クスコ2019/12/30 2019年8月18日(日)朝一でリマを立って、クスコへ向かいます。クスコは標高3,400m。もう富士山の山頂にも近い高度になります。普通だと大抵の人は高山病になります。リマはほぼ0mなので、急にクスコに来て大丈夫なのでしょうか。懸念事項としての順位は5番目ですが、懸念しているには変わりありません。しかも高山病対策に必要な睡眠が殆どとれていないのです。 今回の旅行でのクスコの高山病対策はこうです。まずクスコでは4,5時間の滞在に留めます。3,400mくらいなら、殆どの人は4,5時間であれば問題ないらしいのです。その後標高2,000mのマチュピチュ村まで下ります。2,000mなら基本的に高山病にならないとか。そしてそこで一泊。翌日2,400mのマチュピチュを観光した後にクスコに戻って宿泊します。2,000m級のマチュピチュで一晩過ごせば高度順応して翌日は3,400mに何時間いても大丈夫とのことらしいです。 最初にマチュピチュへ行って観光、宿泊し、その後クスコに来て観光、宿泊でもいい訳ですが、観光スケジュール的に先にクスコを観光したしまった方が効率がいい場合は今回のようなスケジュールにすることはよくあるようです。 クスコはインカの首都だったこともあり、スペインに征服された後もそこここにインカの面影が残っており、そのあたりが評価されて世界文化遺産に登録されています。 クスコへ向けて朝一でリマをたつ訳ですが、飛行機はロスから来た時と同じラタム航空の国内線です。
アルマス広場バンを降りて少し歩くとクスコ旧市街の中心であるアルマス広場が見えてきました。
かつてインカの第11代皇帝ワイナ・カパックの宮殿があった場所に建てられました。今ある教会は1650年の地震のあとに再建されたもの。 ファサードの彫刻がともて見事でした。
広場をざっと見て、時間も時間なので早速昼食です。広場の見学は後でまた時間をくれるようです。 これはレストランの中庭。スペイン文化ですね。
昼食後は40分くらい広場で自由時間です。適当に散策しました。 周りの山々や山すそに貼りつくように家々が立っているのが見えます。
広場からすぐで狭い路地にあることは分かっていたのですが、残念ながら手持ちカバンにガイドブックを入れておかなかったので正確な位置を調べられず、適当にそれっぽい路地を入っては見たものの結局見つけられませんでした。
インカの石組さて自由時間を終え、また皆さん集合して、石組の見学へ向かいます。 インカと言えば精巧な石組ですが、こうしてクスコにはいたる所に残っています。さすがにこれはスペイン人も脱帽だったんでしょうね。
下の写真の○で囲んだところがそれで、かなり小さいです。しかし何と14角の石なのです。確かガイドさんからそんな説明はなかったはずです。家内も記憶がないと言っているので。 それとも何か言ってたのかなぁ。偶然撮るとも思えないし。
サント・ドミンゴ教会・修道院(コリカンチャ=太陽神殿)狭い路地を抜けてサント・ドミンゴ教会の正面にやってきました。スペインが造った教会ですが、元はインカ時代のコリカンチャ=太陽神殿でした。スペイン人はインカ人が造ったコリカンチャの土台の石組を利用し、その上に教会を建てたのです。 インカ帝国の公用語であったケチュア語で「コリ」とは「黄金」、「カンチャ」とは「部屋」とか「囲い場」を意味します。コリカンチャは黄金の太陽の神を祭ったインカ帝国最高の神殿でした。1533年フランシスコ・ピサロがクスコに入城し、壁などに敷き詰められていた黄金をすべて奪い去りました。
一番手前の扉は二重扉になっていて、これはスペイン人がそう改造したようです。 そして二重扉の右手(手前)は大きく破壊されています。
先ほどの案内図をよく見て欲しいのですが、7番と書かれた主神殿の部屋と8番と書かれた別の部屋の間の通路なのです。
