居酒屋卑弥呼

ここは居酒屋

会社帰りのきゅうさんときんさんの中年二人がチュウハイ飲みながら激論

とまではいかなくても邪馬台国論争をしています

 

  プロローグ

そういえばきんさん、奥さんの名前君子さんだったよね

ああ、それがどしたん?

どこ出身だっけ?

奈良県じゃがそれがどしたん。あ、すいませーん、チュウハイちょうだい。

どこで知り合ったの?

きゅうさん、わしとこの馴れ初め聞いてどうするン

いやあね、このまえね、テレビで箸墓古墳のことやっててね。卑弥呼の墓じゃないかって。それでね。

卑弥呼で君子を思い出したん?

わしもね、奈良にゃあ里帰りに行くけえちいたあしっとるど。箸墓古墳は見たことがある。

きんさん僕ね、邪馬台国に興味があるんだ。

へええ〜、ぎしわじんでんか

おっ!乗ってきたね。それそれ。きんさんは邪馬台国どこにあったと思う?

ちょっとまってや。実はわし、詳しいんで。魏志倭人伝も、卑弥呼の鏡も、神武の東征も。

おおおおっ!おねえさんおかわり。で、何でいまだにわからないんだろうね。江戸時代から研究されているのにねえ。ちゃんと魏志倭人伝という文献も残っているのに。たった1800年前のことがね。

魏志倭人伝がええかげんなんよ。うそやら間違いだらけじゃけ

そんなことはないよ。あれを疑ったら何にも手がかりがなくなるじゃない。焼き鳥もう一皿頼もうよ。

確かに全部うそとは思えん。でも解釈ひとつでどうにでもなるような所がいっぱいあるんじゃ。

あの〜ラストオーダーになりますけど〜

じゃあチュウハイ二つ

明日こどもの参観日なんじゃ。買えろうや。

じゃあ続きは今度ね。おねえさん、チュウハイキャンセルして。

 

   第一話

きゅうさん、仕事片ついた?

はいな

卑弥呼行こうか

はいな

こないだ参観日でね、いっちょうら着ていったのにね、みーんなラフな格好しとるんよ。びしっときめたのに。

参観日行ったことなかったの?

上の子が1年生のとき行った。

今何年?

中2

いらっしゃいませ〜

あれえ空いてるねえ。ま、まだ6時だもんな。

とりあえずビールね。あと、やっこ、にくじゃがと砂肝2人前ね。

昨日ね、取引先の社長がね、ゴルフの話を懇々とするんだ。下手なんだけど口はシングルなんだ。理屈でゴルフやってるって感じでね。2時間もだよ。

どこの社長?

ほら、スキー好きの建具屋の。

ああ、あのおっさん。あの会社大丈夫か?気い付けとったほうがええど。そういやああのおっさん邪馬台国の話し出したらしつこいでえ。今度一緒に飲もうか。

いやだね。

おねえさん、おねえさ〜〜ん。チュウハイ。

あ、僕もね。

きゅうさんが邪馬台国の話出したけちょっと調べてみたで。

ほう、なにを。

魏志倭人伝。

で?

三国志、魏書、東夷伝、倭人条っちゅうんじゃ。魏志倭人伝の事。知っとったか。

魏志倭人伝じゃないの?

そうらしい。で、実際よりだいぶ後に書かれたらしい。魏の国史じゃね。

魏というのは三国志に出てくる魏の曹操の魏でしょ。ちょうど卑弥呼の時代だね。

曹操はもうちょっと前じゃが大体正しい。卑弥呼が死んだのが248年らしい。わしゃあ三国志が好きじゃった。諸葛孔明よ。でもその三国志とはちょっと違うんじゃ。

とても同じ時代とは思えないね。日本は辺鄙でド田舎だったんだねえ。

いや、朝鮮半島とはもっと古くから交流があったはずじゃヶ以外とそうでもないかもしれんよ。

きんさん、その三国志魏書、、、、、うーん魏志倭人伝で行こうよ。それでなんて書いてあるの?

