合、惜しい試合を幾つも逃し続け、これで8日間勝ち星なしである。そして、7日に近鉄に完封負けを喰らった結果、南海は6月29日以来の5位に転落してしまった。この間6試合でチーム打率は.187、全くのどん底状態である。
 9日の阪急戦は矢野の好投と門田の犠飛でかろうじて逃げ切り、11日ぶりに勝つことができた。この試合、李に代わって1軍入りした高が、このシーズン初の打席に立っている。李は41打数で.244、1本塁打の成績しか残せなかったため、ファームで2冠王だった高を引き上げたわけである。
 さて、翌10日の阪急戦は畠山の予告先発の日だった。飛行機を使っての宣伝が話題を呼び、大阪球場には2万人の観衆が集まった。ただ、これは南海の選手にとっては大観衆なわけだが、4万、5万は当たり前という甲子園で投げていた畠山にとっては少なかったようで、「客が少ない」と漏らしたというエピソードもある。試合は畠山と今井の投げ合いになった。畠山は5回の予定だったが、無失点を続けている上に味方も1点しかとれず、結局7回まで登板した。7回を5安打無失点という好投だったのだが、あとを受けた山内和が9回2アウトから弓岡に3点タイムリーを浴び、結局試合は負けになった。
 この後、11日には久保寺の満塁弾で接戦を制し、1カ月ぶりに3連戦で勝ち越すことができた。が、香川は72日間守った首位打者の座から滑り落ちた。左手首の腱鞘炎を抱えつつ出場を続けた香川もバテていた。それでも選手層が薄いため、主力は無理をして出場を続けた。13日には中2日で山内和が登板したが、9回に追いつかれて引き分け、14日には山内孝が日ハムを1点に抑えたものの味方は1点も取れず、また勝てなくなった。18日のロッテ戦も、久々登板の山内新がKOされて敗戦、山内新はこれ以後南海で投げることはなかった。
 泥沼の中で19日からは西武との3連戦を迎えたが、チームは不振ながら人気カードとあって、3日間で6万2000人が大阪球場を訪れた。初戦は山内孝が打たれて完敗となったが、2戦目は門田がホームランと3塁打(7年ぶり)を放ち、山内和が7月14日以来の白星をあげた。これで近鉄に代わり、チームは4位に浮上した。3戦目は畠山が2度目の先発をした。畠山は8回まで2点に抑える好投をしたが、味方も高橋直を打てず、テリーに勝ち越し弾を浴びて初の敗戦となった。
 この後、阪急に3連敗を喫し、24日には再び5位に転落、おまけに香川がクロスプレーで両腕を痛め、以後休みがちになってしまった。さらには26日の日ハム戦も、山内和がの好投にもかかわらず1対2での惜敗である。27日には、6回途中まで1失点の竹口が初勝利を収めたが、翌28日には畠山が打ち込まれて敗戦、30日からは2ゲーム差の近鉄との4位をめぐる直接対決が始まった。
 初戦は門田が2本の本塁打を打ったが、救援の矢野が2連続押し出しなどの乱調で大敗、2戦目も4点を先行したが山内和、矢野が打たれて1点差で敗戦、この段階で近鉄とのゲーム差は4と開いてしまった。さらに9月1日の3戦目も、門田が30号を放ち、先発の山川が好投したものの、最後は金城が打たれて敗戦である。近鉄とは5ゲーム差。これで4位の可能性も絶たれてしまった。

8月終了時点の順位は次の通り

勝率
西武 98 65 30 .684
日ハム 97 52 40 .563 11.5
阪急 101 49 44 .527 15.0
近鉄 100 41 48 11 .461 21.0
南海 100 39 54 .419 25.0
ロッテ 102 32 62 .340 32.5

 西武はこの月、13勝7敗1分。田淵の離脱も全く関係なく勝ち進んだ。その西武を上回る快進撃を見せたのが日ハムで、16勝5敗2分という成績を残した。その原動力は、この月だけで6勝1敗1S、防御率1.01の川原だった。川原がセットアッパーとして出てきて江夏に繋ぐパターンが、ようやく確立したのだった。それから阪急もようやく地力を発揮して、13勝8敗2分と大きく勝ち越した。近鉄は8勝11敗3分と決して好調ではなかったが、南海が4勝16敗3分と大きく負け越したので、入れ替わりに4位にあがっていた。

