Essay - 倉敷通信(くらしきの話)- 進藤和丸

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編 集 テ ー ブ ル

タイトル
  倉 敷 通 信
              Tue, 5 Mar 2002 から
                          進 藤 和 丸
倉敷通信(くらしきの話その5)    2002年03月06日 14時55分

倉敷通信(クラシキの話)その4

倉敷通信(クラシキの話)その5

 小島さんによる編集によって倉敷通信も、それをプリントすると、書くことに張り合いがでて来ます。今回は、蕎麦屋の話題です。

 ○ 蕎麦屋の話

 蕎麦屋の話

東京には、蕎麦屋が町角毎にある感じがします。昔、広島に来たときにはいわゆる「蕎麦屋」がなく、上京の度に「藍色の暖簾」のある店に寄るのが、楽しみでした。それから約40年以上が経ちますが、東京風の店は未だにありません。広島にいた時代には、デパートの東京店のコーナーまで行かないと、駄目です。ところが、西日本でも観光地では別です。観光地と蕎麦屋さんの関係は、とくに調査した訳ではないが、「蕎麦」を売り物にする店があるように思います。「うどん屋」では観光の売り物にならないのかもしれません。

 東京には、蕎麦屋が町角毎にある感じがします。むかし広島に来たときには、いわゆる「蕎麦屋」がなく、上京の度に「藍色の暖簾」のある店に寄るのが楽しみでした。それから約40年以上が経ちますが、東京風の店は未だにありません。
 広島にいた時代には、デパートの東京店のコーナーまで行かないと、「蕎麦」にはお目にかかれませんでした。ところが、西日本でも観光地は別のようです。観光地と蕎麦屋さんの関係は特に調査した訳ではありませんが、観光地には「蕎麦」を売り物にする店が必ずあるように思います。「うどん屋」では観光の売り物にならないのかもしれません。


 倉敷は瀬戸内を代表する観光地です。元来は香川県に近いのですから「うどん圏」です、ブッカケうどん(私も、広島時代は知らなかった)と云うこちらの地方独特のものを始めとして「うどん」が一般の人々には勿論、主流です。なにかしら「蕎麦」には江戸からの伝統といった「粋」があるのかも知れません。いわば「ハレ」の食事とでも。

 倉敷は瀬戸内を代表する観光地です。香川県に近いのですから、元来は「うどん圏」に入ります。
「ブッカケうどん」(私も広島時代は知らなかった)と云うこちらの地方独特の「うどん」を始めとして、「うどん」が一般の人々には勿論、主流になっています。なにかしら「蕎麦」には、江戸からの伝統といった「粋」があるのかも知れません。いわば「ハレ」の食事とでも。


 大原美術館の付近に「あづみ」を名乗るそば屋があります。この店は信州の松本から、移ってきたのです、時期は昭和の40年頃です。当時の大原総一郎が旨い蕎麦を倉敷で食べたいと、松本から蕎麦打ちの上手い店の主人と一緒に来て貰ったのだそうです。他に2軒かなり凝った店があります。何れも、特色のある「蕎麦」を出します。最近「チボリ」にも新見地方(岡山県の北にある町)の人々が、「ケンチン蕎麦」という名前を売り物にして、店をだしました。開店の当日チボリに行きましたが、満員で店に入れず2回目にようやく、食べることができました。ケンチンと云えば、懐かしい栃木県の郷土食です、戦時中母親の実家である鹿沼(宇都宮から日光線で二つ目)へ疎開していた頃、よく食べていたものです。新見地方にケンチンと言う名前の食べ物があるとしたら、面白い発見です。 

 さて、大原美術館の付近に「あづみ」を名乗るそば屋があります。この店は信州の松本から移ってきたのですが、時期は昭和の40年頃です。その当時、大原総一郎が旨い蕎麦を倉敷で食べたいと、松本から蕎麦打ちの上手い主人ともども来て貰ったのだそうです。他に2軒かなり凝った店があり、何れも特色のある「蕎麦」を出します。
 最近「チボリ」にも、新見地方(岡山県の北にある町)の人々が「ケンチン蕎麦」という名前を売り物にして店をだしました。開店の当日、チボリに行きましたが満員で店に入れず、2回目にようやく食べることができました。
 ケンチンと云えば懐かしい栃木県の郷土食です。戦時中、母親の実家である鹿沼(宇都宮から日光線で二つ目)へ疎開していた頃、よく食べていたものです。新見地方にケンチンと言う名前の食べ物があるとしたら、面白い発見です。 

 (ここまでは、昨年中に書いてあったのですがそのままになっていたので、取りあえず送ります)