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| 2006年10月30日 |
| 長崎さるく |
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長崎さるく博が春から10月29日まで 行われていました。 私は参加することは無かったのですが、 どうしてもここ爆心地付近を いろいろと見て回りたく 終了した翌日、訪れる事にしました。 長崎市松山地区より、
少し小高い丘の上にある 国立平和追悼記念館。 原爆資料館などの建物が建ち並んでいます。
この所平和について少し考えたいこともあり この辺りを散歩してみました。
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このような平和を祈ったモニュメントが 各地に祈りを捧げるように設置されています。 |
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こちらは爆心地公園の裏の 小高い丘にある平和会館です。 |
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展望台もあり、そちらからは
爆心地公園ものぞむことが出来ました。 こちらの方を歩いてみたのは
実は10年ぶりです。 展望台より爆心地公園。爆心地をのぞむ 奥には長崎県営球場BigNが見えています。 もう一枚は松山方面を撮影しました。 |
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こちらは原爆の悲惨な体験を伝える 原爆資料館。 原爆で被爆した様々な遺構が 展示されています。 |
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平和公園・爆心地公園にはこのような
不戦の碑・そして原爆の業火の 犠牲になった方々の御霊を祭った碑が 点在しています。 なぜここを訪れたかというと
この所、核議論が活発化しているということで 自分なりにもう一度核の被害を 見ておきたかったといったところででしょうか 仮にテポドンで核攻撃された時、
広島・長崎の被害以上の物が でるでしょう。 核議論が活発になる中、
60年前亡くなった人々の悲惨な体験を 二度と地球上でおこさないような 世界になりますように。 長崎の松山の地では地球上
最後の核の犠牲者がひっそりと 安らかに眠っています。 |
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爆心地公園にはこちらの
原爆で倒壊した浦上天主堂の、 西に面した南側壁の一部を 移設したものがあります。 爆風による石柱のずれが そのままに再現されています。 壁上の石像はザベリオと使徒です。 原爆の破壊力のすざまじさを物語っています。
ところどころ黒ずんでいるところは 原爆の熱線でやけたと伝えられています。 |
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しかしこちらの狛犬でしょうか・・
落書きが・・イケナイ(・A・) こうしたものをみると、
戦争は起きてほしくないと節に願う物である。 しかし東アジアの情勢は不穏で、
このような悲惨が60年前の被爆が 再び起きうる危険もはらんでいる。 |
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爆心地公園といえばこちら
原爆で亡くなられた、12万人の名前を納めた、原爆のグラウンド0 原爆落下地点に建てられている石碑。 この上空500メートルで爆発した。 原爆殉難者名奉安があります。 |
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そして、小さな川が流れているのですが そちらへ降りていくと 昭和20年当時の地層がそのまま 展示されています。 |
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被爆当時の地層には 当時の生活を忍しのぶ茶碗などが そのまま埋まっています。 土は熱線でかなり黒ずんでいて 恐ろしい熱線を伝えてます。 |
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こちらは発掘中の様子を展示していました。 |
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こちらは原爆投下後3ヶ月後の 爆心地の様子を写した写真! 爆心地を示す石碑がもう 昭和20年11月にはあったそうです。 一面は草一本もない焼け野原。 |
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角度をかえて石碑と、浦上天主堂の遺壁。
この二つの遺壁は 現在の東アジア情勢を 嘆いているようにも見えました。 |
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こちらの灯籠にも被害者をしのんでいました。 外国人観光客が祈りを捧げて 写真を撮っておられました。 |
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