トルファンとウルムチ2002年9月11日(水)昨晩敦煌を出発した夜行列車がトルファン駅についたのは午前5時ごろ。またとても早起きです。とりあえずホテルに向かい、少し休んでから早速観光です。 ここまで来ると回りは基本的に砂漠。緑が見えるのはオアシスということなります。トルファン自体がオアシス都市なのです。
尚、ウルムチはつまらないので、このページに同居させてます。 アスターナ古墳カラ・ホージャ古墓群とも呼ばれ、高昌国と唐代の住民の墓地です。墓室からは多くの副葬品が見つかっています。 何か小さな山がボコボコあっただけなので、あまり面白くなくて写真もこの一枚しかありません。 高昌故城高昌故城はトルファン市の東南約46キロメートル離れた火焔山郷所在地付近にあります。城壁はほぼ完全に保存され、内城、外城、宮城の三重に分けられています。2014年に世界遺産「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」が登録されましたが、この世界遺産は構成資産が中国、カザフスタン、キルギスなどの複数国の広範囲に渡っていて、高昌故城もその一つになっています。 唐代の高僧玄奘三蔵はインドへ仏教典を求めに行く途中、628年春に、高昌国で約一ヶ月経典を講じたそうですが、それはこの寺院であったとされ、下の写真の建物がその時玄奘三蔵が使った説教堂であると言われています。 ベゼクリク千仏洞高昌の遺跡付近の楼蘭とトゥルファンの中ほどに位置する5世紀から14世紀にまで遡る仏教石窟。後述する火焔山の下にある峡谷の絶壁の上に位置し、現存する洞窟は10世から13世紀頃のウイグル・カラ・コジャ王国にまで遡るそうです。 火焔山この地形と気候が特徴的なため、中国での人気観光スポットの一つとなっています。西遊記にも登場するので日本人にもおなじみです。 トルファンのバザール少し早い夕食後、バザールを見て回りました。こういうところに来ると、このような何気ない日常の風景が楽しかったりします。 ウルムチウルムチは新彊ウイグル自治区の区都で、完全に大都会であり、漢民族が跋扈しているので面白い街ではありません。交通の便がいいため利用せざるを得ないのです。 これはウルムチの唯一の観光地である紅山公園から眺めたウルムチの街です。 殆ど見るところがないのに、ウルムチには1日半くらい時間があって、正直退屈しました。ウルムチ博物館とか行きましたが、ミイラがあった程度であまり面白くありませんでした。 その上、ウルムチ空港では、この旅で一番いやな思いをしました。フライトのチェックイン時に現地中国人の団体にどんどん割り込みをされて、なかなかチェックインができませんでした。何とか並んでだどりついたカウンターは外国人用ではないと無碍に拒否され、また別の列に並び直しです。時間はどんどん過ぎ、フライトに間に合わないかとハラハラしました。ここまでは現地ガイドが入れないので、我々をサポートすることができなかったのです。 こういう時日本やヨーロッパでは、不慣れな外国人を優先するなり、気遣ってくれるのが普通ですが、中国人は全くそのようなことを考えもしません。団体客ならまだしも、その添乗員も、チェックインカウンターのスタッフもそうなのです。全く自分勝手で、ここで初めて中国人がひどい国民であることを知りました。 ヨーロッパなどをバックパックで旅行している時に、世界中を旅しているつわもののバックパッカーに沢山会いましたが、だれもが中国人が一番悪人だと言っていたことの意味が分かった気がしました。現地のガイドさんなどは非常にいい人達ばかりだったのですが、このように無関係な他人に対しては、一挙に態度が変わるのでしょうか。また団体だと動きが変わるようにも思いました。
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