居酒屋卑弥呼
総集編
いやあ毎日毎日暑いねえ。
ビールがうまいけええんじゃがね。
ちょっと夏ばて気味だよ。きんさんはいつも元気が良いねえ。
早ね早起き。これに尽きる。
どう?行って見る?一杯。
そういやあずいぶんご無沙汰じゃ。じゃあ軽く一杯。卑弥呼でも。
ところで邪馬台国の話し始めて、僕も本を読むようになったよ。
まあ忙しいけ沢山は読めんはな。でもいらん遊びせんでええじゃろ。
そうかもね。不景気にはもってこいかも。
ただビールは一杯よけいに飲むがね。
まいど〜。
生中二つね。
この間テレビで4代文明の特集やててさ、皆どこも4,5千年前の話でね。弥生時代なんかより2000年も3000年も前なんだよね
そうじゃねえ。
それですごい工芸品や建築を作る技術があったなんて信じられる?
あれ、なんで4っつとも同じ時期なんかね。別々に文明が起きたんなら、年代もばらばらで中身も似ても似付かないようなあっと驚く文明があってもよさそうなもんじゃ。
やっぱり交流があったんじゃないの。エジプトから中国まで繋がっていたんだよきっと。
どうもわしは、調べる学者が同じ尺度で見るせいでこうなっとるような気がする。で、判断できないものは詳しくしらべん。うやむや。
インカとか?
うん、まあインカは判っているようじゃが、それ以外に沢山ある。邪馬台国もそうよ。
邪馬台国は世界的な研究材料じゃないよ。
まあね、日本だけのローカルテーマではある。
中国人から見たら遠い小国のそのまた一部分だもんね。
邪馬台国の頃の中国の話をしようか。
ああそりゃあいい、諸葛孔明が出てくるかな。
いやいやそんな話しよったら10年かかるよ。でも関係あるんじゃけ出てくるかもね。
じゃあまあビールのお変わりと行きましょう。
・・・・・・・・
きゅうさんね、漢の倭の奴の国王。
ああ金印ね。
漢の時代の国王じゃけど、中国の文書にこの王が朝献したのが107年だと。
後漢時代だ。
卑弥呼が死んだのが248年と言う事らしいのと、この倭人伝が書かれたのが280年ごろ。
うん。
黄巾の乱がね、184年に起きとる。
うへえ〜。漢に対する民衆の反乱だと習ったけどね。
うん、わしも詳しい事は知らんが始めはそうじゃったらしいね。でもいったん政府軍に鎮圧された。
このあと中国は内乱状態になるんだっけ。
そこがポイントよ。中国の内部の混乱で、倭国は強いバックアップを失って、倭国も内乱状態になる。
倭国大乱?
あの金印、前にも出たけど”倭”じゃあないんよ。”委”なんよ。委奴国王なんよ。イナ国かイド国。
”かんのわのなのこくおう”じゃなくて”かんのいなこくおう”なんだね。
漢の時代に力を持っていた土豪の委奴国王が、漢の力をバックに倭国を治めておった訳じゃ。
「その国もと男子をもって王となし、住するところ7,80年倭国乱れてあい攻伐し年を経た。」ってことになってるね。
そう、その”男子”が委奴国王師升じゃ。ちょうど黄巾の乱が起きて少し後じゃ。107年の朝献から77年後に黄巾の乱が起きとる。
なーるほど。うまいこといったね。
189年ごろ中国東部で公孫度が太守となって朝鮮半島の付け根部分を支配した。その後に帯方郡を新設したんじゃそうな。
楽浪郡はピョンヤンよりまだ北にあったんだね。楽浪郡は古いけど、帯方郡は倭人伝の話のちょっと前に出来たわけだ。
で、228年に公孫淵が魏の地方官として楽浪郡帯方群を管轄していたということ。
おもしろくなってきたねえ。
・・・・・・・・
だいたい、魏、呉、蜀の三国体制が出来たのが黄巾の乱の30年後214年らしい。
魏は曹操、呉は孫権、蜀は劉備というぐらいは知ってる。
うん、まず曹操は蜀を攻撃して呉を牽制する。それで蜀の北、魏の西方の漢中に兵を進めて張魯の五斗米道共和国を降伏させた。
それは知らなかった。
それから魏の将軍夏候淵が漢中に駐留しているところへ、219年、劉備が攻め落とし、漢中王となった。
ふんふん。
曹操は我が子同然に育てた曹真を西安に駐留させる。
ほお。
まだこの時には後漢の献帝が形ばかりながら皇帝としていた。220年曹操が死んで、その長男曹丕は献帝を退け皇帝について国号を魏と定め、文帝として洛陽に都した。
曹操が死んでからなんだね。
そうそう。文帝は父親が偉大過ぎたので周辺諸国に存在感を示さなくてはならないと焦る。
そりゃそうだ。2代目のつらいところだ。
西方面将軍の曹真がシルクロード付近の諸国に朝献を呼びかけ、多数の国々の使者は洛陽を訪れた。
曹真の手柄だったというわけだ。
226年、文帝が死ぬ。40歳だそうな。若死にじゃね。その後を息子の明帝が継いで、曹真、陳群、曹休、司馬懿の4人を後見人とする。
司馬懿仲達か?諸葛孔明が死んで走らせた?