よっしゃ、しらべたんじゃけの。まず、帯方郡から日本までの道のりが書いてある。帯方郡とは今のピョンヤン辺りで魏の直轄の司令部みたいなもんじゃ。

楽浪郡っていうのもあったね。ソウルの辺かな。

最初に、倭人が帯方郡の東南の大海の中にあるとなっとる。これはわかるなあ。山や島によって生活していると。漢の時代には100の国と交流があったが今では30カ国であると。

日本の中に100も国があったのかなあ。クニって都市みたいなものだろうね。

それぞれ親分が居って、戦国時代の一国みたいな感じか、それより小さいものかわからん。わしは大きいと思う。安芸の国とか、備後の国とか言うふうに。

それじゃ100カ国は多いんじゃない?

でも安芸とか備後とかなら100ぐらいあるド。

日本中にクニがあったって?そのころ西日本、せめて関東以西ぐらいじゃないかなあ.それ以外はまだ縄文時代だったような気がするなあ。

おねえさんがなんか注文して欲しそうな顔しよるで。ねえおねえさん。チュウハイとね、ほっけある?ない?

続きは?

ほっけないそうな。あれ好きなんよ。じゃあ豚キムチね。

焼き鳥の皮ちょうだい。きんさん続きは。

うん。帯方郡から倭に行くには海岸に沿って水行し、韓を通って南に東に進み、その北岸の狗耶韓国に到着する。この間7千里。

ピョンヤンから船で出れば海岸沿いにリアス海岸をくねくね行くね。でも海岸に沿って水行し、韓を通ってという事はどこかにいったん上陸して狗耶韓国まで陸を通ったとも取れるね。

そうそう、そういう学者も居るみたいじゃ。でも前後の流れからそのまま船で行ったと考えるほうが自然じゃろう。ここで大問題なのが距離が出てきた事じゃ。魏の1里は430メートルぐらいらしい。ちゅうことは3000キロぐらい。これが後からすったもんだあるわけよ。

狗耶韓国はプサンあたりかね。その北岸とは倭の北の対岸てことだろうね。

だと思う。そこからはじめて海を渡る。約千里で対馬国に着く。ただ馬が海になっとる多分誤字じゃ。プサンから海を渡れば対馬じゃけえの。それで約千里じゃそうな。

千里?

4〜500キロかの。

そんなにあるわけないじゃない。

じゃけうそやら誇張やら間違いだらけじゃと思うわけよ。草千里のように遠いことの代名詞かもしれん。

いや、プサンから対馬まで実際の距離がわかるんだから1里の単位が違ってたんじゃないかな。そんな話聞いた事がある.

どんな?

だから当時は”短里”だったんだって。1里が80メートルぐらい。実際の距離から計算すればすぐわかるでしょ。

そんな話聞いた事ない。かってに作ってええんか。

勝手に作ったわけじゃない。あったらしいよ。

ふうん。確かに次の壱岐までの距離も1000里になっとる。壱岐は一支とか一大と書かれとるが。でもわしは短里は信用せんな。それから対馬についての記述がある。長官の名前が卑狗で副長官が卑奴母離じゃ。ヒコとヒナモリ。おそらく王じゃなくて外務大臣みたいなもんじゃろう。

当時は男の事をヒコと呼んでいたんじゃないかな。あるいは身分の高い男かな。今でも使うよね。

対馬は四方が海の孤島で、方400里。山は険しく森林ばかりでけものみちのような道がある。家は1000戸、良い田はなく、海産物を食べている。北や南に買出しに行っている。かなり詳しいほうじゃろう。

また距離が出たね。方って平方だね。この国の様子はよくわかるね。ただ測量したはずがないからざっと見た目か、ぐるっと一周したのかもしれない。その筋の専門家が同行したかもね。軍事的に必要だもんね。

次は壱岐じゃ。でもほんとにプサン対馬壱岐のルートじゃったんか。ひっかかるのお。

ほとんどの学者はそう思ってるよ。

また海を渡る。1000里。ほんとは千余里。この海の名前はカンカイと言う。ワープロ出んぞ。壱岐に到着。

また1000里なんだ。これは絶対短里だな。最近壱岐の弥生の遺跡が発掘されているよね。壱岐国だって。なんて名前だったかな。

対馬と同じように書いとる。長官が卑狗、副長官が卑奴母離。同姓同名?役職の名前じゃろうね。方300里。竹や雑木林が多く、家は3000戸。田は少しある。でも足らないので対馬のように買出しに出る。

本当に対馬の記述と同じだね。ところでこの使者達は何人ぐらいだったのかな。食料もろくにないところを旅するのって命がけだよね。襲われるかもしれないしさ。治安は良かったのかな。

あ、それ、後から出てくるよ。ただ中国人は着ているものも武器も最先端の筈じゃけ神様みたいに見えたろうのお。天孫降臨ちゅうのはこんな感じかもしれん。

天孫降臨?