ここまでの投手成績は次の通り

勝敗S 防御率
山内和 26 11−10−0 3.89
山内孝 23 7−9−0 3.88
井上 32 6−10−3 5.28
矢野 31 4−4−1 4.69
畠山 0−2−0 5.25
竹口 14 1−0−0 4.97
大久保 11 2−1−0 5.01
山川 0−0−0 7.50
金城 34 4−3−12 3.88
(以下はファーム落ち)
山内新 13 2−9−0 8.55
藤田学 12 2−6−0 6.26
森口 0−0−0 10.80
大坪 0−0−0 4.00
川本 0−0−0 9.00

 山内和、山内孝の柱になる2人が、なかなか勝てなくなっていた。山内和は8月20日に7月14日以来の勝ち星をあげたが、山内孝は7月7日以来勝てなくなっていた。それぞれ、万全で無いなりに好投していたのだが、山内和は金城が打たれて逆転負け(8月4日)、9回に追いつかれて同点(8月13日)、2失点完投も1点差負け(8月26日)など不運な試合が多かった。山内孝も、9回に逆転サヨナラ負け(7月12日)、9回自責点0もエラーで負け(7月17日)、9回まで2失点も勝ち星は付かず(7月29日)、8回0封も引き分け(8月3日)、9回1失点も敗戦(8月14日)と、不運のオンパレードだった。

ここまでの打撃成績は次の通り

打数 打率
新井 100 372 .290
池之上 93 249 .277
久保寺 95 331 .266
門田 93 295 29 .281
香川 94 322 14 .323
山村 84 232 .297
ライトル 94 317 10 .246
定岡 100 316 .247
河埜 97 370 10 .278
岡本 72 153 .268
12 .083
15 41 .244

 不調だった新井が率をあげてきたこと、門田が打ち続けていることは事実だが、初めてフル出場した池之上、香川が疲れのためか落ちてきていた。また、ライトルは絶不調のままであり、台湾勢と合わせても戦力になっていなかったことがわかる。他球団にはテリー、スティーブ、ブーマー、クルーズ、ソレイタなどの強打者がいたのに対し、この点が痛いところだった。ところで高は、ファームの2冠王として1軍にあがったが、上では全く成績を残せなかった。そのため8月末に、投手への最転向を申し出た。高はもともと1軍で3勝していたが、肩を痛めたので投手を断念していたのである。それでも打者として通用しない以上、少しでもチームの役に立つのではという提案だった。これも痛々しい話である。

9月ーあとはタイトル争い

 近鉄との4位攻防戦に3連敗したことで、南海は5位に落ち着くことになりそうだった。あとは、残り試合で若手を育てると共に、タイトル争いを後援することがチームの目標になった。タイトル争いをしていたのは、首位打者からは陥落したものの、まだ高打率を保っていた香川、田淵の負傷中に本塁打を量産した門田、それに最多勝争いの山内和だった(8月31日現在、香川は3厘差でベストテン5位、門田は29本で、テリーに4本差、水谷に1本差の3位、山内和は11勝で、13勝の松沼弟と今井、12勝の東尾に次ぐ4位)。
 9月3日の日ハム戦では、山内孝が久々の勝利を完封で飾ったが、門田はこの試合で31、32号弾を放ち、トップのテリーに3本差に迫った。さらに4日の同カードでは、山内和が12勝目をあげた。この後、6日、8日の西武戦では、山川、畠山が先発したが早々とKOされてしまった。それでも、涼しくなって山内和、山内孝の調子が戻り、この2人が投げる時以外は若手に経験を積ませるという新たなパターンが出来つつあった。
 10日には香川が10試合ぶりに復帰した。この日は山内孝が打ち込まれて負けたが、翌11日には香川、門田が揃って本塁打を放った。しかし、山内和が最終回にリーに満塁弾を浴び、試合は引き分けに終わった。13日には先発の竹口がこの年1番の好投をし、7回を1失点に抑えて2勝目をあげた。門田も34号を放ったが、これでトップのテリーに1差である。14日には森口が先発した。この年から横手投げにしたものの、なかなか調子が上がらず、9月に1軍に戻ってきてからの初先発だった。が、4回途中まで3失点でKOされた。
 15日の日ハム戦には、中3日で山内和が先発した。明らかにタイトル狙いの登板である。この試合、山内和は7回2死までノーヒットという好投を見せ、1失点で完投勝ちした。門田も35号を放ち、トップのテリーに並んだ。しかし香川はどうにも調子が戻らず、この試合限りで再び欠場することになった。
 18日には山内孝が粘投して勝ったが、竹口が初セーブをあげた。金城に安定感がなくなっている以上、代わりのストッパーを求めて、首脳陣も色々と試してみたのだろう。この後、22日のロッテ戦にも山内和が先発、14勝目をあげてトップの東尾、松沼弟に並んだ。23日には、期待の竹口が先発したが3回途中でKOされた。24日にも山内孝が不調で敗戦である。
 この後、9月の最終戦である29日の近鉄戦にも、山内和が先発した。6回途中まで4失点とまり調子はよくなかったが、竹口、金城と繋いで勝つことができた。これで15勝目で、東尾に再び並んだが、この日松沼弟も15勝目を飾り、この3人が並ぶことになった。なお、この日の勝利で、5ゲーム差まで開いていた近鉄とのゲーム差は2.5まで縮まった。ひょっとすると4位という可能性が、僅かに現れてきたのだった。