それで、曹真、よく働いて、西方の王波調に親魏大月氏王の金印を明帝から授けさせた。229年の話。
西方の大月氏国って?
よく知らんけど、アフガニスタン辺りのクシャン族の国らしい。社会の時間にカニシカ王っちゅうの習ったじゃろう。トルクメニスタン、アフガニスタン、パキスタン、北インドまでの大帝国があって、その王様じゃ。波調というのはカニシカ王の孫と言う事じゃね。
じゃあ、中国と肩を並べるぐらいの国じゃないの。倭国とはぜんぜん違うね。
そうじゃね。それから231年曹真が死んで、諸葛孔明が攻めこんできた。曹真の息子曹爽はまだ小さかったので、司馬懿が西の将軍として任された。
三国志らしくなってきたねえ。
234年に再び諸葛亮孔明が攻めこんでくる。このとき諸葛亮は死んでしまうんじゃ。
でたな。
司馬懿はここぞとばかりに蜀軍を追撃。ところが蜀軍はくるりと向きを変えて反撃してきた。驚いた司馬懿が諸葛亮がまだ生きていると警戒して魏軍を後退させた。
死せる孔明、生ける仲達を走らせる。やっぱりね。
そのころ東方面では呉と公孫淵が主従関係を結んで、公孫淵は燕王の称号を送られておった。ところが魏の明帝が公孫淵に圧力をかけたら、簡単に裏切った。このとき捕まった呉の使者が高句麗まで逃げて助けられてこんどは呉と高句麗が同盟を結ぶ。そんでもって高句麗も魏に脅されてまた、呉を裏切る。
義理も人情も武士道もあったもんじゃない。
司馬懿の流の母丘倹を東北方面将軍に任じて公孫淵に圧力をかけたが失敗、公孫淵は燕王を自称してまた呉と繋がる。
節操がない。
とうとう明帝は怒って、司馬懿を将軍に任じ、燕軍を蹴散らさせた。同時に楽浪郡帯方郡まで魏の支配下に落とし入れた。
司馬懿も半端じゃあないね。
その年、明帝が倒れ、後継ぎ問題が起こって、すったもんだの挙句曹芳が皇帝、大将軍に曹真の子曹爽がなって司馬懿と伴に後見人となる。曹爽は司馬懿を祭り上げて実権を取りたい。いろんな地位と名誉を与えて骨抜きにしようとしたわけじゃ。
なるほど。
ちょうどそんな時東の遠い島国から、のこのこ安っぽい手土産を持ってやってきたのが倭の使者と言うわけ。
なんともねえ。
曹爽の父の曹真の偉業に対して、司馬懿にも手柄をくれてやった。それが、大月氏王に対する倭王ということじゃね。
皮肉じゃなかったのかな。でも逆にうまく利用したのは司馬懿のほうだね。
それからも曹爽と司馬懿の権力争いは続く。そして倭国は政争の具に使われるようになったらしい。司馬懿にとって日本が大国である方が都合がいいわけじゃ。
なんで?
魏志倭人伝は誰が書いた?
陳寿。
陳寿は何物?
晋の文官。
晋を建国したのは誰?