おーいおねえさん、チュウハイ二つね。

焼き鳥もらおうよ。

・・・・・・・・

そう言えば例の建具屋、今日行った?

うん、元気がなかったぞ。二日酔いだって。邪馬台国の話を持ちかけたんだけど乗ってこないんだ.

おやまあ。

なんか、昨日PTAかなんかで綱引きしたんだってさ。それでね体中筋肉痛。体力ないくせにはりきっちゃうんだよ。

年にゃあ勝てん。顔色悪いであの社長。

そんなことはどうでもいいからさ。壱岐の次に行こうよ。この辺から僕もちょっとは知ってるんだ。

次は末ろ(?)国、松浦じゃと言われとる。また海を渡って1000里で到着。家は4000戸。海岸縁に住んでいる.草木生い茂り、前を行く人が見えないくらい。魚やあわびを取るのが得意で浅くても深くても潜ってとる。

唐津だろうと言われているね。東松浦半島と言うのがある。その西にも松浦があるんだよ。またまた1000里か。

気になるのが4000戸。一万人以上住んで居った事になるが。当時そんなに人が居ったろうか。

そこから陸を東南に500里行ったところに伊都国があるんだよね。糸島半島でしょ。ここまではほとんど異論がないらしいね。

いやいやそこよ。陸行東南五百里よ。糸島半島に行くのに何で船で行かん?唐津からじゃ海の向こうに見えるんで。草ぼうぼうのけものみちを荷物を持って歩くより、今まで乗ってきた船で海岸沿いを進んだほうが遥かに楽じゃろう。

そりゃそうだ。おまけに糸島半島は唐津の東南じゃなくて東北東ぐらいだよ。

それに後で出てくるが、伊都国はそういう使者の駐留所で検疫なんかもしよった。表玄関の役割があったはずじゃ。マツロ国に寄ったのは天候なんかの影響か、潮の流れの関係で、または船が故障して仕方がなかったんじゃないか。

じゃあ壱岐から伊都国へ行くべきところだったって?船が故障したので歩いて伊都国へ?

そうとしかおもえん

あの建具屋の社長は、伊都国は糸島じゃないといってたよ。

じゃあどこ

マツロは西の松浦で中心地は伊万里。そこから東南に行くと有明海に出る。伊都国は武雄市付近。有明海の海岸線は今より後ろでその海岸沿いにあったって。

がんちくがあるねえ。でも論外。日本海にないとつじつまが合わん。

なんで?

それは後のお楽しみ。伊都国の記述がね、長官の名が璽支ニキ、副長官がシマコ、ヒココ(ヘココ?)と言う。

へここ・・・おやヒナモリじゃないね。

家は1000戸。代々王がおって皆女王国に統属している。女王国じゃ。

邪馬台国?

たぶんね。

でも反対に女王国を統属していたと見る人もいるよ。

伊都国は中国からの使者が往来する時の常に駐まるところと書いてあるんじゃ。じゃけえ日本海にないといけん。

別に有明海でも常に駐まれると思うけど。

いちいち難癖をつけるのお。チュハイがないど〜おねえさん。たのまんでも空になったら持ってきんさいやチュウハイ

きんさん酔ったか

伊都国は糸島じゃ。まちがいない。

伊都国ねえ。そうかなあ。

・・・・・・・・・

きゅうさん、たまにゃあ違うもん飲んでみるか。

違うってなにを

冷酒とか、ワインとか。

あ、僕は冷酒を飲むとひっくり返るんだ。

広島は酒どころ、うまい酒がようけあるで。

西条でしょ。お客さんいるから知ってるよ。それと三次のワイン。

三次はね古墳がいっぱいあることしっとった?