9月終了時点の順位は次の通り

勝率
西武 113 76 33 .697
阪急 117 60 49 .550 16.0
日ハム 114 57 51 .528 18.5
近鉄 115 46 56 13 .451 26.5
南海 116 46 62 .428 29.5
ロッテ 119 38 72 .345 38.5

 西武は優勝寸前だった。ただこの年は、ゲーム差によってはプレーオフを行うという変則シーズンだったため、最後まで手を抜くわけにはいかなかった。阪急は山田の復調と、山沖の連続完投勝利などで11勝5敗と好調で、日ハムを抜いて2位に浮上した。逆に日ハムは5勝11敗1分と大きく負け越した。

10月ーシーズン終了

 僅かに残った4位浮上の可能性も、10月1、2日の阪急戦に連敗したことでほぼ消滅した。またその代わり門田が36号ホームランを放ち、とうとうテリーに追いついた。さらに4日からの西武との4連戦では、南海の最後の踏ん張りが見られた。初戦では山内和が1失点で完投勝利を収めた。これで東尾と並んで16勝、後には15勝の松沼弟と14勝の山沖が続いていた。そして第2戦では、森口が2年ぶりの勝利を完投で飾った。9月の復帰後も敗戦処理での登板ばかりだったが、ようやく復活の兆しが現れたわけである。この試合で門田が37号弾を放ち、ついに単独トップに立った。
 第3戦は完封負けを喫したが、先発の松沼弟には勝ち星がつかなかったため、16勝の東尾と山内和、15勝の松沼弟という順序は崩れなかった。しかも、第4戦では東尾を打ち崩し、彼が抜け出すことも阻止した。また門田はこの試合でも本塁打を放ち、テリーに2本差をつけた。
 このあと8日のロッテ戦では、金城が打たれて逆転負けを喫した。西武が優勝(プレーオフなしの完全優勝)を決めた10日、山内和はロッテ戦に登板したが、9回に同点にされて抜け出すことはできなかった。松沼弟も優勝直後のダブルヘッダー2戦に登板したが、今井に投げ負けてしまった。しかし、東尾は13日に勝って一歩抜け出した。
 これに対して、14日の阪急戦で、好投の畠山に代わり山内和が途中登板した。門田の40号など打線の援護もあり、山内和は17勝目をあげ、東尾に並んだ。残り試合は南海が2、西武が6だったので、まだ山内和は不利だったが、テリーに3本差をつけた門田の本塁打王は確定的になった。16日の西武戦に完封負けしたことでチームの5位は決まったが、タイトル争いが続いたことはファンにとっては幸いだった。この日は消化試合にもかかわらず1万人が集まったのだった。
 18日の阪急との最終戦、マウンドに立ったのは最多勝を狙う山内和だった。山内和は阪急を5安打1失点に抑え、7連勝で18勝目をあげてシーズンを終えた。あとは西武の結果待ちだったが、東尾は22日の129試合目に18勝目をあげ、結局この2人が最多勝ということになった。それからテリーは首位打者狙いに切り替えたこともあり、本塁打は38本に終わった(結局打率も2位にとどまった)。本塁打王は40本の門田が2年ぶりに獲得した。それから首位打者争いをしていた香川は、手首が治らず欠場が続いたため、規定打席にも足りないままシーズンを終えた。

最終成績

チーム勝敗

勝率 対西武 対阪急 対日ハム 対近鉄 対南海 対ロッテ
西武 86 40 .683 16-10-0 17-9-0 19-5-2 13-11-2 21-5-0
阪急 67 55 .549 17.0 10-16-0 13-11-2 15-9-2 17-8-1 12-11-3
日ハム 64 59 .520 20.5 9-17-0 11-13-2 15-8-3 13-12-1 16-9-1
近鉄 52 65 13 .444 29.5 5-19-2 9-15-2 8-15-3 14-10-2 16-6-4
南海 52 69 .430 31.5 11-13-2 8-17-1 12-13-1 10-14-2 11-12-2
ロッテ 43 76 11 .381 39,5 5-21-0 11-12-3 9-16-1 6-16-4 12-11-3


