アグラ
2018/04/08
2018年3月19日(月)午前中サルナートを観光した後、すぐにヴァラナシ空港から飛行機でアグラに飛びました。アグラ着後、早速タージ・マハルに向かいます。ここはこの旅のハイライトの一つ。しっかり時間をかけて観光します。
その後アグラ城を観光して、この日の観光は終了。大理石店で買い物をした後、この旅行で一番のホテル、ジェイピー・パレスにチェックインです。
翌20日(火)は近郊のファテープル・シークリーを観光した後、バスでもう次のジャイプルへ向かいました。
アグラの歴史は古く、紀元前のインド叙情詩「マハーバーラタ」にも登場します。16世紀にはロディー朝がはじめてここに首都を置きます。そして16世紀半ばムガル帝国第三代皇帝アクバルがここに都を置き、第5代シャー・ジャハーンがデリーに都を移すまでの1世紀の間、ムガル帝国全盛時代の都として隆盛を極めたのです。
タージ・マハル
アグラを訪れる、いやインドを訪れる人の多くが目指す場所、タージ・マハルのことを素人の私がここでくどくど説明する必要はないでしょう。シャー・ジャハーンが愛する妃ムムターズ・マハルのために建立したお墓であることはあまりにも有名。
かけたお金、人の多さは世界の史跡の中でもトップクラスで、その芸術的価値も極めて高いものです。常に世界遺産の人気ランキングでもトップテンに入ります。
そのためインドの世界遺産、史跡の中でも段違いの扱いです。荷物チェックは厳重を極め、カメラ以外は持ち込めません。ビデオカメラも禁止です。飲み物、食べ物関連は勿論、そもそもA4サイズ以上の鞄も持ち込めないのです。
勿論すぐ近くまで普通のバスは入れません。排ガスから白亜の史跡を守るため、このような電気自動車で向かいます。
電気自動車を降りてからも結構歩きます。
敷地に入るとここでも猿は沢山いました。
タージ・マハルの正門です。これはあえて全部大理石で作らず赤砂岩を多用しています。
正門をくぐるとその先にもうタージが見えてきました。この構図が好きなんです。
ジャーン! 早速目の前にタージ・マハルの雄姿が見えてきました。ただこの時はちょっと天気が。晴れているのですが丁度雲が周辺一帯にかかっていて、これでは美しさが半減です。ここでシャルマンから簡単な説明があり、ツアーの皆さんと記念撮影をした後は即自由時間です。たっぷり1時間くれました。
そんなことをしている間に雲がとれて白亜の霊廟が輝きを増してきました。早速添乗員さんに記念写真を撮ってもらいました。

いい感じの写真が撮れてます。ただこの時はタージ・マハルの美しさに見とれて気づいてないのですが、ちょっと風があるせいか、水面が波立ち今一つインスタ映えする写真ではなかったのです。

実はこの写真は霊廟を見物した後、正門の方へ戻る時に撮ったものです。この時も意識していた訳ではないですが、水面に写る霊廟が実に美しいインスタ映えする写真になりました。
こちらは更に位置を調整して撮ったもの。素晴らしいでしょ。ホームページのトップページに使えますね。本来墓としては、ドームも四隅のミナレットも必要ないのですが、全てデザイン上の均整、見栄えのために作っているのです。
全体写真はこれくらいにして、霊廟の見学に戻りましょう。
基壇の大きさは95m四方。その四隅に高さ43mのミナレットが建っています。前述にようにこれはバランスをとるために配置したのですが、確かにこれがあるとないでは大分違いますね。
霊廟の真下に近づくとその大きさに圧倒されます。周りの人と比べるとよく分かるでしょう。霊廟本体の大きさは57m四方で高さ67m。
基壇へ登る場所は決まっているのですが、かなり向かって左(西)の方へ誘導されます。そのため霊廟本体は後の楽しみにして、まずは付属の建物から。こちらは霊廟に向かって左側の建物でモスクです。これも正門同様霊廟を際立たせるためか、あえて赤砂岩を多用しています。
そしてここで霊廟の方に振り向く。この角度もなかなか美しいではないか。
そして早速霊廟へ向かいます。ここから上(基壇より上)はこのように靴にカバーを付けさせられます。靴を脱がせるという方法もとれたと思いますが、その場合入り口と出口が同じ場所になります。それを避けるためでしょうか。
霊廟のファサード。大きさに圧倒されると共に白大理石とそこに施された装飾の美しさも素晴らしい。
ちょっと振り返って庭園と正門の方を。庭園もなかなか均整がとれてて美しいですね。
霊廟本体をカメラに収めてみます。コンデジですが比較的広角なので、何とか収まりました。しかしでかいです。
美しい装飾の細部もしっかり見ましょう。白大理石を彫って赤や緑などの貴石を埋め込んで飾ります。非常に細かく高い技術が必要です。
コーランを装飾として刻んでいます。
尖塔の柱にもこのような模様が装飾されています。ところでドームについている輪っかのようなものは何だろう?
色のバランスもいい。派手過ぎず、白大理石の美しさを程よく際立たせています。
ここがヤムナー川のほとりにあることが良くわかるでしょう。ずっと向こうに見えるのがアグラ城です。
中央ドームの最上部にはムガル建築の様式である三日月と水差しを重ねてあしらった頂華を備え、繋ぐ部分には蓮の花弁を象った飾りパドマコサが少し見えます。
こちらは中央ドームを囲む四隅の小さなドーム(チャハトリ) の頂華。
三日月がないな。
これはミナレットの頂上部。小さなバルコニーとなっています。
さて霊廟の中に入ってみましょう。ここが入り口です。

