ジャイプル2018/04/14 3月20日(火)、朝アグラのホテルを立ち、近郊のファテープル・シークリーを観光した後はバスで一路西に向かい、ジャイプルを目指しました。ファテープル・シークリーを出たのは9:45ごろ。距離としては200kmほどあったのでしょうか。3時間以上かかって午後1時過ぎには到着しました。 まずは昼食をとって、その後ジャンタル・マンタル、アンベール城と観光しました。いずれも世界遺産。この街にも2つも世界遺産があるのです。 またジャイプル自体も旧市街がピンク色をしているのでピンク・シティとも呼ばれる特徴のある街です。 ジャイプル到着午後1時過ぎにはジャイプルの市街に入ってきました。街としては大きな街であり、新市街は新しい建物もあるようですが、このような古いスラム街のようなところも目につきました。
ジャンタル・マンタル(天文台)昼食後まず向かったのはジャンタル・マンタル。 ムガール帝国時代の18世紀前半にジャイプル藩王国のジャイ・シング2世がインド北部の5か所に建設した大型の日時計および天体観測施設です。その内、ジャイプルにあるジャンタル・マンタルが一番大型で、比較的最近(2010年)ですが、世界文化遺産に登録されています。 下の写真はその中でも最も巨大なサムラート・ヤントラ。高さは27.4mもあり、写真に収まりきりません。マハーラジャは観測機器が大きいほど正確な観測結果が得られると信じていたようです。中央の傾斜の先は北極星を指しているとか。
シティ・パレスジャンタル・マンタルを出るとすぐ横にシティ・パレスがあります。こちらは外から眺めただけ。まあ時間がないのでここはこれでいいでしょう。ここは現在でもマハーラジャが住んでいて、一部は博物館になっているとか。
若者は欧米と何も変わらないですね。シャルマン曰く、最近は同棲する若者も多く、社会問題になっているとか。
アンベール城ジャンタル・マンタルの次はアンベール城に向かいました。アンベール城はジャイプルの北東11 kmに位置する城塞で、アンベールがアンベール王国の首都だった16世紀に建設が始まりました。その後の改築は100年以上に及んだとか。鏡の装飾が美しい「鏡の間」や庭園の設計には幾何学模様が見られ、ムガル帝国傘下の時代におけるイスラーム建築の影響も指摘されています。 ラージャスターンの丘陵城塞群として2013年に世界文化遺産に登録されたものの一部(構成資産)です。構成資産に含まれた理由は、「ラージプート=ムガル宮廷様式」の盛期を代表する建築物という点などだそうです。
これも前述の世界遺産の構成資産に含めるか議論になったようですが、所有者が希望しなったために見送られたようです。
ちょっと逆光ですが、ジャイガル要塞もバックに。 案内してもらった所は決して悪くはなかったので、この男に10ルピー上げましたが、「たった」と言ってました。別に頼んだ訳ではないですが、さすがに少なかったかな。
バティック店アンベール城を観光した後はバティック店へ。ここも当初から商品には興味が無かったので、早々に店を出て近くを散策しました。下の写真は一応バティック店で働く女たち。
この後はもうホテルに向かうだけです。
■2018年3月20日(火) 晴れ(ファテープル・シークリー、ジャイプル観光) 風の宮殿翌21日(水)の朝、風の宮殿に向かいました。昨日はジャイプルに着いたのが午後だったので既に逆光だったからです。 かつて宮廷の女たちがここから街を見下ろしたというところ。彫刻を施した窓がぎっしり並んでいます。奥行が非常に浅い不思議な作りです。 ピンク・シティジャイプルの旧市街は別名ピンク・シティと呼ばれるように、本当に建物の多くがピンク色です。 勿論若干すさんだピンク色なので、所謂ショッキング・ピンクという訳ではありません。 ピンクというよりは、オレンジ色っぽく見える部分もあります。 そしてこんな人たちも。コブラ使いってイスラム世界では時折見かけます。 バス故障7時45分頃には既に風の宮殿の見学を終えて、デリーに向けジャイプルを立ちました。次の目的地はアウランガーバードなのですが、ジャイプルからの直行便はないため、一旦デリーに向かわねばなりません。因みにバスでアウランガーバードまで行ったら丸1日以上かかりそうです。 デリーまでは250kmくらいでしょうか。順調にいっても4,5時間といったところ。ジャイプルを出て調子よくデリーに向かっていました。しかし2時間以上過ぎた頃に時折脇道に止まったりしていて様子がおかしい。どうもバスの調子が変なようです。シャルマンからもあまりちゃんと説明がないので、よく分かりません。 結局10時15分頃、修理が必要ということで、どこかのホテル前に止まりました。 止まったのは、Google Mapで確認したところ、Kotputli という町でした。デリーまではまだ1/3くらいのところです。当初は30分くらいで治せるとの話でした。 しかし30分たっても一向に修理が完了する気配はありません。そのうち部品を調達するとの話。一体いつ完了するのか全く見えなくなりました。今日の予定はこの後クトゥブ・ミナールの観光の後、デリー空港からアウランガーバードへ飛ぶわけです。まだかなり時間があるとは言え、飛行機ですから遅れる訳にはいきません。 しかし11時半ごろにはその部品が届きました。どんな部品なのかは分かりません。それを取り付けても、まだ何か弄っているようです。まだ何か問題があるのかな。 この時点で飛行機の時間まではまだ5時間あります。まあ観光をやめたりすれば、何とか飛行機には間に合いそうです。もしここで飛行機に乗り遅れると今日中にアウランガーバードに着くのは厳しく、その後の旅程が大幅に崩れそうですが、その最悪の事態は回避できそうでした。 結局12時半には修理完了して出発できました。2時間半のロスです。恐らくクトゥブ・ミナールの観光はパスでしょう。またレストランでの昼食もやめてお弁当をバスの中で食べることにしました。 しかし部品を交換しないと修理できないほどの症状だったのに2時間半のロスというのは十分に短いと思います。日本だって調達部品によってはこんな迅速に対応できません。 それでも午後2時頃にはデリーの街中に近づいてきました。この写真はデリー近郊での交差点の光景ですが、ここは車線でいうと3車線くらいの幅です。しかしそこに7台分くらいひしめき合ってます。交通ルールなんてあってないようなものですね、この国は。おとなしく赤信号で止まっているだけいいということでしょうか。 しかし何とかクトゥブ・ミナールの観光は強行してくれました。これはすごいです。頑張って飛ばしてくれた運転手、何とか調整して時間を工面したシャルマンと添乗員さんに感謝です。 |