知らない。
司馬懿じゃ。
あらま。
なんとなくわかってきたじゃろう。
うーん。それで魏は倭国を大事にしたわけか。
というより、司馬懿が自分の功績をことさらに大きく見せるために倭国を大国に仕立て上げて皇帝に報告したんかもしれんな。
卑弥呼の死も、なんか関係があるみたいに思えてきたよ。
249年正月、司馬懿はクーデターを起こす。曹爽派はことごとく失脚、処刑された。
ほら、卑弥呼が死んだ翌年でしょ。
なんか匂うね。
三国志東夷伝は司馬懿のサクセスストーリーだったんだね。
そういうことじゃ。じゃけ曹真の手柄の西方のことはあまり書かれていないらしいよ。
なんとなくすっきりしたような気がする。
ついでに、陳寿の事も言うけど、この人、233年生まれ、297年に死んでる。64歳じゃね。
よく知ってるねえ。
この人、宿敵蜀の生まれ。始め蜀の役人で、今でもよくあるけど女性関係で失脚させられたそうな。
あちゃー、まずいなあ。
晋の時代まで冷や飯を食わされておったが、張華という人に見出された。
張華?
ほとんど同年代の、魏の主席秘書官の娘の旦那で、司馬懿の次男司馬昭の秘書官じゃった。一度失脚するが再び任命され、300年に内乱が起きて殺される。この後中国はまた血で血を洗う時代になる。
それで?
張華が陳寿を推薦して文官にし、三国志を編集させた。
と言う事は昔話ではなく、現代史だったんだね。第2次世界大戦記を書くようなものだ。
そう、陳寿が書いた頃は皇帝が司馬懿の息子じゃけ、史実に忠実と言うわけには行かん。どちらかと言うと晋国を褒め称える形になるのは自然じゃろうね。
昭和の戦争で日本が勝っていたら、華々しい戦記が書かれたろうね。
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歴史は繰り返されるちゅうけど、中国はほんとに同じような政権争いが延々と続くねえ。
いったい何人殺されてきたんだろうね。日本とはスケールが違うよ。
大きな国でもたったこれだけの短い間に、漢、魏、晋。蜀やら呉、燕、斉。きりがない。
そう考えると倭は一度も征服されていないなあ。元寇のときぐらいか。あんときゃ神風。
そう。昭和の米ソ連合だけかもしれん。
出る杭は打たれる。白村江の戦いと、秀吉朝鮮出兵、日清日露、昭和のアジア侵略。倭が海外に戦争を吹っかけたのは全部失敗している。
それでも国内まで侵略されたのは昭和戦争だけじゃ。
明治になって錯覚したのかなあ。日本は世界を牛耳る力があると。でも一般人はいつもなにも知らないんだと思うけど。
基本的に争いを好まない人種かもしれんね。なんでも黙り込んで我慢する。だから天皇を中心にした政権が長く続いたのかも。
こうやって魏志倭人伝に関する話をしていると、日本はちっぽけだね。
中国の歴史から倭を見たら、邪馬台国がどこにあってもたいして問題じゃあないっちゅう感じがするわ。
そうはいかないよ。やっぱり日本の大事なルーツなんだから、白黒はっきりしなきゃ。
もうはっきりしたジャン。
九州?
あのね。
・・・・・・・・・
きんさんね。面白い本があってね、ちょっと読んで見た。
邪馬台国?
そう、この本ね、神社のご神体から日本のルーツを探し出したものなんだ。
神社。
古事記日本書紀以前の文献はない。そこで古い神社を調べて誰が祭られているかを研究したらしいんだ。
すごいね。
それで邪馬台国の事も書いてある。
なんて?
まず、投馬国が宇佐の辺り。邪馬台国は宮崎県西都市。21カ国は種子島を始めとして与論島までの西南諸島だって。
となると狗奴国は沖縄か?
その通り。これで言ったらなるほどと思っちゃった。
うーんわからん事はない。でもさっきまで話した魏との関係で言えば、沖縄は呉に近すぎておかしくなる。
どうして?
