自作に至る経緯2020/7/11 インターネットとWindows95当初貿易の仕事に携わりたくて、英語を本格的に学ぶためアメリカ留学をしました。しかし短い留学期間と日本人ばかりの環境のため殆ど英語が上達することなく、1991年に帰国しました。そのため貿易の仕事は諦め、これからはコンピュータだろうという安易な考えのもと、コンピュータ関連の仕事につきました。 当時はまだバブルの余韻が残っている時で就職事情はよかったです。就職情報誌のDUDAやBeingがものすごく厚かったです。そのため全くのコンピュータ未経験でも仕事はいくらでもありました。 しかし就職後すぐさま本格的なバブル崩壊、所謂失われた20年が始まったのです。私が就職した会社は小さなソフトハウス。もろにバブル崩壊のあおりを受けて、元々少なかったボーナスが出ることすらなくなります。 これには本当に参りました。この時私はこの会社ではなく、コンピュータ業界を恨んだのです。コンピュータなんてものはやはり贅沢品。不況の影響を最初に受けるのだと考えた訳です。そもそも文系の私が理系の仕事をしているのも間違いなのだと思うようになりました。 その結果私はとりあえず今の仕事は続けつつ、転職をするため何か資格を取ろうと思い、司法書士の勉強を始めました。法律は大学の専門ではありません(私は経営学部)が、好きな科目として沢山履修はしており興味は持っていました。やはり文系の仕事をしようと思った訳ですね。そしてコンピュータの仕事を続けながら勉強をしていました。 このように元々コンピュータに造詣が深かった訳でもなく、仕事も当該業界を離れようと思っていたのですから、自分のパソコンなどというものはずっと持っていませんでした。そもそもパソコンにも興味などなかったのです。仕事では主にUNIXのワークステーションでC言語のプログラミングなどをしてました。また仕事でパソコンも触ってはいましたが、依然興味は湧きませんでした。 その状況が一変したのはMicrosoft Windows95の発売です。多くの人がWindows95によってパソコンを始めたことでしょう。
[Microsoft Windows95] 私も結局この世の中の流れにだたついて行って、1996年4月に初めて個人パソコンを購入しました。富士通のFMV FMV DESKPOWER SEという機種です。(汚く小さな写真で恐縮です)
しかし個人のパソコンを持ってみると今までのことが嘘のようにのめり込んでいったのです。その大きな理由がインターネットだと思います。世界中のコンピュータに自宅から繋がる。そして自分も情報を発信できる。特に目立ちがり屋の私には後者にとても興味をもったのだと思います。 従ってパソコンを購入して3ヶ月後にはこのホームページを立ち上げています。逆にパソコン購入してから3ヶ月も後だったのは、前述の司法書士の試験が7月7日だったので、それまでは抑えていたからです。 個人が簡単に情報発信する。インターネットのない時代はごくごく限られた方法(テレビ・ラジオか出版)でしか情報発信などできなかったので、これは画期的だったと思います。私もあっという間にインターネットの虜になった訳です。 一方1996年当時はブログやTwitter、Facebook、InstagramなどのSNSのようにITリテラシーのない誰でも簡単に情報発信できるツールはまだまだ不十分でした。しっかりIT技術を学ばないと発信はできませんでした。こういった部分も返って、何かに興味を持ったら徹底的に追及して、人の先を行きたいと思う私の興味をより強く引いたのだと思います。 また当時はスマホは勿論携帯電話も無かったので、インターネットに接続するにはパソコンしか手段がありませんでした。インターネットに繋がる、情報発信するにはパソコンを使うしかないし、より高度にインターネットを活用するにはパソコンに詳しくなる必要もありました。 なお、当時インターネットで情報収集するのに最も一般的な手段はWebサーフの他は「パソコン通信」と「ネットニュース」でした。パソコン通信は実はインターネットではないのですが、当時私ははあまり区別がつかなかったです。パソコン通信にもいくつかのサービスがあって、NIFTYを利用していました。一方ネットニュースはインターネットですが、今でいうと掲示板のようなものですね。これにはものすごくはまりました。 このようにパソコンを通じて広がる世界に興味を持ち始めると、パソコンというハードウェアそのものにも非常に興味を持つようになりました。元々文系の私は機械物はそれほど興味を持たないのではと思っていたのですが、今思うとバイクやオーディオなどに興味を持った時もその構造や仕組みも知りたがり、実際いじったり、技術的な部分にも詳しくなったりして、ハードウェアに興味をもつ素地はあったように思います。 とりあえずパーツアップグレードで凌ぐもこのようにすっかり虜になったインターネット、そしてパソコン。その結果パソコンについて徐々に詳しくなってくると、まだ何も知らない時(1996年4月)に買ったパソコンが如何に貧弱だったのかということが分かってきました。事実非常に遅くて使いづらかったです。その後友人のもっといいパソコンを触ったり、会社で速いパソコンを見たりすると益々自分のパソコンの酷さが分かってきました。
基本スペックは以下の通りです。