霊廟内部は撮影禁止。しかしこっそりこれだけ撮っちゃった。さすがに下方のムムターズとシャー・ジャハーンの棺にはカメラを向けることは避けました。
装飾以外にこのような浮き彫りもあり、なかなか見事です。

向かって右側の建物は左のモスクと外観はほぼ同じで、こちらは集会場だそうです。
霊廟の見物を終えて、また庭園に戻ってきました。庭園はかつて花が沢山植えてあったようです。砂漠の民であるイスラム教徒にとって、庭園はオアシスなので緑と色とりどりの花々で飾るのが常。ところがイギリス統治時代に庭園がシンプルな庭園に変えられたとか。現在それを元のように戻すプロジェクトが進行中とのこと。
庭園の中央にはこのような基壇があります。通常イスラムの霊廟の場合、霊廟が庭園の中央に置かれるらしいのですが、タージ・マハルではあえてそうせずこのような基壇を中央に配置しました。
建物が沢山ある訳ではないので、1時間で十分かと思いましたが、かなり駆け足での見物になりました。おかげで現地の見物客の撮影をする余裕が全然ありませんでした。
また不覚にも正門に戻ってきてから気が付きました。そうだスマホで動画を撮ればいい。私のスマホはiPhone 6s
Plusですが、ちゃんとハイビジョンで撮れるのです。ここで慌ててタージ全体の動画をスマホで撮りました。もっと早く気が付けば良かった。細部も撮りたかった。普段からスマホでは殆ど動画を撮らないので、思いつきませんでした。
それにこれは帰国してから分かったのですが、カメラにも動画撮影機能があり、何と4K動画も撮れたのです。やはり準備が甘いですね。タージ・マハルがビデオカメラ持ち込み不可なのは出発前から聞いていたのに。
アグラ城
タージ・マハルからバスで数分で着きました。こちらは建物のすぐ傍までバスが入れます。アグラ城もタージ・マハルと同じく1983年にインドで最初に世界遺産に登録されています。アクバルがアグラに遷都した時に建設したものです。
ここが正門であるアマル・スィン門です。アグラ城の代表的なアングルです
。
第二の門、ヴォーター門です。
更に第三の門、ダルシャニ門。別名アクバル門とも言うとか。
3つの門を過ぎると少し長い坂道がありますが、そこを登って右手にまず目に入るのが、ジャハンギール宮殿。その名の通り、アクバル帝が息子のジャハンギールとその妃の為に建てた宮殿です。
大理石も一部使っていますが、依然赤砂岩が主です。
ジャハンギール宮殿の内部です。
ジャハンギール宮殿を過ぎると、これまでアマル・スィン門以来、赤砂岩の赤茶色ばかりだったものが、突如白大理石を主体にした白色の世界に変わります。
下の写真の建物は後述するカース・マハルの両脇にシャー・ジャハーンが二人の娘(ジャハナラとロスハラナ)のために建てたものの一つ。赤砂岩ではなく大理石で作ってあります。また屋根が金色なのでゴールデン・パビリオンとも呼ばれます。カース・マハルの一部であると説明している時もありますが、よく分かりません。
こちらがそのカース・マハルと呼ばれるシャー・ジャハーンとその妃たちの居室、寝所(ハーレム)で大理石製です。シャー・ジャハーンはタージ・マハルといい、アグラ城で彼が作った建物といい、本当に白大理石が大好きなんですね。
カース・マハルの内装は見事な装飾や浮彫で埋め尽くされていて、これもタージ・マハルと同じですね。

