1.朝鮮民族の世界観

1-1.自他の境界が消失した民族

文明の誕生以来、朝鮮半島は外民族の侵入と支配を繰り返し受けてきました。そのため、朝鮮社会は常に非常に強い社会不安に晒されてきたようです。このような強い外的なストレスから、朝鮮人は外民族に対して非常に疑い深く被害者意識が非常に強い民族になりました。また、このような社会不安から自分の感情を爆発させて不安を紛らわせたり、現実についてあまり深く考えない民族性をも獲得したようです。

彼らは外圧に対抗すべく、民族間での情緒的な繋がりを非常に強く求めて来ましたが、その結果自民族全体の心情や主観、そして思考が時空を超えて同一だと考えるようになりました。つまり朝鮮民族間では自分と他人は区別できないものであり、また昔の先人と現在の自分も区別しがたいものなのです。

このように、朝鮮では自分と他者との区別が消失しましたが、それによって登場したのが朝鮮民族全体の総体としての主観である「入場」、および朝鮮民族全体の総体としての判断基準となるスーパーデータベース「(普遍的)真実」です。

また、朝鮮人は相手から自分を区別されそうになると、自分の普段の行動は全く顧みずに必死になって「差別」だと訴え始めますが、これは彼らが自他の区別に非常に強い分離不安を覚えるためでしょう。朝鮮では自他の同化こそが信頼の証であり、自分と相手の間に境界が存在する事は決して望ましくないのです。


 

1-2.民族の総体としての主観「入場」

「入場」とは、「朝鮮人の被害者としての歴史を十分理解し、その心情を受け入れた視点」の事であり、朝鮮人にはこの「入場」以外の物事の見方、即ち他人の立場に立った物の見方が存在しません。他人からの視点を欠いた朝鮮人の行動は、常に自己中心的なものになります。

朝鮮人が一見、日本人よりも自分の意見をはっきり言うように見えるのは、このように「入場」以外の「他人の視点」を持つ事ができない、自己中心的な性質によるものです。また彼らの主張を観察してみると、彼らは自分の「個」としての「物の見方」を主張するのではなく、自分の「目先の利益」を主張しているだけであり、その内容が「入場」や「真実」の範囲を超える事は通常ありません。

そして「入場」以外の視点が存在しない朝鮮人にとって、「入場」を納得させないあらゆる視点は全て不当なものです。彼らは常に周りに「入場」を押しつけて他の視点を受け入れる事はありませんが、これは朝鮮人にとって自然な行動なのです。


 

1-3.朝鮮人の「恨(ハン)」と「情」

朝鮮人の情緒の最も根本的な概念に、「恨(ハン)」なるものが存在します。この「恨」とは、日本で言う「恨み」とは違う概念のようです。それではこの「恨」とは、一体何でしょうか?

「恨」とは、「朝鮮民族の被害者としての歴史と、民族の苦難に対する嘆き及び自己憐憫による陶酔感を、時空を超えて民族間で共有する事によって醸成される、粘着質の情緒」の事です。この「恨」を共有する朝鮮人にとって、自分の痛みと他人の痛みは同一であり、また現在の自分の痛みと過去の先人達の痛みは同一なのです。

ただしこの「恨」はあくまで「被害者としての歴史」を前提として成り立つものであるため、 朝鮮人の加害者としての歴史は完全に無かった事になっています。また、彼らは自分達の加害者面に触れられると大抵激昂しますが、これがいわゆる「火病」状態です(笑)。

「恨」は時間とともに蓄積していくものであり、隙あれば解消される事が期待されますが、その解消の方法とはつまり「復讐」です。また、「恨」は朝鮮民族の被害者面だけを蓄積するため、彼らの民族的記憶に「恩」が残る事はありません。そのため、もし宗主国が弱体化するような事があれば、朝鮮人は旧宗主国の人間に対して残虐非道の限りを尽くし、「恨」の解消に努める事になります。