案内図を 見るとこの部屋のインカ時代の壁は7割程度は残っているように見えます。 しかし残ったインカ壁の上にコロニアル時代の壁が追加されたりしているので、見た目はもっと破壊されているように見えます。 こちらの部屋にはコロニアル時代の壁(案内図8番部屋の左の壁)にインカの世界観を表す金の板が飾られれています。但しこれはスペイン人が残したメモを元とに復元したレプリカです。 インカの世界観では世界は三層に分かれています。コンドルが守る天上の世界、ピューマが守る地上の世界、蛇が守る地下の世界です。インカ時代にはこのような黄金がいっぱいあったようですが、スペイン人がことごとく略奪していったようです。 あと余談ですが、この金の板が先ほどの二重扉をくぐった先の神殿の広い部屋にあったと記述しているサイトやブログが沢山あります。しかし前述のように二重扉をくぐった先はとても狭い通路なので、あるはずがありません。当時はそこにあったのかとも思ったのですが、当該サイトの写真を見ても金の板の背景は白い壁なので現在と同じです。恐らく最初(2010年)のサイトを書いた人が間違えたのですが、記述内容は分かり易くて参考にしやすいので、その後みなその記述をコピーって書いてしまったからだと思います。事実私も当初最初のサイトをコピーって書いてました。その後二重扉を調べていたら矛盾・間違いに気が付いたのです。
この後はなぜか後述する裏庭が見えるところへ行ってしまい、主神殿の部屋の内部は最後に見学したのですが、話の流れでここで解説します。 主神殿なのでそれなりの広い空間です。
湾曲させるのは、勿論より高度な技術が必要です。それを誇示するためにあえて挑戦しているのでしょう。そのためかこれがこの史跡の代表的アイテムとなっているのです。
金で覆われた太陽の祭壇にはぶ厚い金の太陽像が日の光を受けて輝いていたそうです。
こちらは現代絵画ですが、天の川の絵(案内図11番)です。インカは星と月と太陽のためのものらしく、この絵はその考えに沿っています。インカ人は西洋人同様に様々な星座を天空に見ていました。 以下のような説明図が傍にありますが解説すると、ほぼ中央に4本の足と明るい白い目を持つ長い生き物が見えます。これはリャマです。リャマの頭の右側には、ヤマウズラとその下のヒキガエルがいます。その右側にはヘビがいます。リャマに戻るとその下には、逆さまの赤ちゃんのリャマがいます。リャマの左側には、リャマを追いかけている赤い目のキツネがいます。そして最後に、キツネの左側には、腕を伸ばした羊飼いがいます。
やはり以下のような説明があって、4つの空間などについて解説されてますが、またいつか調べて書きたいと思います。
そろそろクスコについてから5時間が経ちます。人によっては具合が悪くなってくる可能性がありました。この後この教会には救護所ががあるので、そこでツアーの方数名がちょっと休んだようです。我々家族は幸いまだ誰も調子悪くなったものはいませんでした。 その間ちょっと外に出て教会の外観も見てみました。先ほど上から眺めた湾曲する石組が見えます。
マチュピチュへサントドミンゴ教会の見学を終えて、一路マチュピチュ村を目指します。クスコからもマチュピチュ村まで直通の鉄道もあるのですが午前中に数便あるだけで不便なので、一旦バスでオリャンタイタンボへ行って、そこから便数の多い鉄道に乗ってマチュピチュ村を目指すのが一般的なようです。
オリャンタイタンボへ行くには、一旦クスコ以上の標高(3,800m)になる峠を越えるため、その途中クスコの街並みを眼下に眺めることができます。
マチュピチュ村は村とついている通りとても小さな村落で、駅から歩いて10分程度でホテル(EL MAPI)には着きました。21時半です。その後夕食をとって、部屋に入れたのは22:40でした。まあ明日はそんなに早くはないのでいいでしょう。 さて明日はいよいよこの旅の最大の目的「マチュピチュ観光」です!
■2018年8月18日(日) 快晴(クスコ観光、マチュピチュ村泊) |