装飾には金も使われています。
こちらがアグラ城内でも一番有名なムサンマン・ブルジュ(囚われの塔)
。シャー・ジャハーンが、帝位争奪戦に勝利した三男のアウラングゼーブによって幽閉された場所として有名でこの名がありますが、元々カース・マハルと同様(というかこれもカース・マハルの一部か?)、シャー・ジャハーンや妃たちの居所、寝所(ハーレム)です。
ムサンマン・ブルジュ内部の装飾はタージ・マハルのそれに比べるとハーレムということで「柔らかさ」があります。

ここから眺めるタージ・マハル。シャー・ジャハーンが晩年をこの幽閉場所でムムターズを偲びながら過ごした訳ですね。
アウラングゼーブによる皇帝の座の奪取は単なる私利私欲ではありません。そこにはちゃんとした政策論争があります。敬虔なイスラム教徒だったアウラングゼーブはアクバル大帝以来の宗教寛容政策に反対でした。シャー・ジャハーンも実は完全な宗教寛容政策をとっていた訳ではなく、かなりヒンドゥー教を始め他宗教を迫害しているのですが、アウラングゼーブとしてはそれでも物足りなかったのでしょう。
またシャー・ジャハーン以上に強く政策的に対立したのが長兄のダーラー・シコーです。ダーラー・シコーはアクバル以来の融和路線を強く支持していました。そのため非常に対立し、お互い警戒していたようです。ダーラー・シコー側も戦で成果を挙げていたアウラングゼーブへの嫉妬から彼を貶めるような陰険なこともやっています。
またこの長男ダーラー・シコーをシャー・ジャハーンが偏愛していたことも、兄弟対立やシャー・ジャハーン幽閉には大きく関わっています。シャー・ジャハーンのダーラー・シコーに対する偏愛は勿論支持政策が近いという点もあったでしょうが、親でも子供の好き好き、相性はどうしてもありますよね。
実際はシャー・ジャハーンはアウラングゼーブを軍人として非常に高く評価していました。しかしそのような評価と親としての愛情とは違う次元なのかもしれません。親子愛って難しいところがありますが、父から愛されていないと感じていたアウラングゼーブは本当に悲しかったのでしょう。幽閉先のシャー・ジャハーンの元にダーラー・シコーの首を持ってきた逸話は彼の悲しみの深さ、憎悪を強く感じます。
アウラングゼーブは長兄以外の次兄や弟とも対立し、いずれも死に追いやり、皇帝の座を射止めます。対立した兄弟達は皆ムムターズ・マハルを母としているので同腹ということです。異母兄弟だと非常に対立する例は世界中でありますが、同腹でも激しく対立することがあるんですね。
ここまで書くと、いかにもアウラングゼーブが本来皇帝を継ぐことができない三男坊であるにも関わらず、政策対立があったとは言え、兄や父に対する個人的感情から皇帝の座を簒奪したように聞こえますが、実際はシャー・ジャハーンが重病になった時に4人の兄弟がほぼ同時に帝位を争って立ち上がったのです。むしろ元来慎重派であったアウラングゼーブは最後まで様子見をしていた方でした。
日本の感覚だと儒教思想の影響で、親や年長を敬うのが普通ですが、インド、少なくともムガール帝国ではそのような感覚、習慣が希薄なように思えます。シャー・ジャハーン自身も三男ですが、やはり帝位を争って兄弟を殺害したり、父帝と対立しています。
この庭はカース・マハルの前庭であるアングリー庭園です。ネットの複数の情報によると、別名「グレープ・ガーデン」とも言い、ここでブドウを育ててワインを作っていたとか。あれ?イスラム教徒って禁酒じゃなかったっけ? ということで誤情報かもしれません。
この写真は各建物の位置関係が分かります。中央にカース・マハル。その両脇に2つのゴーデン・パビリオン。左の端の方の帽子屋根の建物がムサンマン・ブルジュで、手前の庭園がアングリー庭園ということです。

先に見たジャハンギール宮殿は右方の奥になり、これから見るディーワーネ・アームは手前の左方になります。
おっと可愛い小学生が。目が本当にくりくりしてますよね。
こちらがディーワーネ・アーム(一般謁見の間)
。やはりシャー・ジャハーンが作ったので大理石製です。
ディーワーネ・アームの玉座です。ここにシャー・ジャハーンが座って謁見したのです。
ディーワーネ・アームを庭園側から。
ディーワーネ・アームの庭園からモスクが見えます。真珠のモスクと呼ばれていますが、軍事施設との兼ね合いで公開はされていないため、ここから一部を見るだけです。

