マンガ夜話 そのA
「無敵看板娘」(現在三巻、続刊中)
(秋田書店:ISBN4-253-20351-5,4-253-20352-3,4-253-20353-1)
佐渡川 準 著
◆黄金期到来か?
長い低迷から抜け出し、今、少年チャンピオンが元気だ(なんて失礼な書き出しだろう)。
スポーツの「ドカベンプロ野球編」「オレンジ」「ショーバン」、サブカルの「エンむす」「エイケン」、教養グルメの「虹色ラーメン」、アウトローの「アクメツ」、冒険の「キャラメルリンゴ」、スーパーギャグの「浦安」、不条理ギャグの「柔道放物線」・・・(2003年6月現在)。
やっとバランスのとれた駒が揃い、優勝を狙えるメンバーが育ってきた。まるで1998年のベイスターズのようじゃないか。
そしてコメディ代表として表紙ローテーションの一角を担い、チャンピオンの快進撃を支えているのが、この「無敵看板娘」である。作者の佐渡川氏はこれがデビュー作。そして少年チャンピオンからスタートした生え抜き作家。あの当時のベイスターズで言えば全盛期の斎藤隆といったところか。山椒は小粒でぴりりと辛い、大がかりな舞台背景や派手なオチ、下ネタがなくとも、人は充分笑えるのだ。わかるか漫●太郎。
それでは、彼の切れ味鋭い高速スライダー、じゃなかったコメディセンスを分析していこう。
◆シンプル・イズ・ベスト・コメディ
主人公鬼丸美輝は家業の中華料理屋を手伝う看板娘。にして鬼丸流葬兵術(よくわからんが、たぶん彼女創作の武術型式だろう)の使い手である。普段はいやいやながら母にどつかれつつラーメン屋を手伝っているが、ひとたび自分の興味を惹く物を見つけるともう大変、その有り余るエネルギーが騒動を巻き起こし・・・。という感じで毎回話が進行していく。悪く言えばワンパターン、よく言えば安心して読めるマンガだ。特に忙しい仕事を抜け出て昼食時の定食屋や、夜寝る前の20分ほど前がベター。肩肘張った風刺もなく、幸せに笑えるのである。
単行本のストーリー紹介にはこう書いてある。「何の因果か家業を手伝うことになった美輝が、いろいろと大暴れするお話(はあと)」。・・・3巻とも全部これである。そう、ストーリーの展開としては全くその通り。それ以外を必要としない。
その他に主要な登場人物は、突っ込み役の隣の八百屋太田明彦、ライバル役の向かいのパン屋看板娘神無月めぐみ、いじめられ役の挑戦者西山勘九郎。いちばん強い主人公の母鬼丸真紀子。主だった者はこれだけ。第3巻になってやっと2つ増える。自殺したがりの芽原先生と遠藤さん家の凶暴犬。何てわかりやすいキャラクターの相関関係か。ストーリーの舞台も町内を出ることはない。ヒロインの水着姿などありがちな読者サービスもない。番外編とか「これは別の世界のお話」なんていう愛読者向けのコアな場面転換もなし(毎巻の予告編には騙されるけど)。
ただひたすら、パワフルなご近所コメディである。そして最後はほとんど、母真紀子に美輝が殴られてオチ。
これが、おもしろいのだ。
美輝が葬兵術で暴れれば、太田が不条理に突っ込めば、めぐみが串を投げれば、勘九郎が挑戦状を持ってくれば、母真紀子が美輝をどつけば、芽原先生が首吊りの用意をすれば、凶暴犬が威嚇の態勢をとれば、もうそれだけでお約束の笑いが巻き起こる。まるで欽ちゃんやカックラキン大放送(古くて申し訳ない)はたまた吉本新喜劇。キャラクターが立っているからこそのシンプル・イズ・ベストである。
そう言えばチャンピオンって「がきデカ」や「マカロニ」など、ギャグの大先輩がいるではないか。この作品こそ、名門をしょって立つ21世紀の正統な後継者なのである。
◆一瞬の閃き
かって高名な魔術師フーディーニは言った。「大がかりな奇跡なんて簡単だ。単純な小手先の手品ほど難しいんだ」と。そして佐渡川氏がやっている、何もかも削ぎ落とし、徹頭徹尾セリフと絵と場面展開だけで笑わせること。これもけっこうすごい技なのだ。
たいへん失礼ながら佐渡川氏の画力は及第点どまりで、巻を追うごとに向上することもない。だが、躍動する体を書くのは、実に上手い(参照:第3巻「かつてない強敵」P.156)。さらに言えば、そこから少し気の抜けた描線も上手い(参照:第1巻「夜に頑張る人」P.77)。この緩急の使い分けが16ページの1回分に都合よくはまり、読者を疲れさせずダレさせることなく心地よく引っ張っていく。そしてさらに、キャラクターにピッタリはまったセリフ配置の妙がある(参照:第2巻「あなたを助けたくて」P.42)。
