Essay - 倉敷通信(くらしきの話)- 進藤和丸

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編 集 テ ー ブ ル

タイトル
  倉 敷 通 信
               Fri, 11 Oct 2002 から
                          進 藤 和 丸
倉敷通信(くらしきの話その8)    2002年10月11日20時21分

 家の付近の写真を送ります。最初は、彼岸の頃に写した「彼岸花」です、名前の通り墓地がすぐ近くにあって江戸時代の墓があります。明治はじめの図面を見ると、いわゆる倉敷(商人の町)から至近距離の村であることが分かります。

 家の付近の写真 

 最初は彼岸の頃に写した「彼岸花」です。その名前の通りすぐ近くに江戸時代の墓があります。明治はじめの図面を見ると、この辺りは、いわゆる倉敷(商人の町)から至近距離の村であったことが分かります。

 家の前を流れる、用水です。時々、かなり大きな鯉が姿をみせます。左の水路に沿った塀がわが家です。田圃とマンションが見えます。

 家の前を流れる用水です。時々、かなり大きな鯉が姿をみせます。水路に沿った左手前の塀がわが家です。田圃とマンションが見えます。

 倉敷警察署が田圃を隔てて見えます。その先に、長男の勤務している、倉敷中央病院があります。

 田圃を隔てて倉敷警察署が見えます。その先に長男の勤務している倉敷中央病院があります。

 倉敷中央病院の写真です。現在、工事中なので網をはっています。それから右側が、外来棟で中央に立つのが入院病棟です。外来患者が日に3000人以上、入院患者が日に1000人以上の、大病院です。大原孫三郎がこの地に建設したもので、美術館と共に大原精神を伝えています。

 倉敷中央病院です。現在工事中なので網が張られています。それから右側が外来棟で、中央に立つのが入院病棟です。外来患者が日に3000人以上、入院患者が1000人以上の大病院です。大原孫三郎がこの地に建設したもので、美術館と共に大原精神を伝えています。

 病院の外から見たものです。大正時代に、出来たもので当時は倉敷の郊外とでも云った所に立地したのです。

 外から見た倉敷病院です。大正時代に出来たもので、当時は倉敷の郊外とでも云った所に立地したのです。