知らなかったね。あんな山奥に?

三次の標高は西条と変わらんか、低いぐらいじゃ。それに出雲に近い関係で早い時代から開けとったらしい。

江の川があるね。昔は道路がないから川を小船で行ったほうが早くて楽だったようだね。

道路がないわけじゃあないが馬や牛も居らんかったんで歩くしかない。当然けものみち。えらい人は神輿に担がれていたかもしれん.

ということは日本の場合、長距離の移動は船が中心と言う事かな。海に囲まれてるから。

大きい川なら船でも行ける。ただ川の場合は水かさに左右されるけえいつでもと言うわけには行かんかったろうの。

じゃあ水行と言うのは海とは限らないと言えるよね。そういえば海を渡ると言う場合と、水行とわざわざ分けてあるような感じがしてきた。

伊都国の話しはまたにして、その次の話に行こうや。冷酒でも飲んで。

こいわしのてんぷら。

ええねえ。

東南100里奴国に着く。

奴国じゃ。

志賀島の金印の奴だね。志賀島が奴国だったわけ?

博多じゃろうと言われとる。那の津というところがあるらしい。

博多なら志賀島に金印があってもおかしくないね.

100里と言う事は今までとはだいぶ近い.これからでも伊都国は糸島だといえるわけよ。方角も大体おうとる。長官がシマコ、副長官がヒナモリ。20000戸。奴国の記述はこれだけ。

今までの国は詳しく書いていたのにどうしちゃったんだろう.使者が行ってないのかな。わかる事だけ書いたとか。

ええとこつくなあ。ま、どんどん進もう。東に100里不弥(フミ)国着。長官が多模(タモ、タマ)、副がヒナモリ。1000戸。

その次は投馬国のはずだ。どうでもいいけどこの冷酒きくなあ。

南至投馬国水行二十日。

南。水行二十日。ああよっぱらちゃったかなあ。わけわかんなくなっちゃった。

たまにゃあ女房の作った晩飯でも食うか。

作ってくれるの?

機嫌が良いときはね。

おねえさ〜ン、おあいそ。

・・・・・・・・・

今日はね。とことん行くよ。

どこに。

でもこう、毎日毎日道草しよったら子供の顔も忘れるねえ。

どこに行くんだよ。きんさん。

邪馬台国じゃ。

と言う事はまた卑弥呼に行くの?

いや?

まいいけどね。

どしたん乗り気じゃないが。

いやね、この前の話でね、なんだか魏志倭人伝ってわけわかんなくなっちゃった。

じゃけえ今日はね一気に行くよというわけよ。

いらっしゃ〜〜い

投馬国からね。

トマとかツマとかいう。

ふんふん。

南、投馬国に至る水行二十日。

ふんふん。

官、弥弥(ミミ)、副、弥弥那利(ミミナリ)。5万戸。

五万戸?

南、邪馬台国に至る。女王の都するところ。水行10日、陸行一月。

とうとう出たね。

官、伊支馬(イキマ)、次に弥馬升(ミマト)、次に弥馬獲支(ミマワキ)、次にナカテ。7万戸。

7万戸?

女王国以北は、戸数、道里は略載出来るが、その他の旁国は遠絶にして詳しくわからない.

邪馬台国まではわかるが、その先はわからないって言う事だ。

そう言う事じゃろうね。でもね。この後に21の国が次にあると書かれておって、最後にこれが女王の境界の尽きるところであるとなっとる.

どういうこと?

たぶんこの21カ国は邪馬台国の支配下にあるが、行った事がないのでよくわからない。邪馬台国より南にある国々だ。

どんな国?

書き方は次に○○国あり、でつながっとる。まず斯馬国(シマ)、己百支国(イハキ)、伊邪国(イヤ)、都支国(トキ)、弥奴国(ミナ)、好古都国(ハカト)、不呼国(ホコ)、姐奴国(サナ)、対蘇国(トス)、蘇奴国(サナ)、呼邑国(コユ)、華奴蘇奴国(カナサナ)、鬼国(キ)、為吾国(イガ)、鬼奴国(キナ)、邪馬国(ヤマ)、クジ国、巴利国(ハリ)、キイ国、烏奴国(アナ)、奴国(ナ)。

なんか聞いた事があるよな名前もあるよ.