チーム打撃成績

順位 試合 打数 打率
15 新井 130 479 53 19 .290 春先不調も、3割近くまで打率をあげた。
池之上 120 336 32 .265 7月まで3割もその後急降下。
28 久保寺 123 422 11 45 13 .263 16 波はあったが三塁を無難にこなした。
13 門田 122 396 40 96 .293 秋口から調子をあげ本塁打王に。
香川 105 339 15 61 .313 前半戦首位打者も、左手首を痛め離脱。
山村 108 296 32 .294 移籍後最も充実した年になった。
ライトル 112 357 11 38 .258 終始不調、自ら引退を申し込んだ。
31 定岡 130 417 47 .257 22 流し打ちに目覚めて好調だった。
30 河埜 126 477 11 44 16 .258 11 どちらかといえば不調の年。
岩木 68 57 .228 強肩の控え捕手の筈が、盗塁阻止率が.222に低下。
吉田 48 63 .159 控え捕手。打てない上に盗塁阻止率は.156。
鐘井 40 12 .111 内野の控えだがほとんど代走。
岡本 93 204 23 .250 一塁予定の長距離砲。ケガの間に池之上に抜かれた。
山本和 51 129 .233 レフトで開幕スタメンも、肝炎で長期離脱。
山本雅 61 107 .271 左殺しの代打屋。長打を捨てて打率があがった。
62 15 .267 代走、外野守備固め要員。
高柳 49 86 20 .279 強打者候補の外野手、一軍で初ホーマー。
12 .083 二軍で打点王も一軍では通用せず。
15 41 .244 二軍で15ホーマーも一軍の助っ人にならず。

 打線は、門田、香川以下それぞれが頑張った印象がある。しかしライトルが落ち込んだ上、高、李が一軍では通用しなかったため、強力な外国人を揃えた他球団に差をつけられた。

チーム投手成績

順位 完投 勝ー敗ーS 防御率
10 山内和 35 16 18−10−0 249.1 3.93 終盤7連勝で最多勝。速球とチェンジアップが得意。
11 山内孝 31 16 10−14−0 242 4.09 不運で勝ち星は伸びなかったが安定感があった。
18 井上 35 6−10−3 160.2 5.21 酷使されたが数字は残した。
矢野 37 5−6−1 118.1 4.34 フル回転して5勝をあげた。
藤田学 12 2−6−0 54.2 6.26 突然崩れるパターンが続き、後半戦はファームに落ちたまま。
山内新 13 2−9−0 53.2 8.55 8月中旬に、南海に来て初めてファーム落ち。
竹口 27 2−3−1 62 5.08 先発で勝ち星も残した。貴重な左腕。
森口 16 1−2−0 41.1 5.66 終盤、一軍に復帰して復活の可能性を僅かに示した。
大久保 17 2−1−0 34 4.76 高卒ルーキー組の中で、唯一勝ち星をあげた。
畠山 0−3−0 29.2 6.07 先発要員としての期待が高まった一年。
大坪 0−0−0 20 4.95 序盤戦で経験を積んだ。
山川 0−1−0 11 6.55 高卒ルーキートリオの1人。
金城基 40 4−4−15 54 3.67 数字ほどの安定感はなかった。

 投手陣は、山内和、山内孝がパ・リーグのエース級に成長した。山内孝は不運続きで勝ち星が伸びなかったが、それでも10勝である。井上も酷使に耐えてフルシーズン頑張った。それに対して、藤田学と山内新は途中で見切りをつけられてしまった。藤田は二軍でも31.1回で被安打45であり、上にあげられないままシーズンを終えた。一方若手は、矢野以外は数字は残せなかったが、随分と使われて来期に希望をもたらした。畠山は新人王の資格を残したままでシーズンを終えた。

 なお、門田が40本で本塁打王に、山内和が18勝で最多勝に(東尾と共に)なったが、門田と香川はベストナインをも受賞した。山内和は投手部門で12票を獲得したが、優勝チームのエース・東尾の154票に大差をつけられ、受賞できなかった。
 それから最後にもう1点、是非に指摘しておきたいのは、観客動員が顕著に増加したことである。前年度は43万9000人しか動員できなかったが、それが65万人にまで増えたのである。まだまだ少ないとはいえ、広島が91万6000人だったのだから、穴吹監督の手腕はなかなかのものだったことになろう。



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