そして日本にとって非常に不幸な事に、分離不安が非常に強い彼らには「嫌いなものからは遠ざかるべき」という考えが全く理解できません。朝鮮人は、嫌いなものにでも躊躇無くすり寄ってきたり、もしくは徹底的に粘着してその価値を貶める事に全力を尽くしますが、そこに違和感を感じる事は一切ありません。「嫌いな相手には執着して不幸を願い、『恨』の解消の機会を伺う」これが朝鮮人の基本的なメンタリティです。そのため、執着を嫌う傾向の強い日本人から見れば実に異様に見える行動も、彼らにとっては普通の事なのです。

また、朝鮮人は「情」を非常に重要視する民族だと言われますが、これは彼らが自他を区別できない、もしくは区別されることを嫌うという特質によるものです。このような朝鮮人の強い「情」の様子から、彼らがあたかも他人の痛みが良く理解できるように見える場合があります。しかし、彼らは決して他人の考えや立場を理解して「情」を発揮しているのではなく、単に感情的に相手と同一化しているだけに過ぎません


 

1-4.朝鮮の自称「(普遍的)真実」

朝鮮人は自分達の主観を少しの疑いも無く「真実」だと騙りながら、日本人などの外国人に押しつけます。これはつまり、朝鮮には「真実」とされる事柄が日常的に多数存在することを意味します。日本で「真実」なる言葉を日常的に使うのは怪しい宗教団体とゴシップ週刊誌くらいであり、実際「真実」を連呼する朝鮮人の主張には根拠が存在しなかったりする訳ですが(笑)。

朝鮮人が語る「(普遍的)真実」とは、森羅万象全ての物事の因果について記載されている、民族の総体としての叡智の結晶の事です。朝鮮では自分で物事を考えなくても、この「スーパーデータベース」を参照しさえすれば常に正しい判断を下す事ができるのです。そしてこのデータベースにアクセスする方法は単純明解です。もし、周りの人が皆同じ事を言っていれば、それこそが朝鮮の「真実」になります。

朝鮮人は自己の利益の追求するために、本当に簡単に嘘を吐きます。というか、彼らはどうやら悪意の無い嘘には罪がないと思っているようです。偽の情報が蔓延した社会で自分の思考なしに本当らしい事を知るには、周りの人が皆同じ事を言っている事を「真実」にする以外ないのでしょう。

このような「スーパーデータベース」に全ての判断を委ねた結果、彼らには物の道理を理解する必要がなくなり、また実際に理解する事もできなくなりました。それで朝鮮人に対して「真実」に合致しない事象を提示すると、激昂してうやむやにするか、即座に思考停止して見なかった事にするのです(笑)。

確かにネット上での議論の際、韓国人は他人の意見を堂々とコピペしてきますが、いざ本人自身の考えを聞いて見ると全く答えられません。また、自分の主張の検証を相手にやらせようとする行動が良く見られ、日本人がそれを指摘しても問題点を全く理解できません(笑)。韓国人に見られるこれらの反応も、やはり彼らは思考が苦手であり、というかそもそも自他の思考を区別することすらできない事を意味します。

また朝鮮では、「馬鹿」という言葉は「思慮が足りない人間」という意味ではなく「そこにある真実に気づかない人間」を指すようです。このように、朝鮮では個人の思考よりも民族の叡智である「真実」が遥かに重要視されてきたため、現在の韓国人もつい「真実」に判断を委ねてしまい、あっという間に思考停止するようです。


 

1-5.朝鮮の自称「普遍的道徳」と「普遍的絶対正義」

朝鮮では古くから中国の学問を積極的に採り入れ、また研究してきました。このようにして儒教を朝鮮式に再解釈したのが「朝鮮朱子学」です。また儒教は日本では宗教と言うよりも単なる学問でしたが、朝鮮では土俗信仰と結びつき祭祀などの要素を伴った宗教として定着したため、現在の朝鮮人の心の中にも、その影響は色濃く残っています。