その次に書いてあるのが、狗奴国(クナ)。その南に狗奴国あり。男子を王となす。官、狗古智卑狗(クコチヒコ)あり。女王に属さず。

21ヶ国は属したが、狗奴国は属さないって言う事だね。

地理的な事はここまでで、この後は風俗の記述になる。

ってことは、今までの記述しか邪馬台国の場所を探すヒントはないの?

うん、大体そうじゃ。でもこの後にまた地理の記述がある。それを集めてみようか。

ピックアップするわけか。そのほうがわかりやすい.

ひとつは、その道里を計るに、まさに、会稽の東治の東にあるべし。とある。会稽とは中国江蘇省の辺り。

台湾の事?

それから、女王国の東、海を渡り千里、また国あり。皆倭種なり。

女王国の東には海があって、千里行ったところに陸があって日本人の国があるわけだ。

続いて、また、シュジュ国その南にある。身の丈3,4尺。女王国を去ること4千里。

コロボックルの伝説みたいだよ。

また、裸国(ラ)、黒歯(コクシ)国その東南にあり。船行一年で至る。

裸の国とおはぐろの国、船で一年、これ赤道付近まで行っちゃってるよ。ハワイかもしれない。

参問するに、倭は海中州島の上に絶在し、あるいは絶え、あるいは連なり周旋5千里。

海の孤島にあって、列島でグルっとめぐって5千里か。

地理的な記述はこれで全部じゃ。

まあ、シュジュ国以下は日本じゃないかもしれない、ぐるっと回って5千里とは小さいね。短里だったら。ちょうど九州ぐらいじゃないかな。

女王国の東に千里で陸があるはずじゃ。

九州なら、ちょうど四国があるじゃない。倭種の国って愛媛県や香川県の事だろう。

ちょっときゅうさん、まあ待ってよ。そんなに決め付けるけえ話がごちゃごちゃになるンよ。一回整理してみようや。

うんそうそう。ビールでも飲んで。

まず1、倭は帯方郡の東南の大海の中にある。

うんそして2、帯方郡から倭への道程は、海岸に沿って水行、韓国を経て南や東に進み、7000里で狗邪韓国。

3、海を渡って、1000里で対馬。

4、また海を渡って1000里で壱岐。

5、また海を渡って1000里でマツロ国。

6、東南に陸行500里で伊都国。

7、東南奴国100里。

8、東行不弥国100里。

9、南、投馬国水行二十日。

10、南、邪馬台国水行十日、陸行一月。

11、女王国以北はわかるが、その他の国は遠くてよくわからない。

12、次に21ヶ国あり、女王の境界の尽きるところである。

13、その南に狗奴国あり。

14、帯方郡から女王国まで12000里である。

15、倭は会稽東治の東にある。

16、女王国の東に海を渡って1000里で別の国がある。皆倭種である。

17、その南にシュジュ国があり、女王から4000里である。

18、その東南に裸国、黒歯国があり、船行一年。

これだけじゃね。

ここまでくれば、きんさんの思っている事を聞きたいね。

それじゃあわしの考えを言おう。まずとりあえず距離はここでは無視する。

なんでやねん、んなあほな。

まあきいてよ。対馬、壱岐は問題ない。

うん。

マツロ国は唐津。

まあわからなくもない。

伊都国は糸島半島辺り。前にも言った様に、何かの理由で陸行しなければならん理由があった。

方角の違いは?

このときは夏じゃ。草が生い茂っとるし、海に潜りよる。

はあはあ。

日の登る方角が東じゃ。このころなら北東に近い。45度ぐらい間違えても不思議はない。それに、出発したときの方角は目的地の方角とは限らない。

でも唐津から糸島半島は見えるんだよ.

東南は東。糸島半島の東に奴国がある。奴国は博多。

ビール飲めば?

東行不弥国。北東ぐらいじゃけ福間。ゴロもだいたい似とるじゃろ。

苦しいね。

投馬国はちょっと難しい。福間から南へ水行したら戻る事になる。じゃけ南は間違い。

おいおい、都合が悪くなったら間違いにするの?

