自分のパソコンは(2000年)

2000年友人用の自作を行った訳ですが、これは突然舞い込んできた突発的な事柄に過ぎず、この年の私のパソコンライフの大きなトピックはブートとハードディスクです。購入機器にもその特徴が現れています。

2020/7/19


ブートとハードディスク

ブートハードディスクは切っても来てない縁があります。ブート自体はコンピュータの起動プロセスですから、当然CPUもメモリーも深く関係しますし、ドライブとしてもフロッピーディスクドライブやCD-ROMドライブも関連することもあります。しかしブートが関連するデータの所在の多くがハードディスク上にあり、その動きを決定するのにハードディスクの構造が大きく関連しています。またブートといっても問題の主眼はマルチブートにあります。

私のマルチブートの歴史は意外と早く、実は1997年5月にその最初の試みがあります。当時既にすっかりパソコンにはまっていた私ですが、会社では主にUNIXワークステーションで仕事をしており、OA端末もSPARC Solarisマシンでした。これは当時開発していたアプリケーションのプラットフォームがUNIXワークステーションだったからです。会社にWindows95マシンもありましたが、共用機(何の目的か覚えてません)なので普段触ることが殆どできませんでした。そのため会社では依然コンピュータの仕事に携わっていたにも関わらずWindowsに触れることができず鬱憤が溜まっていました。

しかし1997年4月アプリケーションのプラットフォームにWindowsNTが加わりました。WindowsNTは16bitのMS-DOSからアップグレードしたような、なんちゃって32bitのWindows95と違って、一から32ビットで設計し直した32bitネイティブOSだったので安定性(堅牢さ)が抜群であり、業務用途にはWindowsNTが使われる場面が多かったです。そのため初めてメンバー各人に開発用のPCが入ったのですが、OSはWindowsNTでした。

しかしバージョンが古い3.51だったのです。このOSは知らない人が多いと思いますが、画面がWindows3.1と同じような非常にプアーなものでした。

これはWindows3.1のデスクトップ画面ですが、見た目は全く一緒だったと思います。如何にも時代を感じさせるレトロでプアーな画面ですよね。既にGUIがWindows95と同じになったWindowsNT4.0日本語版は昨年末には発売されていたので、早晩4.0になるのですが暫くは古い3.51のままでした。そのためWindows触れたいという私の鬱憤を晴らしてくれるものではなかったのです。

そこで5月14日、自宅からWindows95のインストーラを持ってきて勝手にインストールをしました。すると今度はWindowsNTが起動しなくなりました。ある意味当然なのですが、ただこれはWindowsNTを修復セットアップすることで簡単に復活し、しかもWindows95とのディアルブート環境になりました。WindowsNTのNTローダーが他のWindowsOSとのマルチブートを考慮した設計になっているので簡単に出来上がったのです。実はこれには少々感激しました。これが私の初めてのマルチブートとの出会いですが、まさに必要に迫られて導入することとなった訳です。

やがてWindowsNT側も4.0となったのですが、依然このデュアルブート環境は維持してました。しかしこの時はこれ以上の進展はありませんでした。その後1998年の転職先も同じような状況で、これ以上のマルチブート環境を構築する必要性、動機が特に無かったからです。転機となるの1998年末Linuxの導入です。

Linuxの導入に詳しくその経緯も書いているので導入自体の話はこちらを参照して欲しいのですが、要はこれによってデュアルを越えた文字通りのマルチブートの必要性が生じたのです。当時以下のようなOSでマルチブートしていると自慢げに友人に言っているメール(1999年1月27日)もありました。

  • Windows95 OSR2
  • Windows98
  • Windows NT 4.0
  • Linux (Slackware)
  • Linux (RedHat)

と言っても実際メインOSはWindows98。他は簡単な動作確認程度の目的なので、アプリケーションまでがんがんインストールする訳ではなかったので、ハードディスク容量が非常に多く必要になると言うことはありませんでした。当時私のPCが8GB。家内のPCが6GBのハードディスク容量でしたが、この頃はこれで十分足りていました。

この1999年はこのように実際に必要があってマルチブートをしており、その際のブートローダはLinuxのLILONTローダーの併用で事足りていました。この年はマルチブートというよりは、そのためのハードディスクのパーティション作りに凝っていた頃でした。fdiskでは事足りず、PartitionMagicなどを使っていろいろ弄ったり、調べたりもしています。


ブートローダーとWindows2000

前述のようにブートローダーはLILOとNTローダーの併用だった訳ですが、やはり前述のパーティション操作ツールPartitionMagicの付属ツールにBootMagicというブートローダーがあり、これも使ってみたりもしてみました。