だが、立ったキャラにおんぶだっこして引きずられていくコメディでは、やがてストーリーは荒れて枯渇する。それを引き締めているのが、著者の卓越したギャグセンスである。それが冴え渡った光を放っている第2巻第20話「復讐は心を込めて」で一例をあげよう。
この一編では主人公美輝とライバルめぐみが料理対決をする。もともと中学生の調理実習の遺恨があるのだが、常識人めぐみの作った料理は上手く、非常識人美輝の作った料理は食えなかった(めぐみ「ちょっと待って、本来の実習メニューはオムライスですのよ。この鮮やかな群青色は何!?」)。その時点でなぜかそれを食って玉砕しためぐみの負けという風に強引に話のベクトルをシフトし、「鬼丸さんが私の料理を食す、うまいと言う。次に私が鬼丸さんの料理を食す、耐える、そしてうまいと言わない。さすれば復讐完遂!!」というかたちでライバルめぐみの目標を置き換え、ドラマを継続させる。そして料理対決で美輝が出した物は・・・
美輝 「ほれ、お湯で通してポン酢で味付けしたんだ。石を(ごと)。」
めぐみ「石ィ!」
(注:ここの絵、デッサン狂ってるのに、ホントおもしろいのである)
めぐみ「反則よ、こんなの料理ではありませんわ!」
美輝 「そのへんの認識は人それぞれだろ」
・・・あまり長々と書いても文章ではおもしろさは全く伝わらないと思うので、この結末はコミックスで参照していただきたい。ここで言いたかったのは、料理対決で主人公に「石」を出させる、著者の非常識なセンスである。普通のコメディならば中学校の遺恨そのままに「毒々しい料理」(=それは何かおかしいが、食材を元にして原型をとどめているもの)を出すのが発想の限界であろう。しかし佐渡川氏は、凡人である読者の予想を裏切り、完全に突き抜けたセンスで主人公に「石」を料理として与えさせる。結果、めちゃくちゃな展開が加速していく。
思うに、この飛躍した感覚、一瞬の閃きこそが、画力よりも何よりも、ギャグ作家として必要なのである。赤塚不二夫に始まり、山上たつひこ、鴨川つばめ、江口寿史、新沢基栄、そして島袋光年・・・かって名作を世に送り出したギャグ作家には、すべからく凡人の読者が考えるストーリー予想を超越する閃きがあった。
「無敵看板娘」にもそれが感じられるのは、いうまでもない。
◆ご近所コメディは世界に通じる
さらに、著者の才能を表す具体例を挙げよう。
時々見ることのできるサイレントコメディが、それである(参照:第1巻「追跡の果てに」、第1巻付録4コマ「出前一丁!」、第3巻「こうしてあなたはサンタになった」)。これらの話には、セリフは最後のオチだけ。その他はすべてキャラクターの動きだけで読者に想像させ、笑わせる。かのチャップリンの無声映画のように。
断言するがこれは高度な技であり、平凡なギャグセンスのマンガ家がやると自爆する。キャラを立たせて何を言ってるのか想像させ、ストーリーをわかりやすくして混乱をなくし、コマ割とカットの工夫で読者にページをめくらすテンションを与え、最後の一言(だけ)で確実に見事にオトす。「世紀末リーダー伝たけし」がない今、日本の週刊誌で16ページもの長丁場をサイレントコメディで埋められる作家は、著者以外にもういない。
これは想像に過ぎないが、佐渡川氏は自分のギャグセンスが疲弊して切れ味を無くしてきたと感じたら、あえてこのような回を挿むことによって、自分の感覚を磨き直しているのではないだろうか。あたかも剣豪が自分の刀を研ぎ直し、切れ味を回復させるように。
これらの話は日本語のわからない世界中の人間に見せても、多分おかしさは通じるだろう。なぜならば、佐渡川氏のギャグセンス、一瞬の閃きは、世界共通規格なのだから。ということは、佐渡川氏は今、世界にいちばん近いギャグ漫画家なのである。
そんな世界に通じる彼が書いているマンガの舞台は、閉鎖空間である「ご近所」から出ることはない。何となく皮肉めいたものがあるが、それだけ濃密な空間とキャラクターが生み出す喜劇だからこそ、名作となる予感がふつふつと私の中に湧いてくるのである。
ご近所コメディは世界に通じるのだ。