福間から船で出て、関門海峡を通る。それから瀬戸内海の海岸線にそって、広島の鞆の浦じゃ。二十日ぐらいかかろう。

こじじつけたねえ。

いよいよ邪馬台国。

鞆から南に行けば四国だよ。

いや。南は投馬国のときと一緒の間違い。正式には東じゃ。

なにが正式なんだ?さっきは45度でこんどは90度かね。

鞆から水行して十日で難波の津、今の大阪じゃ。そこから歩いて一ヶ月で奈良。ここが邪馬台国に違いない。

おっ!言いきったね。

うーん我ながら見事な推理じゃのお。一点の澱みもない。

かなり澱んでいると思うけどなあ。

・・・・・・・・

ほいじゃ、きゅうさんはどう思っとるン?

うーん、わからない。

邪馬台国は奈良じゃないと?

距離と方角を無視して強引に奈良に持っていくのは無茶だよ。

距離なんか、千里とか百里とかまったく大雑把じゃ。計った訳でもないんじゃ。それとも倭は遠いといいたかったのかもしれん。

方角も45度までは良いとして、九州から奈良の方向が南とは間違えるはずがないよ。命を掛けて旅をする使者が、90度も錯覚するとは思えない。

でも面白い話がある。昔の中国の古い地図に、日本列島が朝鮮半島の南にまっすぐ縦に書かれたものがあるんじゃ。

東西ではなくて南北に長い?

そう、九州は今の位置で、列島全体が90度南に振っているんじゃ。

それで会稽の東か。

そうそう、当時中国では、倭は台湾のさらに東にあって、南北に長く、九州から南へ南へと繋がっていたと思われとったらしい。じゃけ、使者がいいえ東ですと行っても、陳寿は、そんなはずはないおまえが間違っているとしりぞけて、南と書いた可能性がある。

陳寿って?

魏志倭人伝を書いた晋の文官じゃ。

ふーんなるほど。それなら方角の問題は解決するわけか。

きゅうさんは九州にあったとお思っとるね。

普通に読んだら九州から出ないじゃない。伊都国、奴国、不弥国は北九州としか思えない。

そうじゃそうじゃ。

不弥国から南に船で行く。と言う事は不弥国は玄海灘沿いや内陸ではなくて、瀬戸内海に面した北九州東部でしょう。そこなら豊後水道を通って南に行けるから。

じゃあ投馬国はどこ?

別府辺りか臼杵ぐらい。

それで?

そこから船で南に行けば宮崎の海岸。上陸して内陸に歩いて高千穂。卑弥呼は天照大神だ。今思い付いた。

おいおいきゅうさん、天照大神はまだ早いよ。でも邪馬台国が高千穂とは鋭いね。

でも、大分の北部に耶馬溪と言うところがあるよね。何年か前社員旅行で行ったじゃない。

いったね。

あそこでも良いんだ。

なんやそれ。ところで例の社長がおもしろいこと言よったね。

そうそう、あの社長の説はね、まあど素人だからね、しょうもないことをえらそうに言うんだけどね。

きゅうさんは素人じゃないんか。

僕は自信があるよ。高千穂に。それでね。

伊都国が有明海沿岸じゃと?

やっぱり短里でね、方角も違わない。そう言ってたね。

マツロ国は伊万里か。

うん、伊万里から東南方向に行くと有明海に出るよ。だから伊都国は有明海北岸だって。陸行する理由はこれしかないって。

じゃあ奴国は?

東南に100里だから佐賀市または八女市付近。

そこから東100里は久留米の辺か?

いや、そこから考えが違うんだ。伊都国までの記述とそれからの書き方が違うので、この先は伊都国からの距離や方角だって。それに伊都国は使者の駐留地で長崎の出島のようなもの。このときの使者はここから先には行かなかっただろうって言ってた。

放射説じゃ。九州説のものはこれが多い。

だからね。不弥国は鳥栖の辺り、吉野ヶ里かもしれない。でも吉野ヶ里は時代がもうちょっと古いって聞いたなあ。

じゃあ投馬国は有明海を進む事になるが。

そうそう、でも二通り考えているらしい。ひとつは南に二十日水行して天草のどこか。もうひとつは、南に出航し、筑後川をさかのぼって日田市の辺りだと。

どっちにしても二十日もかかるかのお。

このときは使者が行っていなくて、現地人(伊都国の役人)から聞いたので、そのまま伝えた。倭の民間の船ではこんなもんでしょう。それに、ここが距離ではなくて日数になっているのもそのせいだと。