このツール自体特に画期的なことはなかったのですが、やがていろいろなブートローダーが世の中に存在していることを知って試してみるようになりました。その中でも特に注目したのはMBMでした。

一方OSはWindows2000が1999年末に発売開始され、年明けには私の自宅パソコンにも導入しました。Windows2000はある意味待望のOSで、Windows95系の使い易さWindowsNT系の堅牢さを兼ね備えた言わば良いとこどりということで本来はWindows系OSは一本化できて、マルチブートの必要性が低くなるはずでした。ところがWindows95系(当時はWindows98 SE)から見ると大きなアーキテクチャの変更ということでドライバがなくて使えない機器が結構ありました。アプリケーションはかなり動いたのですが、周辺機器で使えないものがあるのは困る訳で、結局Windows98などとの併用を暫く強いられることになり、むしろマルチブートの必要性が高まってしまったのです。OSもかなり大きくなってきてさすがに8GBでは足りなくなってきました。


ハードディスク購入

そういう訳でハードディスク購入となったのですが、当時どんどん大容量化するハードディスクはバイト単価が大幅に下がっており、1年半前購入の8GBから一挙に20GBに増やしましたが価格は2/3でした。SeagateST320430Aでバルク品でしたが、税抜き17,780円。(2000/2/26)

[Seagate ST320430A]

またこのハードディスクは私が初めて購入するUltra-ATA66という最新の高速なインターフェースを持ったハードディスクでした。ところが我が家のパソコンはいずれもマザーボードがこのインターフェースに対応しておらず、折角の高速が活かせません。そこで初めてインターフェースカードなるものを一緒に購入してます。AbitHotRod66(税抜き2,980円)というもので、PCIバススロットに刺して、これにハードディスクを繋げて利用します。こうすることでハードディスク側のUltra-ATA66インターフェースが活きます。

[Abit HotRod66]

元々マザーボードが持ってない機能(例えばグラフィックやLANやサウンドとか)を追加するために付けるのが拡張カードですが、マザーボードが機能は持っているけど、その機能の上位バージョン(今回はUltra-ATA33に対してUltra-ATA66)を利用するために拡張カードを購入するのは初めてになります。

ただこのHotRod66はなぜかは覚えてないのですが、後(00/6/3)にBIOSを飛ばしてしまい使えなくなってしまいました。しかし会社のマシンに使ってないPromiseUltra66というUltra-ATA66インターフェースカードがあったのでこれを借用して使ってました。

[Promise Ultra66]

実はこのカード、単なるインタフェースカードとしてだけでなくちょっと遊べました。ただそれはもう少し先(2001年末)の話なので、その時に言及します。
 

ところで話は変わりますが、Windows2000がOSとして容量が多かったのでハードディスクの増量の動機となったと書いてますが、もう一つWindows2000による影響があります。

WindowsNTの頃からNTFSというより堅牢なファイルシステムが標準でしたが、Windows2000は勿論これを継承していました。Windows2000が堅牢なOSである理由の一つでもあります。一方これまでWindowsNTはメインOSではなかったので、例のシステムバックアップは必要ありませんでした。ところがWindows2000は私のメインOSになったので当然しっかりシステムバックアップをしないといけませんが、私が97年以来長年愛用してきたVFATBAKはその名の通り、FAT用でNTFSには対応してなかったのです。残念ながら対応予定もないとのことで、商用ソフトのDriveImageを購入して乗り換えざるを得ませんでした。(00/2/19 税抜き13,000円)


CD-RWドライブ購入

この頃(00/5/5)やっとCD-RW対応のドライブを購入しました。IO-DATACDRW-SB124BGで、 44,000円(税抜きポイント還元10%、実質42,000円程度)でした。中身はSANYOCRD-BP2です。

[IO-DATA CDRW-SB124BG]

このCD-RWドライブの特徴は何と言っても業界初、待望のBURN-Proof機能を搭載したことです。以前はCD焼きって非常にシビアは作業でした。データ転送がCD-R書込みに追いつかないとそこで書き込みが失敗し(バッファーアンダーランエラー)、一回しか使えないCD-Rメディアがお釈迦になってしまうのです。データ転送が追いつかない場面は様々あって、重いアプリケーションを動かすなどだけではなく、スクリーンセーバーが動き出しただけでも発生することがありました。CD-Rメディアも大分安くなってきたとは言え無駄に捨てたくはないので、いつもCD焼きの際は他のことを一切せず、大人しくかつスクリーンセーバーも切っておいてCD焼きが終わるのをかたずを呑んで待っていたものです。