どれをとっても当時エントリークラスのものばかりであることが分かってきました。勿論これについてアップグレードできるパーツはできる限りやってみました。 CPUはクロックアップをしました。今でもこれは皆さんよくやることですね。またビデオカードは当時定番のMatrox Millenniumに変更しました。(97年3月30日購入、29,800円(税別)) その他にもメモリーも32MB増設して3倍に(96年8月23日)。ハードディスクも3倍の3GBのものに換装(97年6月1日)。以下がその結果となったものです。
色の濃いセルのものがパソコン購入時から何らかの変更を行ったものです。 これ以外にも周辺機器の購入なども行っていますが、こちらは今回の話とは直接関係ないので、別ページ「パソコン周辺機器の購入」に譲ります。 しかしこれらのアップグレードをしても、あまり速くなった気はしませんでした。 ハードディスクはUltra-ATAの製品でしたが、マザーボードのIDEコントローラが対応していないしドライバもないので、Ultra-DMAどころが通常のDMA転送も行えませんでした。 CPUはクロックアップだけなので、もっと高速なものに換装するという選択肢もあったのですが、以下の事情からそれは無駄だと分かりました。 チップセットがALiのものですが、当時定番のIntel 430FX互換の製品で、より高速なメモリーEDO RAMや高速な2次キャッシュPB-SRAM対応のものと思われましたが、このマシンでは遅いFPM RAMと非同期(Asynchronous)SRAMが使われていました。まだEDOなどが高価だったので、採用を見合わせたのでしょう。またマザーボードにPB-SRAM用のパターンまでありましたが、載っていないといった状態でした。EDOに関しては搭載できるか不明でした。ただBIOSに項目がないので、搭載して動いたとしても、EDOとしての速度では駆動できないと思われます。 メモリーや2次キャッシュの速度ってそんなに大事なのと思われるかもしれませんが、このあたりのことは次のパーツ選びのところでも多少詳しく述べます。 いずれにしても高速なメモリーと2次キャッシュが使えないのでは、CPUなどをパワーアップをしても大して効果がでないだろうと判断しました。つまりこのパソコンをアップグレードしてもたかが知れているので、全く新しいパソコンにした方がいいのでは思い始めたのです。 それにもう一つパソコンを新調したい動機がありました。それは私用と家内用にそれぞれ専用のパソコンが欲しくなってきたという点です。既に二人してパソコン、インターネットにはまっていましたから、パソコンは結構取り合いになることが多かったです。また「バックアップしたい」でも言及していますが、故障時の代替機も欲しい。もはやパソコンは1日も欠かせないものとなっていたので代替機の存在は重要でした。 そのような理由もあり、この貧弱なパソコンのアップグレードなどではなく、パソコンをもう一つ新調しようということになった訳です。 自作か否か全く新しいパソコンにするということは、ハイグレードなメーカー製パソコンを購入してもいい訳です。しかし既にいろいろ勉強してきた私としては、自作したいと思い始めていました。 これには周りの力もありました。当時勤めていた会社を転職したばかりだったのですが、以前勤めていた会社の同僚ではないですが、一緒に仕事をしていた人でとても仲良くさせて頂いた方がいまして、その方がとてもパソコンには詳しかったのです。私もその方からいろいろ教わっていました。その方が自作をものすごく私に勧めたという訳でもないのですが、心強い味方ができて安心感があったのは事実です。 また今と比べると信じられないくらいパソコン技術が日進月歩の時代でした。CPUなどは半年か、すごい時は3ヶ月くらいのスパンでグレードアップしていました。メーカー製パソコンも半年、四半期ペースでニューモデルが出ていたのです。 そして自作を決断するもう一つの大きな転機が私に訪れます。 前述のように私はコンピュータ業界を離れるため司法書士を目指したいた訳ですが、司法書士の試験はかなり難しく1、2年の勉強で合格できるものではありません。なかなか合格までの道のりが見えてきませんでした。 そんな折、すっかりパソコンにのめり込み、司法書士の勉強はかなり疎かになりました。前述の7月7日の試験以降、ホームページの作成を始めてからは殆ど勉強できなかったです。それでもまだ司法書士は諦めていませんでした。しかし時代はインターネット、パソコンの時代、まさにコンピュータの時代を感じさせてくれる風潮でした。 今まさに時代の最先端をいく仕事にこれまで携わってきたのに、それを捨ててまで取り組むほど司法書士が魅力的な職業なのかと思い始めました。司法書士って時代のトレンドとしてはかなり地味な印象でした。勿論4年も取り組んできたので相当悩みに悩んだのですが、ついに決断しました。1997年夏7月のことです。司法書士はあきらめ、やはりコンピュータ業界で生きていく決心をしたのです。 そう決心した以上、もっとちゃんとしたコンピュータの会社に転職する必要があると感じました。それにはもっとコンピュータを勉強し、資格も取らねばなりません。そのコンピュータの勉強の一つとしてパソコン自作も位置付けたのです。 とは言っても当時お金が本当になかったので、費用は極めて重要でした。背に腹は代えられません。ショップブランドやGatewayなどの直販メーカーがかなり安く出していたので、最後まで揺れました。しかし最終的には若干ですが自作の方が安いことが判明したので最後は安さが決めてで自作を決意しています。 さてそれでは早速自作に向けてのパーツ選びといきましょう。 PentiumII初自作(1997)のトップページへもどる パソコン自作奮闘記のトップページへもどる |