おお、あなどれんな。このど素人。

有明北岸から10日で上陸、熊本市辺りから歩いて一月でなんと、高千穂だってさ。筑後川経由宇佐でも良いって。

おやまあ。きゅうさん、ど素人と一緒ジャン。

・・・・・・・・・

こんどビヤガーデンに行こうよ。もういい季節だよ。

ええねえ、新しい発想が出てくるかもしれん。

素人と一緒だなんて、悔しいからさ。いろいろ本をあさってるんだ。

まあ程ほどにね。所詮素人は素人じゃけ。日本中の学者が必死になってもわからんのじゃけえね。

でもさ、九州だとか畿内だとか専門に研究している先生でも十人十色の意見があるようで、中にはエジプト説まであるんだってね。

変わった意見としては、帯方郡が朝鮮半島じゃなくてヨーロッパ。地中海を水行してエジプト、なんちゅうのがある。

それからフィリピン説。インドネシア説。琉球説。まあこの辺はまともに読んだら無理もないかもね。

倭国が今の日本だと言う前提じゃけ、これはとり入れられんね。

他にも四国だったとか、邪馬台国が二つあったとか、まったくなかったとかね。

九州説の研究者同士でも、九州のいろんな所を上げとる。皆まちまちなんじゃ。その点、畿内説はほとんど大和地方とゆうとる。

じゃあ僕達の野次馬説は置いといて、本気で研究している人の意見はどうなんだろう。

うん、それじゃ畿内説からね。

ほとんど伊都国までは同じと考えて良いよね。

そうじゃね。奴国不弥国までも大体おんなじじゃ。

違ってくるのはやっぱり投馬国からだろうね。

そう、畿内説の研究者は船で瀬戸内海を通ったと見る人が多い。だから投馬国は、鞆の浦、須磨の浦、山口県玉祖郷、など中国地方沿岸じゃね。

日本海を通ったと言うのもあったね。

うん、京都府北部、但馬の国。この辺には沢山弥生の遺跡があってまんざら変わった意見ともいえん。

このことは魏志倭人伝の記述だけで想像したものなのかな。

いや、それぞれ訳があるようじゃ。それぞれの遺跡や他の文献、考古学的な判断、過去の事例なんかで説明できるんじゃそうな。まあ詳しい事は後回しにしょうや。

それで邪馬台国はヤマト国で大和国だというわけだね。

そうそう、箸墓古墳がキーポイントじゃ。またこんど話すよ。

じゃあその南の21カ国はどうなってんの?

ずらずら言うから覚えんさい。シマは志摩、イハキは伊勢の石城、五百木、イヤは伊勢、トキは伊勢、ミナは美濃、ハカトは美濃、河内、ホコは美濃、山城、サナは近江、トスは近江、サナは伊勢、奈良、コユは伊勢、甲賀、カナサナは遠江、キは美濃、尾張、山城、イガは三河、尾張、伊賀、キナは桑名、紀伊、ヤマは伊勢、山城、クジは伊勢、越、ハリは尾張、播磨、キイは吉備、アナは備後、ナは信濃。どうじゃ。

ほとんど近畿中部地方だね。クナ国は?

これはいろいろ。熊本だとか、関東のほうだとか、和歌山だとか。

播磨や備後、吉備なんていうのは位置関係が変だね。邪馬台国より遠い筈でしょ。それから東に海を渡ったらどこに行くの?東は北のはずだよ。

伊勢地方から三河に渡るか、それとも若狭から日本海を新潟や秋田まで行く事かもしれん。そうじゃなかったら、南関東から太平洋を北に行ったのかもね。

その南のシュジュ国は?

