Essay - 倉敷通信(くらしきの話)- 進藤和丸

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編 集 テ ー ブ ル

タイトル
  倉 敷 通 信
          2001年09月08日15時47分から
                          進 藤 和 丸
倉敷通信(くらしきの話その4)    2001年11月30日 14時55分

 今日も散歩です。家から、美術館のある区域、通称「美観地区」といっていますが、そこまでの往復です。ここは、倉敷川・二階建の旧い建物・川辺の柳の3点セットに特色があります。所どころに、真っ赤に紅葉したカエデの木々に、目をとられます。

 今日も散歩です。家から美術館のある区域、通称「美観地区」といっていますが、そこまでの往復です。ここは、倉敷川、二階建の旧い建物、川辺の柳の3点セットに特色があります。真っ赤に紅葉したカエデの木々がところどころにあり、目をとられます。

 今では、年間400万人を数える観光客の来る、瀬戸内有数の場所になっています。ちなみに、宮島の年間観光客は、200万人です。昔からの、瀬戸内の観光地は、尾道・屋島・金毘羅さん・宮島などなどなのです。倉敷がこうした歴史ある場所に比べると、たいしたことはありません。多分、山陽新幹線が一時、岡山で終着駅だったこと、さらに四国への橋が完成したのに関連して、代表的な観光地になったようです。

 倉敷は、今では年間400万人を数える観光客の来る、瀬戸内有数の場所になっています。ちなみに、宮島の年間観光客は200万人です。昔からの瀬戸内の観光地は、尾道、屋島、金毘羅さん、宮島などなどなのです。倉敷がこうした歴史ある場所に比べると、たいしたことはありません。たぶん、山陽新幹線が一時、岡山で終着駅だったこと、さらに四国への橋が完成したのに関連して、代表的な観光地になったようです。

 瀬戸内海大橋の完成した時代、未だバブル崩壊以前の80年代になります、この頃、大原美術館では人出が多く、本気で二階の抜けることを心配したと言います。また、当時旧い建物を近代化の名のもとに、取り壊す動きもあったようです。それを、都市計画法の「美観地区」で、二階建に制限し、一方で「伝統的文化的建築保存地区」の指定をするなどを行い、旧い町並みを積極的に、保存を図ったのです。勿論、日本で最初の西洋美術を展示した大原美術館の存在が大きな力です。エル・グレコの「受胎告知」をはじめモネ、ゴウギャン、ロートレックなど等の名作を集め、戦後は「棟方志功」や「富元憲吉」等の陶磁器・さらには日本の絵画などを蒐集し、展示しています。倉敷の観光は、本物の美術と、水・緑・旧い町並み、によるハーモニーが、生み出し、現代に繋がるものなのです。とりあえずお国自慢は、これまで。

 瀬戸内海大橋の完成した時代は、まだバブル崩壊以前の80年代になります、このころ、大原美術館では来館者が多く、本気で二階の抜けることを心配したといいます。また、当時旧い建物を近代化の名のもとに取り壊す動きもあったようです。それを都市計画法の「美観地区」で、二階建に制限し、一方で「伝統的文化的建築保存地区」の指定をするなどを行い、積極的に旧い町並みの保存を図ったのです。もちろん、日本で最初の西洋美術を展示した大原美術館の存在が、大きな力になったのです。大原美術館は、エル・グレコの「受胎告知」をはじめモネ、ゴウギャン、ロートレックなどの名作を集め、戦後は「棟方志功」や「富元憲吉」などの陶磁器、さらには日本の絵画などを蒐集し、展示しています。倉敷の観光は、本物の美術と、水、緑、旧い町並みによるハーモニーが生み出したもので、現代に繋がるものなのです。