物売り? でもいい笑顔です。
猿もご見学?
最初に撮り忘れたので城壁の外のお濠も。
街角
アグラの街の様子です。やはりバイクとオートリクシャが活躍してます。
大理石店
アグラ城観光後大理石店へ。やはり最初に制作過程の説明を受けます。
ここでは元々何か買いたいと思っていたので買いました。大理石で作ったお皿に当然タージ・マハルを装飾したもの。しかしそれ以上に拘ったのは、下のラピスラズリの装飾です。ラピスラズリが好きなんです。単に青が好きなだけかもしれませんが。これで6,000円です。高いのか安いのか分かりませんが、僕だって欲しいものはちゃんと買うのです。
ジェイピー・パレス(JAYPEE PALACE)ホテル
この旅で最も高級なホテルだったので載せました。やはり快適でしたが、広すぎて迷子になりました。
庭も広くて池やプールもあります。水着を持ってこなかったので泳ぎませんでしたが。
■2018年3月19日(月)
13:28 アグラ着陸 13:52 空港発 14:22 タージマハルシャトルバス発
14:44 タージマハル入場 14:58 自由時間 16:00 タージマハル出場 16:11 発 16:17 アグラ城着
17:15 発 17:30 大理石店 18:20 ジェイピー・パレス着 19:30 夕食(バイキング) 夕食場所に迷う
23時頃寝る
ファテープル・シークリー
翌日20日(火)はアグラの南西37kmのところにあるファテープル・シークリーに向かいました。こちらも世界遺産。
なかなか世継ぎに恵まれなかったアクバルは、ここに住む聖者シェーク・サリーム・チシュティーの予言によって男児(後の第4代皇帝ジャハンギール)を授かった。これにちなんで1571年に首都をこの地に移転させたのです。
やはり駐車場からシャトルバスで向かいます。
向こうに見えるのはモスク地区のブランド門ですが、現在改修のため閉鎖されているらしくモスク地区は観光できませんでした
。まあ仕方ないですね。
宮廷地区の見物だけですが、ここはジョド・バーイー殿。その入り口です。ジョド・バーイーはアクバルの息子ジャハンギールの妃の名前ですが、実際はアクバルとその妃たちが住んでいたようです。
ジョド・バーイー殿の横には、アクバルの妃でジャハンギールの母であるミリアムの館があります。
ジョド・バーイー殿の中です。
アクバルには、ヒンドゥー教徒の妻の他にイスラム教とキリスト教の妻がいたそうで、中庭を囲むように3人の部屋が立っていました。中庭は味気ないです。当時はもっと何かあったのでしょうか。
中にはバルコニー付きの2階もあります。
蓮の花の紋様。
あまり観光客はいませんでしたが、現地人の観光客の姿も。
ジョド・バーイー殿を出るとファテープル・シークリーで最も広い空間があります。
奥の建物がクワーブ・ガー。アクバルが側近と会ったり執務をこなした場所で、1階の部分がクワーブ・ガーと呼ばれ、皇帝のプライベート部屋だったそうです
。
建物の中も様々な模様が描かれています。
こちらはパンチ・マハル。最上階のドームに向かって、五階建てになっています。ヒンドゥー語で、「パンチ」は「5」を表します。最も広い1階は、ヒンドゥーで縁起の良い数字とされる84の柱があって、それが全て異なったデザインにしているということ。上に向かってフロアが小さくなっているのは、勿論安定のためにもありますが、風通しを良くするためだそうです。
こちらは宝物殿。
これがディーワーネ・カース(貴賓謁見の間)。
ディーワーネ・カース室内の吹き抜け中央には房状の見事な装飾が彫刻された巨大な柱が建ち、2階の回廊の四方から延びる橋でこの柱の上に渡ることができる構造になっています。この中央に置かれた玉座から王は貴賓や賢人たちを迎えたのです。
ディーワーネ・カースから見たパンチ・マハル。この構図がすっかり気に入ってしまったのであしからず。
こちらはディーワーネ・アーム(一般謁見の間)です。
以上でファテープル・シークリーの観光は終了。正味30分の観光ですが、この日はジャイプルでも観光が控えているので、これでアグラをあとにします。
赤砂岩工場
ジャイプルへ行く途中、沢山の煙突がありました。飛行機からも沢山見えたのでシャルマンに聞いたら、やはり赤砂岩を焼く工場でした。レンガ作りと同じようなものですね。
■2018年3月20日(火) 晴れ
06:30 朝食(バイキング) 07:30 ホテル発 08:40
ファテープル・シークリー着 シャトルバスへ 09:00 入場 09:30 出場 09:45 出発 13時頃ジャイプール着
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