朝鮮人が誇る民族の叡智にしてスーパーデータベースたる「(普遍的)真実」には、「普遍的道徳」という、「全世界の全時間軸で通用する、普遍的で絶対的な価値判断基準」が含まれます。また彼らはこの「普遍的道徳」により、自称「普遍的絶対正義」を判断する事ができるそうです(笑)。そしてどうやらこの「普遍的道徳」を形作っているのは、朝鮮伝統の朝鮮朱子学のようです。

もちろん朝鮮人以外から見れば、「全世界の全時間軸で通用する、普遍的で絶対的な価値判断基準」なるものは単なる妄想に過ぎません。しかし彼らには自他を区別できないので、この「普遍的絶対正義」とやらが自民族の主観にまみれている事を理解できず、それどころかこれが世界の普遍的道徳だと信じ切っているのです。彼らは事ある毎に自分達の主観を外国人にも押しつけてきますが、こういう仕組みな訳です(笑)。


 

1-6.「事大」の伝統

朝鮮はその地政学上の条件から、常に周辺の大国によって国を翻弄されてきました。そこで朝鮮人は、刻々と変化する東アジアの強国間の勢力分布から、常にその時々の最も有力な国に対して忠誠を誓うという「事大」という処世術を用いて国を守って来ました。

現在の韓国ではこの朝鮮の「事大」の伝統を、「大国の力を巧みに利用した、素晴しい戦略」と解釈しているようです。朝鮮人以外から見れば、どう考えても朝鮮は中国の属国な訳であり、また「独立門」や「大清国属高麗国旗」なる初期の太極旗すら残されている訳ですが…(笑)。

自他の区別が存在しない朝鮮では、「事大」とは力の大きな者に媚びへつらってその庇護を受けるというよりは、力のある相手と自分が同化する事によって自分の価値をあげる(ような気になる)という事と解釈されるようです。

このような事大の伝統に基づき、朝鮮人は自分以外の力を借りて使う事に全く抵抗を感じないようです。これを反映してか、現在の韓国人からも自国以外の力を使って日本を懲らしめるという内容の発言が頻繁に見られます。その例を挙げてみます。

  • アメリカの原爆で日本人を焼肉パーティにする。

  • 中国と同盟して日本を侵略する。

  • 北朝鮮の核ミサイルが日本に落ちる。

  • 日本列島の自然災害は天罰。

このように、朝鮮人は自ら進んで「虎の威を借る狐」になり、それを恥じる事はありません。これが朝鮮伝統の「事大」の姿です。そして、事大先に対して恩を感じるという事も一切ありません。朝鮮には、助けてくれた者に対する「恩」という概念は存在しませんので(笑)。

また、彼らは世界的に価値を認められている、もしくは日本人が価値を認めている日本のあらゆる文化に対して起源を主張します。これも、「価値あるものと同化して自分の価値をあげる(気になる)」ための行為なのでしょう。日本人に対する単なる嫌がらせでなければ、の話ですが(笑)。


 

1-7.朝鮮社会のタブー

朝鮮では、「入場」「真実」「恨」といった概念により、民族全体が同化しています。これらは朝鮮に特有の強い社会不安をやわらげてきた救世主であり、言わば神聖不可侵な宗教の一種であると言っても過言ではありません。誰かがもしこれらを破壊しようとすれば…朝鮮社会はたちまちその一体感を損ない、非常に強い社会不安を引き起こします。

つまり朝鮮社会のタブーは、自分達が信仰する「入場」「真実」「恨」に対して異を唱える事です。これは21世紀現在の韓国でも同様です。信心深い彼らの信仰を脅かしかねない、韓国に不利な国際的視点や韓国に不利なあらゆる事実などは、「歪曲」と呼ばれてヒステリックな反応(火病)と共に徹底的に弾圧され、無かった事にされます。また、「歪曲」を行う異端の者は「親日派」もしくは「売国奴」と呼ばれ、やはり朝鮮社会から排除されます。

朝鮮に特有のこのような「魔女狩り」の構造が、自由主義国家である筈の韓国を現在でも実質的な言論統制国家たらしめている最大の要因です。


 

last updated: June 1, 2007