じゃけ、晋国の正史として書かれた倭人伝は晋にとって有利な事を書くはずじゃ。
うん。
創始者の司馬懿の功績をたたえて、さらに敵国の呉に脅威を与えるものじゃ。
うん。
司馬懿は中国東北部を支配して、朝鮮半島も占領した。その向こうには強大な帝国”倭”がある。
強大な帝国ねえ。
その倭をも支配下に入れて西から東までの巨大な勢力を築いたのが司馬懿ということにならんにゃあいけん。
まあね。
司馬懿が死んでまだ40年。当時のことをよく知る人は多い。とくに呉は南西諸島には頻繁に行き来している筈じゃ。沖縄が狗奴国じゃったら、呉はとっくに知っている。へんだぞとすぐばれて呉が復活してしまう。
まあ沖縄と台湾や南海岸は行き来があったかもしれない。
呉書には倭のことが書かれておらん。沖縄じゃったらつじつまが合わん。
呉書には徐福のことだけらしいね。
ええかきゅうさん。邪馬台国は大和じゃ。
もう一回聞こうか。
倭人伝は今まで言った様に、全て正しいとはいえん。特に距離、方角、人口。
うそだと。
そう、陳寿は知っておったかもしれんが、今までのいきさつでアレンジしたわけじゃ。
アレンジねえ。
距離は4〜6倍に伸ばしている。でも相対的に比率は大体間違いない。
うん。
方角は呉への圧力の為に南に変えている。でも遠いので行けないよと言っている。
行っても無駄だよってか。
人口は大月氏国に相当するように、めちゃくちゃ増やしている。大帝国なんだと思わせたかった。
7万戸は確かに多すぎるような気がする。二十数万人だもん。
不弥国までは九州、投馬国は瀬戸内、邪馬台国は大和、21カ国は邪馬台国周辺、主に東の諸国。
わかった。
狗奴国は東海地方。名古屋か。
うん。
東の倭種は当時征服されていないアイヌ系の人達。関東以北じゃろう。
うん。
シュジュ国、裸国、黒歯国は伝説の国。ミクロネシアやハワイのことじゃろう。
うん。
陳寿は風俗や特産物の事は詳しく書いているのに、道程はさらりと流すのはこう言う訳があったんじゃろう。
きんさん、倭人伝がうそや誇張だらけって言うのはよくわかったよ。でもね、それなら九州でもいいんじゃないの?九州に限らず出雲でも吉備でも四国でも。
ポイントはね、やまとと言う発音。箸墓古墳のような古くて大規模な塚。鏡。その後の政権の場である大和との繋がりのスムースさ。なんじゃ。箸墓を発掘すれば解決するよ。
解決しますかな。
きゅうさんはまだ、疑っとるんかい。この後に及んで。じゃあ説明してみんさいや。
うん、ただぼくはここだと言うほど固まっちゃあいない。
そらみろ。
たしかに、中国側の背景はよくわかった。一言一句正しいとは思わなくなったよ。
うんうん。
ただ全体の記述の流から、九州のような気がする。やまとと言う発音は九州にもある。
ふん。
2世紀から3世紀の古墳も沢山ある。
ふん。
鏡に関して言えば、卑弥呼の墓に収めるのはおかしいと思う。景初3年に100枚もらってそれを自分の墓なんかには入れないでしょ。それに何百枚も鏡が出土している。僕は三角縁神獣鏡はほとんどが日本製だと思う。
ふーん。
それから、古事記にあるように、3世紀にに神武天皇がヒムカの国から東征して、大和地方に移住した。箸墓は卑弥呼ではなく、神武天皇関係者だと思う。
古事記や日本書紀を信じるわけ?
倭人伝と同じで誇張はあるけどうそ八百とも思わない。モデルがなければあんなドラマは作れないよ。
そうかもしれん。
僕が一番引っかかるのは、大和だとしたら途中の国の記述がないことなんだよ。
出雲とか?
そう、不弥国が九州でいきなり瀬戸内、そしてまたいきなり大和。途中の山口や広島や岡山や兵庫県や四国に何でクニがないの?
省略したんじゃろう。
じゃあなんでよくわからない21カ国のことは書くわけ?
陳寿に聞いてくれ。
じゃあ僕の考えを言おう。最初とはちょっと変わった。
ああ。
不弥国までは九州北部。
ん。
投馬国は九州南部。ヒムカでしょう。
お。
邪馬台国は宇佐。
ほ。
21カ国は中国四国地方から近畿地方諸国。
んんん。
狗奴国は大和か。周辺も含まれるかもしれない。
い。
倭種の国は四国または北陸。
う。
シュジュ国は北海道。裸国黒歯国は南方の島。
ん。
どう?