北海道じゃろう。でもシュジュ国についてはあまり説明している人は居らん。南方の島を理論上くっつけたのかもしれん。

なんだかねー、これで納得する人がいるのかね。わかんないねー。

でもこれらの事は、学術的に説明がつくんじゃそうな。

じゃあ九州説は僕が説明しよう。まず不弥国まではほとんど同じ。

投馬国。

うんこれは沢山あるよ。ただはっきりここだと言うのはなかなかない。たとえば宮崎の都万、熊本の玉名、主に筑紫平野北部が多いようだね。

ずいぶんアバウトじゃ。

で、邪馬台国は、筑後山門郡、肥後菊池郡、筑前甘木、豊前宇佐、筑前博多、鹿児島だと言う人もいる。

これまた大雑把な言い方じゃ。

そうなんだよ。九州説は邪馬台国の場所がバラバラだと言う事で、説得力に欠けるところがある。

それで他の21カ国は?

これもはっきり言いきっていない感じがする。ハカタとかナ、トス、シマ、ヤマ、なんて地名は九州にあるんだけど。

でも、ハカタ、ナ、トス、シマなんか北九州で、方向が正しいと言う前提なら、邪馬台国が山門であれ菊池であれ宇佐であれ、それより北にある筈じゃ。

だから邪馬台国はなかったという人がいる。ただ、現在の地名にこだわる必要はないと思うんだ。

まあね、無理やりゴロを合わせると問題ありそうじゃ。で、クナ国は?

これはね、はっきりしているんだ。鹿児島の隼人、熊本の熊襲だろうって。

まあそれだけとればつじつまが合うかもしれん。

それで、東の海を渡って倭種、伊予だそうだ。南にシュジュ国、高知県だって。

高知の人は背が低いかあ?

とにかく九州説の人は、距離は実寸から算定した短里、方角はほとんど間違っていない、帯方郡から短里で12000里だから畿内ではない、周旋5000里だから九州内。東に海があるのは九州だ、大和ではありえない。とまあこんな感じかな。

なんかお互い無理やり自分に引き寄せとる感じじゃのお。

邪馬台国を見付けるのには魏志倭人伝だけじゃ無理だと思うよ。

ストレートに読んだらフィリピンになるよのお、案外日本じゃあないんかもしれんど。

それに当時大きな国だった筈の出雲や吉備が出てこない。特に出雲は中国に知られていないはずはないよ。

うん、伊予も栄えた国じゃったようじゃ。倭種だけとはおかしいよ。

出雲が魏と敵対して、それとも倭国内の内乱の最中で、揉め事を隠したんじゃないかな。魏にとっては倭を強大な国に見せて、呉にプレッシャーを掛けたかっただろうから。

わしも以前考えたんじゃが、出雲の勢力が強くて、瀬戸内は吉備が居る。日本海も瀬戸内も危険となれば、九州から出た船はいったん南へまわって四国沖を通り、投馬国が土佐のどこかで、そこから十日、南紀に上陸して大和に着いたんじゃないかと。

どうやっても奈良に引っ張るんだね。

話を元に戻して、漢のとき100余国。今通じるところ30カ国とあったよね。

最初に戻るの?そうだったね。

対馬から壱岐、マツロ、伊都、奴、不弥、投馬、邪馬台国まで8カ国。その向こうに21カ国。そしてクナ国。合わせて30ヶ国じゃ。

問題は通じるところと言う意味だけど。

国交がある所、か判っているところじゃろう。

出雲や吉備とは国交がなかったって?

またはこのときすでに両国とも女王国に服属していて、中国地方と近畿地方全体が邪馬台国エリアで、首都が大和じゃと考えられんこともなかろう。

それは”倭”であって”邪馬台国”じゃあないと思うよ。中国地方や近畿地方には出雲や吉備のようなクニが10や20はあったと思う。広島でも山口でも弥生の遺跡は出ている。鳥取には妻木晩田遺跡があるじゃない。

じゃあそれは倭種の国?それとも21ヶ国の中の国かあ?

うーん、それはわからない。魏志倭人伝の今までの記述ではわからないとしか言いようがないよ。

まあ結論は出せるわけがない。邪馬台国の場所の事はひとまず置いといて、魏志倭人伝、先に進もう。

とりあえず今日はお開きにしよう。おあいそおあいそ。

まいどありがとうございますう

おっ、雨が降りよる。

梅雨だもんね。

梅雨かあ。

あっ、傘!

 

第一話終わり

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