これに対して、BURN-Proof機能はデータ転送が追いつかなくなってくると(具体的にはバッファーを監視していて、ある一定量まで減ったら)、書き込みを一時中断してその場所を記録しておく。再びデータ転送によってバッファーが十分な量になったら記録しておいた中断位置から記録を再開するというものです。

考えてみれば特に画期的な発想でもなく、実装も難しいことはなかったようで、これまでなかった方が不思議なような機能だったと言えます。これは最初にサンヨーが開発したのですが、当時他のライバルメーカーの社長が自社のCD-Rドライブ開発者たちに対して、「どうしてこんな単純なことに気がつかなかったんだ!」と激怒したというエピソードもありました。

ただ忌まわしいCD焼き失敗が激減したので待望だったのは間違いありません。基本性能もCD-Rで12倍速と既に持ってたCD-Rの4倍速から、3倍の増加。そして購入の主目的であるCD-RW初対応機器ということで私のCD焼き環境をかなり改善してくれました。

因みにこのドライブはSCSIでした。IDEも高速化して、更にUSB2.0やSATAが登場するとSCSIは急速に姿を消していきました。このドライブが私が購入した最後のSCSI接続機器となったのです。


マルチブートのどつぼへ

友人用PCの自作を行った頃も、自分自身のパソコンとしてはマルチブートへの興味が益々高まっていました。いくつかのブートローダーを試したり、愛用していたLILOもマルチブートローダーとして極めて多機能であることも分かってきていろいろ試したくなってきました。

元々は沢山のOSが使いたくてマルチブートをしていた訳ですが、この頃になると立場が逆転し、マルチブートがしたくて、ほぼ意味もなく沢山のOSをインストールしているといった状況になってきました。ある意味本末転倒なのかもしれませんが、まあ趣味でやっているのですから何でもいいでしょう。

そんな状況なので、OSをひたすら停止、起動を繰り返していて、ハードディスクも既に複数もっていたので差し替えてみたり、一方を電源オフにするとどう動かくなど調べたりしていました。これが何気に手間だったため、内蔵IDEハードディスクでもまるで外付けハードディスクのように簡単に抜き刺ししたり、個別に電源切ったりできるようリムーバブルハードディスクケースを購入しました。Tao EnterpriseVP-7010LS3F-66/100というものでアウター、インナーのセットで税抜き2,990円程度でした。(00/7/8)

[Tao Enterprise VP-7010LS3F-66/100]

これはことの他便利で、作業が格段に効率的になりました。

その後もLILOにちょっとしたグラフィカルなメニューがついて益々引き込まれ行きます。更にGrubというやはりLinuxのブートローダの存在を知り、これがまた極めて多機能。しかも開発者の一人に日本人がいたので、盛んに連絡をとっては調べていました。開発者との連絡はMBMやext-IPLでもやっていて、彼らのサイトで私のホームページが紹介されているくらいです。

LILOに関しては理解を深める意味もあって、Linux JF (Japanese FAQ) Projectというプロジェクトに参画してJohn Coffmanが書いているLILO Readmeの翻訳まで開始してます(00/8/12)。この翻訳作業は翻訳と言ってますが、LILOの機能を理解するのにも極めて役立ちました。Coffmanとも多少直接やりとりもしました。その成果はLILO READMEをご覧下さい。

こうなってくると20GBでもハードディスクが足りず、10月末には早くも更に20GBのハードディスク、リムーバブルハードディスクケースを追加購入しています。

こうして私はマルチブートのどつぼへとどんどんはまっていったのです。


やっと100BASEに

マルチブートは全く関係ありませんが、この頃(00/8/6)やっと我が家も100BASE-TX対応のHUBを購入して家庭内LANが100BASE環境になりました。PCIFX-05SCというものです。(税抜き4,800円)

[PCI FX-05SC]

パソコン側は既に99年初には全て100BASEになっていましたが、HUBとして使っていたダイアルアップルータが10BASE-TまでだったのでLAN環境としては10BASEのままでした。


カラーコピー機

これもマルチブートとは関係ありませんが、この頃(00/11/12)我が家で初めてカラーコピー機を購入しています。XEROXWork Centre 1150Jというもので、47,240円、ポイント還元10%、実質45,000円程度でした。

[XEROX Work Centre 1150J]

所謂インクジェットプリンターとスキャナーが合体した複合機なんですが、当時はまだ複合機ってあまり一般的でなく、我々もパソコンなしでカラーコピーができるのでカラーコピー機って呼んでました。

この機種はインターフェースが従来のパラレルポートの他、USBポートもあって、どちらか選択して使えるようになっていました。我が家のプリンターとしては初のUSB接続のものということになります。

ただコピーとスキャン専用としていて、通常の印刷は依然EPSON PM-750Cを使っていました。


 
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