どうってことないね。根拠がない。
当時の倭国は西日本だったんだよ。東日本はアイヌ人か縄文人。これは一緒かもしれないけど。その境目が関が原から三重県まで。
それは女王の境界の尽きるところじゃ。
倭国の西日本人は中国渡来系、朝鮮半島系の弥生人。東日本人は南方系、北方系の縄文人。
中国系渡来人が手掴みで食べるか?刺青するか?じゃあ北陸は?
これは弥生人でしょう。越の国。それで中国人や朝鮮半島人は一度に大量に渡来したんじゃなくて、ちょっとづつ。
なんでわかるン。
だって大量に渡来すれば、言葉は中国語や朝鮮語になる筈でしょ。日本語はもともと東日本人が使っていた物で、渡来人は日本語に合わせたんだと思うよ。文字は自分の文字。だから発音が近い漢字を一音一音当てはめたんだよ。風習も日本人のやり方に合わせたんだと思う。
やまとは邪馬台、じゃあ大和は?
これはだいぶ後になってから日本人が当てはめたんだ。倭の事だよ。
倭?
倭国の事、倭が和になった。そして威厳をつけて”大”和さ。極めて日本らしい言葉だね。
じゃけ奈良の大和が倭国じゃったんじゃ。
いやいや、もし邪馬台国が奈良県だったとしたら、大和って文字を使う理由がない。そのまま邪馬台でいいじゃない。大和をだいわでなくやまとと読むには訳があるような気がするよ。
どういうこと?
僕が思うのは、邪馬台国が九州にあって、その一族か、あるいは追い出された豪族が狗奴国征伐に奈良県まできて征服した。
神武天皇じゃろ?
そこで力をつけて九州なんか怖くなくなった。この地こそ偉大なる倭国である。大和だと宣言する。
おもしろいじゃん。
しかし地元民はこいつらは”やまと”だと言う。倭王か邪馬台王かではぜんぜん違う。それで本家の九州邪馬台国を征服して、ここに統一国家”大和”を建国する。
でもこうなると倭人伝の話じゃあないで。きゅうさん神話の読みすぎよ。
ま、神武の東征まで言ったらきりがない。やめとこう。でも九州に邪馬台国があった根拠になるんだよ。
わかったわかった。
きんさんは箸墓が卑弥呼の塚だって言ったよね。
そう。きゅうさんは?
宇佐神宮。
宇佐神宮のどこ?
社殿の下。
社殿の下?掘れないジャン。うまいこと逃げたね。
掘ろうと思えば掘れるよ。出土条件はね、100体の殉葬者。これは盗掘される事はないだろう。
そうじゃね。鏡は出ない?
うん。2,3枚程度かな。剣も出ないと思う。女だし後世に伝えると思う。出てきそうな物は、玉、錦、祈祷用の金属製品、つぼ。親魏倭王の金印は出ない。台与に渡したから。
そりゃあわしもそう思う。箸墓から100体出てきたらきゅうさん、高級クラブおごってもらうよ。
僕は宇佐神宮で夜な夜なトンネルを掘ろうか。
そういえばトンネルじゃね。
このはなし?
そ。
うん。
この店今日で閉店らしい。
ええ?
不景気で売上さっぱり。家賃が出ないと。
でもそんなふうじゃないけどね。
ろくなつまみも頼まないで長居する常連が多いんじゃと。しゃべってばっかりで。
この店、ネーミングが悪いよ。居酒屋卑弥呼なんて。
店長に聞いたらね、お客さん沢山来るんじゃが、卑弥呼の話になって、九州じゃ畿内じゃとけんかが絶えン。早いとこ結論出して貰わないと商売にならん。それまで閉店するんじゃそうな。
ばかだねえ。再開できるわけないジャン。
それまで、別の名前でやるって。
どんな?
居酒屋古事記じゃと。
ばっかだねえ。
おしまい
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ちょっとのつもりが長ーくなりました。
ここまで読んだ方、大変お疲れ様でした。お察し致します。
疑問や批判もありましょうが、どうかひとつ、むきにならずに忘れてください。
また勉強して、きんさんきゅうさんとも相談し、出直しましょう。
長らくのお付き合いありがとうございました。
れんちち with kyu and kin
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